第十二話・ぬくもり忘れた風の娘
竜という種族は、ありとあらゆる面で人を凌駕している。個体数こそ非常に少ないとはいえ、その気になれば人類を簡単に支配出来る彼らが、何故人と共存共栄しようとしているのか、それは誰にも分かっていない。
その叡智を以てすれば、人類を簡単に掌で転がし遊び、家畜以下に成り下がらせる事だって可能だろう。しかし彼らはそれをせず、あくまで人と同じ視座を保とうとしている。
その力を以てすれば、人類を簡単に滅ぼし壊し、今有る文明のその全てを灰燼に帰する事だって可能だろう。しかし彼らはそれをせず、人型を取ってまで人に混ざろうとする。
何故、そこまで人に好意的なのか。とある竜学者が、協力者たる竜に聞いてみた記録が残されている。その問いに対する竜の答えは、次のような物であった。
『何だかんだで、竜は人間の事が大好きなんだよ』
人の理屈や論理では、とても真意を解する事の出来ないその答は、インターネットを通じて世界中に広く公開されている。竜の人間に対する好意を分かりやすく示すため──そして、いつかこの言葉に込められた想いを理解する、竜の真の理解者が現れる事を願って。
方上市市街。ここの所は世間も長い連休──要するにゴールデンウィークに値するもの──である為に、街には賑々しい空気が漂っている。初めて買い物に出た時に訪れたショッピングモールには、今日も休日を満喫する学生や遊びに来たらしい親子連れ、様々な種類の人間が行き交っていた。
だがその中でも、彼の姿は異質であった。脱色して染めたりしても再現するのが難しいような、キラキラの銀髪。そんじょそこらの一般臼木人には真似の出来ない、欧米人じみた美形。多くの人々が好奇の視線を向けているが、彼はそんなのも気にせず笑顔を浮かべている。
人型であっても目立つ彼と一緒に居ると、良くも悪くも一般日本人としか言い様の無い姿──少し髪の色素が薄いのがコンプレックスだったくらい──で有る筈の唯華まで、凄まじく目立つ。並んで歩けば、羨望や嫉妬の混じった視線までもが飛んで来た。
「やっぱり平日にするべきだったでしょうか……」
「連休に来てしまったのは、やはり失敗デシタかね」
唯華たちはぼやきつつ、まずは食料品売り場へ向かう。週に一度はここに来ているので、彼女がムゥの契約者であるという事も、知っている者は知っている。カメラのシャッター音がどこからか聞こえて来るが、今回は無視する事にした。いちいち注意していたら、それこそキリが無い。
契約といえば、唯華はそれに対して、例えば『魂の共鳴』だとか、『血の契り』だとか、そういうもっと大仰な何かが有るものだと思っていた。しかし現実は違い、ただ『これをしてやるからあれをしてくれ』と言った単純な口約束であったり、あったとしても、普通の紙の契約書に、血判を押して貰ったりする程度が精々なのだという。
だから、唯華も本当にムゥの契約者だと言えなくもないのだ。烏山の館で軟禁生活を送ってもらう代わりに、彼は唯華の為に様々な尽力をする。そこに魔法的な力の介在はなく、結んだ約束を守る意志、ただそれだけが在る。
「次からは、しかと世間の情勢にも目を配っておきマショウ」
「そうして頂けるとありがたいです。こちらの世間の様相とかも、色々知りたいですし」
「なら、明日から適当な新聞でも買って来マショウか? ワタシの口よりちゃんとした新聞の方が、情報量は多いデショウし」
「良いんですか? なら、お願いします。でも、ムゥさんのお話も聞きたいですね」
「おやおや、アナタにそう頼まれたなら、ワタシは断れマセンねぇ」
周囲の喧噪に飲まれる程度の小声で、ぼそぼそと会話を交わす。しつつ、買い物かごを片手に提げ、今日はカレーに挑戦しようかしらと思って、彼女はカレーのルゥのコーナーへと向かい始めた。
間違いなく作れるもののレパートリーが、母の手すがら教えて貰い、そして何度か作った事の有る数品目しか無いのが痛い。一度だけ作った事が有る、程度にまで広げればもう少し有るが、そうなると確実に食べられる物が出来上がるとは限らなくなる。そういうのは殆ど、分量もうろ覚えのレベルなのだ。
後でレシピ本なんかも買おう、と決意しつつ、ムゥの財布を受け取る。いくら唯華が使っても、次に見る時にはいつも十数万程入っているそれに、彼の収入は何処から来ているのか、という疑問が湧いた。
