第六話・茨の輪
“晶臓”。アルシード人なら誰でも生まれつき備わっている、魔力を司る器官である。
肝臓や腎臓と同様に、アルシード人にとっては『有るのが当たり前』の臓器である。人類はおろか、動物や虫の類いにも備わっており、稀にだが本当に魔法を使い出す獣が現れたりもする。
多くの場合、おおよそ首の付け根辺りに存在し、その外観は臓器というより、小さな石のようである。しかし近年の研究により、この臓器の本体は、物質世界とは別レイヤーの部分に有ると分かって来た。
しかし、ここの所、魔法に関する研究が軽視されがちである所為か、その神秘は殆ど暴かれずじまいだ。人々は、魔法が当たり前に存在する上で成り立つ生活を送っているにも関わらず、その魔法に対して興味を示さない。
唯華はちらり、とムゥの買って来た食べ物たちに目をやりつつ、口を開く。そして、先ほど口にした要望の理由を語り始めた。
「いつまでもこんな食生活じゃ、身体を壊してしまいそうですし、折角台所もあるので、ちゃんとした料理を作りたいのです。
それに、替えの服も必要です。テナさんの服は、わたしにはサイズが大き過ぎますし、四六時中制服というのも息苦しいので……」
襟を軽く摘んでみせる。今彼女の着ている制服は、Yシャツの上に濃い紫のブレザーで、下にはスラックスを履いている。舞州高校の女子制服は、スカートとスラックスを選ぶ事が出来て、唯華は『歩きやすい』という理由からこちらをよく使っていた。首元には青のリボンが付いており、こちらもネクタイと選ぶ事が出来た。
空が落ちた日にスラックスを履いていたのは、我ながら英断であり僥倖であった、と唯華は思う。スカートはよく手すりなんかに引っ掛けてしまうし、この時期はまだ肌寒い日も有るようなのだし。
それにしても、元の世界から持って来れた物が、健康な身体と制服くらいしか無かったのは残念だった。せめて鞄等も手放さずに居られれば、中に入っていたジャージだとかが使えたのに。
「それくらいなら、ワタシが買ってきマスよ」
「食べ物はそれでも良いかもしれませんけど、服は実際に行ってみてみないと、サイズとか分からないですし。
それに、ムゥさんには、わたしの肌着なんかを買うのは、些か難易度が高いと思います」
「アー……」
彼は理解したようで、頷く。これでしれっと疑問符を浮かべるようだったら、唯華も頭を抱えざるを得なかったが、ムゥにも多少は人間相手のあれこれが通用するようだ。
多少得体が掴めて安心しつつ、唯華は相手の返答を待つ。ムゥは齧りかけのチョコを口に放り込み、一回噛み砕いた後飲み込むと、指に残った残滓を舐めとりながら答えた。
「なら早い方が良いデスよね。明日で良いデスか?」
「え? あ、はい。早い方が有り難いです。急ですけど、大丈夫なんですか?」
「アナタさえ平気ならば」
「良かった、ありがとうございます」
ほっと胸を撫で下ろした所で、テナが顔を上げる。無口な彼が喋り出す時のその予備動作に、唯華もすっとそちらへ目を向けた。
「……オレは」
「テナサンは目立ち過ぎマスよ。その首輪はね」
「……これ、か」
テナはほんの僅か、よく観察していなければ見落としてしまう程度に、眉尻を下げた。分かり難いが、顔には落胆の色が浮かんでいる。十数日もの間観察している内に、彼の感情の機微にはそれなりに敏くなった。
そうかな、と首を傾げかけたが、慣れたのであまり気にならなくなっていたけど、彼は随分と人目を惹く出で立ちをしている。緋の眼や髪型だけでも目立つのに、そこに謎首輪や謎文字Tシャツなんかも加われば、好奇の視線に晒されるのは避けられないだろう。
「僕はいかねーぞ。昼間に外出するなんて真っ平ごめんだ」
「ええ、ブルーアイズホワイトもやしは来ないでくだサイ。アナタの顔を知ってる者は多くないデショウけど、存在自体は知ってる方も多いようデスしね」
「だからもやし呼びやめろ。つか何でそんな事まで知ってんだよ」
「アナタの母上とは古い知り合いだった、と言ったではありマセンか」
そのムゥの台詞に、唯華はまた一つ疑問を抱いた。丁度会話も途切れたので、お茶をすすりつつ投げかける。
「えっと、風上さん、大人ですよね? そのお母さんと知り合いって事は、ムゥさん何歳なんですか……?」
「フフフ、こう見えても、今年で51歳になりマス」
「ごっ、ごじゅういちっ!?」
