第七話・忘れられた影
魔法。それは、かつてこの世界の発展を支えて来た技術であり、そして現代多くの先進国で軽視され、失われつつ有るテクノロジーである。
確かに、この世界の物の殆どは、“晶臓”や魔力を持つ事を前提に作られており、微弱な魔力を通す事でスイッチを切り替えたり、動力源とする場合もある。そこには少なからず魔法学から来る技術が使われているのだが、それを正しく認識しているのは、所謂制作者側の人間のみだ。
何故ボタンを押すと電源が入るのか、どういう原理でタッチパネルが機能しているのか。地球の人々も、皆が皆それらを完全に理解しているわけでは無いように、アルシード人も理解をしていない。
だからこそか、そういった生活に密着した魔法技術以外は、もう殆ど忘れられ使われなくなってしまった。何故ならば、必死に修行をして魔力を自在に扱える様になって、高価な用具を揃えて長々と呪文を唱えて、そしてようやく火を着けられるようになるより、ライターやマッチを使って火を着けた方が、安上がりだし時間もかからないからだ。
夜、同居人が眠りに落ちたのを察すると、テナは徐にベッドから身を起こした。彼の身体は基本は人間に準拠しているが、彼方此方が強化されているので、食事や睡眠の必要が無い。精神の方も、内包しているのは“神”の欠片であるがために、疲れというものを知らない。
黒い上着を羽織りながら、窓の方を見やる。強張った背筋をぐぐっと伸ばしながら、カーテンと窓とを開け放つ。すると、外から荒れ狂う突風が部屋の中に吹き込んで来た。この日は風も穏やかで、このような暴風が吹き荒れる由など有りはしないのに、だ。
その風に乗って、一つの気配が部屋の中に入って来る。曖昧な輪郭線の影のような姿をした“星の精”が、テナへと“総意”よりの言伝を伝える。
『──ヴヴ──ヴ──ハ、……“仕事”の時間だよ、“心臓”──いだ──ラ──』
「……ん」
その一文を伝えるのが限界で、それの声は再びノイズに飲み込まれて行った。“総意”の声を人間の耳で捉えられるレベルにまで『翻訳』するのは、随分と骨の折れる作業なのだ。
言葉を聞き、テナが頷くと、“星の精”は彼を苛む首輪に触れた。表面に彫り込まれた術式の上に、新たな別の紋様が刻まれていく。同様に、手枷と足枷にも影は触れ、術式を刻む。
全ての枷に星の精の紋が刻まれると、テナは少し深呼吸して目を閉じた。枷がゆらりと揺らぎ消え、限定的ながらも封印が解除される。そして、無理矢理物質体に押し込められていた“神”が、本来の形なき存在へと解放されてゆく。
煩わしい肉体と共に、“封印された神”が一時的に本来の立ち位置へと還り、そして錆び付き停止していた生命の巡りの歯車に噛み合う。“総意”との接続が正しく行われたのをみとめると、“星の精”は彼の手を取り空へと飛び出した。
両手にそれぞれバケツと、今回はハサミとを携え、彼は“仕事”へ出る。肩程まである烏羽の髪を靡かせながら、いつか本当に封印が解ける日を夢見て、巡りを保守するための、尊き使命へと。
……冷たい金属の感触を伝える手に、誰かの温もりが残っている、気がした。あの時掴んだ唯華の手の温かさが、いつまでも残っているような、そんな気分がしたのだ。
“総意”から切り離され、意識を人間の形に合わせて切り抜かれてしまった所為で、酷く曖昧で希薄な状態であった自我。育てられる事のなったそれの前に、思いがけず現れた“客”。彼が人とは違う事は分かっているだろうに、まるで友人の如く接する彼女へ、彼は親愛の情──と言うには、些か極端過ぎる感情を抱いていた。
彼女との接触によって、温い海の中をただバラバラにたゆたっていた自我が、確固とした姿を伴って形成されつつあった。芽生えたばかりのエゴは、刷り込みに近い形で、すぐ近くに在った唯華という存在を意識したのだ。
翌朝、予告通りの時間にムゥは来た。いつも通りのバックパッカーじみた装いで、胡散臭いニコニコ笑顔を携えて、しかし今日だけは壁抜けで侵入することはせず、玄関から正々堂々と入って来た。
唯華はどの服を着るか散々悩んだ結果、ぶかぶかで何時ずるっと脱げるか分からないテナの服より、目立つだろうが頑丈な制服の方を選んだ。朝食を済ませて必要な物のメモを携えて、館を訪れた彼に合流する。
「お待たせいたしマシタ。準備は出来ていマスか?」
「はい、大丈夫です」
玄関前で待つムゥに、唯華は空っぽの大きなリュックを背に掛けて駆け寄る。そんな彼女の後ろには、付き従う様に佇むテナの姿も有った。相変わらず謎の首輪は健在のようだ。今日の文字入りTシャツには、「ひまわり」と書かれている。
