第三十九話・落剥の種
このアルシードに住まう竜は、基本的に伸ばした一音節の名を名乗る。“ネームレス”という例外も、居るには居るが。
この一音節の名は通称でしかないらしく、本来はもっと長い名前なのだが、呼び難いのでこうして思いっきり短い名前にしてしまっているらしい。そんなふうに短くしてしまっているから、この通称が被ってしまう場合も有るらしく、そういう時に備えて竜は何らかの二つ名も持つのだという。彼らがフルネームを名乗ったり呼ばれたりするのは、正式な場やキッチリと体裁を整えたい場合等に限られる。
だが、別に本名を知られたからといって、どんなに不服でも従わなくてはいけなくなったり、指先一つで殺されるような羽目になるわけではない。良く勘違いされがちだが、彼らの名前には識別符号以上の意味はないのだ。
だから、有る程度仲良くなった竜に訊けば、本名はすぐに教えて貰えるだろう。余程隠したい理由──例えば、相手の母国語で酷い意味の単語が含まれているだとか──が有れば別だが。
大海原の上、晴れ渡る蒼穹を、ほっそりとした体型を持つ銀鱗の竜が駆け抜けていた。
薄紫に透ける六つ羽根が、空気を切り裂き音を立てる。くるりと身体を横に回転させつつ高度を下げれば、羽根は今度はきらきらと輝く水面を切り、海の上に彼が通った軌跡が残され、そして消えていった。
亜音速で飛行し、時折くるくると回って魅せるような動きをしながら、無人の大洋の上を通り抜ける。今、彼の頭の中は、如何に素早く空を飛ぶか、如何に魅せるような飛翔をするか、その事しか入っていなかった。
憂鬱も悩みも全て忘れ去って、無心に飛び抜ける。まるで生まれたての竜の遊びのようだが、彼にだって童心に返りたい時もある。
「……あはっ、あははははっ!」
何だか楽しくなってきて、思わず笑い声を上げてしまった。同胞が今の彼の姿を見たら、きっと滅茶苦茶にからかってくるのだろう。だが、今はそんな心配は要らない。この広い世界、示し合わせでもしない限り、竜同士が偶々出会う可能性なぞ、塵程にしか存在しないのだから。
やがて羽根が疲れて来たので、徐々に速度と高度を落とし、そのまま着水する。文字通りマリンブルーの海の中へ、沈む様にして潜っていくと、何とも美しい珊瑚礁を目の当たりにする事が出来た。
(……なんだか、いい気持ち……)
様々な熱帯魚たちが、突然の闖入者に吃驚仰天して四方八方に散っていくのを眺めながら、彼は珊瑚礁を傷つけない様に気を付けつつ、のんびりとヒレの四肢で水を掻いた。
死んだ珊瑚の亡骸や、何かの大きな機械の残骸らしき物を視界の端に捉えつつ、彼はイルカの類が作るようなバブルリングを吐いて遊ぶ。そうして気ままに水中を泳いでいくと、やがて砂浜らしき物が見えて来た。
成る程、島か。竜がBレイヤーの繋がりによって共有している知識を探り、この島の正体を思い起こしつつ、彼は水面から顔を出し、そのまま低空飛行に切り替えながら島へと近づいた。
砂浜に辿り着いたところで、人型をとる。慣れない砂の地面に少しバランスを崩しかけつつ、彼はゴキゴキと首を鳴らした。しつつ、共有知識から掬い上げたこの島に関する情報を、脳裏で反芻する。
とある絶海の孤島。この常夏の島は有用な鉱山資源を持っていた為、人の手が入ったりもした。だが、ここも“大惨事”のいざござにより打ち捨てられ、今となっては人の名残の様な廃墟が潮風に晒されているのみだ。
一時は木々も切り倒され、丘は均され川も埋められてしまっていたのだが、50年の時は徐々にこの島を元の姿に戻しつつ有る。文明の残骸と再生する緑が鬩ぎあうのを、ムゥは白い砂浜からぼんやりと暗い表情で眺めた。
