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異界と竜の逆ハーもの  作者: 夢山 暮葉
第五章・メメント=モリ
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幕間五・シードフラグメンツ


 温くて冷たい海のような中を、ただひたすらに沈む。浮き上がろうと思う意志も、泳ごうと思う心も、今は眠りによって抑制されて働かない。

 目覚めれば、すぐに忘却の彼方へ流し浚われてしまうような、そんな夢ともいえない夢。ただひた沈みゆく中、唯華は視界に奇妙な物を捉えた。

 玉虫色に輝く球体。無数のそれが、この海の底の方から湧き上がって来ている。無感動にそれを眺めていると、球体の一つが唯華の肩に触れ、そして弾けた。

 すると、周囲の光景が一気に変化し始めた。色も音も無い海だった場所に、色が配置され音という物が生まれる。同時に、深い眠りの戒めによって拘束されていた意識が、急激に鮮明になっていった。


「……あー」


 突然の事に呆然とした唯華は、間抜けな声を上げる事しか出来なかった。五感が明確になり、同時に素足が地面に触れる。一体どこに迷い込んでしまったのだろう、と辺りを見回していると、何処からとも無く声がかかった。


「あ、あんるぇ? 何で人間がここに居るんだ……?」


 困惑気味に声を上げながら、唯華の元へ歩み寄って来るのは、全身真っ白な姿をした少女であった。透明な糸を束ねたかのように透き通る白髪と、雪のような純白の肌。じとっと半目気味になっている瞳は、血の紅を映して煌めいている。


(あ、アルビノ……?)


 アルビノといえば白矢だが、この少女の場合、彼よりももっと色が薄い。そんなに色が薄いのに、唯華でも十分に視界が確保出来る程の光量の中、少女は特に眩しそうにする気配も無かった。

 彼女は胸元を飾る歯車のネックレスを片手で握りしめつつ、有る程度距離を取って立ち止まった。怪訝げな表情をしながら、警戒心を露に唯華に話しかける。


「あんた、何者だ? 見た所、集合無意識辺りの『シャボン』から来たっぽいけど……自我を拡散させずにあんな深層まで入り込めるとか、仏様か何かか?」

「いえ、普通の人間ですよ! あ、いや、普通じゃないか、“異客”だし……」

「“客”……あ、ああ~!」


 唯華の言葉に、少女は合点したような声を上げた。一人でうんうんと頷きながら、少女は警戒態勢を解く。そうして、まるで親しい友人に対するかの様な足取りで歩み寄ると、にやりとした笑顔で唯華を見上げて来た。すると、なんだか変な煙の臭いがしてくる。


「もしかして、臼木に流れ着いたって噂の、あの“異客”なのか?」

「へ? あ、はい……確かに臼木に漂着しましたけど、噂って……」

「あのムゥやシィ、ラァまでもを懐柔したって、あたしたちの間じゃもっぱらの噂なんだが。それに件のテ……いや、これは良いか」

「か、懐柔って、そんな。ええと、『あたしたち』って……?」

「ああ、申し遅れたな。あたしの名前は“ネームレス”……っていうのも、何か矛盾してるな。“ネームレス”だの“名無し”だの呼ばれてるのは間違いないから、そう呼んでくれ」


 “ネームレス”。唯華は数秒程考え込み、そして少女の正体に思い至った。竜族の長老たる旧竜たちの中に、そんな名前が有ったではないか。


「て、て……こと、は……あなたは、旧竜!?」

「驚いたか? そんで、あんたの名前は何だっけ」

「あ、えと、唯華です。錦野唯華」

「ん、唯華な、覚えとく。ま……立ち話もアレだし、移動するかね。付いて来て」


 予想外の大物の登場に、唯華は目玉が飛び出そうな気分だった。この前もラァと会ったりしたし、最近は驚かされてばかりだ。世界に三人しか居ないVIPの内、二人と直接会う経験をするだなんて。

 歩き出す少女の姿を追い、唯華は裸足で芝生を踏みながら歩き出す。そう言えば寝間着のままなのか、とようやく思い至った。しかし寒さは感じず、かといって暑いわけでもない。

 歩く中、唯華は周囲の風景を見渡した。どうやら彼女が出た場所は、何やら巨大な豪邸の庭園の中だったらしく、遠くにそれはそれは立派な屋敷が望める。庭園は生け垣によって迷路のような様相と化しており、“ネームレス”の姿を見失わない様にしなければ、元の場所に戻る事すら出来なくなりそうだ。

