第五話・異界との共通事項
“元”女子高生・錦野唯華が、地球とよく似た異世界・アルシードに漂着して、十数日が経った。
知れば知る程、この世界は地球に酷似している。人も、歴史も、環境や動物、時間の流れなどまでもがそっくりなのだ。
例えば、人。医学書等を図書館で借りて来てもらった所、“晶臓”という地球人には無い魔力を司る器官がある以外は、全く同じであった。それと同時に、どう足掻いても唯華には魔法を使えない、という事が判明してしまったので、甚く落胆したが。折角異世界に来たのだから、魔法くらいは使ってみたかったものだ。
例えば、歴史。最初から世界史に手を付けるのは、些かハードルが高いと思ったので、日本史──否、“臼木史”の本を数冊流し読みした。すると、細かい相違こそあれ、彼女の記憶にある日本の歴史とまるでそっくりなのだ。とはいえ、昔、オフソーダ──オランダ相当の国らしい──からやって来た、エルフの移民団の存在した事や、現在西暦──否、東暦2114年である事等、異なる点も多く存在しているが。
例えば、環境。館の倉庫に仕舞われていた、ちゃんとした“地種儀”を見せてもらった所、その地形はやはり地球と瓜二つであった。全ての地形が鏡写しの様に左右反転してしまっているという、その一点を除けば。また、自転の方向が反対であるらしく、太陽は西から昇り東へ沈むものになっているらしかった。
例えば、時間。この世界でも、一年は大体三百六十五日、一日は二十四時間、一時間は六十分、一分は六十秒だった。時計と睨めっこをして、一秒や一分の長さを測ってみても、おおよそ唯華の知るそれと同一であった。とはいえ正確に比較出来るわけではないので、実際どうなのかは分からずじまいだが。
所謂『平行世界』だとか、『パラレルワールド』だとか、そういうものの類いなのだろうか、と唯華は結論づける。いつだったか白矢も、そんな事を言っていたのだし。魔法やエルフ、そして竜などが存在する、ロー・ファンタジーの平行世界。彼女は、そう認識しておく事にした。
無意味に深い所まで探り過ぎて、後戻り出来なくなるのはごめんだ。コズミックホラーものも嗜む唯華は、一先ず表面上だけで理解した事にする。
流れ着いたのが現代風の異世界で良かった、と思ったのは、やや古めかしいものの、熱いお湯の使える浴場が館にある事を知った時であった。
館自体は、おおよそ明治維新にあたる頃に建てられたという古い物だが、当時から魔法技術は現代と変わらないくらい発展していたそうだ。とはいえ、この館程の設備を整えるのには、相当の費用がかかったらしいが。
他にも、この館には魔法の施設が様々備え付けられていた。綺麗な手洗いや、使われていないものの多機能な台所、夜間でも不自由を感じさせない程の照明、どの季節でも快適に過ごせる冷暖房。惜しむらくは、その起動が魔力器官を持たない唯華には出来ないという事だろうか。
とはいえ、それもテナに頼めば問題ないので、不自由はしない。テナやムゥの尽力のお陰で、唯華は慣れない場所ながらも快適な日々を過ごす事が出来ていた。
「ニシキノサーン、居マスかー?」
ここの所の日課となった、荒れ果てた館内の掃除。この世界の機械類の殆どが、魔力器官“晶臓”が無いと起動出来ない為、濡れ雑巾だけでも出来る窓拭きをしていた唯華は、外から届いた独特に響く声に手を止めた。
窓を開け、顔を突き出して外を見渡す。すると、視界外から銀の竜が悠然と現れ、唯華の方へのんびりと漂って来た。初めてムゥのその姿を見た時は、流石の唯華も驚いたが、今ではすっかり日常の風景の一つとなってしまった。
「ドーモ、ニシキノサン。そこから入っても大丈夫デスか?」
「はい、どうぞ。あ、バケツ置いてあるので、気をつけて下さい」
彼はゆったりと非物質の六枚羽根をはためかせ、自身の肉体にもその翼と同様の性質を帯びさせる。唯華が窓の前から避けると、窓と壁とをすり抜けてムゥが部屋の中へ入って来た。
人型でだと不気味に見える糸目の笑顔だが、竜の姿でのそれは何とも可愛らしく見える。ある種マスコットのような可愛げのある彼を、唯華は少し口元を綻ばせながら見ていた。その柔らかそうなヒレの肢を、いつかむにむにしてみたいと思いつつ、邪心を隠した笑顔で彼を迎える。
