クラブライセンス剥奪の危機
「いちばん上、か。じゃあ、そこから見える店、どんなもの売ってる? ──うん、うん。あー、エスカレーターの向こうに楽器店、見えない? ……そっか、分かった。そこな、昔はデパートだったから、つくりが似てるんだよ。間違えても無理ないって。えっと、五階かな、エスカレーターの横にカフェがあるからそこで待ってて。すぐ行くから」
じゃあな、と言って神前が携帯を閉じると、逢坂がふわりと微笑んだ。
「今の、もしかして、階と売ってるものを聞いただけで、天神のどの建物だか推理したんですか? すごいですね、直さん」
ファルケンの本拠地である福岡市の中心街、天神。
地下街の通ったメインストリート周辺には商業ビルがこれでもかと林立していて、神前が内部を把握しているのは、せいぜい主だった十棟ほどにすぎない。
ちなみに、一年前までは、どこがデパートかは分かる、ていどの知識しか神前にもなかったのだが。
「え、いや、そんな。今日は最初に、地下二階に行けないーって、ヒントがあったし」
「何がヒントだ。方向音痴、爆発しろー」
「こら、紀藤。それ、一応内緒」
神前があわててとがめるが、会話を聞いていればそれ以外に解釈のしようがないほど、羽角の方向音痴はバレバレだった。
でなければ、相手は小学生の子供だとしかおもえない。
「とにかく、俺、行くから」
「べつのやつに行かせろ。おまえが緊急だってみんなを集めたんだろうが」
「スポンサー料が入らないとどうなるか、とか俺、困るってことしか分かんない。おまえ、放っとくと経営の状況から説明しだすだろ。どうすればいいか結論が出るまで、俺、居たってとんと役に立たないから。それより、羽角との約束まもる方が大事!」
言い切ると、紀藤の反ばくを待たずに神前はごめん、と言い置いて走って行ってしまう。
「──……おい、誰があれを選手会長にしたんだ」
くす、と笑ったのは逢坂と橘で、江野はむすっとした顔のまま低く応じた。
「クラブ在籍十五年以上。入団七年目。どちらも最長だからでしょ、あのひとが」
「──で。経営の状況、とか聞きたいか?」
三人共が、至極嫌そうな顔をする。
紀藤はうなずいた。
右から左に抜けるだけの説明なんか、紀藤もべつにしたくない。
「とりあえず、収入が減ると、起こることといえば大量解雇、だよな?」
橘の問いに、紀藤はうなずきかけてやめた。
「それも当然有り得ますけど。今期の損益だけを考えるなら、解雇は対策とは言えないですね」
目の前にある江野の眉間にしわが寄る。
というか、常に寄っているしわが、深くなった。
「つまりな。解雇で支出が減らせるのは今期じゃなく、来期だろ」
あ、と橘がもらす。
紀藤はメガネを押し上げ、タブレット端末を指先で操作した。
「知ってるとおもうが。最高にマズイのが、このタイミングだ。債務超過、もしくは三期連続の赤字計上があればクラブライセンス、つまりプロリーグの参加資格を剥奪する──ってシャレにならない条項が、寄りによって今期分の財務報告から適用されるんだよな。うちは、某社長の方針で三期連続には当てはまらないが、長年の債務超過が去年ようやく解消したばかりだから……今期が赤字なら、まあ当然、債務超過に逆戻りなわけだ」
見れば、三者三様にむずかしい顔をしている。
紀藤はそれが、ことの深刻さを理解してのことなのか、それとも単に説明が理解できなかっただけか、極めてあやしいとおもった。
目が合った逢坂が、精悍な頬にふっと笑みを浮かべる。
「俺も、羽角を迎えに行けば良かったな」
なら、最初からおまえが行け──
そう、叫びたいのをこらえて、紀藤もやけくそに笑い返したのだった。