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異界と竜の逆ハーもの  作者: 夢山 暮葉
第八章・望まれたモノ
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第五十六話・親愛なる幽けき切望


 唯華が“ネームレス”の核心に向かい、今世界に齎されようとしている変革を止めようという決意を露にした後、主に白矢に散々ごねられ時間を食った。だがそうこうしている間に、謎のホルンの音と共に白いシャボンが現れた所で、漸く大人しくなってくれた。

 とは言っても納得してくれたというわけではなく、あのホルンの音を聞いてテナもろとも正体を失ってしまっただけなのだが。ぼーっと無抵抗になってしまった彼らを守る為、シィの全力で展開した防護結界を館に残し、唯華とシィはまず『秘策』とやらの協力者へと接触を試みた。

 いきなり手を引かれて転移させられたので吃驚したが、彼女はすぐに立ち直った。その先で二人組の竜族と出会い、作戦の概要を説明されつつ髪の毛を提供し、そして口約束を交わした後、今度こそ“ネームレス”の歯車の核心へと赴いた。




 空を覆い尽くしてしまった歯車の天蓋と、海をじわじわと蝕んでいる歯車の大地とを結びつける様に有る、巨大な塔の様な建造物。その中央部に存在する、他とは違う白く大きな歯車こそが、“ネームレス”の核心なのだという。

 触れた物を歯車化させる恐ろしいシャボン玉は、ここら一帯には生み出されていない様だった。核心に近いここの侵食速度は他より早く、放っておいても間もなく全て歯車になってしまうだろうから、その分を他に回したのだろう。

 シィの他にも、いくつか竜の物と思しきシルエットが見えていた。彼らはこの核心の塔を破壊する、そのタイミングを見計らっている様だった。時折、滞空している辺りの空気が唐突に歯車化し、慌ててその場を逃げ出したりもしている。

 そんな、何もかもをを無差別に歯車に変換していこうとしている塔のすぐ側に来ているのに、唯華の身体には何処にも異常が現れていなかった。きっと、自分がこの世界の者では無いからだろう──そう思って、彼女は自身を安心させる。


「……時間つぶしに、ちょっと話そうか、唯華ちゃん」


 唐突に、シィが声を発した。唯華の返答を待たず、彼女は言葉を続ける。


「あの子たちの手前、少しぼかしたりしたけど……ムゥ君が“ネームレス”に操られていたのは確かだけど、キミの片腕を切り落とした時点では、まだ干渉を受けていなかったんだよね」

「はぁ……」

「つまり、キミの身を害したのは、紛う事無く彼自身の意志だって事なんだ。……それでも、キミはムゥ君の事を許せるのかい?」

「今更そんな事を言われたって、わたしは意見を変えませんよ。わたしはムゥさんを許します、まずはその事をあの人に伝えたいのです」


 そもそも、最初に許す事を決めた時には、まだムゥが操られている云々は聞いていなかったのだ。間違いなく彼が唯華に害意を抱いていた、というのには、流石にちょっとしょんぼりせざるを得ないが。


「ハハハ……キミは本当に変わってる“客”だ」

「そんなに変わってますか?」


 喉を鳴らし、くつくつと笑い声を上げるシィに対し、唯華は軽く首を傾げて問う事で返す。そうしたやり取りをしていると、ふとシィがばさりと翼を大きく羽ばたかさせた。

 何かの合図のようなその羽音に、唯華が気を引き締め始めると、周囲を滞空していた竜たちが一斉に攻撃を開始した。煌めくブレスを吐いたり、無数の複雑な魔法陣を展開したり、不可視の力で歯車を捻り潰したり、その方法は様々だ。


「どうやら、“王権”の令が解除されたみたいだ」

「……て、事は、作戦は無事成功した、という事なのでしょうか」

「そうなる。だから突入するよ、覚悟は出来てるね?」


 確認するかの如く掛けられた声に、唯華は黙って歯を食いしばりつつ頷いた。すると、シィはすぅっと大きく息を吸い、そして遠く轟く雄叫びを上げる。

 すると、彼女たちを巻き込まない為にか、竜たちの攻撃がふっと止んだ。それをみとめるや否や、シィは大きく翼をはためかせて、白い核心の歯車へと突撃する。振り落とされてしまわないように、唯華はモフモフの羽毛に顔を埋め、両腕をシィの首に回した。


