第二十一話・100年前の自分へ
この世界には、“神”と呼べる存在が実在している。
しかし、その詳細や正体は未だ全貌を掴めておらず、まだまだ深い謎に包まれている。通常の宗教のそれと区別するため、またよりそれを正確に言い表すため、人は『彼ら』を“意志”と呼称した。
“意志”とは、即ちアルシードという惑星の意識そのものである。全且つ一、個体であり集合体でもあるのだ。群体的な魂たるそれは、この世に存在する全てに宿っている。
動物や植物、ありとあらゆる物体はおろか、事象・現象などにも“意志”は宿っている。人間の意識すらも、『彼ら』の一員でしかないのだ──とされているが、これには賛否両論有る。感情的に、それを認められない者が多いのだ。
人間とは全く異なる存在である“意志”と、まともにコンタクトを取る方法は、現状無い。有るには有るが、向こうを無理矢理人間の形に落とし込み、そして封じ込めるだとか、何百人もの人間の魂を束ね融合させ、“意志”と同レベルにまでこちらの意識を昇華させるだとか、とにかくろくな方法が無い。
“意志”の一欠片を切り離し、人型に押し込める事に成功した例も一つだけ有るが、その事実は闇に葬られ、忘れ去られている。故に、アルシードの人類は、『彼ら』との対話にすらこぎ着けていないのだ。
いつも通りの日々。館で、あの“異客”の娘と共に過ごす、穏やかで鮮やかな日々。それが、ずっと続くものだと思っていた。
テナはその日も“仕事”を終え、昇りつつある朝日に照らされながら、“星の精”と共に館へ戻る帰り道にあった。
バケツは既に“納品”し、得物の方もとっくに消してしまったので、今は手ぶらだ。上着は暑苦しいので着ておらず、ただ『トランペット』と書かれたTシャツが露になっている。
今日も、沢山人間が死んだ。その死因は様々だが、最後にはこのテナの手によって、自身に宿っていた“意志”の根幹たる部分を抜き取られ、そして死んだ。これまでは何とも思わなかった事実が、何故だかぐさぐさと胸に突き刺さる。
『おめでとう、“心臓”。封印が解けたよ』
そんな思考の最中聞こえた、“星の精”の唐突な言葉に、テナは赤い眼を見開く事しか出来なかった。急に驚く程明瞭になった相手の声に、困惑を隠し切れず、首元に触れる。そこに、首輪の感触は無い。
「……急、だ。聞いて、いない」
『聞かれなかったからね』
「……すぐに、オレは……戻る、のか」
『そうなるよ──って、ちょっと!?』
“星の精”が、彼の手を掴もうとする。しかし、テナはそれを振り払い、そのまま“星の精”を置き去りにして館へ駆け出した。彼を引き留める声が、後方から響き渡る。
(戻る……)
元々有るべき場所に、還る。“意志”の欠片である彼にとって、喜ばしい事である筈だ。しかし、だというのに、テナは、素直にそれを喜べずに居た。
それは即ち、『テナ』というこの人格の消滅を表す。“死”という現象にとって、人間の身体や人格は煩わしい足手まといでしかない。元の場所に戻るとなれば、“総意”は容赦なく『テナ』を抹消してくるだろう。
(いやだな……)
そうなれば、今有る記憶も、感情も、思考も、全て白紙にされてしまう。もう二度と、この人間の精神と身体には戻れない。
ふと前方に目を移せば、そこにはいつものゴシック建築の館が有った。まだ朝は早いが、もしかしたら唯華はもう起きているのかもしれない。だとすれば、彼が玄関を潜れば、忙しなく駆け寄って来て、『おかえりなさい』と言ってくれるのだろう。
(何故、オレの正体を知りながら……そんな事を、言える?)
