第五十九話・ネームレスメモリー
十一月の最初の日、歯車の隙間から差す日差しが徐々に強まってきた頃に、烏山の館にシィとムゥが来訪した。甲斐甲斐しく唯華の看病を続けるテナと、一向に好転の兆しを見せない状況に苛立つ白矢は、微妙な顔をしながらも彼女たちを迎えた。
いつもの部屋に、彼らは集結する。一番入り口に近い所にある唯華の為の席は、空のままだ。それぞれの想いを込めて、その空虚に銘々に視線を注いでいると、沈黙の帳を切り払うかシィの声が室内に響いた。
「……ボクたちの結論は出た。唯華ちゃんに──“テルニア”に、ここまで深く関わってしまったキミたちには、本当に全てを伝える必要が有る、ってね」
先ほどまでの無為な寂寞は去り、代わりにぴりぴりとした緊迫感が満ちる。素肌をたわしか何かでつつかれているような、そんな錯覚すら覚えた。
「今からキミたちに話す事は、所謂トップシークレットだ。知っているのはボクたち竜以外には存在しない、本当に本当の秘密。キミたち以外には開示する予定も無い、天機の詳細だ」
「……だから、他に漏らすな……と?」
「うん。言ったりしたら殺すからね」
シィは何の淀みも無く、殺す、と口にした。それは脅しではなく、予告だ。今から話される内容をどこかに流したら、シィは間違いなく彼らを殺すのだろう。
ほぼノータイムでテナが頷いた後、白矢は竜たちをこれでもかと睨みつけつつ、ゆっくりと首を縦に振った。その応答を認め、ムゥが徐に言葉を紡ぎ出し始めた。
「語らなければならない事が、山の様に有りマス。まずは、そちらを一つずつ語る事といたしマショウ」
「ンだよ、さっさと唯華を治してくれりゃ良いだろ」
「そういうわけにもいかないのデスよ、今回は。それが、『我々の答』なのデスから。
……アナタたちは、我々の本当の名前をご存知デスか?」
「は?」
「我々は、アナタたちが『竜』と呼称する種族の真の名は、“シードディア”──“テルニアルース”第六世代、“シードディア”といいマス」
そうして、彼は語り始めた。真実の──彼方より受け継がれてきた記憶の、全てを。
「……おーい、そろそろ起きても良いんじゃないの。おーい」
使い古した耳栓の向こうから聞こえて来るような、微妙にくぐもってはいるがそれなりにハッキリと捉えられる声。その声を聞き届け、散り散りになっていた唯華の意識は、少しずつ元の姿を取り戻していった。
穏やかな細波の音が聞こえる。少し身じろぎすれば、服の中に入った砂がじゃりじゃりとした。どうやら、自分はどこかの砂浜に横たわっているらしい。ぼんやりと目を開け、数度瞬きを繰り返しつつ焦点を合わせると、彼女の顔を覗き込んでいる白い少女の姿が捉えられた。
「あな、たは……」
ふんわりとした純白の髪に、雪原の様に白い肌。赤い硝子をはめ込んだような瞳孔の目は、じとっと半目気味になっている。白を基調としたワンピースを身に纏った彼女の姿は、間違いなく旧竜“ネームレス”の物であった。
だが、以前謎の夢の中で見た彼女とは違い、湛えている表情はどこか柔らかく、胸元を飾っていた歯車のネックレスも無い。髪も何だかちょっと短い気がするし、唯華は覚えた違和感に疑問符を浮かべる。
そんな彼女の態度に気付いたのか、“ネームレス”の様な少女は軽薄な笑いを浮かべつつ口を開いた。
「ん、初めまして……じゃないんだっけか。あたしは“ネームレス”。とはいっても、バグる前に作られたバックアップデータでしか無いがね」
「バックアップ……? どういう事ですか?」
「ま、言葉通りだよ。竜王様の元に置かさせて貰ってた、あたしという存在の写しさ。でも、精神がバグった“ネームレス”は、結局あたしを使わずに自滅していったけどね」
つまるところ、この目の前に居る少女は、まともだった頃の“ネームレス”の複製だという事なのだろう。竜は本当に何でもアリなのだな、と唯華は感心してしまう。
「何もしないから、安心してよ。あたしは人格や記憶なんかの保存がメインで、独断でどうこう出来る力は殆ど無いし、そもそもあたしは百年くらい前のあたしだから。
と、立てるかい? 怪我は無い筈だけど……」
そう言って、少女はどこか心配そうな声と共に手を差し出してきた。薄ら笑いの下から滲み出る不死者特有の雰囲気は有るものの、そこに悪意や敵意は感じられない。不思議なのは、唯華を見下すようなふうも無い事だ。彼女程の超越者なら、どんなに清らかな者とて只人を軽侮する心を抱くものだろうに。