吹くのはどうにか堪えつつ、むせて涙目になる。不老くらいは有るだろうと予想はしていたが、51歳とかいう、無駄にリアルな年齢だとは思わなかった。そこは、軽く何百年と生きているものではないのだろうか。
まさか彼が、彼女の父親と同年代だったとは。そんな唯華の驚愕を、ムゥは見た目と一致しない齢の事に対しての物だと思ったらしく、軽く笑いながら続けた。
「竜は不老なのデスよ。生まれた時から取れる人型は決まっていマスから、どう見てもオジサンなのに10歳、なんて例も有ったりしマスね」
「そ、そんな事もあるんですか……この際だから訊きますけど、テナさんや風上さんは?」
「あ? 何故この僕まで答えなきゃならんのだ。21歳だが、文句あっか」
「……わからない。けど、封印されてから……100年くらい、経ったか?」
ぶーぶーと文句を垂れながらも、きちんと答えてくれる白矢は、根っから歪んでいるというわけではないのだろう。21歳、実年齢よりもやや老け顔である様に思えるが、大体一致している。サングラスの所為で、彼の人相で年齢を計るのは随分と難しくなっているが。
かぶりを振りつつ指折り数えて、そして文字通り桁の違う年数を答えるのはテナ。曰く“神様”であるらしい彼は、封印されてから100年程経つらしい。そういえば、何故封印されているのかだとかをまだ聞いていなかったな、等と唯華は思い立った。
ゆらりとムゥが立ち上がり、飲みかけの200mlパックの牛乳を一気に流し込む。パックを潰して机の上に置くと、唯華の方へ顔を向けた。
「では、また明日の十時頃に迎えに来マス。準備をしておいてくだサイね」
「はい、お待ちしています」
彼は一口チョコレートを一掴み程持ち、ジャケットのポケットに突っ込む。そのまま竜の姿に変身すると、手の代わりに前脚を振りつつ壁から外へすり抜けていった。障害物を無視出来るのは便利だな、と思いつつ、唯華は窓から外を覗きつつムゥを見送った。
「じゃあ僕も帰るぞ。くれぐれも、僕に手をかけさせる真似はするなよ」
「分かっていますって」
「ケッ、どうだか」
麦茶の小さなペットボトルを飲み干すと、白矢も席から立ち上がった。ソファに立てかけていた杖を片手に、足早に歩き始める。それを追って、唯華も一拍遅れて立ち上がり、追随し始めた。
外はとても明るく、彼が歩くのには向かない陽気だ。玄関でげんなりとしながら帽子を被る白矢に、見送ろうと考えていた唯華は、ふと思い立って彼に声をかけた。
「少し待ってて下さい」
「ンだよ」
あまり待たせない様に、唯華は駆け足で地下室の倉庫へ向かう。館中の照明は点けっぱなしにして貰っているので、地下も問題なく明るい。中々手が行き届かず、埃の降り積もっている部屋から、日よけ用途の傘を引っ張り出して、玄関前で待つ白矢の元へ駆け戻る。
日光を避ける様に陰の中に入って佇む白矢へ、日傘の柄の方を向けて差し出す。散々不本意そうに振る舞いながらも、律儀に待っていてくれる辺り、生来生真面目な性質なのだろうな、と感じられる。
「あの、良ければこれ、使って下さい」
「あ?」
「日傘です。わたしたちは使わないし、倉庫に眠らせ続けるのも可哀想だし、それに何より、まだ日も高いですから」
「……フン。使っておいてやる」
白矢は半ばひったくる様に傘を受け取ると、そのまま背を向け玄関を潜った。傘を広げ、陽光を疎む様に肩を竦めながら、深い森の中へ入ってゆく。間もなく見えなくなるその背姿を見送っていると、背後からテナが歩いて来る気配がした。
「さて、掃除の続きでもしましょうか」
「ん」
「あ、でも、その前に、食べ物を整理しておきませんと。手伝って頂けます?」
「もちろん」
無表情のまま頷くテナを引き連れて、唯華は階段を上り始める。飲み物なんかは冷やしておいた方が美味しいし、冷蔵庫に入れておいた方が長持ちする物もある。冷蔵庫の稼働すらにも魔力が必要なので、どこまでもテナにおんぶに抱っこだが。
後少しで、地上部分の掃除は一通りやった事になる。そうなれば、次は地下へ手を伸ばさなければならない。館内の掃除が終わったら、その次は外にも手を出してみよう。まだまだやれる事、やるべきと思われる事は沢山有る。
唯華は、逞しくも異世界に順応しつつある。まだ見ている世界が狭いから、鮮やかな明晰夢を見ている感覚が捨てきれていないのかもしれない。
とはいえ取り乱し続けたり、塞ぎ込んでしまうよりは、ふわふわとした浮遊感の中、楽観的に過ごす方が良いだろう。そう考えて、唯華は楽しい夢のような異界で、日常を満喫する事を決意していた。
