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異界と竜の逆ハーもの  作者: 夢山 暮葉
第六章・忌まわしき遺産
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第三十三話・裏切りの善因


 Fレイヤーから干渉する魔法には、精神を司るWレイヤーへと渉る物も有る。これが生活に使われる事は全くと言っていい程無いが、しかし使いこなせれば便利な魔法である。

 “意志”、“魂”を司るWレイヤー。それに干渉するという事は、即ち相手の心を操るという事である。

 その力を悪意を持って振るえば、例えば人を魅了してこき使ったり、都合の悪い考えの持ち主を洗脳してしまったり、そんな恐ろしい事が可能になってしまう。もしそういう系統の魔法を悪用した場合には、法律により罰則が科せられる事になっている。

 しかし、この魔法は、使い様によっては人を救う事だって出来る。例えば精神病を患った者をダイレクトに癒したり、記憶喪失になってしまった者の空白を呼び起こしたり。どんな力も、使う者によって如何様にも様相を変えるのだ。

 とはいえ、Wレイヤー干渉魔法は、S・Fレイヤーへ干渉するそれより、習得難度が高いとされている。目に見えないものである精神をどうこうする為には、所謂シックスセンスという物が重要になって来るのだ。

 故に、これを実用レベルに扱える術者は少なく、またその数少ない術者たちには変人が多い。この事から、まともな教師たりえる先駆者が中々居ないのも、Wレイヤー魔法の習得者を減らす一因となっている。




 来るべき引っ越しの日の為に、荷物を有る程度まとめたおかげで、部屋は随分と殺風景になっていた。元々彼女の私物の数もたかが知れており、荷造りはとても楽であった。

 太陽が傾き始めた頃、唯華は少し首を傾げながら、自室のカレンダーを眺めていた。数え間違えが無ければ、今日は九月の二十九日。読んでいた本に栞を挟みつつ、彼女は徐に椅子から立ち上がる。


「白矢さん、何か有ったのかな……」


 そう、白矢の前回の来訪から、もう一週間以上経っているのだ。最近は三日から四日に一度くらいは来ていたから、これは何か有ったのではないか、と勘ぐってしまう。

 唯華は、この世界の真実を知った後、今まで理解出来なかった様々な本を、再び読み返していた。ちゃんとレイヤーの概念さえ分かっていれば、それらは面白いくらいにすらすらと頭の中に入って来る。今までさっぱり分からなかったのが、不思議なくらいに。

 ……もしかしたら、無意識の内に、彼女は理解を拒絶していたのかもしれない。この世界が、全く別法則の上に成り立っているという事を。それくらいに、これまで飲み込む事が出来なかったのが、不可解で仕方なかった。

 しかし、一人だけの頭では分からない事も多いので、次に魔法の専門家たる彼が来たら聞こう、と気に留めていた様々も有った。だが、一向に彼は訪れず、疑問点を記したメモはその枚数を増やすばかり。唯華はそのメモ用紙を一纏めにしつつ、壁に掛けてある肩掛け鞄へメモを突っ込んだ。


(ちょっと、こちらから見に行ってみましょうか)


 もしかしたら、酷い風邪なんかを引いて寝込んでいるのかもしれない。彼は一人暮らしであった筈だから、頼れる者も居らず苦しんでいるのかもしれない。上月のエルフ達は、彼にとって頼れる人物なのかは微妙に分からないし。

 鞄の紐を短く掴みながら、唯華は部屋を出て、少し見回してテナの姿を探す。気配を探りながら廊下を進み、階段を降りていくと、丁度外から戻って来たらしい彼と出くわした。逆光気味で見難いが、今日のTシャツには『乾布摩擦』と文字が入っている。


「……どこか、行くのか」

「はい、ちょっとそこまで。暗くなる前には戻って来ます」

「……そう、か」


 時折、彼女が一人でふらりと出掛けるのは良く有る事なので、テナも特に疑問には思わなかったようだ。行き先をぼかしたのは、正直に白矢の元へ行くと言えば、きっと止められてしまう、そんな気がしたからだ。


「気を、付けて……な。獣とかに、襲われたら……すぐに、呼べよ」

「はい、そうしますね。じゃ、いってきます!」

「……いって、らっしゃい」


 テナに見送られながら、唯華は山の木々の間へ入っていく。麓まで降りる為の道標たるリボンを辿り、解けかけているのを見つけたら結び直しながら、彼女は少し急ぎ足で、大分踏み均された山道を抜けていった。




「なにこれ……」


 この前の記憶を辿り、何とか迷わずに白矢の家の前まで辿り着いた唯華の第一声は、そんな呆けたふうな言葉であった。尻込みしそうになるのを抑え、彼女は意を決して一歩踏み出す。

 前回から数ヶ月経ち、季節の移ろいに伴い、家の周囲の雰囲気も変化した。しかし、流石にそれだけでは、彼の家の玄関におどろおどろしくおぞましい魔法陣が出現している理由にはならない。

 一体、何が起きているというのだろうか。どんな魔法がこの場に展開されているのかは分からなかったが、尋常の精神状態で描かれた物ではないだろう、というのはド素人の唯華にも理解出来た。まさか、シィの処分を受けた老爺が、また懲りずにやったのだろうか。


(……ち、近づいても、大丈夫ですよね?)


