われわれの学習を改革しよう (一九四一年五月)
これは、毛沢東同志が延安の幹部会議でおこなった報告である。この報告と『党の作風を整えよう三『党八股に反対しよう』という二つの論文は、整風運動についての毛沢東同志の基本的な著作である。毛沢東同志は、これらの論文で、一歩すすんで思想問題の面から過去の党内における路線の相違を総括し、党内に広範に存在していたマルクス・レーニン主義をよそおう小ブルジョア的な思想作風、主として主観主義的偏向、セクト主義的偏向およびこの二つの偏向の表現形態である党八股について分析した。毛沢東同志は、全党的な範囲でのマルクス・レーニン主義の教育運動、すなわち、マルクス・レーニン主義の思想原則にしたがって作風を整える運動をくりひろげるようよびかけた。毛沢東同志のこのよびかけは、たちまち、党内外でプロレタリア思想と小ブルジョア思想との大論争をひきおこし、党内外におけるプロレタリア思想の陣地をうちかため、広範な幹部を思想的に大きく一歩前進させ、党をかつてみないほど団結させた。
わたしは全党の学習方法と学習制度の改革を主張する。その理由はつぎのとおりである。
一
中国共産党の二十年は、マルクス・レーニン主義の普遍的真理が中国革命の具体的実践と日ましに結合してきた二十年であった。わが党の幼年時代に、われわれのマルクス・レーニン主義にたいする認識と中国革命にたいする認識がいかに浅く、いかに乏しかったかをふりかえってみれば、いま、これらにたいするわれわれの認識は、はるかに深く、はるかに豊かになっていることがわかる。かぎりない苦難をおった中華民族、そのすぐれた人たちは、百年らい、身をなげうってたたかい、しかばねをのりこえて進み、国を救い民を救う真理をさがしもとめてきた。それはまことに深い感動をよびおこすものである。だが、マルクス・レーニン主義というもっともすぐれた真理をさがしあててわが民族解放のもっともすぐれた武器としたのは、第一次世界大戦とロシア十月革命ののちになってからであり、そしてこの武器をにぎることを提唱し、宣伝し、組織したのは、中国共産党であった。マルクス・レーニン主義の普遍的真理がひとたび中国革命の具体的実践と結合すると、中国革命は面目を一新した。抗日戦争いらい、わが党では、マルクス・レーニン主義の普遍的真理にもとづく、抗日戦争の具体的実践についての研究と、こんにちの中国および世界についての研究が一歩前進し、中国の歴史についての研究もある程度はじまるようになった。これらはすべて、非常によいことである。
二
しかし、われわれにはまだ欠点があり、しかも大きな欠点がある。わたしのみるところ、こうした欠点をあらためなければ、われわれの活動をさらに一歩前進させることはできず、マルクス・レーニン主義の普遍的真理と中国革命の具体的実践とを結合する偉大な事業のなかで、われわれをさらに一歩前進させることはできない。
まず、現状の研究についてのべよう。国内、国際の現状についての研究では、ある程度の成果をあげているが、わが党のような大政党にしては、国内、国際の各方面、つまり国内、国際の政治、軍事、経済、文化のどの面でも、われわれのあつめた資料はまだ断片的であり、われわれの研究活動はまだ系統的でない。一般的にいえば、二十年らい、われわれは、上にのべた各方面について、系統的に綿密に資料を収集して研究したことがなく、客観的な実際の状況を調査研究する空気が濃厚でなかった。「目をつぶってすずめをつかまえ」、「めくらが魚を手さぐり」するような、おおざっばで、長広舌を振るい、なまはんかな知識に満足するというこうした非常に悪い作風、マルクス・レーニン主義の基本精神にまったくそむいたこうした作風は、わが党の多くの同志のあいだに、なおひきつづき存在している。マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンは、主観的な願望からではなく、客観的な真実の状況から出発して状況をまじめに研究せよと、われわれに教えているが、われわれの多くの同志は、直接この真理にそむいている。
つぎに、歴史の研究についてのべよう。この仕事は、少数の党員や少数の党支持者が手がけたことはあるが、組織的にやられたことはなかった。ここ百年の中国史についても、古代の中国史についても、多くの党員の頭のなかは、まだくらやみ同然である。多くのマルクス・レーニン主義の学者も、口をひらけばギリシアをもちだすが、自分の祖先のこととなると、申しわけないことに忘れてしまっている。まじめに現状を研究する空気も濃厚でないし、まじめに歴史を研究する空気も濃厚でない。