「歯食いしばって、しっかりしがみついていてねっ!」


 風を斬る感触と共に、思いっきり重力がかかる。暫くその負荷を耐え忍んでいると、どすん、という衝撃と共にシィが着地した。同時に、下の方から誰かが呻く声が聞こえる。


「ん、ムゥ君、キミか。その様子だと、正気に戻ったようだね」

「し、シィサン……スミマセン、手を……」

「ったく、後で助けてやるさ。ま、自業自得だと思いなよ」


 弱り切った色でシィと会話するその声は、間違いなくムゥの物であった。それだけで安堵に力が抜けそうになるが、シィがすっと姿勢を低くした気配に、唯華は気持ちを立て直す。

 身を起こし、随分と高いシィの背から滑る様にして、歯車の足場に降り立つ。ボロボロの竜の姿を震えさせながらこちらを見上げるムゥに、唯華は努めていつも通りの微笑みを浮かべながら、明るい声でこう言った。


「……ドッキリ大成功、ですかね?」


 そうして徐に歩み寄り、彼の前で膝を折って座り込む。菫色の大きな瞳を見開いて困惑する彼の頭に、唯華はそっと手を伸ばし、そして額を軽く撫でた。


「さ、さっき、のは……」

「ああ、アレはニセモノです。ちょっと悪趣味ですけど、あなたを正気に戻す為に、ああしてもらいました」

「今更、何で……ワタシが腹立たしくないのデスか……?」

「全く怒ってない、ってわけじゃ無いですけど……わたしはあなたを許しますよ、ムゥさん。今日は、その事を伝えに来たんです」


 彼女がそう言うと、ムゥは息を呑み、そのまま言葉を失ってしまったようだった。シィが人型になってムゥに駆け寄り、彼の傷ついた身体を治し始める中、唯華はすっくと立ち上がり歯車の中心の方を見た。


「それと……“ネームレス”さん、あなたを止めに来ました」


 そこに有るのは、ひび割れた赤い宝石のような物体。まるで咆哮するかのように、絶え間なくノイズじみた音を出し続けるそれに、誘われる様にして彼女は近づく。

 宝石のような物が発するノイズに意識を傾けると、その奥に秘められている想いに触れる事が出来た。破裂してしまい、最後の執念だけで何とか保っている状態である“ネームレス”の自我に、唯華は何かに突き動かされるように手を伸ばす。


「ゆ、ユイカサン、それから離れてくだサイ!」


 そう叫んでムゥが唯華に飛びつこうとしたのは、シィによって遮られてしまったようだった。尻尾の根元を鷲掴みにし、彼が唯華をその場から離脱させようとするのを阻害している。


「……そういうわけにもいかない。本当はもの凄く不本意だけど、“ネームレス”をきちんと止められるのは、唯華ちゃんくらいしかいない」

「で、デスがぁっ!!」


 ムゥは捕まえられたなりに喚き散らし、唯華をこちらに引き戻そうとする。しかし、唯華はその声を聞き届けてはいたが、正体不明の使命感に駆り立てられて、彼の言葉に応じようとする気を失せさせていた。


(……何故でしょう。常識的に考えて、こんな事をする必要なんてないのに)


 まるで、それが必要であるかの様に考えさせられている。それに何の疑問も覚えていなかった事に、ムゥに引き留める言葉を掛けられて、彼女は始めて気が付いた。


(ムゥさんが正気に戻って、竜族の皆さんが歯車に手出し出来る様になったから……わたしが何もしなくても、“ネームレス”さんは止められる筈なのに)


 謎の思考回路が、何の違和感も無く自分の物として組み込まれていた事に、彼女は漸く気付いたのだ。一旦それを認識してしまうと、もう気持ち悪さを抑える事が出来ない。

 だけど、根深く融合した別人のような思考は、これ以上無い強烈さで唯華を操作しようとしてくる。彼女はそれに抗う事も出来ず、ただそれに従った。

 従えられるままに、唯華は“ネームレス”の残留自我と接触する。そして相手の想いを知った時、彼女は全てを理解する事が出来た。


『ミロ』


 “ネームレス”は、ただその命令文だけを、ひたすらに繰り返し発していた。すぐにそれは唯華の接触を感知し、更に複雑な思念をどかどかと流し込んでくる。そうして伝えられて来る、全ての建前を取り払われた彼女の本音を、唯華は受け取った。


