第二十九話・因子違えし別天地
魔法。それは、目に見えないエネルギーである『魔力』を自在に操る為、人間が発展させた技術である。
その奇妙な力は、人という種が発生するより前の時代から存在していた。やがて、人の手によってその力を利用する方法が編み出され、『魔法』という概念が誕生する。
枯れ枝に火を点けて種火としたり、何十人もの力を合わせて雨乞いをしたり、最初はそう言ったものばかりだった。しかしやがて人が国を作り、国が大きくなって人間同士の戦いが起きるようになると、武器の進化と共に攻撃魔法や結界魔法の技術も生み出された。
しかし、魔法はいつでも使い手を選んだ。生まれながらに才能──つまり、“晶臓”の質や魔力量──は決まっていて、才能が無い者はどんなに努力をしてもまともに使えなかった。エルフなんかは、何もしなくても人間以上に使えるようだが。
故に、誰でも使える技術たちが開発され、台頭していくのと反比例する様に、一時は勢力極まった魔法も衰退していってしまったのだ。
ムゥや白矢ならまだしも、テナにまで非常識なモノを見るような視線を向けられるのには、少しダメージを喰らった。暫く気まずい沈黙が流れる中、徐に白矢がそれを破る。
「何、って……レイヤーはレイヤーだろ。学校で習うだろ、理科の授業とかで……いや、種類は習わないっけか。教科書読んだだけだが」
「そ、そんな常識だったのですか? わたし、全然分からなくて」
「“客”なら、仕方ない……のか? だが……」
「まぁまぁ、分かりやすく説明して差し上げマショウ。……とは言っても、どう説明いたしマショウかね」
見た目や雰囲気が元の世界と変わらないから、油断していた。根本的なまでの認識の相違に、どんな質問をすればこの疑問が解けるのか、皆目見当も付かない。
「ええと、一から説明して頂けますか? それこそ、赤子に教えるようなレベルで」
「そう、デスね……ここはそうした方が褒められるデショウ。ううむ、少しお待ちくだサイ」
ムゥは少し悩んだ後、齧りかけのクッキーを丸ごと口に突っ込んだ。そして、足元に置いたリュックから、割と大きめのスケッチブックとシャーペンを取り出し、何かの写生画が描かれたページを捲りつつ、空白のページを開く。
アタリを付けるかのように、紙の上でシャーペンを持った手を動かし、そして四個の平行四辺形をさっさっと描く。定規も使っていないのに、その線には全くぶれが見られなかった。
四つの平面が大雑把に重なっているような図形を描くと、今度は数本の色鉛筆を取り出し、平行四辺形をそれぞれ別の色に塗る。次に、別々の色に塗られた四角形たちの横に、それぞれに近い色のボールペンでアルファベットを書いていく。
「この世界は、『レイヤー』と『境界線』と呼ばれる概念によって構成されておりマス。全てのモノは境界線によって形作られ、その境界線はレイヤーの上に引かれているのデス」
平行四辺形たちから少し離れた場所に、ムゥは大きめの長方形を描き、平行四辺形の中で一番上にある、『S』と注釈されたものと線で繋げる。同じ物だ、という事らしい。同一の色で軽くはじっこだけ塗ると、長方形の中に今度は人間の輪郭のようなものを描き入れ、その中と外で別の色に塗り分ける。
「例えば、人間の肉体。これはこの『Sレイヤー』、要するに物質全般を司るレイヤーの上に存在しておりマス。
人間の身体を構成する物質……そうデスね、イメージとしては色々混ざったドロドロ、と考えるのが一番近いデショウか。境界線を失えばそうなりマスし。それが、こうして境界線によって固まっているワケデス」
彼は、手をひらひらと振ってしたり顔をしてみせる。だが、対する唯華は困惑を深めるばかりであった。少し分かって来た気もするが、何か、何かがすれ違っている。何か、とんでもない事実を見落とし続けて来た気がする。
