第三十七話・新しき無碍の光明
竜族がエルフよりも多くのレイヤーを認識し、そして操る事が出来るのは周知の事だ。故に、彼らは人知を超越した力を持っている。
彼らが人と竜の二形を持ち、自由に切り替える事が出来るのも、人間の叡智では理解の及ばない現象だ。者によっては天変地異を操ったり、時空を思い通りにねじ曲げたり、運命すらも掌握してしまう。
時にはその強大な力を、人の手でつかみ取ろうとした目論見も有った。“大惨事”の折にその研究が密かに行われたという噂が有るが、その時生まれた筈の技術や理論を記した媒体は何処にもなく、ただの噂なのだろう、と世間一般では思われている。
だが、水面下では、まことしやかに囁かれている。その研究は実在したのだ、と。そして、それは何らかの原因で竜の怒りに触れ、跡形もなく消し去られてしまったのだ、と。
方上市の市街から外れた所、山に囲まれた中の僅かな平地を利用して田畑としている場所を、めちゃくちゃに踏み潰してしまうように、それは存在していた。
ラァを中心とした十数名の竜族によって展開される、即席の黒い封印魔法陣。それは、尋常のモノであれば完璧に封じ込める事が可能なレベルの術である。だがしかし“禍神”相手では、元々その身に絡み付いている黒い鎖と併せて、何とか動きを封じ込める程度しか出来ていない。
そんな封印陣の中に、巨大な白い泥の塊が鎮座していた。幾本もの黒い鎖によって締め上げられ束縛されている泥は、その表面に無数の人間の顔の様な模様を浮かべさせている。更に彼方此方から大小さまざまな形の手足も飛び出しており、放たれる悪臭と轟く咆哮も相まって、何ともおぞましい様相を醸し出していた。
手足の中には、まだ禍神に完全に侵食されきっていないらしく、生きている色を残したまま、もがく様に宙を掻く物も有った。だがそれもやがて呑まれ尽くし、力を失ってだらりと垂れ下がる。
それを、心底不愉快そうに睨みつけながら、シィは少し翼をゆるゆると動かした。途絶えた右腕の付け根を残る左手で撫でながら、彼女はぽつりと口を開いた。
「絶対に死ぬな、か……」
そんな、ある“異客”の娘の台詞を思い浮かべ、彼女はその橙の双眸を少し瞑した。まだ、シィにはやり残した事が有る。ラシェにこの世界の言葉やルールを教えてやらなければならないし、彼女が育てた竜たちの末路くらいは見届けてやりたい。それに、もっと唯華と交流をしてみたい。
「あんな熱烈な告白を受けて、そんで死にましたーじゃ、あまりにも格好がつかないよね」
そう言ってくつくつと喉を鳴らすと、シィは再びその目を“禍神”の方へ向けた。間もなく、飛び散った破片が全て回収し終えられる。そうしたら、全ての竜の力を合わせて“異触”を引き起こし、彼の邪神を異界へと追放するのだ。
無事にそれが成されれば、これまで犠牲になった人々も、代々の“御柱”たちも、丸ごと世界の外へと追放される。勿論、結果的に最後の“御柱”となった、風上白矢も。
その犠牲をみすみす見過ごす事は、彼女には出来なかった。今まで沢山の人々が犠牲になったが、最後の“御柱”くらいは助けてやりたい──だから、彼女はある手を打った。
シャボン玉のような膜に覆われた夜空を見上げる。すると、丁度彼女が待ち望んでいたものが空を横切るのを目撃出来た。紫水晶の六つ羽根と銀の鱗を持つ竜に、一つの人影が乗っている姿を。
