第二十二話・からっぽの追想
“意志”というものは、しばしば人々に信奉されて来た。そも、“意志”はこの世の全てに宿っているモノなのだから、何を神として崇めようと、“意志”を信奉する事になるのだろうが。
さて、近代、“意志”というものの存在が明らかになり、人々に周知され始めると、それを神として崇め奉る新興宗教などが出始めた。一時はブームになったりもしたが、今はすっかり鳴りを潜め、他のカルト宗教と同レベルの扱いにされている。
また、“意志”教ブームに伴って、既存の宗教の信奉対象すらも“意志”であるとし、“意志”を敬わない者は信者に値しない、等と言いだす過激な宗派なんてのも出て来たりもした。現在もこれに関わるいがみ合いは続いており、関係者の悩みの種となっている。
同時に、宗教というものに組み込まれてしまったからか、一般人の“意志”に対する認識が、幽霊等に対するような、そういうオカルティックなものになってしまった。特に臼木でのその傾向は顕著で、“意志”なんてものの実在を信じる者は、基本的にオカルトマニアか何かとしか見られないのだ。
「や、やっと接触出来た……あの上月の糞爺め、契約の改変なんぞしやがって……! ボクたちがどれだけ契約に縛られてるか、分かってるくせに!
……とと、キミが“人の死”で間違いないね? じゃあ皆、人形態になって!」
「は、はいっ」
「りょーかい」
その中で一際大きく、貫禄のあるモフモフの竜が号令すると、彼らは一斉に人型を取った。そして、モフモフが変化した、胸と腰に最低限の布だけ巻いた格好の少女が、彼を手招きする。付いて来いと言っているのだろうが、枷と鎖が邪魔をして動けない。
「これは……ううむ、服従の魔法か。上手く乗っ取れるかなぁ……」
「あの……そ、それなら、ぼくの方が……と、得意、かも……」
「ヤァか、頼む」
引き連れられて来ていた二体の竜のうち、ヤァと呼ばれた、淡い青の髪を持つ少年が、鎖によって彼を繋ぎ止める魔法陣に手を翳した。エルフのそれの様にも見える耳をピコピコと動かしながら、神妙な顔で陣へアクセスする。
「やっぱ……臼木の魔法は、一癖ある……だ、だけど、ぼくにかかれば……ちょ、ちょろいもんだぜ?」
「ヤァちゃん、かっこいー」
そんな合いの手を入れるのは、もう片方の竜。彼女は頭部を長い布でぐるぐる巻きにし、右目以外を殆ど覆い隠してしまっている。身体の方も大量の布で巻かれ覆われており、この種族のファッションセンスは本当何なのか、と言いたくなる。
野次を入れられながら、少年は魔法陣を弄くり回す。するとやがて陣の色が変化し、術式はヤァの制御下に落ちた。すると鎖が気持ち緩み、身体が有る程度自由に動かせる様になる。
「よし……出来た。シィさん、行ける……」
「ん。──“ネームレス”!」
少年の声を受け、シィと呼ばれた半裸の少女は何やら声を上げた。すると、何処からとも無く一つのシャボン玉のようなものが漂って来て、少女の目の前で弾ける。それと同時に、周囲の空間が歪む。
そして、やがて歪みが極まる。そうして風景が変化すると、先ほどまで戦場に居た筈なのに、いつの間にか手入れの行き届いた庭園の中に来ていた。
「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
「ふうむ、この“御柱”は随分と重症よの。おおい、“名無し”よ、一先ずこやつに部屋を用意せい」
聞こえて来た声に辺りを見回せば、あのエルフの魔法使いの女性の姿も有った。彼女は彼の姿を認識すると、また一層怯えて頭を抱えてしまったが。その隣には、真っ黒な髪と肌に目隠しをした、妖艶な女の姿も有る。あの時別の方向へ向かった、黒い竜の化身であろうか。
そんな彼女たちの元に、すっかり疲れきった様子をした、白い髪の少女が現れた。彼女はさっとエルフの女性を軽々と横抱きにしつつ、シィたちにも目を向け声を張り上げる。
「そこの“死神”は、ラァに任せる。あたしはこの通りとにかく忙しいからな、早くあの子の所にも戻りたいし……。ああ、この子は適当な部屋に運んどくから、シィが手空き次第なんやかんやしてくれよ」
「疲れてるねぇ、“ネームレス”……話にキレが無いよ」
「そんな事はあたしが一番よく分かってるよ! もう、こうなったら分身増やそ……足りない……圧倒的な人手、否、竜手不足……」