暫く彼女は頭をひねった後、一つの事に思い至り、ハッと固まった後、恐る恐ると口を開く。気付きかけたその真実に、無形の恐怖を抱きながら。
「あの、よく分からないんですけど……物質って、原子とか分子とか、そう言うのがこう、結合して集まって出来ているんですよね? この世界の科学は、その結合の事を境界線って言ってるのですか?」
「……ゲンシ? ブンシ? 何デスかそれは?」
「えっ!? ……原子は、物質を構成する最小単位で、それがいくつか集まった物が分子で」
「なんじゃそりゃ……って、どっかでそんな単語見たな」
「何処で見たというのデス? Asperges blanches」
「おい、今のは発音で分かったぞ……ラフノーヌ語辺りで『ホワイトアスパラガス』だろ!? いい加減にしろ!」
外国語を一度聞いただけで何語か分かり、そして意味さえも理解出来る白矢は、実はもの凄く言語に堪能なのではないだろうか。そんないつも通りのやり取りだが、唯華は微笑ましい気分にはなれなかった。
笑っている場合ではない。元居た唯華の世界は、間違いなく原子や分子等で構成された世界で、唯華自身もそれらで形作られている筈だ。しかし、ムゥはそんな物の存在は知らないと言う。足元が崩れ落ちて行くような錯覚に陥りながら、白矢の続ける言葉に耳を傾ける。
「ああクソ、不愉快だ。……異世界についてまとめてるサイトで、偶然見かけたんだよ。レイヤー構造以外にも色々有るもんらしくて、波動がどうこうとか、他にも有ったが……その中に、『素粒子宇宙』って呼ばれているのが有ったんだ。
そこで、さっき言ってた……ゲンキ? だとかいう単語が有ったんだよ。互換性皆無な世界だから、『有るんじゃないか』って程度の言い様でな。良く出来たファンタジーだと思ってたが……」
「え? あの、互換性が無い、って……?」
「どうやっても観測出来ない、もしその世界からの“客”が来ても、接触が出来ないっつー意味だよ。まとめには、素粒子宇宙からの“客”は、こちらに来た時点でぐずぐずに融け崩れて死ぬだろう、って書いてあったな」
ふと、自分の掌を見る。融け崩れたり消えてしまったりする気配は無く、異世界にあってもしっかりと輪郭線を保っている。
……確かに、唯華の故郷は、原子の集まりによって構成された宇宙だった、筈だ。少なくとも、レイヤーという言葉はパソコンで絵を描いたりする時くらいにしか使わなかったし、境界線にそんな意味は含まれていなかった。小説や漫画の中ならいざ知らず、現実には存在しなかった筈だ。
法則の違う宇宙。唯華の知る物理法則の加護の無い、全くの別天地。そんな世界に居るのに、何故彼女は生き続けていられるのだろう。
「だが、あんたは生きてる、って事は……何でだ?」
「フム。何らかの要因が有った、という事で良いデショウ。深く考えなくとも、知らないで良い事を知る必要は有りマセンよ。ここまで、普通に生きて来られているのデスから」
「……大方、適応力が高かったんだろ。そんな認識で、良い」
「え、いえ、ですが……わたしは……」
ムゥは軽薄に笑い、気軽に考える事を促して来る。しかし、唯華は彼の勧める通りにする事が出来なかった。悪い想像ばかりが湧き上がり、両手で頭を抱えてしまう。
「わたしは……普通の人間でした。特別な力なんて有りません。火の中に入ったり、100mの高さから落ちれば死にます。空気が無ければ生きていけませんし、ちょっと大気圏外に出ればすぐに死にます。そんなわたしが、地球の物理法則の外に出て……無事で居られる筈が無いんです。
思えばそうでした。異世界なのに、どうしてわたしは問題なく生存出来ているのか。運良く条件の良い環境だったから? それとも、そもそも“異客”なんかじゃないから?