「……昨日言ったように、アナタは連れて行けマセンよ」
「知ってる。ただの、見送り」
やや呆れながら言うムゥに対し、テナは野方図に答えた。彼はそのまま唯華に目を向け、僅かばかりに口角を上げながら声をかける。
「気をつけて、な」
「ええ、気をつけます」
唯華も笑顔で答え、そしてムゥの方へ振り向く。すると、既に彼は竜の姿を取っていた。ふわふわと数十cm程浮き上がった状態で、悠然と唯華の方へ漂ってくる。ぽすり、と唯華の手に大きく膨らんだ財布を握らせながら、笑顔を彼女へ向けた。
「ワタシの背に乗ってくだサイな。大丈夫デス、見た目は貧弱デスが、アナタ一人くらいなら乗せて飛べマス。乗り心地は保証しマセンがね」
「え、でも。目立つんじゃないですか」
「ああ、安心してくだサイ。目立つは目立つデショウが、アナタの身分が悟られる事は有りマセン。飛びながら説明しマショウ」
とはいえ、乗れ、と言われても、何処にどう乗れば良いのか分からない。元々唯華はわりとインドア派で、動物に騎乗した経験なぞひとっつもありはしない。ましてや竜の乗りこなし方なぞ、分かるわけが無かったのだ。
その困惑を察したのか、ムゥが高度を下げながらこちらに顔を向ける。
「首の付け根辺りが安定しマスから、その辺りに跨がってくだサイ。……ああ、角は触らないでくだサイね。逆鱗も」
「き、気をつけます」
そのすべすべの白い角にはいつか触れてみたいと思っていたが、今回は駄目そうだ。もっと親密になったら触れるかしら、等と画策しつつ、彼の首元に手をかける。遠目に見るとつやつやしている様に見える体表だが、細かい銀の鱗がびっしりと生え揃っていて、触れるとざらざらとした。
恐る恐る跨がり、長い首の半ばを両手で掴む。すると、彼女の背後で六つ羽根がはためく気配がして、足が宙に浮いた。浮遊感に全身をカチコチに緊張させて、思わず首に抱き着く。
「ひゃ、ひゃああ……」
「しっかり掴まっててくだサイ。初めてデスし、安全飛行しマスから、大丈夫デスよ」
「……いってらっしゃい」
本格的に高度が上がり始める直前、耳に届いたテナの送り出す声に、唯華は辛うじて片手を振って応えた。揺れは無く、口を開いても舌を噛むような羽目にはなりそうになかったが、竜に乗って空を飛ぶという、物理的にも精神的にも宙に浮いている行為に、声が出なかったのだ。
暫くの間は、落ちないように必死にムゥの首にしがみついていが、その内、自分の状況を正確に把握出来る程冷静になる。すると、彼の飛行が驚く程安定しており、そこまで必死にしがみつかなくても振り落とされそうにも無い事を理解する事が出来た。
手は離さないまま、身を起こして顔を上げる。緩やかに風が顔を撫でて、輪ゴムで纏めているだけの髪が乱れる。ぱちぱちと目を瞬かせながら、唯華は目の前に広がる世界を見下ろした。
「す、すごい……!」
山が有るのだから、恐らく田園風景が延々と広がっているのだろうな、と思ったが、そうでもなかった。確かに田畑も有るが、進行方向に見えるのは賑々しさをたたえる街並みだったのだ。
都会では無く、かといって田舎と言うわけでもない。新幹線の路線や高速道路らしい橋梁が遠目に見えたので、恐らくそれらのお陰であの街並みが発展したのだろう。これが、方上市。その風景は驚く程現実っぽくて、彼女の白昼夢を見ている感覚を更に増長させた。
高空から見下ろしている所為か、随分と狭く見える平地の四方には、大小高低様々の山々が連なっている。最初の恐慌は何処へやら、唯華は年甲斐も無く目をきらきらさせながら、穏やかに眼下を流れてゆくその光景を見送っていた。
「空を飛ぶのは初めてデスかな?」
「はい、こういうのは。飛行機とかには乗った事が有りますけど、ドラゴンみたいに空を飛ぶ生き物に乗ったのは、初めてです」
「フム、そうデショウねぇ。ま、委ねていてくだサイ」
ふと、両脚が柔らかいものに包まれる。何かと思ったら、ムゥのヒレのような前脚が、唯華の脚を掴んだのだ。なんだかおんぶされているような気分だな、と彼女は思う。
竜の背の乗り心地は、大変素晴らしいものであった。ムゥという人物の背に跨がっているという事実さえ無視出来れば、ここまで快適な乗り物は他には存在しないだろう。
嬉しいような据わりが悪いような、何とも微妙な気分になっていると、彼女が安定したのをみとめたムゥが声を出し始めた。人の時のそれとは違い、口を通して喉から出ているのでは無く、直接周辺の空気を振るわせているような響きの声は、声音こそ人型時と共通だが、明らかに違う様相を見せる。