 空を見上げると、そこには青空が広がっている。緩やかに雲が流れ、太陽の光がきらきらと揺らめくが、それにはどこか不自然さが有った。なんだか、とてもリアルな映像を見ているような、そんな違和感が有ったのだ。


「あの、ここは何処なのですか? わたし、帰らないと……」

「ま、そう焦んなさんなって。後でちゃんと帰してやるから。

 ここはまぁ、あたしが創った『狭間の世界』というか、なんというか、そんな感じの場所だ。アルシード中全ての場所と隣接しているけど、どこでもない場所というか、ぐう、人間の言葉で説明するのめんどい……」

「あ、いえ、大丈夫です。後で帰していただけるなら、それで」


 そうしてきょろきょろしながら歩き続けると、やがて少し開けた場所に出た。噴水の有る広場の中に、小さなテーブルと椅子が二つ置いてある。何やら飲み物までもが用意されており、他に人が居るのだろうか、と唯華は気配を探してしまった。


「ほら、座りなよ。歩いて疲れただろうし」

「わ、分かりました」


 勧められるままに椅子に座る。何の事は無い、普通のプラスチック製の椅子とテーブルだ。そうしていると、向かいの椅子に“ネームレス”も座る。彼女はグラスに入った飲み物に口をつけると、どこかウキウキとした表情で話し始めた。


「ただのソーダだ、アルコールとかじゃないし、焼いた肉とかも入ってないから安心しな。っと、何話そうかな。

 んー……ああ、そうだ。そういやあんたに謝りたいって奴が居るんだった」

「謝りたい、ですか?」

「その様子じゃあ覚えてなさそうだけど、あちらさんの気持ちの問題だからな。おおい、竜王様~」


 なんだか、旧竜より更に大物くさい名前が出なかっただろうか。そんなふうに唯華が思う中、“ネームレス”は指をパチンと鳴らす。すると、三つ目の椅子とソーダが出現し、同時に謎の人型が現れて椅子に収まった。

 その人型は、暫く様々な姿に絶え間なく変化し続けていたが、やがて一つの姿に落ち着いた。中性的な容姿をした、これといって特徴の無い人間が、唯華の方を向く。

 何色とも言い難い不思議な彩りの瞳が、唯華の姿を捉えた。そして認識するなり、そいつは椅子から飛び上がり、地面に着地しつつ三つ指土下座をかます。


「本ッ当に……申し訳有りませんでしたアァ!!」

「ひゃっ!? ……え、ええと?」

「以前“総意”が荒れていた時、偶々迷い込んで来てしまった貴方を『踏みつぶして』しまい、誠に申し訳有りません!」

「う、うわあ!? か、顔を上げてください! よく分かりませんけど、わたし怒っていませんから!」


 一体何を言っているのだろうか。ガンガンと地面に頭を打ち付けて謝罪をするそいつに、唯華は慌てて声を上げた。するとようやく土下座を止め、立ち上がって椅子に戻る。


「良かったじゃん、竜王様。怒ってないってさ」

「ううう、でも……」

「あの、気を取り直してください。ごめんなさい、分からなくて……」

「い、いや、覚えてないなら、それが一番なんだ」


 これ以上無く印象の薄いこの人物が、『竜王』だというのか。あまりにも拍子抜け過ぎて、きょとんとしてしまう。挙動も言葉もどこまでも人間臭く、“ネームレス”の方がよっぽど貫禄が有るな、と唯華は思った。


「それで、ええと。貴方、このアルシードにテル──」

「ゥウェッホン!! つ、積もる話はまだまだ沢山有るけど、そろそろ帰らないと朝になっちゃうな。そうだ、お土産持って帰りなよ、ちょっと待ってな」

「ええ? でも、早い所互いのスタンス決めとかないと、ただでさえ──」

「竜王様は黙ってて!!」

「アッ、ハイ」


 少女の強い制止に、竜王はしょんぼりと哀れっぽい声を上げるのを最後に黙り込み、そのまま姿を薄らがせていって、最終的には消えてしまった。本当にただ謝りに来ただけだったな、と微妙な気持ちになる。あまりにも名前負けしまくっているではないか。


「ま、アレは竜王様の、ほんのさきっちょだけみたいなもんだからな。本来のあの方は、もちっと威厳有る感じなんだけど、そうすると今のあんたじゃまた踏みつぶされかねないし。