ねぇ……わたしは、本当に『錦野唯華』なのですか?」
「ユイカサン、落ち着いてくだサイな」
彼の言葉も、最早唯華の耳には届いていなかった。考えてはならない、考えたってどうしようもない、そう理性では分かっているのに、思考に歯止めをかける事が出来ない。
「そうですよ、きっと何もかも妄想なんです。わたしはちょっと頭がおかしくなっているだけなんです。“異触”なんてのは起きてなくて、わたしは元々この世界の住人で、異世界の記憶なんてのは良く出来た妄想で。
ああ、だからきっと、捜索願が出ている筈です。早くお母さんの所に戻らないと……ああ、うう、でも……」
「──ユイカ!」
テナが彼女の名を呼ばわる声に、唯華はようやく我に返る事が出来た。彼はいつの間にか唯華のすぐ隣に来て、震えていた手を握ってくれている。額に浮かぶ嫌な汗を手で拭いながら、どうにか精神を立て直す。
「すみません……でも、どうしても……」
「……確かに、おまえの考えを、否定する材料は……ない。だが、肯定する材料も……ない。そういう、事。
それに……間違いなく、ユイカは“異客”……この世界の人間、じゃない。オレが言うからには、確実……」
そんなテナの言葉が、すとんと胸に入った。つまり、彼女が先ほど言った事は、『この世界は五分前に出来上がったのだ』といった哲学と同じくらい、否定も肯定も出来ない事なのだ。
そう思うと、少し気が楽になった。それもそうだ、家族や友達との事、懐かしい思い出の数々、それら全てが妄想だというには、良く出来過ぎている。妄想である筈が無いのだ。悪い方に考えてしまうより、良い方へ良い方へ考える事にする。
「そうですよね。ありがとうございます、テナさん。何とか落ち着けました。それと、ごめんなさいね、皆さん。取り乱してしまって」
「いえ、良いのデスよ。これまでの割り切り様の方が異常だったのデス。アナタはただの人間で子供なのデスから、人外で年長者である我々にもっと甘えて良いのデスよ」
「そ、そういうわけにもいきませんよ。だから、この世界の構造──そう、レイヤーや境界線の事、もっと教えてください」
「……大丈夫なので?」
「平気です。それに、これからずっとこの世界で暮らすのは確定事項なのですから、もっと色々知らないと」
確かに唯華は成人前の子供なのかもしれないが、彼らは唯華の親ではないのだ。現状は甘えざるを得ない状況だが、早いところ脱して、受けた恩を返し始めなければならない。
そろそろテナに元の席に戻ってもらいつつ、彼女が話の続きをせがむと、ムゥは机の上に放置されていたスケッチブックを取り、唯華に見せる様に自身の身体の前に持った。そして、先ほど中断された辺りの話を思い出しつつ、解説を再開する。
「境界線とレイヤーの概念については、分かりマシタかね?」
「ええ、何とか」
「デシタら……次は種類を軽く解説しておきマショウ。Nレイヤーの欠損について理解するには、それが必要デスし。
コホン。この世界はレイヤーと境界線によって形成されていマスが、このレイヤーにもいくつか種類が有りマス。
例えば、先ほども言ったSレイヤー。物質全般を司る層で、我々の肉体や、机や椅子といった物体、空気だとかもこのレイヤーデス」
彼はスケッチブックをこちらに向けたまま、器用に文字を書き足していく。もの凄く書き難い筈だが、文字は普段と然程変わらない形を保っている。
一番上の『S』の文字の隣に、簡単な注釈を書き込み終えると、次にその下の『W』の部分にペンを走らせつつ、言葉での説明を続ける。
「次に『Wレイヤー』。所謂『魂』だとか、『意識』だとか、そういう物を司るレイヤーデスね。詳しい解説は……したいのは山々デスが、今は良いデショウ。後で気になったら言ってくだサイ。
そして『Fレイヤー』。こちらは『現象』等を司るレイヤーデス。これは何処までも他のレイヤーに影響され、そして影響するレイヤーで、テナサン──いえ、“死神”の本来の居場所はこのレイヤーに有りマス。
で、先ほどから時折名前の出ている『Nレイヤー』。魔法の原動力たる『魔力』の存在するレイヤーで、“晶臓”の本体もこちらに在りマス。
と、一先ずは、以上の四つを覚えてくださればオーケーデス。他にも色々有りマスが、気になったらまた後で聞いてくだサイな」