「そういえば、ムゥさん」
「ハイ?」
「ムゥさんは、どうやってお金を稼いでいるんですか?」
「ああ、それはデスね。国との契約による物デスよ」
契約。そのキーワードを受けて、唯華の脳内に様々な推測が浮かび上がった。興味を惹かれて、大仰に頷いてみせながら彼に振り向くと、相手は数秒程黙った後口を開く。
「人はたびたび、竜の力に頼りたくなりマス。ワタシは単純に腕力が強い程度デスが、天候を操ったり、人の意志に介入する力を持つ竜もいマスからね。竜の方も、人の世界に混じって暮らすなら、色々入り用な物が出来マス。
故に、国の依頼に応える代わりに、様々な恩恵を貰うというシステムが成立しているのデス。臼木だけじゃなく、他の国でもこう言った契約制度が有るようデスよ」
「へぇ……そういう共存の仕方をしているんですか、面白いですね。依頼って、どんな物が有るんです?」
「ワタシの場合、ニンゲンには出来ない力仕事が主デス。汚染地域であったり、機械が必要なレベルであったりね。他だと、洪水になりそうな時に日乞いをしたり、薬物中毒の患者の治療をしたり、様々に有る様デスよ」
何と好奇心をくすぐる制度だろう。柄にもなくワクワクしながら、唯華はさらにムゥの経験談を引き出そうとする。相手も快く応えてくれて、災害直後の救助活動の最中、瓦礫の下から赤子を抱いた母親を助け出した武勇伝等を語ってくれた。
竜と人とが、それなりに共存している世界。人外というモノに心から惹かれている唯華にとって、流れ着いた先の世界がそうであるという事実が、とても嬉しく感じられた。
買い物を終えた後、唯華たちは一度方上市の街を歩き回ってみる事にした。シィの言っていた“異客”の少女の事が気がかりで、唯華が言い出したのだ。ムゥは少し悩んだ後、笑顔で首を縦に振ってくれた。
その為に、袋を片手に建物の地上出口へ向かう。普段は屋上に舞い降り屋上から飛び立っているので、こちらから出入りするのは新鮮だ。人の流れに乗りつつ、ムゥを前方に自動ドアへ向かう。
そうして歩いている所、他の人物が通って空いたドア目がけて、ものすごい勢いで駆け込む小さな人影が目に入った。人間を辞めているとしか思えないその速度に、唯華は少し唖然とする。
「す、凄い早さでしたね……っていうか、もしかして」
「エエ。他人が開けたドアに素早く駆け込んだ事からみるに、ニジッ……か、噛んだ。
コホン、ニシキノサンと同様に、“晶臓”を持たないタイプの“客”デショウ。追いかけマスか?」
「もちろん!」
唯華が頷くと、ムゥはまず駆け足で出口へ走った。デパートの外に出た後、きょろきょろと辺りを見回し、遠くへ駆けて行く後ろ姿を捉える。すると、彼は非物質の六つ羽根を顕現させ、軽やかに空中へ飛び上がった。
そんなムゥの事を、唯華はひぃひぃ言いながら追いかける。以前よりは体力が付いた気もするけど、竜たる彼の体力には到底追いつけない。通行人にぶつからない様気をつけながら、彼女は必死に走った。
しかし暫定“客”の少女の足は凄まじく早く、体力テストではいつでも下位だった唯華では、どんどんとその姿が遠ざかるばかりだ。もう捕まえるのはムゥに任せよう、と、走りから段々歩きへシフトする。
だが、“客”の少女の走りは思わぬ介入によって止められた。遠くて良く見えないが、どうやらムゥより先に誰かに捕らえられてしまったらしい。ムゥがその場に舞い降り、何やら仲裁を計っているようだが。
かなり遅れて、唯華もその場に辿り着いた。ぜぇぜぇと息を整えながら、彼らに声をかける。
「あのっ、どうしたんですかっ……ぜぇっ、その子は、“異客”で……」
「何だ、お嬢ちゃん。そこの泥棒が“客”だって?」
少女を捕らえたのは、正義感の強そうな壮年の男性であった。彼の口ぶりからすると、彼女はどうやら何かを窃盗したらしい。両手を纏めて掴み上げられ、少女は聞いた事も無い言葉で何やら喚いている。足元には、大量のパック肉がばらまかれていた。
「デスからね、その子は悪気が有ったわけでは無いと思うのデス。恐らく、こちらとは常識の違う世界から流れて来たのデショウ」
「だからと言って、泥棒を許すわけにはいかない。このまま警察に突き出すぞ」
「突き出すべきは警察じゃなく、市役所じゃないですか? “異客”を保護してもらう手続きは、そこでするのでしょう?
