幕間九・旧き支配者たちの展望
「さて。どのように始末してくれようかの」
漆黒の髪を靡かせ、豊満な胸を揺らしながら、旧竜ラァは白い大きな歯車の上を歩き回っていた。この冒涜的な変革の歯車は、“ネームレス”の残留自我が拠り所としていた“テルニア”の“種子”が完全に砕け散り、それから供給されていたエネルギーを絶たれた為に、既に全て停止してしまっている。
組み込まれていた魂たちも、間もなく惑星の“総意”が回収用の“意志”を生み出し、そして再び正しき環の中に戻されるだろう。そちらの方は、その自然の力に任せてしまっても問題ない。
だが、物質として存在している歯車の方は、そうもいかない。これも、分解し正しい姿に戻す“意志”がいつか生み出されるだろうが、それに任せてしまうととんでもない事が起きてしまう。
空気や水、木々や大地、それから建物だの道具だのなんかは、そのまま元の姿に戻された方が良いだろう。魂だってすぐに補充されるだろうし、何の問題も起きない。
だが、動物や人間等の持つ、一定以上の知性と人格を具えた魂は、代えが利かないのだ。歯車に組み込まれた時点で、魂の持つ情報は完全に書き換えられてしまっているので、それらから元に戻す事も現実的ではない。
過去の記録を参照しながら一つ一つ手作業で再構成する、という手が有るには有るが、人類だけで何億も巻き込まれたのだ、キリが無い。だから、魂を回収する“意志”はきっと、そういう魂は一旦死なせて、新しい生を与え直す事にするだろう。
その状態で物質だけが元の姿に戻ると、魂の無い肉体、要するに死体だけが残る事になる。つまり、歯車化を上手く戻せたとしても、完全に歯車化してしまった者は元には戻らないという事だ。身体の一部だけだったとしても、その部分は麻痺して動かなくなってしまうだろう。
更に、天を覆う歯車の中に組み込まれた者も居るのだ。それらも同様に元に戻る事になれば、様々な物体や死体が空から降り注ぐという異常気象が発生しかねない。
「丸く収める為には、“総意”と渡り合う必要が有るのう……」
厄介な、とラァは溜め息を吐いた。いくら旧竜でも、ありとあらゆる“意志”の根源である“総意”とコンタクトを取るのは、色々と大変なのだ。その上相手は頭が固いし、今回の騒ぎで神経質になっているだろうから、一筋縄ではいかないだろう。
「……何故、そなたはこのような事をしたのじゃ、“名無し”」
静かにひとりごちながら歩き回っていると、つま先に何かがぶつかったので、彼女は一旦立ち止まった。自分の足にぶつかったそれを、彼女はひょいと拾い上げる。
それは、輝きを失った赤い宝石のような物体の破片であった。これこそが、“ネームレス”を“ネームレス”たらしめていた、“テルニア”の“種子”の欠片だ。力尽きた今となっては、只の『アルシード上には存在しないの物質』でしかないが、“ネームレス”だったものである事は間違いない。
もう、意志も力も、何にも宿っていないその破片を、掌の中で弄ぶ。そうしていると、背後からわざとらしく立てられた羽音が聞こえて来たので、彼女はそちらへと振り返った。
「ゾォ、そなたか」
「よ、ラァ。一先ず、早急の事態は片付いた、ってトコだな」
ゼリー状の翼を仕舞いながら、ゾォは懐から棒付きキャンディを取り出し、その包み紙を破って口に含んだ。そしてすたすたとラァに近づき、その手の中に転がる“ネームレス”の残骸を覗き込む。
「あーあーあー、こんな変わり果てた姿になって。こりゃあもう、どう足掻いても復元は出来ないだろうなー、完全にイッちまってる」
「一応、竜王様の元に残滓は残っておるが……そのうちそれも消えてしまうであろうな」
色の無い溜め息と共に、ラァは掌に有った欠片を足元の影の上へと落とした。すると、影が一瞬だけその黒を強め、落ちて来た欠片を飲み込んでしまう。
「……旧竜が一柱消えた。ベェは相変わらずじゃし、動ける旧竜は最早妾とゾォだけじゃ。これから忙しくなるであろうな」
「だろなー……俺も何時までも古竜気分じゃ居られない、って事かね」
ラァの心底苦々しげな声に、ゾォは両腕を頭の後ろで組むポーズを取りながらぼやく様に言った。キャンディの棒を器用に上下に動かしながら、ラァが続ける言葉に意識を傾けるかの様に視線を向ける。
「“名無し”は奔放で、妾も困らせられる事も多かったが……妾がまだ幼かった頃を知る、唯一の同胞じゃった。何だかんだといって、妾はあの者を心から頼りにしておった。
じゃが、最早それも叶わぬ。何故ならば、“名無し”は死んだ──そう、本当に死んでしまったから。何の跡形も無く、何の痕跡も残さず」
彼女は滔々と語りながら、影を操り散らばっている“ネームレス”の破片を回収し始めた。しつつ、目隠しに遮られている視線をゾォのそれと合わせるかの様に首を動かす。
「のう、ゾォ。“名無し”は何を考えていたのであろうか。何を思い、何を憶って、どんな事を想っていたのじゃろう。
……妾には、永遠に理解出来ぬであろう。妾は“シードディア”じゃが、“名無し”は原初の“テルニアルース”。根源こそ同じくしておるが、最早全く別の種といっても差し支えが無い程に離れておるからのう」
