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異界と竜の逆ハーもの  作者: 夢山 暮葉
第七章・浮き世と正夢
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第五十話・此岸より


 異界の花ミラシェフィーネが咲き誇る中、少女は白い髪を靡かせて、吹く風に乗せるかの様に何かのメロディーを口ずさんでいた。絶海の孤島、彼女が愛しい人と過ごした思い出の残る地には、それを視覚的に示すかの様に白と赤の花が咲いている。


「ああ……」


 ふと、彼女は鼻歌を止め、ぽつりと地声で呟いた。その声に誘われたかのように、はた、と涙が頬を伝い、そして地面に落ちる。


「もうすぐだ、もうすぐなんだマエルラ。後少しだけの辛抱だ、そうすれば、あたしたちの願いが叶うんだマエルラ。マエルラ、あたしの愛しいマエルラ……救ってみせようじゃないかマエルラ。この世界も、人間も、“異客”も、“シードディア”も、“テルニアルース”の全てを。

 全ては計画通り。最後のピースも、もうすぐ揃う。……後は、実行段階に移すだけだ。ああ、この五十年、たったの五十年だったというのに、もの凄く長かったような気がするな。そうは思わないかぁ、マエルラ」


 マエルラ、マエルラ、と、彼女は何度も繰り返しその名を呼ばわる。その呼び声に応える者は居ないのに、それでもぶつぶつと独り言のように呟く。何度も、何度でも。

 そんな、一目で尋常の精神状態ではないと分かる姿を晒す少女の元に、一つの人影が歩み寄って来た。全ての感情を押し殺したような無表情を張り付けた、銀髪を持つ少年の姿をした彼は、それでも殺し切れない悔悟を漏らしている。


「やぁ、そろそろ来ると思ってたぜ、ムーンシュレルトーラ」

「……」


 現れたムゥの姿には、血液が彼方此方に付着していた。彼自身のそれではないものが殆どだったが、中には打撲痕と共に滲む自身の血も有った。その血は乾き、服にこびり付き始めているのだが、彼はそんな事も気にせずに、虚ろな様子で佇んでいる。

 少女“ネームレス”は、風に乗って漂ってくる濃厚な血の臭いも気にせず、ふわりと浮遊してムゥのすぐ側にまでやって来た。そして、血脂でてらてらと光る彼の右手を取り、柔らかな微笑みを浮かべてみせる。


「想い人に全てを打ち明けたけど、反応が怖くなって逃げて来てしまった……そんな所だろ? 言わなくても良い、あたしは全部分かっている」

「何故、それを」

「ほんの二桁くらいしか生きてないような若造の行動なんて、あたしの目にかかりゃぜーんぶお見通しさ。で、またあたしに相談しに来た、と」

「……その通りデスよ、“ネームレス”サン」


 ムゥが情動の失せた声で答える中、“ネームレス”は彼の手に付いた血で、自身の透き通る程に白い指を穢した。その血の色を眺めながら、彼女は穏やかな声音で言葉を続ける。


「話す時、どんな事をしたのか分からないけど……その様子じゃ、本当に酷い事をしたみたいだな」

「……ええ。本当に酷い事をしてしまいマシタ」

「後悔をしているのか? 反省をしているのか?」

「……はい。心から。……叶うならば、謝って和解したいと思っておりマス」

「っくく、そうか。あんたは本当に弱いんだな。自分でやった事に後悔するだなんてよ。そんなんなら、最初からやらなきゃ良いのに。

 ……ああ、別に責めてるわけじゃないんだ。現状、完璧な精神を持つ者なんて居ない。あたしでさえ、欠陥を抱えているんだから」


 “ネームレス”は、そんな意図の分からない言葉をつらつらと連ねた。しながら、彼女はムゥの元から離れ、再び浮かび上がりながら花畑の中に入って行く。


「人は、誰しも欠陥を抱えている。竜にも、その他の“意志”にも、全てのモノに言える事だ。

 だから、その欠陥を埋め合う。いわば、歯車みたいな物なんだ。歯車が噛み合い、そして機械を動かす様に、人や竜たちも噛み合って世界を回していく。

 ……だけど、現実でその歯車が上手く噛み合う事は、中々無い。回っているうちに欠けてしまったり、欠陥が大き過ぎて誰にも埋められなかったり、ね。

 噛み合わない歯車は歪みを生み出す。そして他の正常な歯車にまで悪影響を及ぼす。……“大惨事”も、きっとこの歪みから発生してしまったんだ。そしてその歪みに呑まれて、あたしの愛しい人は死んだ」


 死んだ、と吐き出した声は、何処までも薄暗く暗澹とした色を含んでいた。その深過ぎる底なしの色に彼が恐れをなしていると、“ネームレス”はばっと顔を上げ、平坦な笑い声を上げながら早口でまくしたて始める。


「あはっ、死んでないッ!! マエルラは死んじゃいない死んでなんかいないだってここに居るじゃないかマエルラはッ!! ひぇっ、はっ、ふひぇふははははふくくくくくむマエルラっマエルラマエルラ返事をしてよマエルラァっあ、ぐはひふへへはっくききき」