(……ああ、そういう事か)


 自分の中に有る別のナニカが何故、唯華を駆り立てているのか。何故、それに抵抗出来なかったのか。それは、その思考も間違いなく彼女の物だったからだ。

 唯華がしっかりとした自我を伴って認識出来るレベルでは無い所で、彼女はずっと“ネームレス”の声を聞き続けていたのだろう。故に、知らず知らずの内にそれが影響し、彼女の判断にまで渉って来たのだ。

 そんな結論に至りながら、彼女は目を閉じ、心を落ち着けて、思念を使って“ネームレス”へと語りかけ始める。声も言葉も使わないその意思疎通の手段は、竜だけが使用を可能としている物だ。


『“ネームレス”さん、あなたは本当は、世界の変革なんてどうでもいいのですね。

 本当にその気だったなら、こんな生温い真似はしない。もっとじっくりムゥさんを操る準備をしただろうし、見た目だってもっと美しくしたでしょうから』


 もし本当に“ネームレス”が世界を造り変えるつもりだったなら、竜族を刺激しない様もっと慎重に、人々に恐怖心等を抱かせない様もっと緩慢に事を運んだ筈だ。それなのにこんな性急な真似をしたという事は、その真の目的は別の所に有るという事に他ならない。


『本当は、あなたは、何をしたかったのですか? 何を望んでいたのですか? 

 わたしに教えてくださいな、それを望んでいるのでしょう?』


 問いかけをぶつける。すると、残留自我の発するノイズが一層激しくなった。頭が割れそうな程の音量で放たれるそれに、唯華は耳を塞ぎたくなる。

 だが、唯華はその衝動をどうにか飲み込むと、“ネームレス”の返答を待つ事に集中する。ムゥがひっきりなしに唯華を呼ばわる声は、いつしか聴覚を狂わせるノイズ音にかき消され、もう聞こえなくなっていた。


『オモエ』


 そんな、シンプル極まりない思念が送られて来たのと同時に、赤い宝石の様な物体のヒビがピシピシと広がり、目が潰されてしまいそうな程の激しい閃光を放ちながら砕け散った。思わず左手で目を庇うと、どすり、という衝撃が右肩に来る。

 光が消え、視覚が有る程度取り戻された所で、何かぶつかりでもしたのだろうか、と肩の方に目を移した。そして捉えた現実に、彼女は瞠目する。

 右肩に、直径数センチ程の風穴が空いていた。光の中でよく見えなかったが、魔法か何かで貫かれてしまったのだろう。今更になって襲いかかって来た痛みに踞りながら、その傷の辺りから自身の肉体が歯車化していくのをみとめる。


「あ……ああ……ゆ、ユイカ、サン……」


 唯華の名を呼ぶすっかり嗄れたムゥの声が、やっと彼女の耳に届いた。すると、ムゥはシィの拘束から解放され、素早く人型になりながら彼女の元に駆けつけて来る。

 歯車の侵攻のスピードは尋常でない程早く、あっという間に右腕が丸ごと無数の歯車の集合体になってしまう。それを見たムゥは、まさにこの世の終わりのような表情を浮かべると、絶叫を噛み殺して呻きながら唯華を抱き締めた。


「ごめんなさい、ワタシが、ワタシがあの旧竜に踊らされてしまったばっかりに、こんなっ……!!」


 やっと手元に舞い戻って来た温もりに、彼女は執着する様に腕を伸ばそうとした。しかし動いたのは左腕だけで、右腕は彼女の意志ではもうすんとも動かない。何とか動く左手で、ムゥの短い銀髪に触れながら、唯華は普段と変わらない穏やかな声でこう口にする。