凄まじい速度で視界を横切っていく銀の影を、シィは穏やかに見送った。ゆらゆらと尻尾を振り揺らし、再び“禍神”の方へと視線を戻す。
ムゥの背に乗って、“禍神”の本体の地点に辿り着いた時には、既に日はどっぷりと暮れていた。田舎の田園地帯らしく明かりも少なく、しかし闇の中でも“禍神”は真っ白い色を保っている。
その白さのおかげで、夜目の利かない唯華でも、“禍神”を見失う事は無かった。しかし光を放っているわけではないようで、それ以外を捉える事は出来なかったが。
ラシェの事は、テナに任せた。“禍神”は烏山には飛んで来なかったようだし、わざわざこんな所までラシェを連れて来て、危険な目に遭わせたくなかったからだ。万が一の事が有っても、テナなら上手く彼女を逃がしてくれるだろう。
「距離感が狂ってると思いマスが、もうすぐラァサンの結界の中へ入りマス。覚悟はよろしいデスか?」
「もちろんです」
何の力も無い自分に、何が出来るのかは分からない。だけど、唯華は行動を起こさなければならない──そんな強迫観念じみた使命感に背を押されながら、彼女はムゥの問いかけに頷いた。
すると結界の中に突入したようで、肌をぴりぴりとした感覚が駆け巡った。同時に、眼前の白い泥が放つ死臭が鼻を突く。あまりの悪臭に、酸っぱいものが口の中に広がりかける。が、唯華はそれを抑え込むと、思いっきり息を吸って、そして叫んだ。
「──白矢さんっ! 聞こえますか、白矢さん! 聞こえていたら、返事を……いえ、何でも良いので反応をしてください!!」
シィによれば、“禍神”解放に伴って呑み込まれた白矢は、まだ意識を保っている可能性が高いらしい。ならば、呼びかければ応えてくれるのではないか。唯華には、それ以外の手段を思い浮かべる事が出来なかった。
そんな唯華を乗せて泥の塊の周りを旋回しながら、ムゥは攻撃魔法をいくつか“禍神”へ向けて飛ばす。万が一にも鎖を傷つけてしまわない様に気を付けながらなので、その威力は大した事は無いが、それは僅かばかりながらも泥を削っていく。
“禍神”は、封印の束縛が効いているのか、それとも唯華たちなぞ気にも留まらないのか、何かしらの反撃をしかけて来る事は無かった。同時に、突然の闖入者を認識している筈の竜族たちも、何か妨害をして来る事は無かった。
『──しさ──んじを──!!』
そんな誰かの声を聞いて、**は微睡みかけていた意識を浮上させた。ぼんやりと、白い靄に包まれたような視界の中、今自分が何処に居るのかを認識する。
すると、少しばかり靄が晴れ、辺りの光景が見えて来た。そこは自宅のリビングで、彼はソファに座ってテレビの方を向いている。別のソファには父と母の姿も有り、時折ぽつぽつと番組について会話を交わしていた。
(……今、僕は……家で、父上と、母上と、一緒に……テレビを、見ていて……)
目をこすりながら、テレビの内容に注目する。やれどこどこの動物園のパンダが赤ん坊を産んだだの、やれ西都のナントカ川にアザラシが来ただの、そんな平和で他愛も無いニュースが報じられていた。
何だか酷く眠たいし、もう少し寝ていよう、と背もたれに身を沈ませながら目を閉じた、その時であった。
『きこえ──でしょ──へん──』
彼が眠りに落ちるのを遮る様に、またあの声が聞こえる。一体誰が彼を呼ぶというのだろう。今日は誰かと約束していた記憶も無いし、家族は全員ここに揃っている。
(いや、待て……家族?)
