直接フリーキック
足を引きずりながら半歩離れたところで、両手で拾い上げたボールをセットする神前を、逢坂はふり返った。
「おもいっきりいっちゃってください。外したってまたチャンスはありますよ、きっと」
精悍なまなざしは、まるで、何度だってここで体を張ってみせると言っているようだ。
神前は、ぎゅっと奥歯を噛んだ。
江野の言うとおりだ。
神前にできることは、逢坂を蹴りつけ倒した代償はゴールによって払わされるのだと、相手に思い知らせてやることだけ。
そうすることでしか、逢坂の身を守ってやることはできない。
「逢坂。俺、キックを枠にやる自信はあるよ。問題は、キーパーとの駆け引きだけ」
「じゃあ、俺も、キーパーを惑わしましょう。ニアとファー、どっちに寄っときますか」
ちょっと首をかしげ、神前は指だけでファーサイドを指し示した。
心得たと言わんばかりのうなずきを返し、二度、左足で地面を踏みつけると、逢坂は相手選手六人が築いた壁の左端に向かって駆け出した。
すでにボールを芝の上に置いていた神前は、逢坂が壁に連なったのを見てから、助走の距離をとるべく後退る。
それから一種の儀式として、視界に入っている仲間の顔をざっと見渡した。
フリーキックには、直接ゴールを狙うものと、味方に合わせるものの、二種がある。
直接ゴールを狙うときは、どのコースにどんな球筋のボールを蹴るかで、神前の場合、キックの選択肢は軽く十種類を越えるが、大体、ボールを置いたときにはすでに、その選択を済ませてしまっていることが多い。
例外があるとすれば、仲間の顔を見て、誰かに合わせようと思い直したときだけだ。
このときの味方はみんな、神前が直接ゴールを狙うことを信じて疑わない顔をしていた。
そして、隙あらば距離を詰めようとしてくる相手の壁を、近すぎる、と審判に抗議することもほとんど儀式のようになっている。
が、上げかけた手を神前は即座に下ろし、このときは助走に入った。
オフサイドを回避すべくゴールから一歩、二歩、と離れた逢坂は、神前が軸足を踏み込んだ瞬間に、くるりと方向転換をした。
右サイドからは羽角がペナルティエリア内に向かって侵入し、ゴールを真っ正面に見る位置でも右のプレスキッカーである橘が、横パスが来るかの勢いで走り込む。
そのいずれの動きにも惑わされることなく、壁を越えてくる神前のフリーキックだけに意識を集中していたとしても、クロスバーぎりぎりを射抜かんばかりに飛んできたボールに反応できるキーパーなど日本には、ましてや2部リーグには、ほとんど居ない。
一瞬、ファーサイドの逢坂の動きに重心を取られたキーパーは、ジャンプすることもできず、左手を上げただけで神前のキックがゴールマウスに飛び込んで来るのを見送った。
神前自身には、ボールがネットを揺らすところは確認できなかったが、ゴール裏にいるサポーターがいっせいに沸き、審判の右手がまっすぐセンターサークルを向いたのを見て、にぎり締めた左手を振り下ろす。
「やったー。見たか紀藤、アイスッアイス」
駆け寄って来た仲間たちに囲まれ、次々に肩といわず頭といわずもみくちゃにされながら、神前はふと、右の耳元に吐息を感じた。
ふり返ろうとした瞬間、髪を掻き回した手が、ぐっと神前の顔を反対に向かせる。
「見たぜ、さすがだ神前。あのフリーキックの対価がアイスで、ほんとにいいのか?」
「いいよ。ただし、飲むやつのバニラ味な。──あと、おまえも…………信じてくれ」
誰を、とは口にしなくても、紀藤はとくに考えるそぶりもなく、うなずいてみせた。
「おまえの腕──いや脚を、信頼しきってるってことぐらいは、信じてもいい」
蹴られて痛くない人間は居ないし、ケガが怖くない選手も居ないのだから、わざとファールを受けることは何かの策略でできるほど、たやすいことではないと紀藤もおもう。
その理由を、歓喜の輪の中に紀藤は垣間見たような気がしたが、もののはずみか、ただの見まちがいかもしれない。
センターラインの向こうへともに駆けながら、紀藤はアイス、アイス、と連発している色気より食い気な親友に、内心ため息をついたのだった。