 彼女がビクビクとしながら近寄っても、特に魔法陣から何か出て来る事は無かった。ほっと、ほんの少しだけ警戒を緩めつつ、インターホンを押してみる。

 ピンポーン、と音が鳴る。しかし、そのまま暫く待っても反応がない。不在なのだろうか、もう一度押してみようか──と首を捻った瞬間、扉の向こうで足音がした。

 成る程、外へ出る準備をしていたのか、と合点した所で、扉越しの声が聞こえた。枯れ果て、掠れ切ってしまったような、弱々しい男の声が。


『……僕の名を言ってみろ』

「え……?」

『良いから、今すぐ言え! さもないと、魔法で貫くぞ!!』

「えっ、ちょっ、白矢さん? 白矢さんですよね?」


 どういうわけだか恐慌状態に有るらしい彼の言葉に、唯華は疑問符を浮かべながら答えた。すると、暫しの沈黙の後、玄関扉に浮かび上がっていた魔法陣が消える。同時に鍵の開く音がして、軋む音と共にドアが僅かばかり開かれた。その隙間から、白矢の淡い水色の三白眼が覗く。


「……あんたか……入れ」

「はい。ええと、お邪魔します?」


 唯華が扉を開け放つと、彼の白い顔が陽光の元に晒される。そして露になるその顔は、以前見た時より数段やつれており、彼女の懸念が現実の物であった事を示していた。


 居間に通された唯華は、対面側のソファで俯く白矢の顔を、困惑気味に眺めていた。一体、少し会ってない間に何が有ったのだろうか。一向に口を開こうとしない彼に、唯華は決意して声をかけた。


「あの、白矢さん。何か有ったのですか? なんだか、とても体調が悪いようですけど……」

「……最近、寝付きが悪くてな」


 問いかけに答え、彼はぽつりと口を開き始めた。今はサングラスではなく、普通の眼鏡を掛けているので、その表情の変化がいつもより分かりやすい。忙しなく瞬きをしながら、彼は一つ一つ言葉を選んでいく。


「近頃、悪夢ばっか見て……つか、何だよ。まさか、僕を心配して、わざわざここまで来たのか?」

「あ、はい、その通りですけど。魔法の事について、色々質問したい事も有ったし、それに暫く館に来てなかったから、ちょっと心配になったので。

 ええと、わたしで良ければ、相談に乗りますよ。専門家じゃないので、的確なアドバイスは出来ないですけど……」


 彼女がそんな事を言うと、白矢は少し顔を上げて、しかめっ面をしたまま唯華の顔をねめつける。そうして、項垂れた耳を緩やかに揺らしながら、彼はこめかみを片手で押さえた。


「まじであんた、何なんだよ……どうして、そんなに……」


 まるで嗚咽の様に漏れる言葉と共に、彼は背を丸めて踞る様な姿勢になってしまった。何かまずいスイッチに触れてしまったのだろうか、と唯華は途方に暮れかけたが、彼はその体勢のままぽつぽつと続け始めた。


「……子供みたいだ、とか、笑ってくれるなよ。そんな、生易しいもんじゃねぇんだから……。

 近頃、僕は良く悪夢を見る。その内容は日によってまちまちだが、共通なのは、僕の恐怖心とかを的確に煽ってきやがる事だ。

 それ自体は、まぁ良い。これでも僕は、14年間“御柱”をやって来てんだ、その程度の悪夢には、もう慣れてる。だけど……あんなのは、初めてだったんだ……!」


 白矢は両手で白く長い髪を掻きむしり、錯乱してしまったかのように叫んだ。


「家の前に、あの糞爺が立ってたんだよ……!!」

「なっ……」


 唯華は、思わず険しい声を上げてしまった。シィの制裁を下されてなお、あの老爺は彼に魔の手を伸ばすというのか。しかし、その考えは次の言葉によって否定される。


「……あいつは死んだ筈だ。死体こそ見つかってねーが、上月の野郎の台詞からして、生きてる筈が無いんだ」

「なら、どうして?」

「封印が緩んでいるから……悪夢が、現実にまで侵攻して来たんだよ。……前例は無いが、そうとしか考えられない。というか、そういう事にしておきたい。実は生きていたとか、生き返ったとか、考えたくねーし」


 死者の蘇りか悪夢の侵攻か、どちらなのかを考えて、彼は後者なのだと思う事にしたのだろう。どちらにせよ、アルシードについても“禍神”についても知識の浅い彼女にとっては、理解の範疇外のファンタジーなのだが。