何かが引っ掛かる。何かを忘れている気がする。眉間に皺を寄せながら、再び白い靄に包まれようとしている視界に、両親の姿を捉え、そして気付いた。
「母上は、僕を産んだ時に死んだ筈で……父上は14年前、僕自身が看取ったじゃないか」
思い出した。彼の両親は、とうの昔にこの世を去っていた筈だ。だから、こうして三人でテレビを眺めるだなんて事は、出来る筈も無い。その事を自覚し、口にした瞬間、ぼんやりとテレビを眺めていた筈の父と母がぐるりと彼の方を向いた。
「きづいた」
「キヅイタ」
彼がその表情を認識するより早く、二人の姿は融け崩れ、白い泥となって彼へとにじり寄って来る。彼は半ば反射的に立ち上がると、泥から立ち上がる腐臭に顔をしかめつつ一気に駆け出した。
「ニ、にがさ、ナイ」
「がゲっ……オマエだけ、タスかるとカ、ひきょー」
「……ロろろ……みち、ヅレ」
「ご、がォ……ミチヅレにしてヤル」
いつの間にか、周囲に広がっていた自宅の光景は消え失せ、彼は真っ白な地平の中を走り抜けていた。彼方此方から泥が彼目がけて這いより、口々に恨み言を上げる。
「知るかっ! 僕まであんたらと心中とか、真っ平御免だわ! バーカバーカ、アホドジマヌケ!!」
彼も負けじと罵声で以て返し、そのまま一目散に泥から逃れようと走り続ける。魔法で体力をこれでもかと強化し、とにかくとにかく駆け抜けた。
すると、またあの声が聞こえて来る。今度は、大分はっきりと耳に捉える事が出来た。
『聞こえてるんですよね、白矢さん! お願いです、応答してください!! ……ああっ、もうっ、こうなったらっ!!』
その言葉と同時に、目の前に色白な女の手が現れた。白矢は少し面食らったが、迷わずその手を掴み、そして引かれるのに身を任せる。
そうして思いっきり引っ張られ浮上していくと、段々意識が薄らぎホワイトアウトしていく。彼は暫しその意識レベルの低下に抵抗したが、間もなく堪え切れなくなって気を失った。
「……ああっ、もうっ、こうなったらっ!!」
「ちょっ──止めなサイ! それは駄目デス!!」
暫くは泥に向けてひたすらに呼びかけていたが、やがて痺れを切らして、ここだと思った所に右手を突っ込んだ。ムゥが悲鳴混じりに制止する声を上げるが、唯華は気にせず腕を“禍神”の中に沈ませていく。
腕の感覚が痺れ、気合いを入れなければまともに動かなくなって来る。成る程、これが“禍神”の侵食か、と合点すると、唯華は今一度歯を食いしばって手がかりを探した。
すると、やがて手応えが有った。泥の中で、誰かが彼女の手を掴んだのだ。握り返せば、他の者では有り得ない程に細く頼りない感触が返って来る。唯華は確信すると、全身全霊を以てそれを引っ張り上げた。
「う、うぐぐ……はあああああっ!!」
言う事を聞かない腕を叱咤しながら、唯華は白い泥から白矢を救い出す。しかし、半ばまで引きずり出した所でそれが阻まれる。原因はすぐに分かった、彼の身体に巻き付いている黒い鎖だ。
この“禍神”の表面を走り回る鎖と、いつしか“死神”を戒めていた枷の鎖と同じ紋様を捉え、唯華は表情を険しくする。この鎖を解かなければ、彼を“御柱”から解き放つ事は出来ない。
唯華は唾を飲んで意を決すると、左腕で白矢を抱き留めたまま右手で少しずつ鎖を外し始めた。触れたものに痛みを与える術が発動し、手の表面が焼き尽くされるような感覚を味わう。それでも、彼女は手を止めない。
「全く、無茶をする人デスね、アナタは……!」
心底呆れた風に言いながらも、ムゥは最低限滞空に必要な二枚の羽根だけ残し、四枚の羽根を手の様に使って白矢の鎖を解き始めた。彼の場合は痛覚を遮断出来るようだが、見る見るうちにボロボロになってゆく羽根は何とも痛々しい。
