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異界と竜の逆ハーもの  作者: 夢山 暮葉
第十章・唯一の答
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第六十五話・ひねもすの悩乱


 閉め切った部屋の空気は澱んでいる。窓には厚いカーテン、扉には即席のバリケード。二つ有る外との繋がりを完全に拒絶した小さな部屋は、思案に耽るのに丁度良い静けさを湛えていた。

 もう何日もここに引き蘢っている。食事も摂らず、睡眠すらもせずに、唯華はぼんやりと思考の中に沈んでいた。胡乱げな視線を虚空に投げかけながら、彼女は暗く平坦に呟く。


「やっぱ、わたし、人外なんですねぇ」


 飢餓感は有るが、それによって身体が衰弱する気配は無い。眠気も有るが、抗おうと思えばいくらでも抗えた。自身の正体を知る前であったら、有りもしない死の恐怖に堪え切れず飲み食いしたり寝たりしただろうが、人外を自覚した今では簡単に耐える事が出来た。

 竜王に告げられた真実は、これまで抱えてきた数多の疑問に答を与えてくれた。別法則の宇宙に在りながら生き続けられている事や、竜族にしか使えない筈の思念伝達が少しだけとはいえ使えた事。そういえば、こちらに流されてからずっと、月のものが来ていなかったな、等とも思い出す。

 人間ではないから、これまでやってこられた。アルシードに来てから、彼女の身の回りで起きた様々な事件の、その顛末を想起する。


「……今思えば、あれも、これも」


 初めに「あれっ?」と思ったのは、白矢と共にラシェを探し、少女に因縁をつけていたチンピラ四人組と対峙した時だったと思う。ボスチンピラが白矢を殴り倒そうとしていた所を庇った時、彼女は人間では有り得ない程の瞬発力で駆け寄っていた。


「普通の人間は、あんな早さで反応出来ませんよねぇ」


 次に、上月の翁から白矢を助けた時。喰らえば即死するレベルの魔法を向けられながらも威嚇を続けた結果、敵を退ける事に成功したのも、彼女が“テルニア”だったからなのだ。人外の威圧を具えていたからこそ、頭のおかしくなった老人に有無を言わさず追い払う事が可能だった。


「普通の人間は、あんな威圧感なんて放てませんよねぇ」


 それから、“星の精”に支配されたテナの攻撃を弾いた時。テナが全ての気力を振り絞って手加減しようとした結果刃が砕けたのだ、と思っていたが、きっとそうではなかったのだろう。彼女が竜王の賓客であったからこそ、星の“意志”の干渉を拒絶する事が出来たのだ。


「普通の人間は、包丁で首筋を斬られたら死にますよねぇ」


 “禍神”に呑まれた白矢を救った時だって、不可解な点が有った。あの巨大な泥の塊の中、適当に手を突っ込んだ所に丁度白矢が居たのは、単なる偶然というには確率が低過ぎる。何らかの直感が働いた記憶が有るから、多分それがその時発揮された人外なのだろう。


「普通の人間は、あんな偶然を引き当てられませんよねぇ」


 極めつけは、“ネームレス”の歯車事件のあれこれ。シィが躊躇無く唯華を核心の塔へ連れて行った事や、謎の使命感に突き動かされて正体不明の赤い結晶──恐らく、あれが“ネームレス”の“種子”なのだろう──と接触した事。そのシィの確信の理由も、あの使命感の本当の正体も、彼女が“テルニア”だったからなのだ。


「普通の人間は、人間には出来ない事は出来ませんよねぇ。

 普通の、人間、なら……」


 間違いなく自分が只人を辞めていた事を自覚し、彼女はどこか自嘲するように口角を上げた。同時に、これまで自分が行ってきた『錦野唯華』という人間に対する冒涜の数々を想起し、表情を更に歪める。


「わたしの、何と愚かな事か」


 戯けるような口調と声音を作り、彼女は演劇の台詞じみた言葉を口にした。そう、彼女は愚鈍だった。無知蒙昧過ぎて話にならない程だった。

 この姿も、記憶も、人格も、魂すらも、借り物でしかない。なのに彼女は、それを我が物顔にするばかりか、本来なら『唯華』に向けられるべき好意すらも自分で受け取っていたのだ。これだけでも、十分に許されざる冒涜だ。

 当たり前の様に故郷を懐かしんでいたのも、本当ならやってはならない事だった。地球が故郷なのは間違いないのでそれくらいは良いかもしれないが、家族や友人たちの喪失を悲しむ権利は、彼女には有りはしない。その権能は『唯華』にのみ存在する物だ。

 これ以上、『唯華』という存在を穢すわけにはいかない。かといって、自殺なんて真似は出来ない、『唯華』を二度も殺す事なんて許されない。それらをひっくるめて解決する為には、今すぐにでも竜王の元に向かい、竜になって別人として生まれ変わる必要が有る。

 その行為を妨害する要因は、今の所存在しない。本当に行動に移す気が有るならば、邪魔が入って来ない今がチャンスだ──そんな結論に至る事は出来たが、実際に動き出す事は出来なかった。

 怖いのだ。今居る自分を消滅させてしまうのが、泣きたいくらいに恐ろしいのだ。

 『唯華もどき』ですら無くなったら、彼女は何になるのだろう。第二の“ネームレス”になるのだろうか。そして何時しか発狂して、“ネームレス”の遺した轍を踏む羽目になるのだろうか。その末路を想像するだけで、全身が震え上がるような悪寒に襲いかかられた。