「この世界には、竜という種族が存在しマス。ワタシもその端くれデス。
竜は人型を取る事が出来るので、大抵の者は人の世界に溶け込んで暮らしておりマス。人も竜の存在を認知し、受け入れていマスね。
それでも竜は中々に珍しい存在で、例えればUFO位のレアさデス。だから、こうして空を飛べば、多くの人々がワタシの存在を感知し、そして『竜を見た』と言う記憶を心に留めるデショウ」
「UFO……まぁ、でしょうね」
「同時に、今日は平日デスから、アナタの様に学生服に身を包んで街を闊歩すれば、補導は免れ得ないデショウ。その上、ここら辺の学校の制服ですら有りマセンしね。
デスが、ワタシという謎の竜と、アナタという謎の学生。この二つが組むと、マイナスとマイナスをかけるとプラスになるように、逆に悪目立ちをしなくなりマス」
どういう事だろう。背の上で疑問符を浮かべる唯華に、ムゥは一層目を細めて、ニコニコと笑いながら答える。同時に、いつの間にか方上市市街の上空にまで辿り着いていたらしく、ムゥが緩やかな降下を開始する。何処に降りるのだろうかと、唯華はムゥの頭の先を眺めていた。
「少し話は変わりマスが。この世の竜は時折人に力を貸しマス。見返りに様々な条件を提示して、それを飲む相手に竜は味方をするのデス。そうして竜の力を借りる事に成功した者を、人は『契約者』と呼びマス。
ま、竜なんかと契約しようと思うニンゲンは、総じて変人デス。デスから突然学生服を着て昼間出歩いたりしても、誰も怪しいとは思わないのデス。
そして竜が契約者と共に行動する光景も、然程珍しいモノではありマセン。そういうワケデスので」
何かのショッピングモールと思しき大きな建物の、立体駐車場の屋上部分にムゥは降り立つ。丁度近くに車を停めて、中から出て来た人が、口をあんぐりと開けて驚いていた。
「ニシキノサン、アナタは今ワタシの契約者デス。良いデスね?」
「は、はい」
小さく囁かれた言葉に頷きつつ、唯華がムゥの背から降りると、彼は少し六枚羽根をはためかせた。すると、その姿が変身する時のような鈍い銀の光に融け、そのままどんどん小さく萎んでいく。光が消えると、そこにはちょこんと両手に抱えられそうなサイズの竜が佇んでいた。
呆気にとられてる間に、小さくなったムゥがふよりと浮いて、唯華の頭の上に乗る。両前脚が彼女の頭を掴み、落ちない様にしがみつく。その柔らかな感触に、彼女の表情筋は崩壊寸前だった。
(な、撫でたいっ! 今すぐ抱き締めて、撫で回したいっ!!)
元々マスコットじみた可愛げが有ると思っていたが、実際にぬいぐるみサイズになるとここまで可愛さが増すとは思わなかった。にやけそうになるのを必死に抑制しつつ、びしっと背筋を伸ばして歩き始める。
「あっちが入り口デスかね? ──コラ、そこの人! 撮影は禁止デスよ!」
「アッ、ハイ」
近くの車から出て来て呆然としていた人が、スマホと思しき端末のカメラを唯華たちに向けていたのを察知し、ムゥが大声で警告する。すると、相手は大人しく端末を仕舞った。撮影音らしいものは聞こえなかったので、撮られてはいない。
未だ混乱気味の目撃者を見送りつつ、唯華はムゥの長い尻尾で示された方へ進む。細い尻尾の先が背やうなじを撫でるのが、くすぐったい。
歩く先には、階下へ向かうエレベーターのある部屋が存在する。ここら辺も地球、日本と良く似ているなぁと思いつつ、自動ドアに近づく。
「……あれ?」
自動ドアが開かない。もしかして手動なのか、とも思ったが、取手らしいものも見当たらない。センサーに無視される事なんて、これまで数える程しか無かったのに。上部に見えるセンサーに向かって手を振ってみても、全く反応が無い。
「──ああ、魔力が無いから反応しないのデスね。ワタシもぼーっとしてマシタ。少々お待ちを」
ムゥが少し頭を上げる。すると、ようやくセンサーが反応し、ガラス張りの自動ドアが開いた。成る程、機械類が扱えない事から薄々予想はしていたが、センサーの類いも唯華を感知しないらしい。
「ムゥさんが居たのに、何故でしょう」
「竜は魔力を持っていマスが、“晶臓”を持っているわけではないのデス。こういうのに感知してもらうには、ちょいと一手間必要なのデスよ」
「そうなんですか。意外ですね、有りそうなのに」
無事に開いたドアを潜り、エレベーターのボタンを押す。……しかし、ボタンかと思ったそれはタッチパネルのようなもので、やはり唯華では反応しなかった。
この世界は、思っていたより唯華に優しくない。ムゥに尻尾でパネルを押してもらいながら、彼女は少し肩を落とした。




