違約金と育成補償金
「──誠さん。言いすぎです」
江野の肩を、恐い顔をした逢坂が掴む。
瞳を揺らしていた神前が、きゅっとくちびるを噛んだ。
「いいよ、逢坂。俺はマコが何と言おうと、出て行く気なんかないから」
「おまえを売っ払えば問題解決、というのはまあ、当たってる気がしなくもないけどな」
「ちょっ、紀藤っ」
「解決、しないでしょう。移籍金制度が廃止された今、売るといっても、金になるのは複数年契約の違約金しかないはず。複数年契約は、出て行かれては困る選手をプロテクトするために結ぶものです。出ていく気がないと言い、実際、機会を何度も棒に振っている選手に、金にうるさいフロントが複数年提示? するわけありません。ケガして一年丸々働かなかったとしても出せるほど、この人の給料は安くはありませんよ」
一理ある、と紀藤は感心したようにうなずいた。
「でも、フロントは、いざというとき移籍で収入を得るための複数年契約選手、っていうカードも持ってるはずだぜ?」
「もちろん、居るでしょうね」
応じた江野が、ちらりと右隣を見る。
逢坂は、肩をすくめて苦笑だけを返した。
「これまでフロントが売ってきた選手の共通点は、ユース出身。そして、若いこと。なぜなら、トレーニング……ナントカ、という金が違約金とはべつに受け取れるから。この条件に当てはまり、なおかつ他のチームに買ってもらえるような選手は、逢坂以外、ここにはいない」
「トレーニングコンペンセーション、だ。育成補償金ともいう」
うなずいた紀藤が、タブレット端末を手にしながら続ける。
「二十三才以下の選手が移籍する際、二十一才までのプロ契約期間に応じた補償金が発生する。ただし、同一クラブに限り第三種チーム──つまり十二才からが対象となるんだ。移籍先が1部の場合、ユース出身選手の補償金は満額で五〇〇〇万を越える。二十三才を過ぎれば泡と消えるこの金を、多額の債務超過を抱えた経営者が惜しんだ気持ちは、まあ、分からなくもないな」
ばん、と机を両手で打って立ち上がった神前が、江野との間に割り込むようにして椅子に座ったままの逢坂の首にしがみつく。
逢坂が、二重のまぶたをいっぱいに見開いた。
「直さん……?」
「ダメだ。ぜったい、ダメ。逢坂だけは、売らない。こいつはここに必要な選手だ。ファルケンの未来、そのものなんだ。俺は、こいつを守るためだったら何だってする!」
「──何だって、って例えば? 企業をまわってスポンサーでも募りますか? それとも、今季無給で働くとか?」
「そ、それは……」
ひるんだ神前を、ばかばかしそうな目で江野が見上げる。
「居なくなって困る選手というのはいても、ぜったいに必要な選手なんて、チームにはいません。曽根さんたちも、ゆ……赤間も、必要な選手だと誰もが口をそろえてましたよ。でも、居なくなったからってチームが消えて無くなるわけじゃない。逢坂を売らずに守ったって、来季ケガでもされたら居ないのと同じことです。契約分、給料を払わなければならないだけよけい悪い」
「マコ……ッ、おまえな!」
力任せに、江野の襟首をつかみ上げる。
それでも、神前を見る冷やかな目は変わらなかった。
消えない眉間のしわは、江野の頑な心の表れにもおもえる。