窓から差し込む光がオレンジ色になった辺りで、唯華は館中の窓とカーテンを閉める作業へと移行する。山の中である故か、ここは日の入りが早い。
ふと、何時この朱の空が、緑色に変化してしまうのかと考えてしまう。こうなると中々落ち着かないが、もう二度とあんな目に遭う事は無い、と自分に言い聞かせる。
子供の頃には、夕方に外へ出て落陽を眺めて、えも言われぬセンチメンタルな気分に浸るのが好きだった、そんな記憶が有る。だが今となっては、夕日は言い表す事の出来ない恐怖を呼び起こす対象だ。
あまり空を眺めない様にして、さっさと最後のカーテンを閉める。全ての部屋のカーテンの取り替えが終わったわけではなく、よく使う数部屋だけなので、それも近々手を付けなければな、とボロボロの布を眺めた。
大分、ここでの暮らしも落ち着いて来た。今度“客”に関する本でも借りて来てもらおうかしら、等と考えていた、その時であった。
「……おい、どうかしたか」
「いっ!?」
急に背後から声をかけられ、唯華は思わず間抜けな声を上げてしまった。振り返ればそこには、逆に大層驚いた様子のテナが佇んでいたので、慌てて謝罪する。
「ごっ、ごめんなさい。急に大声出しちゃって」
「……いきなり話しかけたオレも、悪かった。すまん」
「いえ、そんな……えっと、何か御用ですか?」
「一階の窓とカーテン、閉め終わった。次は、何すれば良い」
「あ、はい。そしたら、夕ご飯にしましょうか」
「ん」
頷く彼を見上げつつ、ふとその首輪に目がいく。何か不思議な紋様の刻まれた継ぎ目の無い黒の輪には、途中で切れてしまったらしい短い鎖が繋がっている。今までスルーしてきたそれだが、本当に一体全体何なのだろうか。
「そういえば、コレは何なんです? 外せれば、テナさんも一緒に行けるのに」
「……封印」
「封印、ですか……何か悪さをしたんですか?」
「分からない、のだけど……ん、ユイカ……?」
どうにかして外せたりはしないだろうか、とテナに歩み寄り、首元に手を伸ばす。他人ならもしかしたら簡単に外せるのかもしれない、だとか、異世界人である唯華が触れれば融けて消えるかもしれない、等といった、甘い想像をしながら。
「だ、駄目だっ」
ハッとしたように、テナが制止する声を上げる。しかし時既に遅く、唯華の右手の指先は首輪の表面に触れてしまっていた。瞬間、バチィと静電気が走るような音がして、触れた手に凄まじい痛みが突き刺さる。
短く悲鳴を上げて、手を離す。指先が爆発し、そこから骨を深く深く抉られるような、静電気どころでない痛みだった。手首辺りまでじんじんと痛む。
そのまま手を引っ込めようとして、ぐいっと引っ張られた。テナが両手で彼女の右手を掴み、そして引き寄せたのだ。
「大丈夫かっ」
「わっ!?」
あまりに力強く引かれたので、バランスを崩してしまい、テナの方へ倒れ込んでしまった。なんとか体勢を立て直しつつ、大きな両手に包まれた自らの掌を見上げる。
「今のは……?」
「……そういう術が、かかっている。外そうとして触れると、こうなる。怪我はない、ようだな」
「ええ、大丈夫です、ちょっとビックリしただけなので」
確かに今まで味わった事の無い鋭さだったが、残滓が響くだけでもう痛みは引いている。アレだけの痛みが有ったのに、傷らしい傷は全く残されていなかった。純粋に痛みだけを与えて、触れる者を驚かせる為の仕掛けなのだろう。
「もう、触れるな。無理に引き千切ろうとすると、もっと無惨な事になる」
軽く触れただけでああなのだから、力を込めたら実際に手が弾け飛ぶくらいはするのだろう。少し顔を青くしながらこくこくと頷くと、彼はほっとしたように表情を和らげた。
微笑み。赤々とした右片目が少しばかり細められて、いつもは一文字に引き結ばれている口元が、僅かばかりに綻んでいる。いつもの無表情からは想像も出来ない程に、優しげな笑みであった。
こんな顔が出来るだなんて。手を離し、元の無表情へ戻り、部屋の扉を開けようとする彼の後ろ姿を見ながら、唯華は疑問を更に深くした。
(何故、あんなに良い人──いえ、“神様”が、こんな所に閉じ込められているのでしょう?)
あんなに優しい笑顔が出来る者が、あの首輪のような固い封印が施され、山奥の館に幽閉されている理由。彼女には、それを想像する事も出来なかった。同時に、彼の事がどうしようもなく不憫に思えて来ていた。