緩慢な所作で彼は歩き、ガラスや金属の欠片が混じる砂の上に靴跡を残していく。そして、自分の物ではない記憶、竜の共有メモリーの中に記録されているこの島のかつての光景と、今の光景を見比べて、ここは昔の方が良い、等と口の中でひとりごちる。今の、廃棄された文明が中途半端に残されている光景より、遥か昔の記憶に有る、人の手が入っていない自然のままの光景の方が、彼は美しいと感じたのだ。
砂浜を横切り、自然に侵食された廃墟へと分け入り、独特の雰囲気を放つ世界へ飛び込む。ここに住まう野生の獣たちの視線を感じながら、彼はただ静かに、足音すらも最低限に、道らしい道も無い緑の中を進んだ。
「……?」
そうしていると、どこかで嗅いだような匂いが漂って来たのに、彼は思わず顔を上げた。同時に白目の無い双眸を見開き、その香りの元を辿ろうとする。
嗅覚を頼りに探索していると、間もなくその元を見つける事が出来た。深い深い木々によって囲まれ、覆い隠される様にして有ったのは、白と赤の花弁を持つ神秘的な異界の花。そう、“ネームレス”が執着し、唯華にもその球根を与えた、ミラシェフィーネの花である。それが一本や二本だけではなく、何十株も存在している。
何故、こんな物がここに自生しているのか。異界から持ち込まれた動植物は、こちらの生態系に影響を及ぼしかねないから、自然界に放つ事は禁止されている筈なのに。焼却処分する必要が有るだろうか、等と考えていると、何処からとも無く小さなシャボン玉が飛んで来て、彼の目の前で弾けた。
弾けた辺りの空間が歪み、その歪みが形を成し、やがて一人の少女の姿となる。現れたアルビノの少女は、ムゥの姿をみとめると、ニッと笑って口を開いた。
「よ、“六つ羽根”」
「……“ネームレス”」
現れた少女の片手には、水のタップリ入った如雨露が提げられていた。それをみとめ、成る程、とムゥは合点する。このささやかな花畑は、彼女が管理しているものなのだ、と。
なら、彼が手を出す必要は無い。寧ろ無闇に踏み荒らしたら、死ぬよりもっと酷い目に遭わせられるだろう。花々の上をふよふよと浮遊しながら水をやる“ネームレス”を眺めながら、ムゥは無感情にミラシェフィーネを見下ろした。
「“禍神”の一件、無事に解決して良かったな」
「……はぁ」
「ゾォの奴が、“旧時代”の二の舞にならなくて本当に良かったー、とかなんとか言ってたし。ラァも、えーと、何だっけ……そう、カザカミだかカミツキだかに類が及ばなくて良かったー、とか言ってたな」
彼女の言葉は、一見ムゥに話しかけているかの様に思えたが、どうやらそうではないようだ。なら独り言なのか、といえば、それも違う。見えない誰かに対して、彼女は話しかけているようだった。
「この世界が終わらなくて、本当に良かった。……本当に」
一通り水をやり終えた所で、“ネームレス”はぽつりとそう零した。そこら辺で、彼女は再びムゥの方へ目を向け、今度こそ彼へと話しかけて来た。
「で、ムーンシュレルトーラ。あんたはどうしてそんなに暗い顔をしているんだ? “禍神”が追放されて、もう暫く世界滅亡の危機は訪れないって事が確定したってのにさ」
「……単なる、ワタシ個人の悩みデスよ」
“ネームレス”の言葉に、そんなに思い悩んでいるのが顔に出ていたのだろうか、と頬を揉んだ。そうしていると、彼女はいつの間にかムゥの目の前に降り立ち、じとっとした深紅の瞳で彼の顔を覗き込んでくる。
「何じゃそりゃ。悩みなら、あたしに話してみる気はないか? これでもあたしはこの惑星と同じくらい長生きしてんだ、ためになるアドバイスが出来ると思うぜ?