 わけの分からない突然の発狂に、ムゥは思わず後ずさりした。そんな彼の反応も気にせず、“ネームレス”は暫しの間全身を震わせ笑い続ける。


「──ッハ、はぁー……」


 一頻り笑った後、彼女は漸く落ち着いたように表情を元に戻した。戻った後のその顔は、完全に普段のそれにしか見えない。どんな慧眼の持ち主であっても、ここまで巧妙に隠された狂気は見抜けないであろう。実際にこうして切り替わる場面を目撃しない限り。


「だからあたしは──あたしたちは、その歯車の不具合を修正しようと決意したんだ。歪みによって不幸が生まれる事が無い様、全ての歯車が綺麗に噛み合える様に。

 そうすれば、もうあんな悲劇が起きる事は無くなる。竜族が脅さなくても、平和が続く様になる。皆が分かり合い助け合える、素晴らしい世界が待っているんだ。

 あたしたちが夢見る理想郷が実現すれば、あんたの想い人だって、きっとあんたの事を分かってくれる。あんたの欠陥を許し、受け入れて、それで埋め合わせてくれるだろう。

 ──どうだ? 一枚、噛んでみないか?」


 一体どうやってそんな夢を実現させるのか、どのような理論を使うつもりなのか、それらの諸々がさっぱり開示されていないと言うのに、ムゥは両目をぽうっと開いて頷いてしまっていた。唯華との和睦が叶うかもしれないという誘いは、それほどまでに彼の目に魅力的に映ったのだ。

 一時の気の迷いに身を任せて、あんな過ちを起こしてしまった事を、彼は心から悔やんでいた。人間に対する嫌悪など、“客”に対する憎悪など、一生唯華の前に表出させずに隠し通してしまえば良かったのに。矛盾だって、最後まで誤摩化し続けていれば良かったのに。何故あんな行動に出てしまったのか、今の冷静になった彼には理解出来なかった。

 土下座して謝って、そして可能ならば許してもらいたい。だが、如何に錦野唯華が人間を超越しているレベルの聖人なのだとしても、詰る言葉と共に片腕を切断したムゥの事を許す事は無いだろう。それに、テナや白矢に出くわせば、殺しにかかってくるのは確実だ。あの二人が組んでかかって来ても、ムゥを死に至らしめる事は不可能だろうが。


「……そう、デスね。その誘い、乗らさせて頂きマショウ」


 だが、“ネームレス”の提案に乗れば、それらの問題も完全に解決される。根拠は無いが、彼女の言葉にはそんな確信をさせる力が有った。ムゥの返答を受けた彼女は、彼にニコリと笑いかけ、そして自身の首元を飾っている歯車の飾りに指を触れさせる。


「そう言ってくれる事を信じていたぜ、ムゥ。じゃ、一つだけ頼まれてくれよ」

「ワタシに何をしろと言うのデス?」

「なぁに、簡単な事だ。あんたの“王権”を使って、“シードディア”に命令を下して欲しいんだよ。『“ネームレス”の邪魔をするな』、とね」


 彼女はそのまま歯車を握り込むと、それを繋いでいる紐をブチリと千切ってしまった。そうして右手に歯車を握ったまま、何処からともなく現れた一つのシャボン玉を左手に取る。

 そのシャボン玉の中には、うじゅるうじゅると蠢く一掬いの白い泥が詰まっていた。それをみとめたムゥは、声を揺るがせる。


「そ、それは」

「あんたにも分かるかい? そう、“禍神”の欠片だよ、これは」


 その答を聞いた瞬間、彼は“ネームレス”の理想郷とやらが碌でもないモノである事を確信する。“禍神”を使うだなんて、外法中の外法だ。ムゥは、思わず声を張り上げる。


「何故そんなモノを、アナタが持っているのデス!?」

「追放する時に、ちょいとばかしちょろまかしたんだよ。奴ら、あたしにはぜーんぜん注意払ってなかったからな、簡単に確保出来た」

「……アナタ、シィサンに殺されマスよ」

「ハハッ、あたしがただの古竜程度に殺されると思ってるのか?」


 暗く笑いながら、“ネームレス”はシャボンを手の中で弄ぶ。その様は、シャボンの中身を知らなければ、いつも通りの彼女の姿にしか見えない。ニヤニヤ笑いも、薄っぺらさを滲ませる立ち振る舞いも、普段通りでしかないのだ。

 何故、この旧竜の狂謀が今まで露呈しなかったのか、それは彼女がこれまでずっと『自身の常並の狂気』を演じ続けて来たからなのだろう。ムゥ自身すらも看破出来ずに居た演技を目の当たりにし、彼は少女の理性ある狂妄に恐怖せざるを得なかった。

 自らの計画を密かに進める為に、彼女は適度に狂っているフリをし続けた。それは無事に実を結び、故にこうして“禍神”を楽々と手に入れて、それでもなおノーマークで居続けている。恐ろしい妄執だ。これが、本物の狂人なのだ。


「そんなに……そんなに人類が、世界が、竜が、憎いのデスか。そこまで復讐に執着しているのデスか」


 思わず、そんな問いかけを投げかけてしまっていた。自身の抱えていた悪意が、本当にちっぽけなモノに見えてしまう程の桁違いの狂気にあてられ、ムゥは少し正体を失ってしまったのだ。そんな彼の問いに対し、“ネームレス”は慈愛に満ちた笑みと共に答える。


「復讐? 憎悪による、復讐? ……そんな低レベルなモノと一緒にしないで欲しいなぁ。話を聞いてなかったのか?