 しかし、だとしても、彼女には『このままちょっと特別なだけの“異客”として過ごす』という選択肢を選ぶ事は出来ない。してはならないのだ。

 だけど心身を竦ませる恐怖は本物で、彼女の決断しようとする意志を鈍らせる。それを耐え忍ぼうとする様に身を丸めていると、不意に外から足音が聞こえて来た。


「……」


 息をひそめてしまう。いやに鋭敏になった感覚が、すと、すと、と小さな音を立てて歩く気配を察知する。この足音の小ささから鑑みるに、これは恐らくテナの物だ。

 気配と足音は、この部屋の扉の前で止まった。止まっただけで、ノックをしたりドアを開けようとしてくる気配は無い。話しかけて来る様子も無かった。

 扉一枚隔てた向こうで、相手は一体どんな顔をして、どんな事を考えているのだろう。心配しているのだろうか、早く出て行って欲しいと思っているのだろうか、それとも。

 向こうの顔さえ見えないこの状況では、相手の真意の断片すらも見出す事は出来ない。それは、例え相手がどんな感情を抱いていたとしても、完全に無視する事が出来るという事だ。


「ユイカ」


 そう思って安心していたら、不意に名前を呼ばれた。小さな声だったが、雑音が殆ど無い今の環境下では、ハッキリと聞き取る事が出来た。戦々恐々としながら、徐に顔を上げバリケードと扉を眺める。

 彼は次いで何を言うのだろうか。耳を塞ぎたいという衝動と、一言一句聞き逃してはならない気がするという直感が、頭の中で鬩ぎあう。止まらない震えを抑え込もうと気力を振り絞っていると、ふと、扉の前の気配が遠ざかり始めた。

 緊張が解ける。汗が一気にどっと流れ出た。袖でそれを拭いながら、彼女はか細い声でこう自問する。


「……わたしは、何をしたいのでしょうか?」


 彼女は漸く、その疑問に思い至った。ずっと「~すべきだ」といった口調で考え続けていたが、実際彼女はどうしたいのか、というのには全く目を留めていなかった。素早い所作でメモ帳と筆記用具を取り出し、すらすらと自身の考えを言語化し書き付け始める。

 そして露になり始める、複雑怪奇に絡まり合った思考の撞着たちは、全て解明し一つずつ解してやる必要が有るだろう。塞ぎ込み続けていても何も変わらない、と、彼女は自分の感情を整理し始めた。




 どうやら、唯華は健在な様だ。扉の向こうの気配からそれを察し取ると、テナはやおらにその場を後にした。

 歩きながら、肩から力を抜き軽く安堵する様に呼気を吐く。もし体調を崩したりしていたら、外から窓を破ってでも突入するつもりだが、大変だし唯華が怪我をするかもしれないから、それは最後の手段にしたい。

 窓より骨は折れるが、壁を壊した方が怪我の可能性は低いだろうか、それよりも力ずくでバリケードごと扉を開けた方が穏便じゃないだろうか──等と突入の手筈を考えていると、ひとりでに欠伸が口から飛び出していった。


(……そうか、もう夜だったか)


 窓の有る方に視線を移せば、その硝子が濃い闇の色と、室内の光景を鏡のように映し出しているのが認められた。現在の時刻を認識した所為か、二回目の欠伸がこみ上げて来る。

 ほんの半年ちょい程前まで時間なぞ全く気にしない生活を送っていたから、時間を気にして動く唯華が側に居ないと、どんどん感覚が狂ってしまう。数十年単位の時間をかけて染み付いてしまった習慣は、ほんの数ヶ月では矯正出来ないようであった。

 やる事も無いし、この眠気に任せてさっさと寝てしまおう、と部屋へ向かう。そうしながら、唯華はちゃんと寝ているのだろうか、もうずっと何も食べてない筈だがお腹は空かせていないだろうか、等という唯華に関するあれこれが彼の思考を席巻しなおす。

 やがて、稼働している思考回路の八割くらいが唯華の事に使われ始めた。まぁ通常運転だ、何ら問題は無い。ドアノブを捻り、部屋に入り、そしてチェストから寝間着を取り出し、手早く着替える。


(焦りは、禁物……)


 ベッドに腰掛けながら、彼は自らに言い聞かせる様にする。早く唯華に会いたい、労る言葉を掛けてやりたい、そう思うのは山々だが、彼はそれをグッと堪えた。相手の顔色さえも分からない現状では、良かれと思ってやった事が逆効果になってしまう事だって有り得る。

 急いては事を為損じる。果報は寝て待て、とも言うではないか。少なくとも現状は、静観するのが最も最善に近い選択である筈だ。何時だったかシィが言っていた、『心の傷はなるだけ時間とかに任せた方が良い』という言葉を信じながら、彼はごろりと寝台に横たわる。


「……重い、な」


 主に空気が。ほんの数日唯華が姿を現さないだけで、雰囲気はすっかり澱んでしまった。

 シィたちに“テルニア”の真実を教えられてからの五日間、唯華は一歩も部屋から出て来ていない。それは、ただでさえ沈んでいた彼の周囲の空気を、更に泥の様にわだかまらさせた。

 竜族たちは今回の騒動の事後処理に忙しいのか、あれから姿を現していない。“禍神”の一件の時も忙しそうだったが、今回は一地方都市に過ぎない方上市だけではなく、アルシード全体に降り掛かった出来事なのだ。その多忙さは前回の比では無いだろう。

 また、白矢はというと、時折こちらに訪れては唯華が未だに出て来ない事に落胆し、最低限の会話と共に世情をテナに伝えつつ、一刻程も滞在せずに館を後にするだけだ。そういえば、侵入者防止用の空間歪曲をこの前解いたと言っていたな、と思い出す。

 明日になったら、気晴らしに少し外に出てみるのも良いかもしれない。本当なら唯華と一緒に出歩きたいが、出来ないものは仕方ない。そんな結論を出して思考を打ち切り目を閉じれば、十分と経たずに彼は眠りに誘われていった。

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