神妙な表情で聞き入り、同時にスケッチブックに視線を突き刺す。暫く考え、意味を咀嚼し、自分なりに理解して知識の中に取り入れた後、こくりと大仰に頷く動作をしてみせて、ムゥに続きを促した。
すると、彼はスケッチブックに更に絵図を描き出す。平行四辺形でレイヤーを示した図に、二種類の人型を置いていく。
片方は、デフォルメされたムゥ自身のような姿。シルエットだけなので分かり難いが、彼がそこに糸目を描き入れた辺りで、唯華は察する事が出来た。もう一つは、困り顔を浮かべた唯華の姿。そちらにはサイドテールが描かれたので、すぐに分かった。
ムゥの方は、先ほど解説された四つのレイヤー全ての上に描かれる。しかし、唯華のデフォルメは、S、W、Fレイヤーにのみ置かれ、Nレイヤーには置かれなかった。
「アルシードの生物は、S、W、F、N、この四つ全てのレイヤーを含んで構成されていマス。実際はもっと沢山のレイヤーの構成物から成っているのデスが、一先ずこの四つだけで。
デスが、アナタはどういうわけか、Nレイヤーに在るべき構成物が丸々欠けてしまっているのデス。故に、“晶臓”だって有るわけが無く、魔力が必要な機械が悉く使えなかった……という事デスね」
「……それで、その欠陥を埋める方法は?」
「無理だな。Sレイヤー部分の“晶臓”が無いだけだったらいくらでも方法が有るが、Nレイヤーごと欠けてるとなるとどうしようもねー。諦めろ」
「そう、ですか……残念です」
こちらに来てからずっと探し続けていた、“晶臓”の欠陥を埋める方法。そんなものは存在しない、と断言されて、唯華は落胆の溜め息を吐いた。
どう足掻いても、唯華はこちらの世界の人間にはなれない。まともな仕事は出来ないだろうし、そも普通に暮らすのにすら介助が要る。彼女の失意は深かった。
「どうしようかな、わたし……プランBを考えないと」
「それについては後でにしとけ。次だ、次。もう一つは……ええと、今日は何日だっけか」
白矢はスマホを取り出して、その画面を確認する。それだけするとすぐに懐に仕舞い、改めて唯華たちの方へ向き直った。
「フン、九月の十九日か……」
「あらま、もうそんな日付なのですか」
「あ? 何かあんのか」
「いえ、大した事じゃないのですけど、あと丁度一ヶ月で誕生日だなぁって。あ……ごめんなさい、話を遮ってしまって。どうぞ続けてください」
「……誕生日」
部屋に漂う空気が、少しその様相を変えた。テナがぼそりと単語を呟きつつ、ムゥと白矢に一瞬目配せをする。そうして彼らが互いに頷き合う中、そういえばまだ互いの誕生日も知らないのだったな、と思い立った。
「わたしの誕生日は十月の十九日ですけど、皆さんはいつなんですか? お祝いしたいし、教えてくれたら嬉しいのですが」
「我々の、デスか? エエト、ワタシは四月二日生まれ、って事になってマスけど」
「……分かんない。年も、正確には……数えて、ない……」
「僕は十二月十四日だが……そろそろ話を進めて良いか?」
「あうっ、ごめんなさい。続きをお願いします」
微妙な表情を浮かべる白矢に、唯華は慌てて頭を下げた。彼はフン、と苛立たしげに鼻を鳴らし、途切れた言葉の続きを語り始めた。
「この前、“死神”が解放されたら、僕はこっちに引っ越さなきゃならない……そう言っただろ? で、先日、いよいよ上月の野郎にその事を言われたんだわ。
どうするよ? 暫くは『封印の緩みを最小限にする為』と先延ばしに出来るが、それ以降は難しいぞ。こっちに引っ越しさせられる事になれば、あんたらの存在を隠し通せなくなるし……」
「成る程。適当に言い訳を考えろ、というわけデスね」
「そういう事だ。僕もこんな山の中に来たくねーしな」
「一時は離れる事になりますけど、戻って来た時に困りますしね……」
あの家から離れるのも面倒だしな、と言いつつ、白矢は少し欠伸をした。言い訳かぁ、と唯華が考え込み始めると、ムゥが心底楽しそうな声音で笑い声を漏らす。
「フフフ……」
「ど、どうしたのですか?」
「ああ、イエ。ちょっと面白いアイデアを思いついたのデス」
「言い訳のか?」
「ええ。現状打てる手の中で、最善の手だとも思いマスよ」
一体、どんな妙手を思いついたというのだろうか。好奇心に満ちあふれた視線を彼に向けると、ムゥは出しっぱなしだった筆記用具を片付けつつ、作戦概要の説明を始めた。