それに、あたしならきっとあんたに共感出来る。あんたの気持ちを理解する事が出来ると思うしさ」
「……フム」
ムゥは少し悩んだ後、こくりと頷いた。同胞相手であれば信用出来るし、それに旧竜相手ならば有用な言葉が得られる可能性も高い。自身の苦悩を言語化する作業を終えた後、彼はぽつぽつと文章を紡ぎ始めた。
「ワタシは、ニンゲンが嫌いデス。“異客”が憎くて仕方有りマセン」
「うんうん、ま、そうだよな」
「デスが……それなのに、ワタシは“異客”のニンゲンを保護してしまいマシタ。嫌いなのに、憎いのに」
「ふむ……」
「その上、その“客”に──ユイカサンに、愛着が湧いてしまいマシタ。情が湧いてしまったのデス」
言葉にして口にすると、ますます悩みに付随する苦痛が心を蝕むようだった。両手で頭を抱えながら、真剣な表情で彼の話を聞く“ネームレス”に対し、更につらつらと述べていく。
「……おおよそは、好感情デス。彼女だけは別、という認識が生まれていマスからね。デスけど……時折、殺したい程憎く思える時も有るのデス」
「そりゃ、壮絶だなぁ……」
「ええ、そうデスとも。ワタシはあの方を憎みたくない、なのに憎い! ……ワタシは、どうすれば……一体何をすれば、この矛盾を解決する事が出来るのデショウ?」
語気荒く吐き出したムゥは、ゼェゼェと肩を上下させつつ、“ネームレス”の返答を待った。対する彼女は、暫くううんと考えた後、何かに思い至った様に瞬きをし、そして口角をつり上げ微笑んでみせた。
「そうだな、別に矛盾はしてないんじゃないか? 好きって感情と嫌いって感情は、実は同居し得るものだったりするし」
「……そうなのデスか?」
「そうなのですよ。だから、無理にひた隠しにしたり押し殺す必要は無いと思うぜ。嫌いだからって、好きだって事が否定されるわけじゃないんだからさ。
どうしてもアレだったら、正直に相手に話してみるってのも手だな。何かの手がかりになるかもしれないし、さ」
彼女の言葉を咀嚼しながら、ムゥはこめかみに手を当てた。整った顔立ちを惜しげも無く歪ませながら、自分の中に存在する憎悪に目を向ける。
「……正直に話せば、拒絶されるのがオチデス。あの方とて、そこまで聖人ではありマセンよ」
「案外分からんもんだよ。ま、どうしても行き詰まったりしたら、試してみればいいさ。
憎悪や嫌悪をひた隠しにするのは、とても疲れる。とても気力を削がれる行為だ。そんな風にしてまで上っ面を取り繕っても、いつか破綻するよ。
そうして取り返しがつかなくなるよりかは、ちゃっちゃと話した方がマシな結果になるかもしれないし」
「デスが……」
一理あるのかもしれないが、彼は首を縦に振る事は出来なかった。もし“ネームレス”の助言をそのままに実行すれば、きっとろくでもない結果になる、そんな確信が有ったのだ。
“ネームレス”は、恐らくムゥだけは確実に救われる手段を提示しているのだろう。同胞さえ良ければ他の迷惑は考慮しないという、何とも竜らしい考え方だ。だが、今回はそれでは駄目なのだ。
唯華に素直に憎悪をぶつけてしまえば、確かに今抱えている悩みは解決するのかもしれない。だがそうすれば、彼女は十中八九ムゥから離れるだろう。それでは意味が無い。
「参考には、させて頂きマスよ」
「ん。まぁ、少しでも助けになれたなら良いさ」
だが、参酌する事は出来るかもしれない。片手で頭を掻きながら彼がそう言うと、“ネームレス”は肩を竦める様にしつつ軽く笑った。そんな少女の姿を薄目に見つつ、ムゥは空を仰ぎ、そろそろ頃合いか、と竜の姿へ転変する。
「……それでは、ワタシはそろそろおいとまいたしマス。今日もユイカサンの所へ行かなくてはなりマセンので」
「そう、じゃあまたな。言ってくれれば、また相談に乗るぜ」
陽光を受け、薄紫の影を地面に落とす六つの羽根をはためかせながら、ムゥは緩やかに旋回しつつ上昇する。同時にSレイヤーへの顕現を切り、そのまま烏山の館を目指し移動をし始めた。
悩みは依然として複雑怪奇に凝り固まっており、解決する兆しは無い。だからといって“ネームレス”の言う通りには出来ないし、後でじっくり打つ手を考える必要が有るだろう。だが、それは今でなくてもいい。鬱屈とした感情を忘れ去る様に水面下へ押し込むと、今日の唯華が出してくれるおやつはどんな物だろうか、等と他愛も無い事へ思いを巡らせ始めた。