夜遅くに出掛け、朝になって帰って来る彼に、唯華は帰還を歓迎する言葉を口にする。何をしに出掛けているのか分からない程、彼女も鈍くはないだろうに。そう、彼の正体が、“人の死”に宿っていた“意志”だと知っても、彼女は特に態度を変えなかったのだ。
しかし、あの時は自分の全てを受け入れて貰えた気になっていたが、実際はそうでもないのかもしれない、という疑念が湧く。
彼が“死神”として“仕事”をしている場面を、実際に目の当たりにしていないから、あんな事が言えたのだ──そう考えてしまう。その場に居合わせ、そして直接見てしまえば、彼女も言葉を翻してしまうに違いない。
いくら異世界人とはいえ、自分と似た姿をした生き物を殺めるテナの姿を見たら、唯華も恐れをなすだろう。あるいは泣き出し、逃げ出すかもしれない。
(……オレが、“死神”じゃなかったなら、良かったのに)
そうすれば、大手を振って彼女と一緒に居られたのに。共に在り続け、隣に付き添い、最後まで同じ道を歩む事だって、出来たのかもしれないのに。
(いやだ……消えたくない)
背後からは、彼を追いかける“星の精”の気配と、それが呼ばわる声がしてくる。追いつかれれば、その時は今度こそ連れ去られてしまうだろう。
心臓が鎖で締め付けられたような、そんな痛みが走った。恐ろしくて、恐ろしくて、自ずと表情が険しくなる。
“星の精”から更に遠ざかる為に、彼は足を踏み出した。玄関の扉を目指し、砂利の敷かれた庭を横切る。
テナが現在思い出せる記憶は、100年程前、何かの液体に満たされた培養槽と思しきケースの中から見た光景が、最古のものだ。それ以前の記憶は、現在人の精神に押し込められている状態では、ハッキリと想起する事が出来ない。
数人の白衣に身を包んだ人間と、古くさい和服を着たエルフの老人、そして虚ろな目をして俯く、緑の黒髪を持つエルフの女性。ガラス越しに捉えた最初の情景は、そんな彼らが並んでいるものであった。
赤い両目を見開き、数度瞬きする。ここは何処だ。今、自分はどんな状況下にいる。曖昧模糊な意識では、確かな状況把握も、正しい判断を下す事すらも出来ない。
「意識レベル上昇──やった、16号、覚醒しました!」
「よし、良くやったぞ! おい、美矢、さっさと封印をしろ!」
そうしていると、老人がエルフの女性の足を蹴り、前へと進み出させる。軽くつんのめった女性は、背筋を伸ばしてケースを見上げると、何やら一言呟いて、その手に長大なねじくれた杖を喚び出した。
「……んね……わた……せい……」
そんな不明瞭な呟きが有ったかと思うと、すぐに打って変わって明瞭に念じ唱え始めた。彼女は杖を両手で捧げ持ち、はっきりとした声で詠唱する。
すると、一糸纏わぬ全身に、びりびりとした刺激が走り始めた。それがあまりに不愉快で、詠唱を止めさせようとガラスを叩く。しかし、全力で殴ってもガラスはビクともせず、ただ白衣の人間たちが怯えただけだった。
「ひ、ひいっ!? や、やっぱ、怒ってる……!?」
「怯えるな! この程度で壊れる程、魔術強化ガラスはヤワじゃないからな」
何か声を出そうと口を開いたが、肺の中にまで液体が入り込んでおり、上手く声帯を震わせる事が出来なかった。そうこうしているうちに、全身の痺れが移動し、首と手足に集結し始める。
やがて痺れは痛みとなり、首や手足を無数の棘で突き刺されているような錯覚を覚える。必死にケースを叩いたり蹴ったりするが、全くヒビさえ入らない。
暫く痛みに苛まれていると、ふとそれが消え、同時に曖昧さが顕著だった思考が一気に明瞭になった。何事かと腕を見ると、その手首には黒い金属製の枷がはめられていた。同様に、先ほどまで痛みの有った場所全てに、枷が着けられてしまっている。
「……封印、終わりました」
「フン、なら、次の段階に移行するぞ。早速始めろ」
「はっ!」
老人に伴われ、一人の監視役の白衣を残して、彼らはどこか別の場所に行ってしまった。明晰になっていく思考とは裏腹に、身体は重く動かせなくなっていく。両目を閉じながら、彼は自身の置かれた状況を、何となく理解し始めていた。
