第三十一話・応召の萌
「萌」は「きざし」と読んでください。
Fレイヤーとは、現象を司るレイヤーである。自然現象等はもちろん、例えば人が息を吸ったり吐いたりする動作や、手を動かしたりする事、それにただ存在している事だって立派な現象の一つであり、Fレイヤーの影響下である。
魔法を使えば、魔力というエネルギーをNレイヤーからFレイヤーへ出力し、そして様々な現象を意のままに操る事が出来る。『燃やす』という現象を発生させて炎を生み出したり、『持ち上げる』や『動かす』等を組み合わせて念動力としたり等、様々な事が出来る。
とはいえ、Fレイヤーへの出力で発生させられる現象の規模はたかが知れており、先ほど挙げたような物ならまだしも、地震や嵐などといった強大な事象は、操ったり発生させたりする事はおろか、ほんの少し干渉する事すらも出来ない。何十人も魔法使いを揃えれば、雨乞い程度は出来たようだが。
同時に、普通の人間が扱える程度の現象は、わざわざ魔法を使って起こす必要性が無かった。キツい修行を経て高価な道具を揃え長い呪文を唱えるより、マッチを使ったり手で動かしたりする方が、楽だし早いしリーズナブルなのだ。
魔法として代表的な物が、このFレイヤーへの出力から成る現象操作という、絶妙にショボい物であった故に、この技術は他の技術の台頭と共に衰退の一途を辿った。だが、それ以外の魔法やFレイヤーへ干渉する技術自体に関しては、近年多方面から注目を集め出し、細々と再燃し始めている。
立ち去ってゆく唯華たちの一行を見送りながら、白矢は鬱陶しげに目の辺りに腕を上げる。一応秋という事になっている季節だが、まだまだ残暑は厳しく、日光に弱い彼にとっては生き辛い季節だ。
「どのくらい前から知ってたの?」
「……あいつらの事か? 半年くらい前から、だったかな」
「ふーん。交流は有ったの?」
「それなりに」
同じ様に見送っていた深鈴や悟と共に、屋敷の中へ戻っていく。百歳以上も年上の小母や小父に会うのも久しぶりだったので、彼としても色々話したかったのだ。
黒環神社の管理を一手に請け負っている悟は、しかし父親に従うだけの小心者だった。が、深鈴はそうでは無かった。勇五郎の嫌がらせを受けながらも、白矢に生きる為に必要な事を教えてくれたり、白雨亡き後の後見人になってくれたりもしたのだ。
母の声も知らず、父をも幼少期に亡くした白矢にとって、深鈴は親の代わりであった。親戚連中の中での唯一の味方でもあり、彼女の存在に何度も救われて来ている。彼女が居なかったら、白矢はとっくに死んでいてもおかしくない。
「それにしても、随分と変わった連中だったわねぇ。白矢君みたいな子が、ああいう人たちと付き合うなんて、ちょっと意外かも」
「ンだよ、それ……」
「だって貴方って、平たく言うと友達居なさそうだし」
「……」
反論が出来ない。昔、父親が生きていた頃、学校に通っていた時も、アルビノでその上エルフという特異過ぎる外見から、人は寄り付かなかった。それに、風上という姓を持つ彼に、クラスメイトの保護者たちは我が子を関わらせたがらなかったりもしたし。
そういう意味では、テナやムゥは貴重な友人──そう呼ぶのは癪だが──と言えるのかもしれない。同時に、先ほどまで一緒に居た唯華の姿を思い浮かべ、ああいう装いも割と似合っていたな、等と考える。
そんな風にぽんやりとしていると、深鈴がまず怪訝げな表情で彼を見上げ、そして耳を上向きに張り詰めさせてニヤリと笑った。先ほどまで居た客間まで戻って来た辺りで、彼女は爆弾を投下する。
「はーん、なーるほど。白矢君、あの契約者の子……ユイ、だっけ? あの子にホの字ってわけだ」
「ウェンッ!!」
驚きのあまり、ふすまを潜る際に身を屈めるのを忘れて、思いっきり頭をぶつけてしまった。白矢は身長が非常に高いので、古式な臼木家屋である上月の屋敷では、気を付けないとこうなる。
「んー、カマかけただけだったんだけど、こりゃ図星みたいだねぇ」
「ち、ちちちちげーしっ! だ、誰があんな小娘っ!」
「驚いた……白矢に、そういう浮ついた話が……」
「だからそうじゃねーから! 僕はそんなんじゃねーから!」
ぶつけた額を撫でさすりながら、白矢は耳を忙しなくピコピコさせつつ、二人の言葉を否定する。だが、彼の性格を良く知っている深鈴は、ニヤニヤしながら続けた。
「ま……あの子、相当競争率高そうじゃない? あの竜族の人も、『ファーストアーミー』の落とし子もそれっぽいし。私で妥協しとかない?」
「す、するわけねーだろ、アホか!」
眉間に皺を寄せ、真顔を通り越して仏頂面になりながら言う。昔からことあるごとに深鈴はこう言って来るが、彼女は生憎白矢の好みの真逆を行っている。これは冗談だと分かり切っているので、まぁ良いのだが。