そのつぎに、国際的な革命の経験の学習、マルクス・レーニン主義の普遍的真理の学習についてのべよう。多くの同志のマルクス・レーニン主義の学習は、革命の実践の必要のためではなく、たんなる学習のためのようにみえる。したがって、読むには読んでも、消化できない。ただマルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンの個々の字句を一面的に引用することができるだけで、その立場、観点、方法を運用して、具体的に中国の現状と中国の歴史を研究し、具体的に中国革命の問題を分析し、解決することはできない。マルクス・レーニン主義にたいするこうした態度は非常に有害で、とくに中級以上の幹部にとっては、その害がいっそう大きい。
以上で、わたしは三つの面の状況、つまり現状の研究を重視せず、歴史の研究を重視せず、マルクス・レーニン主義の運用を重視しないことについてのべたが、これらは非常に悪い作風である。こうした作風がひろまって、われわれの多くの同志に害をおよぼしている。
たしかに、いま、われわれの隊列内には、こうした悪い作風にそまった同志がたくさんいる。国の内外、省の内外、県の内外、区の内外の具体的な状況について、系統的で綿密な調査と研究をしようとはせず、なまはんかな知識や「しかじかであるにちがいない」ということだけをよりどころにして命令をだす、こうした主観主義の作風は、まだ多くの同志のあいだに存在しているのではないか。
自分たちの歴史について、なにも知らなかったり、少ししか知らないことを恥ともおもわず、逆に誇りとしているものがいる。とくに重大なのは、中国共産党の歴史とアヘン戦争以後のここ百年の中国史をほんとうに知っているものが非常にすくないことである。ここ百年の経済史、政治史、軍事史、文化史については、その研究にまじめに手をつけているものがまったくいない。一部の人は、自分たちのことについての知識がないのだから、あとに残るものといえばギリシアや外国の物語だけで、それも、外国の反古のなかから断片的にひろいだしてきたあわれなものにすぎない。
数十年らい、多くの留学生にはこうした欠陥があった。かれらは欧米や日本から帰ってくると、外国のものを受け売りすることしか知らなかった。かれらは蓄音機の役割をはたしたが、新しい事物を認識し創造するという自分の責任は忘れていた。こうした欠陥は共産党にも伝染した。
われわれが学んでいるのはマルクス主義であるが、われわれのうちの多くのものがマルクス主義を学ぶ方法は、直接マルクス主義にそむいている。つまり、かれらはマルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンがくりかえしさとしている、理論と実際の統一という基本原則にそむいているのである。かれらはこの原則にそむいているのだから、理論と実際の分離というこれと反対の原則を自分でつくりだしているのである。学校での教育でも、現職幹部の教育でも、哲学を教えるものは、中国革命の論理を研究するよう学生をみちびかず、経済学を教えるものは、中国経済の特徴を研究するよう学生をみちびかず、政治学を教えるものは、中国革命の戦術を研究するよう学生をみちびかず、軍事学を教えるものは、中国の特徴に通した戦略と戦術を研究するよう学生をみちびかない、といったぐあいである。その結果、あやまりの種がばらまかれ、はなはだしく人をあやまらせている。延安で学んだことは、[鹿+”おおざと”]県〔1〕にいけば、もう応用できない。経済学の教授は辺幣や法幣〔2〕について説明することができない。もちろん、学生もそれを説明できはしない。こうして、多くの学生のあいだに、先生のところから学んできた永久不変だといわれている教条にひたすら心をよせ、逆に中国問題には興味をもたず、党の指示は重視しないという異常な心理がうまれている。
もちろん、以上のべたのは、わが党内にあるきわめて悪い典型であって、どこででもこうだというのではない。だが、こうした典型はたしかに存在するうえ、その数もかなり多く、その害もかなり大きいので、なおざりにしてはならない。
三
この見方についてくりかえし説明するために、たがいに対立する二つの態度を対照させながらのべてみよう。
第一、主観主義的態度。