「こんにちは、ムゥさん」
「ええ、コンニチハ。色々買って来マシタよ、よっと」
スマートな竜の形が銀の光に波打ち、一瞬の間に人型へと変化する。現れるのは銀髪糸目の少年で、その姿での笑顔はやはり一物抱えているように思える。まぁ、慣れたが。
そんな人型のムゥの両手には、大きく膨らんだ、スーパーのそれらしいビニール袋が、片手に二つずつ計四つ提げられていた。先ほどまでの竜の姿の時は、こんなものは抱えられていなかったのだが、この不思議な現象も最早日常茶飯事だ。
その事について、ムゥに訊いた事もある。曰く、『竜の時には人の姿が、人の時には竜の姿が異次元のような場所に仕舞われており、そこに服や荷物もまとめて引っ込んでいる』、との事だ。何をどうやっているのか、彼女にはさっぱり分からなかったが、便利な種族特性という認識で納得しておく事にした。
「栄養調整食やら、それと希望の有りマシタ野菜ジュースやらを」
「わあ、ありがとうございます!」
「っとと、ワタシが運びマスよ。何処に持っていけばいいデスか?」
「え、でも……」
「アナタにはこの大荷物は持てマセンよ。この前、とても大変そうだったではないデスか」
袋を受け取ろうとして、ムゥにやんわりと断られる。以前、同じように大量の買い物を受け取って、ひぃひぃ言いながら部屋まで運んだ事を想起して、唯華は苦く笑って頷いた。親の庇護が無いこちらで生きる以上、腕力もある程度鍛えた方が良いのだろうか。
「じゃあ、お願いします。……ありがとうございますね」
「ワタシは竜デス。腕力は有り余っていマスから、アナタが気にする必要はこれっぽっちもないのデスよ」
ムゥは軽々と買い物袋たちを手に提げているが、その重さを察する事の出来る唯華は、彼が相当な腕力の持ち主である事を悟っていた。竜族は皆そうなのだろうか、等と想いを馳せる。
そこら辺で、来訪者の気配を悟ったテナが、唯華の居る部屋に辿り着いた。相変わらずその服装は、「天然衛星」などと書かれた謎の文字入りTシャツと、裾のぼろぼろなズボンで、いくつも似たような服の替えを持っているのだろうと推測出来る。
「……なんだ、六つ羽根のか」
「『なんだ』というのはなんデスか、『なんだ』というのは」
服と言えば、濡れた制服が乾くまではそのテナの物を借りていた。今も、洗濯している間なんかには、彼の服を借りてなんとかやり過ごしている。とはいえ、サイズが合っていないので、非常に使いづらい。
その事を訴えようかと思った瞬間、館の玄関が開く音がした。既に廊下の階段辺りまで差し掛かっていた唯華たちは、訪問者の姿をすぐにみとめる事が出来た。唯華は真っ先に階段を駆け下り、その人物の元へ向かう。
「風上さん、来て下さったのですね」
「おう感謝しろよ、この僕が真っ昼間から、日光に晒されてまで来てやったんだ……あーねみ……」
大きな欠伸をしながら扉を閉めるのは、痩身のアルビノエルフ、風上白矢だ。いつしか持っていた長大な杖は曰く、『非常用の装備』で有るらしく、今は短い足の悪い者が使うそれだ。被っていたつばの広い帽子は、館内に入ると外したものの、濃い色のサングラスはそのままだ。とはいえ、アルビノが光に弱いのは唯華も知る所なので、特に意に介さないが。
頻度はそう高くないものの、白矢も時折館に訪ねてきてくれる。『妙な真似をしていないか監視する為』との事だが、麓にある黒環神社からわざわざ歩いて来てくれるのは、彼女にとって有り難い事である。現状、三人の保護者らの中で最も人間に近い考え方を持つのが、彼だ。この世界の常識についてあれこれ訪ねるのに、最も適した相手が、この風上白矢なのだ。
そんな彼の険しい表情は相変わらずだが、それが醸し出す恐ろしさにも、もう慣れた。大きく欠伸をしながら、彼はねぼけ声で言う。
「ふわ……まじねみ……さて、なんか余計な事してねーだろうな?」
「してませんよ。この館の掃除くらいしか」
ぎょろぎょろと館の内装をざっと見渡し、納得したのか鼻で息を吐く。そして少し感嘆するような声音で、口元を左手で隠しながら呟いた。
