お姫様の脱出
どう食事をとったのか、よく覚えていない。
ただ、いつも寝る前に練習している笑顔はしていたみたいで、特に何も言われなかった。
やっぱり日ごろの訓練って、役立つものなのね。
椿から抽出された油を髪に塗り、何度も梳られる。金髪は艶やかに輝き、ほのかにいい香りも漂った。
後ろでエリスが感嘆のため息をつく。
寝る前に香油を塗られることを私は好まないから、あとは寝間着に着替えるだけ。
普段着るドレスよりもフリルと布地が少なく、レースも無いだけの寝間着。でも、これでも十分ドレスって言えるらしい。
絹で出来たそれを身につけ、燭台に灯された火をエリスが消す。
「良い夢を、姫さま。」
「ええ、エリス。あなたも。」
やわらかく微笑む彼女が扉の向こうに去るのを待って、目をつぶる。
彼女の足音が続き、気配が消えるのを確認してから、私は目を開いた。
目を閉じていたせいで、暗闇に目が慣れていた。
そっと起き上がり、部屋に備え付けられている、滅多に使うことのない勉強机の引き出しを開けた。
中にあるのは、銀と青の刺繍が施された袋と、金と赤の刺繍が施された袋のふたつがある。
袋の中身は平民が着るような半袖とズボンとフードのついたマント、それから光に当たると煌く素材の服飾素材が縫い付けられた派手な布切れのようなもの。
もう一つの金と赤の袋には、細長い布と私の足の形と同じものが入っている。それを足裏にあわせ、手早く布をぐるぐると足に巻きつけた。
この布は敗れにくく、摩擦に強い。しかも布への衝撃には強度があり、何重にも巻けば、ちょっとした鉄板のようでもある。
次に、着ている寝間着をすぐに脱いで、下着の上から布切れを着た。
太ももが丸見えの短いズボンと、下着が隠れればいいだけの上の服。その上から半袖とズボンを穿いて、マントをかぶる。
足を何度か踏んで、靴のチェック。
最後に、寝間着を着せたダミーをベッドの中に仕込み、普段分けている前髪をかき集めて、顔を隠す。
そして、窓からなんとか体をひねり出し、そばにある木に飛び移った。
枝をうまくつかって、なんとか地面に叩きつけられることは避けるように、地面に着地した。
背筋を駆け抜ける、震えるような快感を押さえつける。
こらえきれない笑みを浮かべて、私は地面を蹴った。
(脱出、成功。)
*
金色の蛇と鷲が噛み付きあう天幕の中は、人の熱気と怒号に満ち溢れていた。
後ろのほうでは箱が積み上げられ、その上で逞しい体つきの男たちが興奮のままに飛び跳ね、叫んでいる。
彼らを興奮させているものは、中心にある舞台の上にあった。
円の形をした、人が二十人ほど横たわれる大きさの舞台。
その上で、集まった人達よりも筋肉むっきむきの男たちが組み合っていた。
筋肉と筋肉のぶつかり合い。
そのたびに飛び散る汗。
汗によっててらてら光る筋肉。
力が拮抗している者たちほど、魅力ある、暑苦しい闘いをしていた。
それを影からそっと眺めていると、ぐいっと腕をひっぱられる。
不意をつかれ、わずかな焦燥のままに上段回し蹴りを放った。
「ちょ、待った!待った!俺だよ、俺!」
「……ロイ。」
相手を認識し、寸前でぴたりと止めた。
危ない。危うく顔面をぐしゃぐしゃにするところだった。
「背後から現れるな。」
「今夜の花形の一人がこんな影にいるなんて場違いにもほどがあるだろ?ほら、さっさと行けよ。お前の居場所はあそこだろ。」
目で指された場所は、舞台の上。
知らず笑みが浮かんだ。
「行けよ、ディーヴァ。今夜も男たちをつぶしちまえ。」
脱出したとき以上に、心臓が大きく脈打ったのがわかった。