この態度のもとでは、周囲の環境を系統的に綿密に研究せず、ただ主観的な熱情だけで活動し、中国の今日の姿についてはわかったようでわかっていない。この態度のもとでは、歴史をたちきり、ギリシアを知るだけで中国を知らず、昨日や一昨日の中国の姿についてはくらやみ同然である。この態度のもとでは、抽象的に、目的もなく、マルクス・レーニン主義の理論を研究する。中国革命の理論問題、戦術問題を解決するためにマルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンのところから立場、観点、方法をさがしだすのではなく、たんに理論のために理論を学ぶのである。的があって矢をはなつのではなく、的がなくて矢をはなつのである。マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンは、われわれに、客観的に存在する実際の事物から出発して、そのなかから、われわれの行動の導きとなる法則をひきだすべきであると教えている。このためには、マルクスがのべているように、詳細な資料を掌握し、それを科学的に分析し総合するという研究をおこなわなければならない〔3〕。ところが、それとは反対にわれわれのうちの多くのものは、そのようにはしない。そのうち、多くのものは研究活動にたずさわっているが、しかし、かれらは今日の中国と昨日の中国の研究にはいっさい興味がなく、実際からかけはなれたからっぽの「理論」の研究にしか興味をしめさない。多くのものは実際活動にたずさわっているが、かれらも客観的な状況の研究には心をそそがず、とかく熱情だけにたより、自分の感じを政策としている。このふたとおりの人びとは、どちらも主観にたより、客観的な実際の事物の存在を無視する。講演をすれば、甲、乙、丙、丁、一、二、三、四などとならべたてるし、文章をかけば、長広舌を振るう大論文をつくりあげる。派手に立ちまわって人気をえようとする気持ちはあっても、事実にもとづいて法則性をもとめる考えはない。見ばえだけで中味がなく、もろくて芯がない。ひとりよがりで、われこそは天下第一とうぬぼれ、「勅使」然としていたるところをとびまわる。これがわれわれの隊列内の一部の同志の作風である。このような作風でわが身を律すればわが身をそこない、他のものを教育すれば他のものをそこない、革命を指導すれば革命をそこなう。要するに、この反科学的、反マルクス・レーニン主義的な主観主義の方法は、共産党の大敵であり、労働者階級の大敵であり、人民の大敵であり、民族の大敵であり、党性が不純なことのあらわれである。大敵をまえにして、われわれはそれをうちたおす必要がある。主観主義がうちたおされないかぎり、マルクス・レーニン主義の真理は勢いをえず、党性は強固にならす、革命は勝利しない。科学的な態度がなければ、すなわち理論と実践の統一したマルクス・レーニン主義の態度がなければ、党性がないか、党性が不完全であるということを、われわれは指摘すべきである。
ここに、こうした連中の姿をえがいた対句がある。それはこうである。
土塀の上にはえた蘆、頭がおもく、足かるく、根っ子はあさい
山の谷間の竹の子は、口がとんがり、皮あつく、腹はからっぼ
この対句は、科学的な態度をもたないもの、マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンの著作のいくらかの字句を棒暗記することしか知らないもの、名ばかりでほんとうの学問がないものにふさわしくはないだろうか。もしほんとうに自分の病気をなおしたいのなら、この対句を書きとめておくか、あるいは、もっと勇気をだして、自分の部屋の壁にはっておくようにすすめる。マルクス・レーニン主義は科学である。科学は正直な学問であって、どのようなごまかしもゆるされない。われわれはやはり正直にやろう。
第二、マルクス・レーニン主義の態度。
この態度のもとでは、マルクス・レーニン主義の理論と方法を運用して、周囲の環境を系統的に綿密に調査、研究する。ただ熱情だけで活動するのではなく、スターリンがのべているように、革命的な気概を実際的な精神と結合させるのである〔4〕。この態度のもとでは、歴史をたちきってはならない。たんにギリシアのことだけを知ればよいのではなく、中国のことも知らなければならず、たんに外国の革命史だけではなく、中国の革命史も知らなければならない。また、中国の今日のことだけではなく、中国の昨日や一昨日のことも知らなければならない。この態度のもとでは、目的をもってマルクス・レーニン主義の理論を研究し、マルクス・レーニン主義の理論を中国革命の実際運動と結合させなければならないのであり、中国革命の理論問題や戦術問題を解決するために、そこから立場、観点、方法をさがしだすのである。このような態度が、的があって矢をはなつ態度である。「的」とは中国革命のことで、「矢」とはマルクス・レーニン主義のことである。われわれ中国共産党員がこの「矢」をさがしもとめるのは、中国革命と東方の革命というこの「的」を射るためである。このような態度が実事求是の態度である。「実事」とは客観的に存在するすべての事物のことであり、「是」とは客観的な事物の内部的なつながり、すなわち法則性のことであり、「求」とはわれわれがこれを研究することである。われわれは、国の内外、省の内外、県の内外、区の内外の実際の状況から出発し、そのなかから、われわれの行動の導きとして、憶測でない固有の法則性をひきだす、すなわち周囲のできごとの内部的なつながりをさがしだすのである。