そんなささやかな疑念に内心首を傾げながらも、唯華はその白い手を取り、それに縋る様にしながら身を起こし立ち上がる。全身から軽く砂を払いながら海の方に目を移すと、何とも奇妙な様相を示す海原が捉えられた。
「何なんですか、ここは……」
驚愕と呆れの入り混じった声が漏れた。何故ならば、その海原には無数の星が煌めいていたからだ。
夜の色をした海の中に、星々が群れを成して漂っている。夜光虫等の放つそれとは完全に別種の輝きの中には、銀河や星雲の様に見える物も混ざっていた。まるで宇宙を溶かし込んだかのような海は、耳に心地よい音を立ててさざめいている。
非現実的過ぎる海の原を水平線まで見渡した後、唯華はぽかんとした表情のまま空を仰いだ。空には光も色も無く、海の色に溶け込むような黒が底なしに広がっている。不思議な事に、光も差していないのに、自分や“ネームレス”の姿、海や砂浜の光景は普通に見えた。
ざっと海と空を見ただけでも、ここが尋常の場所でない事は分かる。何故自分はこんな所に居るのだろうか、と彼女は記憶を洗いざらいに想起し始めた。
(ええっと、何か歯車が出てきて、ムゥさんを助けに行って、それで……)
冥々裏に、右肩を庇うようなポーズをとってしまっていた。眩い光と共に右肩を何かで貫かれて、歯車化が開始して、ムゥの必死な叫び声を聞きながら気を失ってしまった辺りで、記憶はふつりと途切れている。
腕は普通に動くし、また意識が混濁していく兆しも無い。いつの間にか治ったのだろうか、それとも彼女には想像もつかない事が起きているのだろうか、唯華は頭を抱える。そうして当惑に暮れていると、“ネームレス”がからからと笑い始めた。
「くっくっく、そういう反応になるか。……ここは、このアルシードの“総意”の中に食い込んでいる、“セリアメーニェ”の領域さ」
「え、ええと、その……何故、わたしはこんな所に来てしまったのです?」
「いんや、ずっと前からあんたはここに居たんだぜ。ただ気付いていなかっただけで」
「は……?」
「それで、丁度良い機会が巡ってきたみたいだったから、竜王様があんたの顕在意識をここまで引っ張ってきたんだよ。あたしは今さっき起動させられて、あんたの迎えに寄越されたのさ」
いまいち飲み込めずに居たが、暫くの間考え込んだ結果、つまりここは夢の中に近い場所なのだろう、という結論を出す事が出来た。感覚があまりにも現実的だし、頬を抓っても目覚める気配が無い事から、ただの夢では無い――どちらかといえば、臨死体験と言った方が近いのだろうが。
「現実で、歯車化とかいう現象に巻き込まれたんだろ? 竜王様に話は聞いたが、随分とタチの悪いもんに降り掛かられちまったんだな」
「はぁ……そうなのですか」
「随分と他人事みたいに言うな。ま、良いけど……それで、竜王様はあんたに救いの手を伸ばす事にしたらしい。その為に、案内・説明役としてあたしを起動し、あんたをわざわざここまで呼び寄せたんだ」
そう言うと、彼女は一旦唯華から視線を外し、そのまま背を向けて数歩歩き離れた。そしてくるりと振り返り、両手を身体の後ろで組むようにしながら、再び唯華と視線を交わさせる。
「だが、竜王様があんたに干渉すれば、嫌でもあんたは自覚しなけりゃならなくなる。あの方の特別扱いの理由を知れば、あんたはもうただの“異客”ではいられなくなっちまう。
でも、治療をしなけりゃ、あんたは一生右腕を使えないままになる。ああ、脳みそなんかにも歯車食い込んでるみたいだし、もしかしたら右腕どころか植物人間かもね」
「えっ、そ、それは、流石にやだです……」
「だろうな。あたしだって同じ立場になったら、そう言うだろうさ。とはいえ、選択肢すら与えずに無断で治療し、覚悟する暇も与えずあんたに全ての真実を突きつけるのは、流石に酷だ──竜王様は、そう考えたんだ」
色々と、唯華の不安をかき立てる単語が飛び交う。利き腕を一生使えないのは辛いし、植物人間になるくらいなら彼女は死を選ぶ。故に、救いの手が差し伸べられたというのは、彼女にとってこれ以上無い僥倖であった。
だが、治してもらう場合のデメリットとは何なのだろう。意味が分からない。奇妙な夢でも見てしまうのだろうか、と考えたが、その程度のリスクならわざわざ事前に言う必要は無いだろうし、もっと明確な言い方をするだろう。