しかし、空気の読めない悟が、真剣な顔をしてこんな事を言い出した。
「で、でも、真面目な話、風上の跡取りは必要だ」
「は? ケッ、ハゲ茄子が。仮にも惚れた相手に、こんな忌々しい名字を背負わせたかねーし。つか17歳に手出したら犯罪だし。
それに、必要とかそういうので、ええと、お、おっふ、お付き合いとかしたくねーし!」
「……禿げてないのに……」
あの老爺と違い、悟はあくまで上月の使命に忠実だ。そこは評価すべき所なのだろうが、いかんせんタイミングが悪い。白矢がややしどろもどろになりながら言い返すと、すかさず深鈴が茶々を入れた。
「やっぱり惚れてるんじゃん、あの子に」
「あっ……!? ち、ちげーよ! 例えばの話だ! ノーカウントだ、ノーカン!」
「ま、私は応援するよ? 可愛い弟分の初恋だもの」
「だーもー、やめろよなそういうのー!!」
色素の無い頬を真っ赤に上気させながら、白矢は大声で深鈴の言葉を遮る。意地悪そうに、しかし微笑ましげな表情を浮かべる彼女に、白矢はますますばつの悪さを募らせた。
「もういい、帰る! そんで寝る!」
素早く呪文を唱え、自宅の前までテレポートする魔法を発動する。これ以上ここに居たら、どんな事を言われるか分かったもんじゃない。そのまま、副次的な現象である発光と共に、彼はこの場から消えてしまった。
先ほどまで白矢が居た辺りを見やりながら、深鈴は少し肩を竦めて短く息を吐いた。そして、誰に言うでもなく、ぽつぽつと呟く。
「……色々と、複雑な気分ね。ああして、糞爺の忌々しい爪痕を見せつけられると。どうして子供が、親の尻拭いをしなくちゃならないのかしら……」
『ファーストアーミー』の産物はもちろん、歪められ素直さを失ってしまった白矢の心根に関しても、深鈴は嘆息せざるを得なかった。これ以上なくうんざりした様な顔で、彼女は竦めた肩をがくりと落とす。
館に戻った唯華たちは、いつもの部屋で冷たい麦茶を飲みながら、反省会のようなものを開いていた。
すっかり厚化粧も落とし、慣れないゴシック調の衣装から普段着に着替え終えた姿で、唯華はようやく一息を吐く。なんだか、全身の筋肉がカチコチに凝り固まったような気分だ。
「ふはー……緊張しました。上手くいって良かったです」
「お疲れ様デシタ、ユイカサン。しかし、中々サマになっていマシタね、あの装いも」
「……同意、だ」
「いやいや、ムゥさんのメイク技術がすごかったからですよ」
そう言いつつ、唯華は麦茶を飲む。氷の入っているおかげでキーンと冷たいそれは、彼女が好むところの薄味だ。もう少しすれば、冷たい飲み物では辛くなる季節へ移ろうのだろう。
「それにしても、ムゥさん、よくあんなふうにぺらぺらとデマカセが出るのですね」
「デマカセではありマセンよ。事実を断片的に語っただけデス。真実を全て語ったわけでもありマセンが」
「え? ……あ、成る程」
先ほど、上月のエルフたちへ向けられていたムゥの台詞を思い返し、唯華は合点する。彼は、何一つ嘘を言っていないのだ。
遠い異国から来た、というのは、実際その通りだ。唯華は異世界の日本という国からやってきたのだから。ムゥの契約者だ、というのも、本当にそう呼べなくもないのだ、と話していたのを覚えている。物事は言い方次第で、ここまで歪曲させてしまう事が出来るのだな、と唯華は頷く。
「しかし、今日ので確信しマシタ」
「何を、ですか?」
「アナタ、素材は悪くないのに色々と勿体ないデスよ? 何も毎日あんなコスプレをしろ、だなんて言いマセンけど……せめてスカートくらい履いてみたらどうデス?」
『お姉ちゃんは素は良いんだから、もっとおしゃれするべきなんだよ。あたしにばっか任せてないでさー』
不意に、彼の台詞が妹の声と重なって、少し目眩がした。彼女が、よく姉である唯華に対し、同じような事を言って来ていた記憶が思い返される。同時に、まだ遥華の声を脳裏で再生する事が出来たのに、唯華はほっとしていた。まだ、忘れていない。
想起に黙り込んでしまった唯華に、ムゥたちが不安げな表情をし始めたのをみとめ、彼女は慌てて我に返った。そして、彼の問いかけに対する答を用意する。
「ごめんなさい、ちょっと昔の事を思い出してしまって。ええとですね、折角勧めてもらって悪いんですけど……スカートはちょっと、その、苦手で」
「……そう、なのか」
「フム。何か理由でも?」
「はい。何年か前、ストーカーに遭っていた時、道路の側溝から盗撮をされた事が有って……それ以来、ちょっと怖いんですよね」
あっはは、と軽く笑い飛ばす。何故だかストーカーに付け狙われやすいらしい彼女は、これまでに計三回その被害に遭った事が有る。その三回目の被害の際、そんな事件が有ったのだ。当時はもの凄く怖かった覚えが有るが、今となってはただの思い出だ。