第一、彼女はわたしたちの言葉も理解出来ない様です。その状態でこちらの常識を説き、意味も分からぬ内に謝らせた所で、無駄でしか有りません。こちらの言葉と倫理観を覚え、その状態で改めて謝罪をさせなければ、意味が無いのです。
ですから一先ず、その子の事は我々に任させて頂けませんか? こう見えてもわたしは契約者ですから、“客”に関してはそれなりに慣れているつもりです」
唯華の場合、アルシードと然程変わらない世界、臼木と殆ど変わらない国から来たから、その辺の問題は皆無に等しかった。しかし、ぼろぼろの帽子の下から泣きそうな顔でこちらを見上げる少女は、心の底から怯えている様に見える。きっと、彼女の目には、唯華たちの事など『意味不明な事をしゃべくる化け物』の様に見えているのだろう。
少女を怯えさせないため、努めて険しい表情を取らない様にする。契約者云々は正直出任せに近かったが、男性の方も納得しかけ、少女を拘束する手を緩めた。しかし、それがいけなかった。
「デストラ!」
「あっ、ちょっ……待ちなサイ!」
何やら叫び、凄まじい腕力で拘束から逃れると、少女は再び逃走を開始した。ムゥが即座に反応して追跡を開始するものの、それでも追いつけない程に素早く逃げ去る。
唯華は戸惑う様に、少女の逃げ去った方向と捕まえていた男性を交互に眺める。その後、唯華は深々と頭を下げ、そしてこう言った。
「すみません! そこのお肉、お店に返しておいてくれますか! わたしはあの子を追いかけますので!」
「え? ……お、おう」
戸惑いながらも、男性は了承の返事をした。それを聞いた後、唯華は買い物袋を強く握りしめ、ムゥの向かった先を目指す。相変わらずすぐに息切れを起こし始めるが、それでも彼女は止まらない。
「スミマセン。見失いマシタ」
すっかり落ち込んだ様子のムゥが、唯華の目の前に居た。先ほどまで彼が飛んでいたのを目撃した人たちが、ざわざわとこちらを見ている。
周囲に件の“客”の気配は無く、完全に逃げられてしまったらしいという事が分かる。あまり疲れた様子の無いムゥは、しかし大げさに溜め息を吐き、肩をすくめた。
「……さて、どうしマス?」
「とりあえず、日が暮れるまでは探しましょうよ。あの子の素早さは凄まじいものですが、子供ですから体力は多くない筈です。今は、どこか近くで休んでいると思います」
「何とも希望的な観測デスねぇ。ま、あまり遅くなるとテナサンも心配するデショウし、程々に。
ああ、荷物はワタシが持っておきマス。落としたりしたらイヤデスし」
「は、はい。お願いします」
ムゥは左腕を突き出し、その部分だけを竜の時のヒレのような姿へ変化させる。こういう器用な事も出来るのか、と少し感心しながら、慎重に平たく短い爪に手持ち部分を掛けた。
受け取ると、彼は腕を元の姿に戻す。そして空を見上げ、頂を過ぎ東へ向かい始めた太陽を眺めた。
「手分けをして探しマショウ。空が焼け始めたら、デパートの前に集合デス」
「そうですね、分かりました。では、わたしはあちらの方を探して来ます」
「ええ。ま、街中デスし、危険は無いと思いマスけど……何か有りマシタら、すぐに大声を出してくだサイね」
唯華とムゥは、それぞれ別の方向を目がけて歩き出す。それどころじゃないのは分かっているが、久しぶりに街中を歩くという事に、一抹の懐かしさを抱いていた。
(ああ、カラオケ……松本さんたちと約束していた……)
途中、カラオケボックスの看板を目の端に捉え、あの大災害の直前話していた内容を想起する。その中に入って行く、唯華と同年代らしい少女たちの一団を眺めながら、様々な感慨の入り混じった溜め息を吐いた。
あまり感傷に浸っていても、苦しいだけだ。幸い、今は“異客”の少女を探すという目的が有る。それに傾倒するため、唯華は無理の無い程度の駆け足で道を進み始めた。