言いつつ、白髪の少女は一気に三人に分身し、方々に散って行った。どうやら、ここでは相当な修羅場が繰り広げられているらしい。戦争に関連する事なのだろうか、と彼は邪推する。
「──アッ、そうだ、“六つ羽根”について聞くの忘れてた!」
白い後ろ姿を見送っていると、シィが何やら思い出した様に声を上げた。その大声に反応して、先ほどとは別の白髪が、何処からとも無く飛んで来る。
「はいはい、“六つ羽根”ね。ベェ及び“クイーン”、あとゾォがなんやかんやしてるから、心配しなくて良いぜ。旧竜が二体も出りゃ、まずは奪還出来る。
ついでに、奴らの研究成果も、全部おじゃんに出来るさ。ケケケ、楽しみだぜ」
「そっか、取り返せたならボクにも教えてよね。つか、本当に分身増やしまくってるね……反動、大丈夫なの?」
「ハハッ、三年くらい死ぬと思ってる」
「うわあ」
必要な説明を終えれば、彼女は再び他の仕事へ向かって走って行く。手持ち無沙汰にそれを眺めていると、不意に鎖を引っ張られた。真っ黒な女が、魔法陣を少し手繰り寄せたのだ。
「ならば、ヤァとキュゥはヌトスに行って来ておくれ、あの国のレルザという山に、隠居しておる“客”が居る。そやつを保護するのじゃ」
「わ、わかった」
「あいあいさー」
「シィよ、そなたは早う“御柱”の所へ行ってやれ。良いな?」
「う、うん。そうするよ」
「うむ。妾はこやつの封印をどうにかするからの」
シィに連れられていた二人は、このラァという真っ黒な女の命令に従い、仲良く手を繋いで走り去って行った。シィの方も、先ほどエルフの女性が連れて行かれた方へ歩き出す。
「はてさて、上月も面倒な事をしてくれたものじゃ。後でガッツリ絞らねばな……。“死神”よ、少し痛むかもしれぬが、堪えろよ?」
残された彼に、同じ様に残ったラァが声をかけた。あまりの急展開に頭が追いついてない彼は、特に応答も出来ず固まっている。しかし、ラァはそれを特に気にする様子も無く、気怠げに溜め息を吐きながら、彼を戒める魔法陣に手をかけた。
「我らが死に物狂いで築いた封印を、このように悪用されるとはのう。全く、悲しい事この上無いわ。
……術式を複雑にし過ぎたかの。無闇に解除しようとすれば、“禍神”の方まで解放されかねん」
枷の辺りで、ちくちくと痛む感覚がし始めた。彼女はぶつぶつと独り言を呟きながら、一つずつ術式をほどいていく。しかし有る程度手を進めた所で、彼女は両手を挙げて、軽く天を見上げてしまった。
「はぁ、やはり妾では無理か。こうなったら、“総意”の方に任せるしかあるまい」
一先ず、いい加減視覚的に煩わしかった魔法陣と鎖だけは、見た目のみ消す事が出来たようだ。しかし封印自体は、殆ど緩んでない。内心、頼りにならない竜だな、と思いつつも、彼は表情を動かさなかった。
「おおい、“死神”よ、聞いておるか? 一先ず、お前は適当な部屋で待っておれ……“名無し”!」
「はいはーい、分かってるぜ。部屋ならたっぷり用意してある」
「うむ。落ち着いたら、そなたの今後についても決めよう。……すまぬな、ろくに力になってやれず」
項垂れるラァに、ああコイツも相当疲れているのだな、と彼は思った。彼女の呼びかけに応えて現れた、“ネームレス”だか“名無し”だか呼ばれている白髪に連れられつつ、ヒリヒリと痛む左目周りを、片手で覆う。
「ああ、本当に頭が痛いのう。……奴らも、我らがはらからにさえ手を出さなければ、ここまで我らが出しゃばる事もなかったのに」
離れて行く中聞こえた、溜め息混じりの彼女の台詞が、何となく印象に残っている。
どれ程の時間、与えられた部屋でぼーっとし続けたのかは、覚えていない。ただ、数分、数時間で済むレベルではなく、数週間は経ったのではないか、と不確かな時間感覚の中で思っていた。
時折竜族がやって来て、何やら話しかけて来たりもしたが、簡単な相槌以外に殆ど語彙を持たないので、まともな会話は成立しなかった。やがて少しは話せる様にもなったが、その頃には竜族も興味を失い、殆ど彼を訪ねに来なくなってしまった。
ひたすら椅子に座ったまま俯き続け、たまに部屋の中を歩き回るだけ。培養槽の中で過ごした日々と、何ら変わらない。それ自体は苦痛ですら無いが、自身が本来あるべき場所に戻れない、その事実がひたすら歯がゆかった。