そして、このようにするためには、主観的な想像、一時的な熱情、死んだ書物にたよってはならず、客観的に存在する事実にたよって、詳細な資料を掌握し、マルクス・レーニン主義の一般的原理の導きのもとに、これらの資料のなかから正しい結論をひきださなければならない。こうした結論は、甲、乙、丙、丁というような現象の羅列でもなければ、長広舌を振るったありきたりの文章でもなくて、科学的な結論である。このような態度には、派手に立ちまわって人気をえようとする気持ちはなく、事実にもとづいて法則性をもとめる考えがある。このような態度こそ、党性のあらわれであり、理論と実際の統一したマルクス・レーニン主義の作風である。これは共産党員であるかぎり、少なくとももたなければならない態度である。こうした態度をもてば、「頭がおもく、足かるく、根っ子はあさい」ということもなければ、「口がとんがり、皮あつく、腹はからっぽ」ということもなくなる。
四
以上のべた意見にもとづいて、わたしはつぎのことを提案する。
(一)全党にたいし、周囲の環境を系統的に綿密に研究する任務を提起する。マルクス・レーニン主義の理論と方法にもとづいて、経済、財政、政治、軍事、文化、党務の各方面にわたる、敵、友、わが方の三者の動向をくわしく調査、研究し、そのうえで、当然の、また必要な結論をひきださなければならない。このためには、こうした実際の事物の調査と研究に同志たちが目をむけるようみちびかなければならない。共産党の指導機関の基本的任務は、状況の了解と政策の把握というこの二つのたいせつな仕事にあり、前者は世界を認識することで、後者は世界を改造することであるということを同志たちにわからせなければならない。また、調査なくして発言権なしということ、長広舌を振るって一席ぶったり、一、二、三、四と現象をならべたてたりするのは、なんの役にもたたないということを同志たちにわからせなければならない。たとえば、宣伝活動のばあい、敵、友、わが方の三者の宣伝状況を知らなければ、われわれの宣伝政策を正しく決定することはできない。どの部門の仕事にしても、まず状況を了解することが必要であり、そののちにはじめて、うまく処理できるのである。全党で調査「研究の計画を実行することは、党の作風を変える根本的な一環である。
(二)ここ百年の中国史については、人材をあつめ、分業と協力によって研究をおこない、無組織の状態を克服すべきである。まず、はじめに経済史、政治史、軍事史、文化史など、いくつかの分野の分析的な研究をおこなうべきであり、そのうえで、はじめて、総合的な研究が可能となるのである。
(三)現職幹部の教育と幹部学校での教育については、マルクス・レーニン主義を静止的、孤立的に研究するやり方をやめて、中国革命の実際問題の研究を中心とし、マルクス・レーニン主義の基本原則を指針とする方針を確立すべきである。マルクス・レーニン主義の研究には、また、『ソ連共産党歴史小教程』を中心的な文献とすべきである。『ソ連共産党歴史小教程』は、ここ百年らいの全世界の共産主義運動の最高の総合と総括であり、理論と実際の結合の典型であって、いまのところ全世界で完全な典型はこの一つしかない。レーニン、スターリンが、どのようにマルクス主義の普遍的真理をソ連の革命の具体的実践と結合させたか、また、それによって、どのようにマルクス主義を発展させたかをみれば、われわれは、中国でどのように活動すべきかを知ることができる。
われわれは多くのまわり道をしてきた。だが、あやまりはしばしば正しいものの先達となる。このように生気にあふれた多彩な中国革命と世界革命の環境にあって、学習の問題でのわれわれのこの改革はかならずよい結果をもたらすものと、わたしは確信している。
〔 ##注## 〕
〔1〕 [鹿+”おおざと”]県は延安の南方約七十キロのところにある。
〔2〕 「辺幣」は陝西・甘粛・寧夏辺区政府銀行が発行した流通紙幣である。「法幣」は、一九三五年以後、国民党官僚資本の四大銀行がイギリス・アメリカ帝国主義の支持をうけて発行した紙幣である。毛沢東同志が本文でのべているのは、当時、辺幣と法幣とのあいだに生じた交換比率の変化の問題である。
〔3〕 マルクスの『資本論』第一巻「第二版へのあとがき」にみられる。マルクスはそこでつぎのようにのべている。「研究には、詳細な資料をわがものとし、その種々な発展形態を分析し、それらの形態の内的な結びつきをさぐりださなければならない。この仕事がなしとげられなければ、現実の運動を適切に叙述することはできない。」
〔4〕 スターリンの『レーニン主義の基礎について』の第九部分「活動の様式」にみられる。




