選手寮の食堂にて
「──それで?」
椅子に腰を下ろした江野は、紀藤に問うた。
「粉飾決算が発覚したのは、株式会社KGFF。うちのユニの胸スポンサー様だ」
「……『ブラックインパクトォ』の?」
逢坂のやたら耳触りのいい声で言われ、周りの年長者たちはいっせいに視線を泳がせた。
高貴な色ともいわれる紫色をしたユニフォームの胸にこれほどそぐわない広告文字もない、と身につけている選手の誰もが密かにおもっている。
しかも、それがその筋では知らぬものはないと言われる超人気育毛剤の商品名、だとおもうとなおさらまぬけだ。
会社名は、『黒々ふさふさ』の頭文字だといわれるが、そうでなければ何なのか、逆に訊いてみたいとこの六年ずっと神前はおもってきた。
「ちなみに。それは、実はそれほど商品が売れていないってことなのか? 俺が元チームメイトに聞いた話じゃ、これは生えるって断言してたんだけどなー」
幸い、三十才を越えてもまだまだ育毛剤に縁はなさそうな橘が首をかしげる。
「俺も試合のとき、よく他のチームのひとに効果があるのかって訊かれるんで、てきとうにオススメしといたんですけどね」
年長者全員が、今月いっぱい二十歳という、若い逢坂の生え際に目を向けた。
その手の商品に興味のある人間にしてみれば、彼のたっぷりとした長髪はさぞうらやましいに違いない。
が、たいていの場合、彼の年齢から育毛剤を愛用していたなんてことはないはずだ。
スポンサーの商品とは何の因果関係もないと、考えなくても分かるだろうに。
「効能なんかこの際どうでもいいよ。問題は、会社の経営状態が悪化しているにも関わらずそれを隠してスポンサーを続け、銀行からの融資を受けるべく粉飾決算をした、あげくそれがバレたってことだ。つまり、K社は資金繰りに失敗し、なおかつ経営難。よって、うちに支払うべきスポンサー料の半期分──推定七五〇〇万は、確実に未払いのまま宙に浮くであろう、と。さてどうなるでしょう?」
紀藤の口調はひょうひょうと軽かったが、その場には重い沈黙が落ちた。
──チャッチャッチャ、チャララーン。
と、その場に大層まぬけな音がひびきわたる。
誰がどう聞いても、携帯電話の着メロだ。
はっとしたように立ち上がった神前が、両手でジーンズのポケットを漁った。
「今、大事なとこだろ、神前」
「待って、緊急…………もしもし、羽角?」
にらむ紀藤から体ごと背けるようにして、神前はブルーのガラケーを耳に当てる。
相手は、羽角蓮。
横浜グラニからレンタル移籍中のチームメイトだった。
「え、上に居るんじゃないの、おまえ?」
神前が白い天井をあおぐ。
彼らがいつも会議場所にしているのは選手寮の食堂で、羽角は昨シーズンのとちゅうに移籍してきてからずっと寮の二階で暮らしていた。
ちなみに、会議のメンバーに現在寮暮らしはいない。
独身でひとりぐらしの神前は、ほぼ毎日、寮の食堂の世話になっているものの、高卒三年目の逢坂でさえ、増えた新加入の若手選手によって寮から押し出されてしまった。
「いや、大丈夫、大丈夫、行くよ。練習? えっと」
神前は右腕の時計を見た。
本日の練習開始は夕方五時から。
今はまだ三時台だった。
「うん、天神にいるのは間違いないんだろ。じゅうぶん間に合うから。約束守って、早めに電話くれたんだな。全然心配いらないから、落ちついて。おまえ、自分が今、何階にいるか分かる?」
半分しか聞こえない会話に、全員が無言で耳を傾けている。
紀藤だけは、その後の展開を正確に予測できたので、早々にため息を落とした。