「どうする? あたしと一緒に来るか、それともこのまま現実に戻るか」
少女はすっと人差し指で海を指差し、くいっと腕を上へ挙げる動作をした。すると、それに呼応したかのように、水中から一隻の小さな舟が現れる。星の海の上にぷかぷかと小舟が浮かぶさまは、幻想的な宇宙船の様でもあった。
「戻るなら、あの舟に乗りな。来るなら、あたしに着いて来てくれ」
“ネームレス”の姿と浮かぶ舟を交互に見ながら、唯華は考える。今自分は、どちらの選択肢を選ぶべきなのだろう。二つのそれのメリットとデメリットを見比べ、自身の判断基準に照らし合わせて考えた結果、彼女は“ネームレス”の方へ一歩踏み出した。
「……植物人間は嫌ですし、わたしは竜王様に会いに行きたいと思います」
いまいち竜王に抱く『名前負け魔人』という印象は拭えないが、仮にも竜族の王の名を冠する存在なのだ、きっと現実の唯華の身体をちゃんと治してくれるのだろう。実体の掴めないデメリットは恐ろしいが、一生寝たきりよりはずうっとマシな筈だ。そんな答を告げると、“ネームレス”は片手でちょいちょいと手招きをしてみせた。
「よし、なら、着いておいで。あいつの居る所に案内してやろう」
そう言うと、彼女は再びこちらに背を向け歩き始めた。それに追随し、唯華も歩き出す。そうして砂浜に足跡を残していくと、きゅっきゅっと砂が鳴る音が微かにした。
防波堤に備え付けられている階段を上り、車の一つも通っていない車道を足早に渡れば、そこは町であった。何となく薄暗く、街灯にはどこかぼんやりとした光が灯っている。
その町は、三方を見上げれば首が痛くなる程の高さの崖に囲まれており、残る一方には先ほどの宇宙の海が広がっている。そんな、四方をほぼ完全に封鎖されたこの町は、何だか唯華の故郷であった町に似通っている様に見えた。
勿論、完全に同じというわけではない。唯華の郷里には海も湖も無かったし、こんな風に高い崖で囲まれてもいない。基本的な街並は似ているものの、所々唯華の知らない店や道が有ったりもする。
町の向こう、丁度海の対面側の崖に、透明で巨大な何かの鉱石の結晶の様な物が、深々と突き刺さっていた。結晶はほわんほわんと白い光を発しながら、緩慢に明滅を繰り返している。その刺さっている辺りに、ひび割れから出来上がったらしい、崖の向こうへの小さな通り道も見えた。
「あれが竜王様、“セリアメーニェ”の“種子”さ」
「せりあめーにぇ? しゅし?」
「んー、まー、その辺の説明は後で纏めてしてやるよ」
意味不明な単語の出現に、唯華は戸惑う。『せりあめーにぇ』はいかにも横文字っぽい響きだが、『しゅし』は違うだろう。『朱子』や『趣旨』だと文脈が通らなくなるし、ならば種を意味する『種子』だろうか。
詳細がもの凄く気になる。シィが漏らしていた、“テルニアルース”だとかいう単語と関係が有るのだろうか。早く解説して欲しいのは山々だが、後回しにされてしまったし、何より他にも訊きたい事が山積みだったので、唯華はそちらの疑問をぶつけてみる事にした。
「ええっと、それはそうと、なのですけれど。ここの町、なんだかわたしの故郷にそっくりなんですよね。何か意味が有るのでしょうか」
「ああ、それはな、あんたがここを視覚化してるからだ。ここは本来、ハッキリとした視覚情報を持たない場所なんだが、それじゃあ正確な認識が出来ないあんたが、自分の記憶を元に情報を与えたんだよ」
「……そんな事をした覚えは無いのですけれど」
「だとすれば、無意識下でやったんだろうさ」
「はぁ……」
何だか釈然としないな、と自分の知識を総動員して色々考えてみる。未知の存在に遭遇した時、どうにか既知のモノに当てはめて認識しようとする現象に近いものなのだろうか。
考える最中にも、“ネームレス”はどんどん進んで行く。それに追随しながら、唯華は自分の記憶と目の前に有る街並を見比べていた。
所々有る相違点やら、屋根の上に浮かぶ大岩や道路に突き刺さっている槍等の意味不明なオブジェクト、何故か全部逆さまになっている電柱等を認め、やはり現実では無いのだな、と彼女は思い知る。人の気配も、自分たち以外には一つも感じられない。