そうして解く作業をしていると、何故だか今頃になって、“禍神”が無数の腕を生やして妨害をしかけて来始めた。ムゥが魔法を発動して何とか捌くが、やがて彼一人の力ではいなし切れない程に攻撃が殺到する。多少の怪我は免れられないか、と唯華が覚悟を決めた、その瞬間であった。
「ヤァちゃん、同調を!」
「分かってるって、行くよキュゥちゃん!」
下の方からそんな声がしたかと思うと、迫っていた“禍神”の泥の腕が、光の槍に貫かれて弾けた。一体何が、とそちらに目を移すと、そこには光に包まれた狐っぽい生き物と、それに跨がる少年の姿が有った。
「ああもう、この泥とても臭い……そこの見ず知らずの人、応援するよ!」
狐っぽい生き物は、唯華へとそう声をかけると同時に、まるで狼のそれの様な遠吠えを上げた。すると、“禍神”は新たな妨害者へと腕を伸ばし、攻撃を仕掛けていく。彼らはそれを軽やかにあしらいつつ、唯華たちの方へ向けられる腕にも攻撃を飛ばす。
「ふぅっ……破片の回収も終わったし、そろそろ趣味の慈善活動をしても良い頃合いだろ。な、皆」
「応ッ!」
「何か良く知らんけど、ゾォさんが言うなら~」
「たまには人助けも悪くないわね」
何処からともなく現れた謎のナイスミドルの呼びかけに応え、数名の竜も“禍神”の気を散らすのに参加してくる。思わぬ加勢に少しぽかんとしたくなったが、しかし唯華は手を動かす事に集中した。
以前、テナの首輪に軽く触れてしまっただけでももの凄く痛かったのに、今回は実際に解こうとしているのだから、その痛みは筆舌に尽くし難い物であった。しかも、実際に手の表面の皮膚が破け、爆散し、だらだらと血が流れ出している。
激痛に涙を浮かべながらも、唯華は手を止める事は無かった。複雑に絡まり合った鎖を解いて、やがて白矢に巻き付いている物をすべて取り払う事に成功する。
しかし、それでも彼を完全に解放するには至らなかった。一本の鎖が、彼の首の後ろ辺りから生える様に伸びていたのだ。これが彼を封印の礎としているのだろう、と唯華は察する事が出来た。
「……取れない」
押しても引いても、うんともすんともいわない。そも、これは取り払ってしまっても良いものなのだろうか。引っ張ったら、一緒に脊髄とかまで出てきやしないだろうか。
だが、ぐちゃぐちゃになり、骨がはみ出してしまった右手には、最早十分に力を入れる事は出来ない。それはムゥも同じなようで、その羽根はもうすっかりボロボロになっていた。それでも飛ぶ力は失われないのだから、不思議な物だ。
そうしていると、にゅっと“禍神”から二本の白い手が差し伸ばされた。一つは華奢な女性の物らしき手、一つはやせ細ってはいるがはっきりと男性のそれと分かる手。
不意を突かれた、と思うより先に、その腕たちは黒い鎖を掴んで引っ張る。白矢を再び引きずり込もうとしているのか、と唯華が抱き留める力を強めると、予想に反して手たちは鎖を引き千切ってしまった。
すると、白矢に繋がっていた鎖が、さらさらと砂の様になって崩れ消える。それを視界の端でみとめながら、再び泥の中へ沈んでいく白い手を凝視し、そして呟いた。
「あなたたちは、まさか」
その言葉の続きを紡ぐより先に、ムゥが素早く撤退を始めた。すっかり気を失っている白矢を落とさない様に注意しつつ、唯華はムゥの首に右腕を回す。
「ハァ、全く……帰ったら説教デスよ。人の忠告を聞かずに、あんな無茶をしたのデスから……ワタシの気も知らずに……」
「あっはは、お手柔らかにお願いします……」
力なく垂れ下がる唯華の手に、ムゥが柔らかなヒレの前脚で触れた。すると、あれ程までじんじんと痛んでいたのが、あっという間に薄らいでしまう。簡単な治癒魔法を使ってくれたのだろう、と唯華は少し微笑み、そして口にした。
「ありがとうございますね、ムゥさん」
「どういたしマシテ。さて、と、我々の作戦も最終フェーズの様デス」
彼女たちの撤退に合わせて、囮役を買って出ていた竜たちも、銘々に退陣し始める。そして、黒い封印陣の中から“禍神”以外の物が消えた所で、“異触”を呼び寄せる儀式が開始された。