 じゃあ、気を取り直して。お土産用意するから、少しここで待っててくれ。すぐ戻るから」


 そう言って“ネームレス”が立ち上がると、彼女の姿が大きなシャボン玉のようなものに包まれ、そして弾ける様にして消えてしまった。あの海の底から湧き上がっていたのも、彼女が生み出したモノだったのだろうか。


(それにしても、テル……って、何でしょう。いつだったか、シィさんも、何かそんな感じの単語を言いかけていたような)


 待つ間、手つかずのソーダに手を伸ばし、少し飲む。キンキンに冷えているそれは、随分と渇いていた唯華の喉を激烈に潤していった。特に変な物が混入しているふうもなく、一安心する。

 少しずつ飲みながら、唯華は考える。『テルなんとか』の響きを頭の中で反芻してみるが、特にそれらしい単語は『テルビウム』や『テルトゥリアヌス』くらいしか思い浮かばなかった。

 そうしていると、ふわふわと小さなシャボン玉が漂って来て、パチンと弾けた。するとその周囲の空間が歪み、そこから一抱え程有る植木鉢と、薄紫色をした小さな巾着を持った、笑顔の“ネームレス”の姿が現れる。


「お待たせ。あまり面白いものじゃないけどさ」

「これは……?」

「ふむ、『ミラシェフィーネ』という名前だが……臼木ふうに翻訳すれば、『此岸花シガンバナ』って所かね?」


 彼女は、まず植木鉢の方を示す。外は白く、中の方だけ赤い細長い花弁が、六枚程連なる事で花を形成している。くるりとカールしている花びらは、成る程彼岸花っぽく見えない事も無い。


「異世界の花だから、本当はあんま広めちゃあ駄目なんだが……あんたも“異客”だ、何か縁が有るやもとと思ってな。

 こっちは咲いてる方の花で、巾着には球根と育て方のメモが入ってる。その辺の地面とかに植えて、取り返しの付かない事にならない様、注意してくれよ」

「ええと、貰っちゃって良いんですか? 異世界の花なんて……」

「良いんだ良いんだ、たまにはこの花にも、ラフノーヌ以外の風景を見せてやりたいし。その代わり、大事に育ててやってくれよ」


 鉢と巾着を受け取りながら、唯華は“ネームレス”の表情に少し翳りが差すを捉えた。やはり、この此岸花とやらは、彼女にとって思い出深い花なのだろうか。


「じゃあ、そろそろ時間だ。鶏の声が鳴り渡るより先に、あんたを元の場所に戻してやらんと」

「もうお別れの時間ですか? あの、また会えるでしょうか」

「さぁ? そんな事は分からんよ。だが、別れの言葉にはこれを使おう──『また会おう』、と」


 そう言いつつ、“ネームレス”は両手の人差し指と親指で輪っかを作り、それを口の前に持って来て、フゥッと息を吹き込んだ。するとまるでそこに石鹸の膜でも有ったかの様に、ぷわりと一つのシャボン玉が生まれた。

 それは唯華の顔の前まで漂って来ると、鼻の頭に触れて弾けた。すると、頭蓋骨の中に直接手をねじ込まれて脳を揺さぶられたような、思わず呻き声を上げたくなる衝撃が襲いかかる。


「うあっ……!? な、なに……」


 どんどんと意識が遠くなり、しかと腕に抱いた鉢の感触も薄れていく。視界も靄に包まれたかの様に、白く薄らいで曖昧になってゆく。ぐわんぐわんと響くような気持ち悪さから逃れる為に、彼女は遠ざかる意識を引き留める事を止めた。




 外から、随分と早起きな鳥たちがさえずり合う声が聞こえる。カーテンの隙間から差し込む光に目を瞬かせると、唯華はむっくりと緩慢な動作で身を起こした。


(妙な夢を見たな……ううう、きもちわるい。あたまいたい……)


 ハッキリと残っている夢の記憶と、終わり際に感じた衝撃に、唯華は軽く頭を抱えた。そうしつつ、片手で枕元のカーテンを開ける。薄ら明るい空に目を細めながら、視界を邪魔する髪を脇へと除けた。

 そうしつつ、窓とは反対側の、左の方へ目を移す。すると、枕元の机の上に、信じ難い物が存在していた。眩しさも忘れて眼を見開き、つい声が漏れてしまう。


「……ゆ、夢だったけど、夢じゃなかった……!」


 そこには、異世界の花が植えられた鉢と、薄紫色をした巾着袋が置いてあったのだ。白と赤の彩りを放つ不思議な雰囲気の花に、唯華は思わずぽかんと口を半開きにしてしまっていた。


挿絵(By みてみん)

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