 これは救済だよ。紛う事無き慈悲による、アルシード全ての救済さ。

 確かに“禍神”は邪な存在だが、使い方次第では世界の救済だって成す事が出来るんだ。どんな力でも、振るう者によって善にも悪にもなる。そう言う事だ」


 “ネームレス”はそう言いながら、“禍神”の入ったシャボンを恭しげに掲げてみせた。同時に、彼女はムゥの意識へと直接干渉をしてくる。すると、忌まわしき“旧時代”の遺産が、新時代を築き上げる為の神々しい力であるかの様に見えてきた。


「……マエルラが創ったこの歯車と、“禍神”の力を組み合わせて、あたしが新世界の礎となる。その間、あんたには“シードディア”の邪魔が入らない様に、“王権”を行使していて欲しいんだよ。

 どうだ、出来るか?」


 じとっとした紅の双眸が、ムゥの精神を揺さぶる。耳から頭に入り込む声が、彼の思考を掌握する。それを受けた彼は、いつの間にか言葉で答える代わりに頷いていた。そう、これは救済なのだ、と、胸中で呟く。

 世界の救済に関わったとなれば、唯華もきっとムゥの事を許してくれるだろう。もしかしたら、惚れてくれるかもしれない。あの邪魔な二人だって、世界救済の功労者相手には手を引かざるを得まい。そう考えると、何だかどんよりと曇っていた心が晴れ渡るような気分になった。

 無言で首を縦に振った彼に、“ネームレス”は満足げに口角を上げると、フゥ、と短く息を吐いた。そして、まるで辞世の句を詠み上げるかの様に、呟く。


「さらばだ、ムゥ。さらばだ、旧き世界。新しき地で、また会おう」


 呟いた勢いのまま、彼女は左手に持ったシャボンを割って、溢れ出した白い泥を口の中に流し込み、そして飲み込んだ。間もなく彼女は膝を折って苦しみ始めるが、右手に持った歯車を弱々しく掲げながら、精一杯に声を張り上げる。


「が、がハッ……う、あ……あた、しは……あたし、を……変換、するッ……! ぐ、がげほォッ!!」


 彼女が飲み込んだ量より多い泥を吐き出し始めた辺りで、ムゥは思わず後ずさってしまった。“ネームレス”は、絶え間なく白い泥を吐瀉し続ける。それに伴って、まるで泥と共に自身の生命すらも排出してしまっているかの様に、彼女の身体は急激にやせ細り枯れ果てていった。

 やがて少女の姿は完全に消え失せ、大量の泥が辺りに広がり始めた。腐臭を放つそれは、自然と人工物が鬩ぎあう姿も、“ネームレス”が大切にしていた花畑すらも呑み込み、自身の一部としてゆく。ムゥはその一部始終を、六つ羽根を広げて空に飛び上がりながら見守った。

 泥は島の表面を覆い尽くした辺りで、その侵食を止めた。そうしたかと思うと、泥は少しずつ形を成し始める。いくつかの円環と、無数の小さな歯車たち、そして一つの大きな歯車へと。

 形成されたそれらは、遥かな天蓋を目指して組み上げられていく。そして、少女が望んだ姿へと変貌してゆく。全ての泥が歯車に変化し、そして天を目指す塔に組み込まれ終えた辺りで、ムゥは他の竜たちがこの異常事態に気付いた事を認識した。


「……大人しく待っていなサイな」


 Bレイヤーを通じて伝わって来る混乱に、ムゥは少し倦んだ様に呟くと、自身に宿る“王権”を呼び起こし始めた。五十年前、人間によって無理矢理植え付けられたそれ。その内の、今日まで一度も使わなかった力である、竜に命令を聞かせる権利を、今、行使する。


「ムーンシュレルトーラが、『ン』の力を以て命ずる。

 全“シードディア”は、“ネームレス”に危害を加えるな」


 その瞬間、ムゥは全身の力が抜けていく感覚を味わった。魂が丸ごと抜きとられた様な錯覚と共に、それでもまだ足りぬと言わんばかりに身体に痛みが走る。勿論滞空し続ける力も失われた為、最後の気力を振り絞って、彼は歯車の塔の安全そうな場所にふらふらと着地した。

 これが、“王権”をまともに行使する代償か。魂を丁寧にすり鉢ですり潰されているような、そんな気分だ。更に安全で広い場所を求め、力無く這う様にして進みながら、ゆっくりと回り出し、空気や海水を侵食し始めた無数の歯車たちを見上げる。

 Bネットワークの狂乱が、ムゥにも伝わって来る。数々の疑問、無数の罵声、様々が彼にぶつけられる。だが彼はその全てを右から左へと受け流しながら、やがてやって来る理想郷に想いを馳せた。

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