恵まれた環境
ロビーにある自販機で買った紙コップ入りの飲み物を手にソファに落ちついたところで、向かい側に並んで座ったおそろいのスーツに身を包む神前と逢坂を、紀藤は順に見た。
「おまえら、サッカーをやめかけたことってあるか?」
神前は逢坂と顔を見合わせて、首を振る。
「俺はある。というか、元々プロになる気なんてこれっぽっちもなかったしな。大学卒業までサッカーやって、あとは勉強してた語学を生かして、サッカー関係の仕事ができりゃいいかとおもってた。プロっていうのは、チームの中でも十年にひとり、みたいな才能のあるやつがなるもんであって、それ以外はスタッフ、メディア、育成、あとは単にサポーターとして、サッカー界を支えていくことを考えるべきなんだろうってな」
紀藤の前に居るふたりは、それぞれがまぎれもなく、十年にひとりの才能の持ち主だ。
「けど、大学二年のとき骨折してな。一度は、もうここまでだとおもった。骨がくっついて、リハビリして、筋力もどして、元通りのプレーができるようになるまで、半年以上かかるだろ。そうまでして、あと一、二年でやめるサッカーのために努力する意味もねーな、とおもって」
神前が、真剣な顔をしてやや身を乗りだす。
昔の話だって、と紀藤は内心で苦笑した。
「松葉づえで大学に行き出して、すぐだな。グランド行ってたまたま見た四軍の練習にベトナム人のホァがいたんだ。ホァは試合に出てた俺のことを知ってたけど、俺はサッカー部に留学生が居ることさえ知らなかった。訊けば、プロになりたくて日本に来たって言うんだ。サッカーだけじゃなく勉強も頑張ってどうにか留学はできたけど、日本とベトナムじゃレベルが違い過ぎてこの国でプロになるのは不可能だとおもう。それでも、吸収できるものはぜんぶ吸収するんだって、練習だけじゃなく、授業の予習復習も寝る間を惜しんでやって、日本語の勉強もして……」
紙コップに口をつけ、紀藤は一拍おいた。
「俺はあいつに、プロを目指してないどころか、もうサッカーをやめる気だなんてとても言えなかった。才能がないから、なんてのはやらない言い訳なんだってことに、必死に努力してるあいつを見るまで気づかない辺り、俺も大概バカだよな」
苦々しく笑いながら、紀藤はふと左を向く。
ロビーの東側は一面ガラス張りになっていて、そこから見える第二練習場では、下部組織所属の少年たちが傾きかけた日差しを浴びながらボールを蹴っていた。
「この国には、施設も指導も何不自由なく利用できる環境がある。俺とホァの差なんて、それを享受できたかできなかったかの違いだとおもわないか。どこの国だってプロになれるのはひと握りの選手だけだが、ベトナム人が日本でプロになることは、日本人がその昔、ブラジルやドイツでプロになったのと同じくらい、難しいことなんだ。俺は、天才でも特別でもないけど、日本人に生まれただけで、この国でプロになる道は努力次第でいくらだって開けてるところにいた。それは、とても幸運なことだ。そして、日本にもブラジルやドイツに憧れた先人たちが居たからこそ、造り上げられた環境でもある。……努力する意味がない、なんて恵まれたものにしか言えない傲慢なセリフだよな」
日本は世界から見れば、まだまだ強豪国とは言えない。
ワールドカップの結果もそのことを証明していたが、それでもアジアの中ではまごうことなき強豪国であり、ベトナムをはじめ多くの国からアジア王者として憧れられる立場にあるのだ。
裏話4
ここだ! この「日本は世界から見れば、まだまだ強豪国とは言えない。ワールドカップの結果もそのことを証明していたが、」という部分。
これを書いたのは、2013年の11月ぐらい? ハッキリ言って、賭け。
でも、14年6月のワールドカップ見るまではちゃんと、大嘘になっちゃったらどうしよう、とかドキドキしてたんだよ?




