トラウマ
企画に応募しようとして期間が過ぎたやつ。もったいない精神でうpしてみた。
ちょっともやっとするかもしれないです。
あの顔は今でも思い出せる。
私はあの時、初めて人の悪意というものに触れたのだ。
*
私は当時4歳。幼稚園に通う、ごく普通の幼女だった。
あのアパートに子供は私しかおらず、休みの日は基本アパートに住むご老人に遊んでもらっていたのをよく覚えている。
そのなかに、れんおにいちゃんは居た。
私をみこちゃんと呼び、絵本を読んだり時折飴玉をくれたり……優しいお兄さんだった。所謂初恋に近い想いを抱いていたと思う。
「みこちゃんは、浮気ってどう思う?」
4歳の女の子にそんなこと訊くのってどうなのという今の私の意見は置いておいて。
そもそも浮気って何?と私は思ったと思う。何ぶん昔のことなので記憶が朧気だ。
「みこちゃんにはまだ早いかぁ」
そう言ってれんおにいちゃんは私の頭を撫でた。
記憶というのは不思議なもので、したことは簡単に忘れてしまうのにされたことは覚えている。
人の頭は都合良くできているのだ。
「俺はね、浮気ってよくないと思うんだ。不誠実だからね。あ、不誠実っていうのはそうだな……嘘つきって意味。大好きって言ったのに他の人にもそう言うんだ。ね、嘘つきでしょう?」
私は狼狽えた。
だって私はパパもママも、幼稚園のお友達も大好きだったから。
誰か一人なんて、選べなかった。
「……クス、みこちゃんの言う好きは沢山あっても平気だよ。そっか、みこちゃんはパパとママとお友達が大好きなんだね」
私は元気よく頷いた、と思う。
うろ覚えでも私の考え方を思えば推測はできる。
「みこちゃんも大きくなったら分かるよ。俺の言う大好きは1人にしか言えないってことがさ。」
*
その日の夜のこと。
大きな音がして、私は目を覚ました。
勿論パパもママも起きてきて、音の発生源を探していた。
ママは起きてきた私に気がついて、安心させるように私をだっこする。
その温もりが心地よくて私はまた眠ってしまい、次に気がついたときはもう朝になっていた。
結局その音が何だったのか、当時の私はパパとママに尋ねたけど二人とも言葉を濁してばかり。
今なら分かる。子供には言いにくいことだったのだ。
お隣で起きたDVさながらの夫婦喧嘩なんて、言えるわけがない。
その日の昼、私は偶然にもつきおねーちゃんに会った。
つきおねーちゃんは件のお隣さんだ。旦那さんの方はおじさんと呼んでいたけど、奥さんの方はつきおねーちゃんと私は呼んでいた。あの夫婦は少し歳が離れていたから。
その日会ったつきおねーちゃんの頬にはガーゼが貼られており、痛々しかったのを覚えてる。
私がおけがしたの?と訊くと、つきおねーちゃんは私と目線を合わせるように屈む。
「ちょっと転んだだけよ。心配してくれてありがとう。」
つきおねーちゃんはそう答えて私にクッキーをくれた。
そういえばあのクッキーを最近見かけてない。パッケージが変わったのか、もう廃盤になってしまったのか。
今はもう味すら思い出せない。
「大宮さん!と、みこちゃん。こんにちは」
駆け寄ってきたのはれんおにいちゃんだ。
れんおにいちゃんはつきおねーちゃんにはよく笑顔を見せていた。
私や他の人に見せる笑顔を静とするなら、つきおねーちゃんに見せる笑顔は動だ。
感情が溢れるような笑顔。
私はこの笑顔が好きだった。
だからつきおねーちゃんと一緒にいるれんおにいちゃんが好きだった。
「みこちゃん、お母さんが呼んでたよ。お買い物行くって」
その当時お母さんと買い物に行く、というのは私の中では大好きなアニメの食玩を買ってもらえることとイコールだった。
2人への挨拶もそこそこに、私は慌てて家に戻っていった。
*
それから数週間後のある日。
アパートの敷地内で1人遊んでいると、知らない女の人が入ってきた。
スラリと長い足に露出度の高い服。甘い香水の香りとヒール特有の靴音。
他の住民と違って派手な外見だったから余計に印象深かった。
暫く郵便受けを眺め、ため息一つ。
「……あ、ねぇそこの」
ずっと見つめていたらその女の人に気づかれた。
私はちょっと後ろめたくなって、声をかけられたのに俯いてしまう。
そんな私を見てその人は「怒ってないよ」と言った。
「暇つぶしに付き合ってほしいだけなの。良いかな?」
そう言ってくる女の人。私は少し考えて、良いよと言った。