常に共に在った筈の“総意”の気配が、無い。隣り合っていた“誕生”や、同業である他の“死”の声も、聞こえない。元に戻ろうと、この煩わしい肉体から抜け出そうとしても、枷の所為でか離れる事が出来ない。
(切り離されて、封印された)
早く彼が在るべき場所に戻らなければ、人が一切死なず、ぼこぼこと増え続けるばかりになってしまう。ただでさえ、最近は人口が飽和気味だというのに。増えるだけでは、この世界のバランスが崩れてしまう。
暫くの間、彼はケースを叩き続けたが、やがてそれすらも億劫になる程身体が重くなってしまったので、一先ず成り行きに任せる事にした。
白衣や老人たちの話を漏れ聞く中、彼は自身が造り出された理由を認識した。断片的な言葉でも、あらましを理解するには十分だったのだ。
白衣たちは秘密裏に、この臼木皇国に強大な戦力を生み出すため、人造兵士を製造する研究を進めていたらしい。それの先駆けとして、彼が生み出された。
“人の死”の“意志”を操る事が出来れば、相手が人間である限り、如何なる防衛機構も意味を成さない兵器とする事が出来る。故に、もしこの先、何らかの戦争が勃発し、それに臼木が巻き込まれたとしても、彼の存在が有れば、他の大国に引けを取らずにおれるのだ。
他にも、彼を利用する計画はいくつか有ったようだが、それが実用段階に至る前に、本当に戦争が勃発してしまった。そうして彼が実戦に投入されるまで、およそ50年もの間、彼はずうっとケースの中で過ごしていた。
50年。この星に『人間』という種が発生した、その瞬間から存在していた彼にとって、短い筈の時間。なのに、この人型に押し込められている状態では、酷く長く感じられた。
そんなある日、老人と白衣が彼のケースの前にやって来た。そして白衣の一人が、ケースの操作盤と思しき部分を弄ると、中に満たされていた何かの液体が排出される。肺の中に入っていた分をゲホゲホと吐き出しつつ、彼はこの身体に閉じ込められて、初めて空気に触れた。
「ようやく、ワシらの研究の成果を、全世界に披露する時が来たぞ。何せコイツは“意志”、ややもすれば“神”とも呼ばれる存在だ。敵は全て、コイツの存在に恐れおののくだろう」
「惜しむらくは、『ファーストアーミー』が完成しなかった事。ま、“死神”だけでも十分ではありますがね」
そんな会話を聞き、遂に自分が戦争に使われるのか、と彼は理解した。一気に身体に重力がかかり、ケースの中でふらつきガラスに衝突する。するとケースの前面部のガラスも開き、支えを失った彼は、床にべちゃりと倒れ込んでしまった。
呻きながら床に手を付いて立ち上がると、白衣が何やら黒い布を持って来て、彼の身体に巻いた。また何か封印を足されるのかと思ったが、特に魔力の気配は無く、単に全裸では格好がつかないから着せられただけなのだろう。
「さて、後は美矢が召喚術式を起動させれば」
まだ怠さの抜けない身体を叱咤し、この場から逃げ出すルートを探って辺りを見回していると、不意に視界が暗転した。錐揉み回転で投げ飛ばされたような感覚に、生まれて初めての吐き気を覚える。
「……っ!」
口元を抑えて、空っぽの胃から酸が吐き出されそうになるのを堪える。そうして再び感覚がハッキリした時には、そこは薄汚れた天幕の中であった。『召喚』という単語を聞いたのを思い出し、成る程自分は喚び出されたのか、と納得する。
今度こそ逃げ出せるだろうか、と周囲を見回したが、逃走ルートを見つけ出すよりも先に、封印の枷に黒い鎖が繋がれており、その鎖の先に独特なクセのある魔法陣が展開されている事に気付いた。片腕を軽く引っ張ってみるが、鎖は千切れそうにない。
「ご……なさ……う、うう……ごめんなさい……」
そんな、弱々しい嗚咽混じりの声が、彼の耳に届く。声の主を探すと、魔法陣の裏側で、痩身をさらに縮め込ませて震えているそれを発見する事が出来た。あの老人に『美矢』と呼ばれていた、エルフの女性の姿だった。
「ごめんなさいごめんなさいゆるしてごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいちがうものごめんなさいわたしはわるくないごめんなさいごめんなさいいやだいやだわるくないわたしじゃないごめんなさいっ……!!」
