ふたつの伏線
試合開始、わずか五分という早い時間帯に羽角が倒されて得たフリーキックは、神前が得意とするゴールに向かってやや右のエリアではなく、だいぶ左の、角度も浅いポイントだった。
通常、右のプレスキッカーである橘に任せるか、ゴールに走り込む味方へ合わせるか、どちらかの選択しか有り得ない。
が、このときの神前はボールをセットする橘に歩み寄り、俺が蹴ってもいいですか、と切り出した。
「いいけど、相手、高さにはつえーから競り合いで勝つのは難しいんじゃねーの?」
「えと、狙おうかとおもって」
「左のアウトで? ふうん、たしかにキーパーの裏かけるし、枠に行けば入るな。助走のおとり、要るか?」
少しも表情を変えることなく、淡々とした小声で橘が訊いてくる。
じゃあ一歩だけ、と応じて、神前が蹴った直接フリーキックは、相手の壁もキーパーも、走り込んで来た味方さえもあぜんと見送る軌道で、ゴールネットを揺らした。
決して調子に乗ったわけではなかったが、後半初めに得た、本日三本目となる右のコーナーキックでも、神前はおもいっきりドライブをかけたボールをファーサイドのゴール上角に直接たたき込んだ。
そして。
後半の三十分を過ぎた辺りでも、ゴールからそう遠くない位置での直接フリーキックが与えられた。
そこも、どちらかと言えば橘に任せることの多いポイントではあったものの、すでに交代でピッチを退いてしまっている。
スタンドから降ってくる、生まれて初めてのハットコールに、神前は内心で苦笑した。
例え入らなくても、期待に応えて三点目を狙ってみるのが、これだけの応援に報いるいちばん効果的な方法なのは、分からないわけではない。
狙ったら入るような予感も、どこかでしている。
が、神前はとっくに心を決めて、ボールをセットした。
ゆっくりと仲間の顔を見ていけば、なぜかみんな、神前の答えを信じて疑わない顔をしている。
助走をとった神前は、ちょっとだけ、その予測を裏切ってやりたい気になった。
けれど、初めから、目的はたったひとつ。
本人に、何を言わせるまでもない。
相手の韓国人ディフェンダーからガチガチのマークを食らう若きエースに、得点を取らせること。
キーパーをゴールに釘付けにさせ、ディフェンダーのマークを甘くさせるための、ふたつの伏線が、たまたま両方とも入るという目を引き当てただけのことだ。
プレスキックでハットトリックもたしかに偉業かもしれないが、シーズンを通した2部リーグの得点王を仲間が取ることに比べたら、一試合きりのまぐれ当たりなど、神前にとってさして価値があることだともおもえない。
神前の蹴るフリーキックは、いつだって痛みと引き換えに仲間からもたらされたものだ。
それを、自分の力の誇示や名声のために使おうなんて気は、さらさらなかった。
勝利のために必要ならばいくらでも直接ゴールを狙うが、直接だろうが間接だろうが、神前にとってはゴールにつながる事が第一で。
第二は、仲間の助けとなること。
自分の活躍など、三、四がなくて、ようやく五に来るくらいのものだ。
なければ、なくてもいいくらいに、どうでもいい。
江野や、紀藤が、いつだって黙々と黒子に徹しているように。
神前だって、あくまで本職はディフェンスなのだから、相手を零点に抑えてチームが勝てば、それで、言うことはないとおもう。
もし、自分のキックが何かの役に立つなら、逢坂へのアシストになる方が、ずっとずっと、ずっとうれしい。
────なんせ、これが、逢坂をアシストできる最後のチャンスかもしれないのだ。
プレーの再開を促す笛が、かすかに耳に届いた。
左手を上げ合図を送り、助走に入った神前の視界には、マークを外してニアサイドに飛び込もうとしている逢坂のすがたがハッキリと映っていたのだった。