そしたら女の人が名乗ってくれて。私はその人をほしおねーちゃんと呼ぶことにした。
お返しというわけじゃないけど私も名乗る。ほしおねーちゃんは「あなたがみこちゃんね」と言った。
疑問のままに私はれんおにいちゃんのお友だちなの?と尋ねる。
「そうだよ。れんおにいちゃんの……知り合いかな?」
なんだか煮え切らない返事に疑問を持ったけど、その疑問を口にする前にほしおねーちゃんは他の話題を切り出した。
多分れんおにいちゃんの知り合いであることに触れてほしくなかったんだろう。ほしおねーちゃんにはそれだけの理由があったのだ。
それは後に起こるある事件に関係してくる。
私のなかに未だ残る、あの情景に繋がる事件に。
*
あれだけ言っておいてなんだけど、実はあの事件の詳細を私は知らない。
ただお隣のおじさんが暴れておまわりさんに連れて行かれたということだけは知っている。
その後、少しの間つきおねーちゃんはアパートに居たけど、おじさんと離婚してアパートを出て行ったのだ。
私はつきおねーちゃんがいなくなるのが寂しかったから、最後にお別れの挨拶をしようとつきおねーちゃんの部屋に向かった。
その部屋の前、居たのはれんおにいちゃんとほしおねーちゃん。
つきおねーちゃんと私の家の間は少しだけ出っ張りがあって、そのおかげで2人は私に気がついてないようだったけど、雰囲気が重かったこともあって、声をかけられなかった。
「これでいいんでしょ。もう私に関わらないで」
「勿論。今までありがと間中さん」
「私、今まで色んな人に会ったし、関わった。その中には悪い人も居たわ。けど、ここまで関わりたくないと思えるゲスはアンタが初めてよ」
「ゲスって酷いなぁ。ちゃんと君の名誉も守ったじゃない。相手が既婚者だって知らなかった、男に騙された可哀想なキャバ嬢ってことでさ。あんな嘘信じちゃうんだから、可愛いよねぇ」
「……アンタみたいのに捕まって、あの子可哀想ね。一生自由になれない」
「自由っていうのは幸福と引き換えなんだよ。僕は大宮さん……いや、月江さんを幸せにする。けど自由はあげない。だって、僕はあの人が大好きなんだから」
「……最低」
そう吐き捨ててほしおねーちゃんは去っていった。
部屋に戻ろうとして、足を動かす。
足は上がらずに、音を立てて後ろにずれただけだった。
「……あれ、みこちゃん?」
耳ざとくその音に気がついて、れんおにいちゃんは振り返る。
私の姿を認めて、きょとんとした顔をした。
「あ、もしかして……聞いてた?」
正直、あの会話が何を意味するのかは分からなかった。
けれど、善いことでないのは確かだった。
「んー、みこちゃんには分かんないと思うけど、一応釘刺しておこうかな」
近寄ってくるれんおにいちゃん。
何時もと変わらない笑顔で、ゆっくりと。
それが怖くて、逃げたくて、でも足は動かない。
石になってしまった足を動かそうと、逃げようと必死になる。
そんな努力もむなしく、目の前にはれんおにいちゃん。そして
「誰にも言っちゃ駄目だから、ね?」
れんおにいちゃんは、笑った。
*
なんで今更、そんな昔のことを思い出したんだろう。
私は何をしてたんだっけ。
……そうだ、部屋に帰る途中だったんだ。
定時を2時間ほどオーバーして、くたびれたなーなんて思いながら帰路を歩いていた。
歩いてたなら、こんな事になってない。
塀に体を押し付けられてるなんて状況に、なるわけないのに。
「あ、あの、その、えっと」
目の前に居るのは灰色のパーカーに黒いズボンの男の子。
多分成人してはいないだろう。大人と変わらないくらい立派な体つきだけど、顔は少しあどけなさが残っていた。
髪の色は黒。自然な色だ。瞳の色は俯いてしまっていて分からない。
「お、おおお、おれ、」
緊張しいなのかさっきから吃ってばかり。
失礼だけど、普段なら笑ってしまう様な喋り方だ。
そう、普段なら。
「お、俺、篠賀陽介って、言います。そこの公立高校の、3年生で、あの、部活は、弓道部、です。」
でもこの状況は普通じゃない。
帰宅途中にいきなり壁ドン。服が汚れるとかそんなことを気にするより、恐怖が先に来る。
手首を捕まえる手が、今度は私の手を捕らえた。
「趣味は、えっと、あれ、芸術鑑賞、で、特技は、……あ、あれ?なんだったっけ……」
「な、なに……?あなた、なんなの?」
「え?な、何、とは?」
「なにが、目的、なの?」
強盗?それとも……別の何か?