“禍神”のすぐ近くに、大きなシャボン玉のような物がいくつも組み合わさったような物体が出現した。“ネームレス”がその力を振るう時に使用する、そのまま『シャボン』と呼ばれている物体だ。
その傍らには、白い髪を靡かせる“ネームレス”本人の姿も有った。彼女はゆらりと赤い瞳を開くと、辺りに集まる全ての竜たちの姿をぐるりと見回す。
空を飛ぶのが苦手なため、あるいは竜の姿を晒すのを嫌って地上に立っている者。それらとは反対に、竜の姿をとって、あるいは人型のまま翼だけ出して滞空する者。合わせて、おおよそ百名強の竜たちが、今か今かと“ネームレス”の指示を待っている。
そんな彼らの視線を受けながら、“ネームレス”は顔を上げ、そして指揮者のように腕を上げた。そして、良く通る声で一言、令する。
「──構え」
周辺の空気が、一気に変化した。先ほどまでややざわついていた雰囲気も有ったのに、それすらも完全に調律され整えられる。
そして、“ネームレス”がくるりと一つ腕を振るった。すると、竜たちが口を揃えて、一つの言葉を紡ぐ。
『来れ』
それは、辺りの世界を揺るがした。
更に、腕を振るう。
『来れよ』
その揺るぎは重なり合い共鳴し合い、さらに増幅されてゆく。
今度は、やや複雑な動きで。
『我ら“シードディア”総てが、全ての力を以て望む』
増幅された振動は、まるで力一杯に鳴らした銅鑼の様に一帯に轟き渡った。
更に複雑な所作で、純白の腕を振るう。
『我らは、“禍神”をこのアルシードから追放する為、“異触”を呼び起こす。
──さぁ、来れ!』
異口同音に発せられたその声を合図に、シャボンたちがその姿を歪め、漆黒の空の中に更に黒々とした穴を形成した。同時に、集まっていた竜たちの中から、一つの影が飛び立ち穴の前へ向かう。
猛禽の片前脚と獅子の後脚で地を力強く蹴り、立派な鷹のような翼を広げて飛び立ち、展開された穴の前に到着した所で停止するのは、“隻腕の親鳥”シィの姿だ。彼女は、欠落した右腕の付け根を“禍神”に向けて突き出す。
「こっちに来な、“禍神”!」
すると、白い泥の塊の天辺に突き刺さっている右腕が反応し、ずりずりと“禍神”全体をシィの居る場所へと引きずり始めた。少しずつ穴に近づいて来る泥と対峙しながら、彼女は背後に近づく虚無を翼に感じる。
本当なら、このままシィもろとも“禍神”を放り出してしまうのが、一番確実な手段だ。だが、一度この世界から出てしまえば、戻る事はほぼ不可能となる。アルシードの竜は、この惑星を遠く離れてしまっては生きていけないので、それは即ち死を意味するのだ。
死んでしまったら、唯華との約束を違えてしまう。故にシィは、ギリギリまで“禍神”を穴に引きつけた後離脱する、その手段をとる事にしたのだ。
「そうだ、もっとこっちに……」
柄にもなく、緊張する。もし今人型であったなら、きっと心臓がどかどかとうるさい程に脈動しているのだろう。全身の毛を逆立てさせ、眼前に迫る泥をねめつける。
(──今だッ!!)
心中で叫んだ声と共に、シィは素早くその場を脱した。同時に、シィに飛びかかろうとして勢い余った“禍神”が、異界へと通じる穴の中へずるずると吸い込まれていく。
泥が全て穴の中へ消えた所で“異触”が終了し、穴が無数のシャボンになって弾けて消える。同時に、“ネームレス”が上げていた腕を下ろし、周囲に漂っていた異様な緊張感もパチンと消えた。
「……はぁっ」
ざわざわと歓声混じりの喧噪が生み出される中、シィは思わず息を漏らした。ふらふらと地面へ降下し、そして力無く着陸する。
(終わった……何もかも)
暫し“異触”の穴が空いていた虚空を眺めた後、彼女はバタリとその場に横たわった。そのまま目を閉じ、うなり声を吹く。
幾千年に渡った彼女の因縁は、今ここに終焉を迎えた。世界の平和は、守られたのだ。




