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異界と竜の逆ハーもの  作者: 夢山 暮葉
第二章・祝呪封神
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幕間一・欠けた雨の音

 暖かな水の中に溶けいっているような、ひんやりとした氷の上に横たわっているような。そんな、これ以上なく心地の良い世界の中で、彼女は揺蕩としていた。

 沢山の声が、見た事も聞いた事も無いような言語で、引っ切りなしに囁き合っているのが聞こえる。その声はまるで森の小川のせせらぎのよう、風に揺れる草原の緑のよう。時折、水煙を上げて注ぐ滝の様に、大嵐の中で暴れ狂う稲妻のように荒々しい声も混じる。

 唯華は、彼らの言葉の文法や法則を知っているわけではない。だと言うのに、何故だか彼らの交わす『想い』を解する事が出来た。


『今日はたのしかったね』

『たくさんお花が咲いたね』

『どんな種をむすぶのかな』

『明日はどんなお花が咲くのかな』


 ある集団が、とても楽しそうにそんな会話をしていた。その姿を捉えようとして、必死に目を凝らす。するとそれに伴われて、全身の感覚が鮮明になり始めた。

 まさに春の陽気のような暖かな日差しが降り注ぐ、地平線の彼方まで広がり続ける花畑。彼女でも名前を知っている花から、見た事も無いようなものまで、様々な種類の花が銘々に咲き誇っている。その花畑の上に、唯華はゆらゆらと浮遊していた。

 浮いている事に、然程疑問は覚えない。アルシードに来てから色々と感覚がマヒしてしまって、多少不思議な事が起こっても、大概すんなりと受け入れてしまえる様になった。

 しかし、疑問を覚える事柄が無いわけではない。ここは何処なのか、何故ここに来てしまったのか、彼女には思い出す事が出来なかった。


『あれあれ、そこの“意志”はだあれ?』

『知らない“意志”だー』

『見たこともない“意志”だー』

『まいごなのかな?』


 唯華の存在に気付いたらしい声の主たちが、わらわらと彼女の元に集まって来た。遠目に見ていた時は、不定形の光の塊のようにしか見えなかったが、近くに来るときちんとした人型に見えた。その姿からは、ふんわりと花の良い香りが漂う。くるくると唯華を囲み、彼らは口々に囁き合う。


『ここは“春”のおにわだよ』

『あなたは“春”の“意志”じゃないよね?』

『はやく元のばしょにもどってあげなよ』

『きっと仲間がしんぱいしているよ』

「……はる、の、にわ……?」


 疑問符しか浮かばない。首を傾げて黙り込む彼女に、彼らはとても心配そうな顔をして、互いに視線を合わせ合う。


『ぼくたちは花を咲かせる“意志”』

『草花や木々の生をつかさどる“意志”』

『わたしたちが居るから、花が咲く』

『そしていつしか実をむすぶ』

「は、はぁ……」


 いまいち真意を汲み取れず、間抜けな返答しか出来なかった。相手もほとほと困り果てた様子で、なんだか申し訳なくなって来る。そこで、とにかく何かを言おうとしていると、不意に空に暗雲が立ち込め、花畑に注いでいた光が途絶えた。

 雨でも降るのだろうか、と暢気に思っていたのだが、囁き合っていた彼らは一斉に悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らす様に逃げ出してしまった。何か不味い物なのだろうか、自分も逃げた方が良いのか──そう考えた矢先、空から黒い雨が降り注ぎ始めた。

 雨粒が花に触れると、その花弁が瞬く間に腐り落ち、葉も茎も枯れ果て崩れた。そんな粒がざあざあと降り注ぐ物だから、花畑は堪った物ではない。たちまちのうちに、大地を覆い尽くしていた花々は全て枯れ落ち、跡にはひび割れた漆黒の大地が残された。


「ひ、酷い……」


 思わず、そんな感想が出てしまった。雨は唯華には害を及ぼさないようだったが、あの見事なまでの花畑が一瞬の間に消え去ってしまった事に、酷く切ない気持ちを抱いていた。あの囁き合う人たちは、無事に逃げ延びられたのだろうか。


『酷い?』


 ふと、彼女の足元から、地の底を轟き渡るような声が響いて来た。同時に、天と地の境界が狂い、上下感覚が曖昧になり始める。全身が思いっきり揺さぶられ、どこかに頭をぶつけてしまわない様にするのが精一杯であった。


『非道いのは……この我では無い。我である筈が無い』


 黒い大地が振動し、この声の主の想いに応える様に、その姿を変える。そして現れたモノは、人間の感覚では到底捉えきる事の出来ない、巨大で強大な超高次意識であった。

 自身の理解の範疇を大きく上回る存在に、唯華はただ恐怖し、震えるしか無かった。人間の矮小な精神では、『彼』を正確に理解する事なぞ不可能なのだ。仮に理解してしまったなら、その瞬間には最早元の存在には戻れなくなる──本能的にそれを悟った彼女は、思考を停止させていた。


『返せ。この我の、“心臓”の片割れを』


 何を言っているのだろう。最早氷結した精神は、その声に秘められた、延々と何処までも深く続く苦痛に耐え忍ぶ悲鳴も、その言葉に潜められた、悲嘆と憂鬱の想いをも、察知する事は無かった。


『返せ、この我が掌に、“死”を。返してくれ……!』


 ただ、何故だか悲しくなって、自然と涙が零れた。




「……おい、ユイカ。起きろ、朝だ」

「──へぁっ!?」


 掛けられた声に、唯華はがばっと起き上がった。どうやら些か深く眠り過ぎたらしい、既に朝よりは昼に近い陽が窓から差していた。寝台の隣に立つテナが、急に起き上がった彼女に驚いたように、赤い片目を丸くしている。


「す、すみません! 寝坊をしてしまいました……!」

「いや、問題は無い。……それより」


 すっと彼の手がこちらに伸び、指先が頬に触れる。そうやって、テナは彼女の目元を拭いつつ、軽く膝を折り視線を合わせた。


「何故、泣いている?」


 彼の問いかけに、対する唯華の方が疑問符を浮かべかけた。しかし、自分で自分の顔を触れてみて、ようやく理解する。どう見ても反射のそれではない量の涙が、目から流れ落ちていたのだ。慌てて寝間着の袖で顔を拭い、答弁する。


「何ででしょうね……? 怖い夢でも見たのかしら。覚えてないけど」

「……瑕疵が無いのであれば、良い。だが、しかし……何か些細な事でも、問題があれば……いつでも、言え」

「はい。何かあったら、頼りにさせて頂きます。ちょっと待ってて下さいね、すぐに着替えますから」

「ん」


 既に夢の内容は忘却の彼方に在った。泣いていたという事から、おおよそ悪夢の類いだったのだろうと予想しておく。テナの退室を見送りつつ、唯華は昨晩用意しておいた着替えを取った。

 今日も今日とて掃除だ。やっと終わりが見えて来て、モチベーションは高まって来ている。輪ゴムではない、安物だがちゃんとした髪結い紐で、長い焦げ茶の髪をサイドテールに結びつつ、唯華は意気込んだ。

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