「あいつが、ずっと玄関の前に居るんだ。それが怖くて、ずっと外に出られなくて……そうやって弱ってると、また悪夢を見て……そうさ、今だって玄関の外に居て、ドアを叩き続けてて……」

「あの、白矢さん?」

「聞こえるだろ!? ひっきりなしにあいつがドアを叩く音が!! ああ、止めてくれ、ドアが壊れちまう……!!」

「お、落ち着いてください! ドアを叩く音なんて聞こえませんよ?」

「嘘だ! あんたもあの糞爺とグルで、僕を騙して貶めようとしてるんだろ、そうなんだろ!? く、来るなっ、来るな来るな来るな来るな、いやだあああああっ!!」

「白矢さん!!」


 彼は奇妙な身振りをして、何かの術式を組み上げようとする。しかしそれが完成する前に、唯華は素早く立ち上がって、怯え震える白矢の元へ歩み寄り、その両手を取ってしまった。

 すると、白矢は彼女のその手すらにもびくついて、振り払おうと身を捩る。しかし、強化魔法の入っていない腕力では、女である唯華の力にすら勝てないようだった。掴んだそのまま、彼女は白矢の隣に座る。

 なんとか彼を正気付かせようと、唯華は片手を白矢の頭に伸ばす。そうして、彼の白い髪を柔らかに梳いてやる。暫くそうしていると、やがて彼の瞳に光が戻り、ぶれまくりだった焦点が合い始めた。


「大丈夫です。家の前に、あの老爺は居ませんから。わたし、ちゃんと外を見て来ましたもの。

 安心して、あなたの耳に届いているのは、今はわたしの声だけの筈です。ドアを叩く音も、誰かの怒声も、ここには無い。

 ほら、しっかりわたしの目を見てください。落ち着いて、今ここに有る現実を、その目でしかと認識してください。あなたが考えているより、現実はずっと優しいのですから」


 年下の子供を諭すように、穏やかな声で語りかけながら、彼の頭を撫でる。そうして、様々が綯い交ぜになった感情に見開かれている水色の目を、唯華が覗き込んでいると、その双眸に涙が浮かんだ。


「なんでっ……なんで、なんだよ……!」

「何故、とは?」

「なんであんたはそんなに優しいんだよ! どうしてそんなに強いんだよ! ともすれば僕より悲惨な状況に置かれてるってのに、それなのになんで、他の奴に手を差し伸べる事が出来るんだよ!?

 あんただって寂しい筈だろ、故郷を失って苦しい筈だろ!? それなのにっ、なんでっ……なんで、僕を助けようとする事が出来るんだっ……!」


 泣き叫ぶ様に吐き出して、彼は肩で息をした。いつの間にか彼の耳はピンと張り詰められ緊張しており、表情には憤慨のような物が浮かべられている。

 しかし、唯華には、彼の言葉の意味がいまいち飲み込めなかった。白矢の鋭い視線を受け止めながら、彼女はくきりと首を捻る。


「それとこれとは、全然別の事ですよ。そもそも皆さんが居ますから、全然寂しくないですし、苦しくもありませんし。

 それに、好きな人を助けたいって思うのは、当たり前の事じゃないですか」


 掴んだままだった彼の手を解放しながら、唯華はそう微笑んで白矢を見上げた。全然寂しくない、というのには、多分に強がりが含まれていると思うが、だからといって困っている白矢を助けない理由にはならない。

 面食らったように硬直する彼に対し、唯華はさらに言葉を続ける。


「それにね、わたしは、白矢さんとももっと仲良くなりたいんです。あなたからすれば、迷惑な話なのかもしれませんけれど、それでも。

 だから、わたしの事を好きになって貰う為に、なーんて浅ましい考えも有るのですけどね」


 もう隠し立ては無用だろう、と、唯華は正直に本音を吐露した。一番の理由としては、単に人外と関わり合いたいだけだ。だが、もっと白矢との距離を詰めて、あわよくば彼と親友になりたいから、というのも確かに存在する。

 自嘲するように肩を竦めつつ相手の反応を窺うと、彼は相変わらずカチコチに固まったまま、白い頬を真っ赤に染め上げていた。何か逆鱗に触れてしまったのだろうか、と暫くその表情を観察していると、やがて彼は意を決した様に瞬きをする。


「……ゆっ、くっ……ゆっ、ゆいっ、唯華っ! ぼ、僕は──」


 彼の台詞に、ようやく面と向かって名前で呼んでくれたな、と思うと同時に、唯華の両肩が掴まれた。何か、と問うより先に、ぐいっと体重をかけられソファの上に押し倒される。その喫驚が勝り、喉元まで出かかっていた言葉が引っ込んでしまった。


「僕は、とっくに……あんたの事が、好きになってる」


 そう言いながら覆い被さる白矢の表情を、彼女は読み取る事が出来なかった。

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