そして暫く経って、ラァとかいう真っ黒い竜と、シィと名乗る露出狂の竜が、再び彼の前に現れた。ようやく彼女らの修羅場も一段落したらしく、先日より随分とましな表情をしている。
「色々協議した結果、キミの封印については、時間とキミの同胞に任せる事になった。ボクたちでは、キミの封印を解こうとすると、“禍神”まで一緒に解き放ってしまいかねないんだ。
ああ……“禍神”ってのは、あのエルフたちがその封印の維持をしている、なんだかよく分からない邪神だ。その封印の一部を利用する形で、キミはその身体に縛り付けられている。
今ボクらがキミの封印を解こうとすれば、ほぼ確実に“禍神”まで一緒に出て来てしまう。今“禍神”が目覚めてしまったら、今度こそ世界を終わらせるしかなくなる。だから、“総意”の力に任せるしかないんだ。
……“総意”が上手くキミだけを解き放てる確率は、おおよそ五割。かかる時間は、大体残り50年。それまでの間、キミには『烏山』って所に居てもらう」
一切喋らない彼を相手に、シィは淡々とこれからの道程の解説をした。そのふざけた格好と裏腹に、表情と声音は真剣そのもので、凄まじいギャップだな、などと考えていたのを覚えている。
説明を受け終えた彼が、無言のままこくりと頷くと、ラァがその手に掴んでいたシャボン玉のようなものを解放した。それはふよふよと漂い、そしてバチンと弾ける。するとあの時の様に景色が歪み、また別の場所に出た。
出た場所は、鬱蒼とした茂みに囲まれた、山奥の何かの館であった。長らく使われていないらしく、庭だったと思しき部分には雑草がぼーぼーに生え、おまけに外壁には蔦が這っている。
「あれから色々試して、召喚・服従は完全に打ち消せたが……束縛の部分は、中途半端にしか解除出来なんだ。故に、その部分を書き換え、そなたの鎖を繋ぐ場所を、魔法陣からこの館自体に変更する。
自由に出歩けるのは、精々この山の中くらいになるじゃろうが……不可視状態の魔法陣を動かす者が居なければ、その場から数mも動けぬ今よりは、ずうっとましであろう」
そう言いながら、ラァが中空に手をかざす。すると見えない状態にされていた黒い鎖と、それを繋ぎ操る魔法陣が再び現出した。そういう色の手袋なのではないか、と思う程の灰褐色をした指を動かし、ラァは陣から図形を消したり、書き足したりしていく。
「……“御柱”を恨んでくれるなよ。悪いのはあやつではなく、上月──そして、そなたを“総意”から切り離す暴挙を止められなんだ、我らなのじゃから」
そう呟きながら、最後に魔法陣を全て消去する。すると、鎖が半ばで千切れ落ち、全身を覆っていた怠さが一気に消え失せた。右目だけ見開いて、手を握ったり開いたりしていると、シィが口を開く。
「じゃあ、ボクたちはこれで。……ボクがこの山に近づくと、封印の礎にしてるボクの腕と反応して、少しずつ封印が緩んでしまうんだ。あまりここには来れないけれど、それでも時々使いは出すから」
そう言って、シィは竜の姿へと転変し、立派な猛禽の翼を羽ばたかせて飛び立っていった。それを横目に、ラァも自身の影の中へと融け崩れて消えてしまう。
今度こそ、たった一人で残された彼は、ぼんやりと館を見上げた。何分も、何時間も、何日も、ただそこに突っ立って、口を半開きにして、見上げ続けた。
それから数日有り、彼が切り離されてから50年あまり経って、ようやく“総意”からの接触が有った。
どこからともなく不定形の影のようなものが現れ、まるで置物のように立ち尽くし続ける彼に、無数のノイズが入った聞き取り難い声で話しかける。彼は身体を動かさないまま、目だけ動かしてその声に耳を傾けた。
『ア、ら──コ、ヴ、これは“星の精”。切り離されたお前と会話する、その現象の“意志”──ババ、バババッ……。
封印は解くのに時間がかかる──ア、ア、ヴアッ──でも、不完全になら、今でも解放出来る──デボッ、他の“死”で穴埋めはもう限界──じグぁ』
影が、彼を縛り付ける枷たちに触れる。すると、すうっとそれは消え失せ、相変わらず肉体からは離れられないものの、行動範囲の制限が無くなった事が分かった。“星の精”は驚く彼の手を取り、ふわりと彼ごと浮かび上がる。