「良いんですよ、許します。……あなたは謝った、わたしは許した、これで良いんです。色々、聞きたい事は有りますけれど……」


 そこまで話した所で、片腕だけでは飽き足らぬ、と歯車が胴体の方にまで侵食してくる。頭の後ろから脳みそを鋭い針で貫かれるような感覚と共に、意識がぐしゃりと潰される。


「ヴ、く」


 言葉を続けようとしたけれど、言語を司る部分が狂わさせられたのか、まともな人語を発する事が出来なくなってしまっていた。あうあうと意味の無い音を吐き出しながら、薄れてゆく意識を何とか繋ぎ止める為に、ムゥの髪に触れる手に力を込める。

 だがその足掻きの甲斐も無く、彼女の意識は遠くへと引きずられて行ってしまう。やがて、ムゥの呼び声が鼓膜を叩く感触も、唯華の身に触れる彼の温もりすらも、感じられなくなってしまった。




(最悪だ)


 自らの腕の中で、完全に意識を失ってしまった唯華の顔を見下ろしながら、ムゥは表情を失っていた。


(最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ)


 その想いは、この状況に向けられる悪態なのか、それとも自身の行いを悔悟し詰責する物なのか。胃の中身を丸ごと吐き出してしまいそうな気分だ。鼻の穴から脳みそが流れ出ていってしまいそうなくらい、最悪な気分だ。

 “ネームレス”によって、彼の悪意を噴出させる種の言葉を植え付けられていたのだとしても、弱っている所につけ込まれて操られてしまっていたのだとしても、今唯華がこんな目に遭っている原因はムゥ自身に有る。血の気の失せた顔と、右頬にまでその手を伸ばしている歯車の侵食をみとめれば、肋骨の隙間から手を突っ込まれて心臓をえぐり出されるような、そんな苦痛の錯覚がしてきた。


「ムゥ君」

「黙ってくだサイ! 何故、アナタはユイカサンを犠牲にしたのデスか!? わざわざ“ネームレス”と対話させる必要なぞ、これっぽっちも……!」

「この方が――“ネームレス”に最後の力を彼女に無駄撃ちさせた方が、アルシードの損害が少ないと判断されたんだよ。ボクたちの損耗も少なく済んだしね」


 無感動に述べるシィ。彼女は最初から、唯華をこうして生贄にする為に連れて来たのだ。被害を最小限に抑える為、残り僅かだった“ネームレス”の全ての力を彼女に向けさせる為に。

 唯華は“テルニア”だ。それ故に、歯車化には耐性が有る。人間やその他の生物等ではここに来るまでに歯車化してしまうし、竜では他の同胞にまで影響が及びかねない。だから、耐性が有り、その上ひとりぼっちな“異客”である彼女に白羽の矢が立ったのだ。


「だからと、いって……! アナタとて、ユイカサンの事を……!!」

「そうだね、ボクはその子の事が好きだよ。好きだけど、竜王様の決定に抗議出来る程じゃないって事さ。ましてやボクは古竜だ、個としての事情より、種としての役割を優先しなければならない」


 竜という種に課せられたルールに基づく事実を、シィは特に事も無さげに言ってみせた。少しは後ろめたいけれどね、と感情を込めずに付け足すその声は、まさに模範的な竜の発するそれだ。

 そんな彼女の態度と見比べて、自分がここまでに人間に気触れていた事を、ムゥは自覚した。竜という種としての利害より、ムゥという個としての感情を優先して動こうとしていたのだ。

 だが、だからといって今更模範的な竜に戻ろうと思いはしない。何も知らない唯華を利用するのが竜の模範だというなら、彼は問題児のままで良い。以前とは180°変化した自身の考え方を、彼はどこかで自嘲した。


「とりあえず、今はここから離脱して、後は他の竜に任せよ? そして、歯車化を解決する手段を探すんだ。ここで踞っていても、何も変わらない」

「……分かりマシタ」


 とはいえあんな事を言ったシィも、唯華の事が心配なのは間違い無いようで、やや駆け足気味にこちらに近づくと、彼女の表情を覗き込む素振りをしながら、ムゥを元気付けるかのように声をかけた。その言葉に、彼が俄に正気を取り戻すと、シィは作ったような笑いを浮かべて安堵する。

 そうしつつ彼女が空間転移を実行すると、周囲の風景が一瞬にして変化し、烏山の館前のそれとなった。その変化をみとめたムゥは、唯華の身体を横抱きにして持ち上げて、シィが開けた玄関の扉を潜る。

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