それを想像して、血の気が引く。
私だって恋愛経験はある、けど、身持ちが固すぎて結局別れてしまった。
だから、経験はない。
こんなところで、こんな人に……!
いや、そんなのいや!
「えあ、あああ、あの!こ、怖がらせるつもりは無くて!その、ご、ごめんなさい!」
「…………。」
「お、俺はただ、あ、貴女に伝えたいことが!」
「つ、伝え、たい?」
何か言いたいことがあるの?
そう尋ねると男の子は一旦喋るのを止めて、深呼吸した。
「俺、ずっと見てました。貴女のこと。」
話し始める。
「その、貴女は気がついてなかったかもしれませんけど、俺が通学に使う電車と貴女が使う電車同じなんです。というかホームで電車を待つ貴女をひと目見た時から、電車合わせたんですけどね。ラッシュを避けるためなんですか?何時も早い時間ですよね。」
「え……う、うん」
「そうなんですか。……あの、ですね。あの時から、惹かれてました。貴女の存在全てに。これはもう、運命です。あの日あの時、偶然にも2人が駅にいた事、それが運命と言わず何だと言うんでしょう。俺はまだ高校生でガキですけど、将来性が有ります。自慢じゃないけどそれなりに女の子と付き合ったこともあるし、模試の成績もそれなりです。友達からは変わってるって言われますけど、嫌われてはないです。人付き合いも上手い方だと思います。」
突然始まる自己PR。
まるで面接みたいだ。けど私は面接官じゃない。
殆ど内容は耳に入ってない。
「なので、歳の差を踏まえても貴女を幸せにする自信は有ります。いや、幸せにします!だから、だから……!」
顔を、上げる。
黒い瞳が私の顔を見つめて、指一本動かせない、心臓すら止まりそう。
だって、だってこの子の顔は、表情は――
「俺と、付き合ってください」
あの日見た、れんおにいちゃんと同じそれだったんだから。
*
「あー……うん、うん。そう。じゃあ今週の土曜ね。分かった分かった。こんな時間なんだから、早く帰ってきなさいよ。じゃあね」
「陽介から?」
「うん。土曜に彼女連れてくるって」
「え?彼女?」
「彼女。もうそんな歳なんだね。」
「そう……。」
「寂しい?」
「そう、じゃないの。あの子、あなたにそっくりだから」
「……強引に迫ったんじゃないかって?」
「…………。」
「……あはは。もういいじゃない。許してよ。結果としてあの人と別れられたんだから。幸せでしょ?」
「幸せ……。」
「結婚して、子供も居て、愛してくれる旦那がいる。少なくとも前よりは経済状況良い。何回も話し合って、この家庭を作り上げてきた。それの何処が不幸なの?」
「……そうだけど……。」
「今更こんな筈じゃなかったなんて言わせない。俺と一緒になったことを不幸だなんて言わせない。君はもう僕のものなんだから。ね、月江?」
ちゃんと詳しく書く予定です。れんおにいちゃんとか月江さん視点で。