しかし、テナはその顔に明確な憤りを表出させ、ムゥは一気に真顔になって白目の無い瞳を見開いた。彼らの纏う雰囲気が一気に変質したのに、唯華は少し戸惑う。
「……辛い事を思い出させてしまい、申し訳ありマセン。しかし、とんだ不届き者も居たものデスね」
「安心、しろ……もし、こちらで、そのような事が有れば……オレが、確実に……仕留める」
「し、仕留める、って……頼もしいですけれど。あの、大丈夫ですよ、もう昔の事ですし──」
『安心しろよ、唯華。次にそんな事が有ったら、兄ちゃんがとっちめてやるからな!』
浮かび上がるのは、そんな兄の台詞。驚く程明瞭に思い出す事の出来た声に、唯華はほんの少し頬を綻ばせる。
同時に、彼女は理解した。二人は、きっと自分の為に怒ってくれているのだろう、と。優しくて友達思いで、しかも人外な友人──なんだかとても矛盾している言葉だ──に恵まれて、本当に自分は幸せ者だな、と唯華は嬉しくなった。
「いえ、ありがとうございます。いざという時には、頼りにさせていただきます」
「……ん」
「ええ、是非そうしてくだサイな。曲がりなりにも、アナタはワタシの契約者なのデスから」
そんなムゥの台詞を聞いて、唯華はなんだか温かい気分になれた。同時に、申し訳なさが募る。自分には何も出来ないのにこんなに良くしてもらうのが、どうしようもなく居心地が悪いのだ。
「……どうかされたのデスか? やはり、気分が優れないのデス?」
「い、いえ、何でも無いのです。それより、ちょっと訊きたい事が有るのでした」
その憂いが顔に浮かんでいたのか、すかさず気遣う言葉を差し伸べられる。とはいえ、この胸の内を赤裸々に語った所で、解決される事は有り得ず、それどころか彼らの心労をますます増やすだけだろう。
唯華は、適当に誤摩化す言葉を連ねる事にした。いつか機会が有ったら訊こうかな、と思っていた質問だ。しかし、焦りによる雑音の混じった思考は、何とも微妙なチョイスの問いを口に出させる。
「他愛のない疑問なのですけど……竜族って、人間と結婚出来るのでしょうか?」
「……は? ──ブフッ!?」
口にした後、しまった、と唯華は口元を抑えた。よりにもよって、こんな脈絡の無い質問をしてしまうとは。何とかその脈絡をこじつけようと、唯華は更に言葉を並べ立てる。
「いえ、あの、婚姻って契約の最終形態とも言えるじゃないですか。それに、この世界の竜と人の距離がどれくらい近いものなのか、ちょっと気になったりもしてて」
「はぁ……ビックリしマシタ。そういう意味なのか、と勘違いしてしまうではないデスか……」
嘘偽りの無い溜め息と共に、ムゥは眉間を指で押さえた。何とか色々と誤摩化す事が出来たのかもしれないが、別の苦労をかけてしまって、申し訳なく思う。
「ま、気を取り直して、質問にお答えいたしマショウ。結論から言うと、可能デス。
多くの先進国では、竜と人との婚姻が認められておりマス。実際、竜に虜になる人間は少なくないデスし、それに応じてやろうと思う奇特な竜だっていマス。
臼木でも、もちろんそれが可能デス。……とはいえ、本当に結婚しようだなんていう者は、極々僅かデスが。
勿論、“客”であろうと可能デス。とはいえ、アナタの場合はまだ戸籍が有りマセンからねぇ……」
「……本当に結婚出来るんだ」
訊いておいてなんだが、唯華はぽつりとそう漏らしてしまった。生物的に何の意味も無い婚姻を認められる程度に、この世界の文化は発展しているのだ。エルフは完全に人種の一種程度の扱いなのといい、アルシードの異種族同士の垣根は低い。
そうなると、この世界の創作物に置ける異種族は、一体どんな扱いをされているのだろうか。ここまで距離が近いと、地球のそれとは全く別の様相を示していそうだ。これまではそんな余裕も無かったが、今度ファンタジーものの小説でも図書館で借りて来ようか、と唯華は決心する。
そこまで考えた所で、テナが徐に顔を上げた。彼が話し出す時に見せる予備動作に感応し、唯華はそちらに耳を傾ける。
「……ユイカ。世の中には、『事実婚』という……便利な言葉が、有る」
「へ? ああ、うん、そうですね……?」
唐突なテナの言葉に、唯華は戸惑いがちな同意の言葉を口にする事しか出来なかった。すると、彼はハッキリと口角を上げ、何故か勝ち誇ったような表情をムゥに向けた。
「……な」
「こ、この野郎……」
何か、彼女の知らない所で喧嘩でもしているのだろうか。時々、彼らはよく分からない事を言う。軽く首を傾げながら、氷が溶けて大分薄くなった麦茶を飲み干し、残った氷を噛み砕いた。