ラァは自問し、そして自答する。だが彼女は、ゾォに別視点からの意見を求めている様だった。それに応え、目隠しに描かれた一つ目模様を見下ろす様にしながら、彼は自身の考えを述べる。
「んー……ま、俺だって“ネームレス”じゃないし、完全には解らないけどさ。多分、お前の言った通りなんだと思うな」
「どういう事じゃ?」
何とも思わせぶりな台詞に、ラァはその真意を知りたくて尋ねる。それに対しゾォは、暫し考えを纏める様に顎を撫でると、やがて軽く瞬きをした後、言語化した自身の推測を語り始めた。
「『何の跡形も無く、何の痕跡も残さず』──“ネームレス”は俺たちじゃないから、消えれば何も残らない。それが嫌だったから、こうして滅茶苦茶派手で迷惑な自殺行為を図ったんじゃあないかな。
だが、あいつもきっとこの世界に愛着が湧いていたんだろ。少なくとも、現時点で終わらせたくない、と思う程度には。だからわざと、現在俺たちが打てる手の全てを総動員すれば止められる程度の、丁度いいレベルの危機を引き起こした。
こんだけ目立つもんを生み出せば、世界は嫌でもあいつの存在を焼き付けられる。爪痕は深いし、絶対に忘れられる事は無いだろう。そんな事を、あいつは考えていたんじゃないかね」
そうしてゾォが考えを一通り述べ終えた所で、上から小さな歯車が彼の頭目がけて落ちて来た。小さいとはいえかなりの高所から落ちて来たようで、脳天に直撃した小さな礫に、彼は思わず呻き声を上げてしまう。
“ネームレス”が消滅したから、この歯車の構造物も崩れ始めているのだ。世界中の空を覆っている物も、間もなく崩落を開始するのだろう。
「……確かに、ここまでの事が起きれば、我らの記憶の中にも残る。我らの記憶は、次世代の進化の標となる。あやつなりに、我らと共に在ろうとした結果なのかもやもしれぬな」
「ま、あわよくば本当に世界を作り直そうとしてたのかもしれんがな。実際、あの“異客”の子が居なかったら、多分本当に世界終わってただろうし」
「折角感慨に耽っていたのを台無しにしてくれるな、ゾォ」
「そう言うなって。まぁ、真相は“ネームレス”のみぞ知る、って所だろ。とはいえ、何が目的だったにせよ、クソッタレな事をしてくれたもんだ」
先ほどまでの神妙な雰囲気に耐え切れなくなった様で、ゾォは冗談めかす軽口を叩く事でそれを紛らわさせてしまった。お茶目に舌を出しながらウィンクしてみせるナイスミドルの顔に、ラァはついイラッとする。
一発くらいこいつの腹に拳をめり込ませてやりたいと思ったが、今はそれどころでは無い。今回の件の後始末が終わった後に、纏めてストレスをぶつけよう。ラァはそう結論を出し、ごきりと肩を鳴らしながら顔を上に向けた。
この歯車が崩落しないように、どのようにするか決まるまで支え続けなければならない。もし世界中を覆う歯車が全て崩れ落ちてしまったら、文明の存続が危ぶまれるレベルの大災害が勃発しかねない。人々にはもう暫く正常な空を拝むのを我慢してもらわなければならないが、人類滅亡よりはマシだろう。
力の行使の為に、彼女は片手を天へと掲げようとする。しかし、それはゾォによって阻まれた。自身の肩程度まで上げられた手を、彼はすっと下げさせる様にしつつ、代わりに自分の手を掲げる。
「それは俺がやる。ラァ、お前はもっと他の事をやってくれ」
「……ふむ」
「俺だってもう旧竜なんだ、こういう時には存分に利用してくれよ。こんくらいなら朝飯前だ。
そりゃ、お前にとっちゃあ、俺はいつまで経っても若造なんだろうけどさ。だが、俺にとっちゃ、お前は俺と同じ時間を歩んで来た、唯一の同胞なんだ」
その台詞を聞き、ラァは思わず考え込んでしまった。ゾォは、彼女より年下だ。その年齢には、実に数億年もの開きが有る。故に彼女は、今までずっと彼を青二才のように扱っていたのだが、今や彼も立派な旧竜なのだ。その態度と考え方は、改める必要が有るだろう。
「であれば、歯車の維持はそなたに任せよう。妾は今から、“総意”の輩と対話しに行って来るからの」
「任された。ついでに、手を借りられそうな竜に声をかけておくよ」
「うむ。では、頼んだぞ」
ラァはそう言いながら、足元の影の中にずぶずぶと融ける様に沈んでいった。その場に残されたゾォは、文字通り彼女の影も形も無くなるのを見届けた後、佇まいを正し上げかけた手をしかと掲げる。天に向けた掌で、じわじわと崩落の瞬間までを秒読みする歯車を支えるように念じつつ、彼はぽつぽつと呟き始めた。
「……ゾーイールヌルクロッソが、『オー』の力を以て為す。“ネームレス”だった歯車を、今暫く現状のまま保つ」
すると、先ほどまで微かに聞こえていた歯車の軋む音が、全く聞こえなくなった。彼の力でしかと支えられたのだ。流石に惑星規模での能力行使は身に応えるようで、彼は僅かばかり眉間に皺を寄せる。
「やっぱ、キツいなー……」
小さな声でぼやきながら、彼はキャンディを噛み砕いた。今回の後始末が終わったら腹一杯に美味い物を食べよう、とささやかな決意をする。




