本音と全力
「日本のサッカーを強くするためにもっと上を目指す人間は必要で、俺も選手以外の道でなら、そういう方向に携われるとおもってた。でも、間逆の道もあるってこととか、選手としてやれることが実はまだまだあったことに、ホァが気づかせてくれたわけだ」
笑みを含んだくちびるで、紀藤はほんのり甘いアイスのレモンティをコクンと飲む。
「そんなわけで、俺は本当はなかったはずの時間を、精いっぱい、自分がプレーすることに費やそうと決めた。そして、その時間をくれたホァに、積めるだけ積んだ経験と知識をくれてやるって約束したんだ」
黙って聞いていた逢坂が、膝に両肘をついて、頬杖にした。
「紀藤さんって、本当に、誰かに手を貸してあげることばかり考えてる人なんですね」
「──はあ? ちがうだろ。アジアのレベルを上げることが、ひいては日本を強くすることにもつながるし。あのとき俺がサッカーをやめてたって、ホァにくれてやることもできずに無駄になるはずだったものを、いかに効率よく使い物にするかっていう、あくまでも手段の話だ」
横から、逢坂の袖を神前が引っぱる。
「紀藤にそういうこと言っても山ほど反論が返ってくるだけで、ぜったい善意とか奉仕とか認めないから、こいつ。他の人間にただでやさしくしたら、愛する彩ちゃんに逃げられちゃうとおもってるんだよ、きっと」
「聞こえてるっつーんだ、神前」
メガネの向こうで目を据わらせた紀藤から体ごと顔を背けるように、神前が逢坂の肩にすがった。
「ともかく、さっきの滝田さんとの話はな、ベトナムのクラブとこことでジュニアユースくらいの選手の交換留学ができないか、ってことを相談してたんだが。受け入れだけなら可能だと──」
「…………直さん? 泣いてるんですか?」
「ちっ、ちがっ。泣いてなんか、ないから」
そうと分かる涙声に、紀藤は髪をかく。
「あのなあ。ベトナム行くっつっても永住するわけじゃねーし、引退後の話だぜ、神前」
「誰も、寂しい、なんて言ってない……っ」
「そうかよ。どうでもいいけど、逢坂の服を濡らすなよ。拭くなら、自分の袖にしとけ」
言いながら、紀藤はジャケットのポケットを探ると、取り出したハンカチをぺふん、と神前の後頭部に放ってやった。
後ろ手に拾い上げたハンカチに顔を伏せ、しばらくじっとしていた神前が、やがてぽつりぽつりと声をしぼり出す。
「俺、知らなかった。おまえがサッカーやめようとしたことも。それを思い止まらせてくれたひとがいたことも。どんな想いを持って、プロになったのかも。何にも──」
「何にも知らねーのはお互い様だろ。何、泣くことがあるんだ。言っとくけど、過去なんか知ろうが知るまいが、おまえが聞いてるのこそ、嘘も偽りもない俺の本音で、おまえにいつも見せてるすがたこそが正真正銘、俺の全力だぜ。それで十分だろ。なんか、文句があるのか」
「ありま、せん……」
立ち上がると、紀藤は向かいのソファに歩み寄り、慣れた手つきで神前の頭を撫でた。
見上げてくる逢坂に、あごをしゃくる。
「先、行っててくれるか。もうそろそろ、バスも乗り込めるようになってるころかも」
分かりました、と応じて逢坂がソファを立つ。
一度だけ、逢坂が立ち止まってこちらをふり返ったことに、紀藤は気づかないふりで、神前の後頭部を鳩尾に抱き寄せたのだった。