「随分とまともになったな……」
「殆どはテナさんのお陰です。わたしでは、掃除機も起動出来ませんから」
背後に控えるテナが、少し得意気に目を閉じ、頷いた。それに対し、白矢はやや呆れる様に眉を顰め、そのままUターンして立ち去ろうとした。そんな彼を、唯華は少しハッとして引き止めた。
「すみません、ちょっと待って下さい!」
「あ?」
「相談したい事が有るんです。どうか、風上さんも聞いてくれませんか?」
「んだよ、めんどっちぃ。僕は眠いんだ、早く家帰って寝るんだ……」
「まぁまぁそう言わずに、聞いてあげてくだサイよ、ロングもやし」
「もやしって言うな! あと首根っこ引っ掴もうとするな、また僕を落とす気か!?」
全く殺気を感じさせずに近づき、己より遥かに背の高い白矢の首を掴もうとしたムゥは、言葉での牽制に素直に応じた。しつつ、ぐいっと口角を上げる。
「では付いて来てくだサイな。連行されたくなければ」
「チッ、ったくもう、面倒な! 貸しだぞ!」
「ありがとうございます、風上さん」
腰を90度に曲げて、深く頭を下げる。それを見た白矢は、チッと舌を鳴らすと、カツカツと杖を付きながら歩き始めた。どうやら足の調子が悪いらしく、その足取りはややふらついている。
「……四人揃ったなら、あの部屋が良い。丁度、昨日、掃除も終わった」
「コイツが来た時に話した部屋か? ハッ、また埃でむせるのはごめんだ」
「わたしたちが掃除しましたから、風上さんが苦しい思いをする事は、もう無いと思いますよ。それでも駄目だったら、また念入りに掃除しますから」
懸命な唯華の言葉を聞くと、白矢は心底心地悪そうに肩を落とした。それっきり何も言わなくなってしまったので、何か不味い事でも言ってしまったのかしら、と彼女は内心頭を抱える。
唯華もつられるようにして肩を落としつつ、二階西側の廊下の突き当たりの部屋へ辿り着く。少し前まで、歩くだけで埃の舞い上がっていた廊下も、テナの活躍で随分と綺麗になった。
部屋の内装は、彼女が漂着したその日とはガラリと変化した。カーペットには掃除機をかけ、黄ばんでいたカーテンも取り替え、机や椅子も綺麗に埃を払ってある。広さの割に家具が少なく、寂しい雰囲気だったのも、倉庫に押し込められていた調度品等を持ち出す事で、それなりにまともな部屋の様になったのだ。
「……コレ、テナサンとニシキノサンでやったのデスか?」
「はい。今度皆さんが揃ったら、お披露目しようって思って、頑張って綺麗にしました」
適当に寄せ集めただけの、四つそれぞれバラバラの種類だった椅子も、部屋の雰囲気に合わせた白いカバーのソファに統一されている。唯華もテナにも専門知識は無いので、本物のプロが作る部屋には劣るだろうが、荒れ放題だった十数日前よりは、ずうっとマシだ。
「んー……」
「風上さん、どうですか?」
「あ? 確かに僕も平気だが、文句あっか」
「そうですか。なら、良かった」
どうやら、白矢も苦しい思いをしない程には掃除が行き届いていたらしい。唯華は少し安堵しつつ、四つのソファを引いて座る様促した。
それぞれソファに腰掛けた辺りで、ムゥの持って来てくれた袋から、缶のジュースやお菓子の類いを取り出す。他に有るのは、固形栄養調整食品だとか、ゼリーだとか、そういう物ばかりだ。こんな食生活をしていると、不良学生かヤンキーになった様な気分で、落ち着かない。
そして一通り取り出されたお菓子を並べて、唯華は缶ジュースに手を伸ばす。全員がふたを開けたのを見計らって、缶を持った手を軽く掲げる。
「では、頂きます」
「……乾杯」
「それで、相談というのは? 何か必要な物が有るのデシタら、頼んで頂ければいいのデスが」
菓子の箱を開けながら、ムゥが問いかける。唯華は缶の冷たい緑茶を少し口に含み、舌全体を湿らせる様にしながら嚥下する。しかる後、彼の問いに答えた。
「実は、わたしを買い物に連れて行って欲しいのです」
「フム?」
一口チョコをちびちびと齧りながら、ムゥは首を傾げた。疑問符を浮かべる彼に対し、唯華は今一度緑茶を飲んで、缶を机に置いた。