『──日に数時間であれば、こうして自由に動かさせる事が出来る。その間にはお前にも働いてもらって、封印解除までの穴埋めをしてもらう。いいね?』
同時に、朧げながらも他の“意志”や、“総意”の声も聞こえ始めた。久々に感じる一体感に、彼は赤い片目を見開きながら、こくこくと頷く。
限定的ながらも、ようやく自身の使命を果たす事が出来る。心臓の鼓動が早まり、呼吸が少し深くなった。引き攣る顔の肌に苦節しながらも、彼はこの身体で初めて笑顔を浮かべた。
そうして彼は、“死神”として働く事が、限定的ながらも出来る様になった。一日を館内のどこかでぼーっとして過ごし、“星の精”が呼びにくれば、封印を一時的に解除してもらい、そして死すべき人たちに死を与えに行く。
それ以外には、何も無い日々。館には様々な物品が残されており、中には娯楽なども有ったが、彼にはそれで遊ぼうと思うだけの自我が無かった。
自我の器、心という感情の容器、そんな物が自分にも備わったらしいというのは、何となく理解していた。“意志”であった頃にも、それに近い役割の何かは存在していたが、人間の持つそれとは全く別物であり、故にいまいち使い方が分からなかった。
これを普通に認識し、有る程度御せるようになれば、彼は人のそれと変わらぬ魂すらも得られるのだろう。そうなれば、また新しい世界が見えるのかもしれない。
しかし、心を揺れ動かす程の出来事も、動いたとしてそれを正確に認識出来る程の能力も、彼には無かった。日に一度、“星の精”がやって来る時には、歓喜していたのかもしれないが。
数年に一度くらいの頻度で、あのシィという竜が彼の元にやって来る事も有った。最初の数回は、その傍らに、紫水晶の六つ羽根と、煌めく銀の鱗を持つ若い竜が居た事も、彼はぼんやりと記憶している。そちらの方とは、この機会ではついぞ会話する事も無かったが。
「……キミ、相当にだらしない生活送ってるんだね。せめてちゃんと服くらい着なよ、髪の毛も整えないと」
最初に訪れたシィは、呆れがちにそう言うと、あれよあれよと彼の身なりを整えて行った。以前この館に住んでいた者が残したらしい、謎の文字列が入ったTシャツと、彼のサイズに合うジーンズを着せられ、伸び放題だった髪も有る程度整えられる。前髪を器用に分けて、使い物にならなくなった左目と火傷を覆い隠す髪型にされた。
そうして姿見の前に立たされれば、そこには初めてまともに見る自分の姿が映し出された。『バイオリン』と書かれた白いTシャツを着て、無表情を保ち続ける中肉中背の男。成る程、自分はこんな顔をしていたのか、とは思ったけれど、それ以外に何の感慨も湧かなかったが。
「うんうん、大分マシになったね。……それにしても、本当喋らないのねーキミ。なんか言ってみてよ」
「……何、を」
「あ、喋った。喋れないわけじゃないのね」
「……」
こんな具合で、シィは何かと話しかけたり、ちょっかいをかけて来た。この竜が一体何を思って構って来るのか、彼には全く理解出来なかった。竜たちとしては、もう彼の事は別に放っておいたって良い筈なのに。
その事を問えば、次のような返答が返って来た。
「ただ単に、引け目を感じているだけだよ。キミが封印されるのを防げなかった、その事にね。
なんて事は無い、自己満足なんだよ。竜の総意を代表して、ボクがキミにお節介している、ただそれだけの事さ」
何処までがシィという竜の意志で、何処からが竜全体の意志なのか、その境界線は分からなかった。ただ、拒否する理由も無いので、彼は無関心にこの世話焼きを受容していた。
数年に一度のシィの来訪以外、何の変化も無い日々が、数十年続いた。
無為に過ぎる日々を寂しいと思う事も、苦しいと思う事も、最早無かった。静かに待ち続けさえすれば、“星の精”が彼の封印を解いてくれる。そうすれば、長かった“人の死”の沈黙も破られ、この世界の人々がまた正しく死に始めるのだから。
遂に心は揺れ動かず、自我も曖昧なままだったが、別にそれで困る事も無い。正しい姿に戻り、正しい巡りを紡ぎ出す、ただそれだけが彼の存在意義。ノイズの多い人の精神の中であっても、彼はその認識を違えなかった。
──そんなある日、あの“異触”が起きたのだ。
地名元ネタ
ヌトス→スイス
レルザという山→モンテ・ローザ