怒濤の勢いでまくしたてながら、彼女は両手を振り払った。すると魔法陣が動き、それに連動して彼の身体も動き出す。急な動きにたたらを踏むようにしながら天幕を出ると、そのまま彼は駆け出させられた。
(かなり強力な操作術式。解除も抵抗も出来ない)
抵抗して命令される以外の動きをしようとすれば、枷のはめられている部分に鋭い痛みが走る。それでもなお抗おうとしてみたが、実際に首から血が垂れた辺りで止めた。この状態で肉体ごと死ぬ羽目になれば、“死”に一体どんな被害が出るか、分かったものじゃないから。
服従させられるままに駆け抜けると、やがてどこかの戦場の最前線と思しき場所に出た。多くの“死”の気配が満ちており、生命が途絶える気配も有る。どうやら、自分以外の“死”が総出で働き、なんとか“人の死”の欠員を埋めている状態らしい。彼の登場に、“死”たちがざわめく気配がすれど、声が聞こえないのが何とも寂しい。
「な、なんじゃありゃ……」
「何だって良い! 手柄をあげるチャンスだ!」
「おい、もし民間人だったらどうすんだよ!」
「こんな所に一般ピープルが居るわけねーだろ!」
「ヒャッハァー!! 撃て撃てェーッ!!」
そんな景気のいい叫び声と共に、無数の銃弾が彼へと撃ち込まれる。あ、これは死んだな、と思った瞬間、彼の周囲に無数の防御魔法陣が展開され、銃弾を全て弾いてしまった。あのエルフの魔法使いか、と来た方を見やる。
「なっ……! クソッ、コイツ、魔法使いか!」
「司令に連絡を! 正体不明の魔法使いが出現した、と!」
魔法を使ったのは自分ではないのだけど、等と考えていると、不意に首の枷から、戒めとは違うタイプの痛みが走った。そしてその痛みは、彼という“意志”に激烈に働きかけてくる。
まだ死にそうにない者に死を与えるのは、この世界の生と死の均衡を著しく揺るがす行為だ。大怪我をして息も絶え絶えの兵士は死ぬべきだが、そうでもない元気な兵士に死は与えてはならない。だというのに、痛みはそんなルールも無視して、今ここにいる全ての人間を殺してしまえ、と訴えてくる。
「あ、がっ……ぎ」
少しの間彼は堪えたが、服従の魔術はあまりにも強力で、人間と同レベルにまで落とされた彼の精神では、逆らう事は出来なかった。虚ろな所作で片手を掲げ、その掌に巨大な鎌を作り出す。
そしてそれを両手に持ち直すと、彼は先ほどの声が聞こえて来た方へ向き、そして大きく振り抜いた。断末魔の悲鳴すらも無く、声の主たちが息絶えるのが分かる。
更に、他の人間の気配が有る場所に向け、鎌を振るう。まさに麦を収穫する様に、人から命を刈り取って行く。そうしながら進むと、不意に顔の左側に強い衝撃が有った。
「うぐっ……」
自動で攻撃する機構が作動し、彼の頭に直撃したのだ。普通の人間なら頭が弾け飛ぶような威力だったが、どうやら元々この身体は頑丈な上に、魔法による強化が入っているらしく、片目が潰れてその周囲が焼ける程度に留まる。痛いと思ったが、治療の魔法の類いはかけて貰えないようだ。
代わりに、周囲を取り囲む防御魔法の陣が、その密度を上げた。自動の攻撃がひゅんひゅんと飛んで来るが、密さを増した魔法陣に遮られるため、彼自身には届かない。
遮られて、目標に到達する前に炸裂し死んでゆく弾たちを横目に、彼は再び鎌を振るい始める。何十人も、何百人もの死すべきではない生命を殺した所で、ばさばさという羽音が上空から聞こえた。それも一つではなく、いくつも。
「──見つけたっ!! “死”だ! “禍神”の封印に組み込まれた、“死神”!!」
「あれか! “御柱”の方は!?」
「近くにいる! ラァはそっちを頼む!」
「よろしい、承ったぞ!」
見上げると、そこには四体の竜の姿が有った。その中で、真っ黒の影が竜の形を取っているような奴が、一人だけ別方向に旋回する。残った竜たちは彼を目がけて舞い降り、地面を揺るがした。
竜。“意志”たちにとって、最早切っても切り離す事の出来ない種。そんな者たちの姿を見上げて、彼は今一度足を止めた。