そうして歩いていると、ふと一つの喫茶店が目に留まる。新しめな装いの、やはり無人の喫茶店。道路側に面している大きな窓ガラスから、椅子の上に乗っている謎の岩や、天井から吊り下げられている赤い絵画等を覗き見る事が出来た。
(あれ、これって)
デジャヴュを感じる。この前、妹や兄と話す夢を見た時に居た喫茶店が、丁度こんな感じでは無かっただろうか。しかし、あの夢には彼らが居たし、一応店員らしい存在も居た。単なる偶然の一致だろうか、と思いつつも、確認をするため問いかける。
「ここ、誰も居ないんですか?」
「あんたに残されてる力じゃ、歪な町を視覚化するのが精一杯だったんだよ。過去の記録から住人なんかを再現するのは、よっぽどあんたの意識レベルが下がってて、容量に余裕が出来てる時じゃないと無理だろうね。
だが、そこまで意識が朦朧としちまうと、ここでの記憶を覚えてられない可能性が高い。残念だが、我慢してもらうしかないよ」
「……そうですか」
その言葉の真意も悟ったのか、“ネームレス”はどこか申し訳無さを声に滲ませていた。唯華は少ししょんぼりとしながら、奇妙な喫茶店の前を通り過ぎる。もしここの住人も再現出来たなら、家族や友人と会う事も出来たかもしれないのに。
だが、会えなくて良かったのかもしれない、と思う自分も居る。もし意識のハッキリしている今、どんな形であれ会えてしまったら、きっと懐かしさが爆発してしまうだろうから。努めて、思考を別の方向へと向けようとする。
「そういや、今ここに居るあなたは『バックアップ』なんでしたよね? 竜って皆、あなたみたいなバックアップが居るんですか?」
「うんにゃ、それっぽいのは有るっちゃ有るけど、あたしみたいなのはあたしと竜王様だけだよ。他のは、記録は一応されるけど、バックアップ目的じゃ無いし」
そう聞き、やはり“ネームレス”は特別なのか、と考える。竜族の中で唯一、伸ばした一音節の名を名乗らない、名無しの旧竜。その特別の理由が気になったが、唯華がその問いを投げかける前に、少女はどんどんと言葉を連ね始めた。
「全く、折角の特権だったのに、あたしからの修復もせず破滅しやがって。ま、その辺の判断もバグってたみたいだし、どうしようも無かったんだけどさ」
「……あなたからどうこうする事は出来なかったのですか?」
「そんなの無理無理かたつむり。竜王様に起動してもらったから今はこうして話せるけれど、そうじゃない時のあたしはただのデータの塊でしかないんだから。きっと寿命だったんだろうね、仕方ないさ」
完全に死を受け入れている声だった。それを聞き、例え彼女が“ネームレス”なのだとしても、彼女の方は絶対に凶行には走らないだろう、と確信する事が出来た。鬼籍に入る事を受容し覚悟した者程、心穏やかな者は居ないのだから。
「……寿命は仕方ないけどさ、それでも、ありがとな、現実のあたしを止めてくれて。あんたが止めてくれなけりゃ、この世界は確実に終わってたろうし。
ああ、本当、百年後のあたしの考えてた事が分からない。それなりにアルシードに愛着湧いてたのになぁ……何故なんだぜ?」
冗談めかして自問し、彼女はヒャハハと笑ってみせた。肩を竦めてみせている後ろ姿に、唯華はこう言葉を差し伸べる。
「『オモエ』、と」
「あ?」
「わたしが歯車の“ネームレス”さんと話した時、あの方はわたしに『オモエ』と言ってきていました」
話す、という動詞は些か語弊が有る気もするが、彼女相手なら意味を汲んでくれるだろう。そう言うと、彼女は歩く足は止めないまま、くきりと首を傾げてみせた。
「お、も、え……思え、想え、憶え……どうとも取れるな。あ、いや、そうか、成る程、そういう事か……!」
「何か、分かりました?」
「ん……まーね。いやはや、好奇心が満たされて満足だよ。貴重な証言、ありがとう、ええと……」
言い詰まる“ネームレス”の声に、そういえばこの“ネームレス”はまだ唯華の名前を知らないのだったな、と思い出す。
「唯華です」
「ああ、ありがとう、唯華。……と、丁度区切り良い所で着いたみたいだな」
“ネームレス”が立ち止まったのを認め、唯華も足を止める。すると、そこはあの海の対面側の、透明な結晶が突き刺さっている崖の下であった。
「竜王様~、連れてきたぜ~」
結晶に向けて手を振りながら、彼女は声を上げる。すると、結晶の下部、唯華たちに近い所が強い光を発し、そうして一つの光の球を生み落とした。




