中国革命と中国共産党 (一九三九年十二月)
『中国革命と中国共産党』は、一九三九年の冬、毛沢東同志と他の何人かの延安にいた同志が協力して執筆した教科書である。第一章の「中国社会」は、他の何人かの同志が起草して毛沢東同志が筆をいれたものであり、第二章の「中国革命」は、毛沢東同志がみずから書いたものである。第三章では、「党の建設」をとりあつかう予定であったが、執筆を担当した同志が原稿を書きあげなかったのでとりやめた。しかし、この二つの章、とくに第二章は、中国共産党と中国人民のあいだで、やはり大きな教育的役割をはたした。毛沢東同志は、本文第二章のなかの新民主主義にかんする観点を、一九四〇年一月に書いた『新民主主義論』で大いに発展させている。
第一章中国社会
##第一節 中華民族##
わが中国は世界でもっとも大きな国の一つであり、その領土はヨーロッパ全体の面積にほぼ等しい。この広大な領土には、われわれに衣食のみなもとをあたえてくれるひろい肥沃な土地がある。そしてわれわれのために広大な森林をそだて豊富な鉱物資源をたくわえてくれている、全国を縦横にはしる大小の山脈がある。またわれわれに水運と灌漑の利をあたえてくれる多くの河川や湖沼があるし、われわれに海外の各民族との交通の便をあたえてくれる長い海岸線がある。はるか古代から、わが中華民族の祖先は、この広大な土地のうえで労働し、生活し、子孫をふやしてきた。
現在、中国の国境は、東北、西北および西部の一部では、ソビエト社会主義共和国連邦と接している。真北では、モンゴル人民共和国と接している。西部の一部と西南部では、アフガニスタン、インド、ブータン、ネパールと接している。南部では、ビルマおよびベトナムと接している。東部では、朝鮮と接し、日本やフィリピンにも近い。この地理的な国際環境は、中国人民の革命に、外部からの有利な条件と困難な条件をつくりだしている。有利な条件は、ソ連と境を接し、欧米の主要な帝国主義諸国からはかなり遠くはなれており、まわりの国ぐにの多くが植民地、半植民地国だということである。困難な条件は、日本帝国主義が、中国に近いという関係を利用して、たえず中国諸民族の生存をおびやかし、中国人民の革命をおびやかしていることである。
わが中国は、いま、四億五千万の人口をもち、全世界人口のほぼ四分の一を占めている。この四億五千万の人口のうち、九割以上が漢族である。このほかにも、蒙古族、回族、チベット族、ウィグル族、苗族、彝族、壮族、布依族、朝鮮族などあわせて数十の少数民族がいて、文化の発展の程度こそちがっているが、みな長い歴史をもっている。中国は、多数の民族が結合してできた、多くの人口をもつ国である。
中華民族の発展(ここでは主として漠族の発展をいう)は、世界の他の多くの民族とおなじように、かつて何万年かにわたる階級のない原始共同体の生活をへてきた。そして原始共同体がくずれて社会生活が階級生活にうつったその時代から、奴隷社会、封建社会をへて現在にいたるまで、およそ四千年もたっている。中華民族の文明史には、発達していることでよく知られている農業と手工業があり、たくさんの偉大な思想家、科学者、発明家、政治家、軍事家、文学者、芸術家があり、ゆたかな文化的典籍がある。中国では、ずっと昔に羅針盤が発明された〔1〕。千八百年前にはすでに製紙法が発明された〔2〕。千三百年前には木版印刷が発明された〔3〕。八百年前にはさらに活字印刷が発明された〔4〕。火薬の応用〔5〕もヨーロッパ人よりはやかった。したがって、中国は世界でもっともはやく文明の発達した国の一つであり、中国にはすでに四千年にちかい、文字によって考証できる歴史がある。
中華民族は、刻苦勤勉なことで世界に知られているだけでなく、同時に自由を熱愛する、革命の伝統に富んだ民族でもある。漢族の歴史を例にとってみても、中国人民は暗黒勢力の支配に甘んずるものではなく、そのつど革命的手段によって、そうした支配の打倒や変革の目的をたっしてきたことが証明できる。漢族の数千年の歴史には、地主と貴族の暗黒支配に反抗した大小何百回もの農民蜂起があった。多くの王朝の交代は、農民蜂起の力によってはじめて成功したのである。中華民族のなかの各族の人民はいずれも外来民族の抑圧とたたかい、反抗の手段によってこうした抑圧をとりのぞこうとした。かれらは、平等な連合には賛成するが、たがいに抑圧しあうことには賛成しない。中華民族の数千年の歴史には、民族の英雄と革命の指導者がたくさんうまれた。したがって、中華民族は、光栄ある革命的伝統と優秀な歴史的遺産をもつ民族でもある。
##第二節 古代の封建社会##
中国は偉大な民族の国であり、土地のひろい、人口の多い、歴史のふるい、また革命の伝統と優秀な遺産に富んだ国ではあるが、奴隷制度をぬけだして封建制度にはいってからは、経済、政治、文化の発展が長いあいだ緩慢な状態におちいっていた。この封建制度は、周、秦以来、ずっと三千年ばかりもつづいた。
中国の封建時代の経済制度と政治制度は、つぎのような主要な特徴からなっていた。
一、自給自足の自然経済が主要な地位をしめていた。農民は、自分に必要な農産物を生産したばかりでなく、自分に必要な大部分の手工業品をも生産した。また地主と貴族は、農民から搾取した小作料を、主として自分の消費にあて、交換にはあてなかった。当時、交換も発展していたが、経済全体のなかでは決定的な役割をはたさなかった。
二、封建的支配階級である地主、貴族、皇帝が土地の圧倒的部分をにぎり、農民は土地をほんの少ししかもたないか、あるいは全然もたなかった。農民は、自分の農具をつかって地主、貴族、皇室の土地をたがやし、その収穫物の四割、五割、六割、七割、さらには八割以上も地主、貴族、皇室の消費のために上納した。このような農民は、実際にはまだ農奴であった。
三、地主、貴族、皇室が農民から搾取する小作料でくらしていたばかりでなく、地主階級の国家もまた、膨大な数にのぼる国家の官吏と、おもに農民の弾圧につかう軍隊とをやしなうために、農民に貢物や税金の納入を強制し、無償の労役につくことを強制した。
四、このような封建的搾取制度を保護する権力機関は、地主階級の封建国家であった。秦のまえの時代は諸侯が割拠して覇をとなえた封建国家であったとすれば、秦の始皇帝が中国を統一してからは、専制主義的、中央集権的な封建国家がうちたてられ、同時に、封建的割拠の状態も、いぜんとしてある程度のこされていた。封建国家においては皇帝は最高至上の権力をもち、各地方にそれぞれ、兵、刑、銭、糧などをつかさどる役人をおくとともに、封建的支配全体の基礎として、地主と豪紳に依拠していた。
中国の歴代の農民は、このような封建的な経済的搾取と封建的な政治的抑圧のもとで、貧苦にあえぐ奴隷的な生活をおくっていたのである。農民は、封建制度にしばられて、人身の自由をもっていなかった。地主は、勝手に農民をなぐり、どなりつけ、はては殺すことさえできる権利をもっていたが、農民はなんらの政治的権利ももっていなかった。地主階級のこのように残酷な搾取と抑圧によってつくりだされた農民の極度の貧困とたちおくれこそ、中国の社会が経済のうえでも社会生活のうえでも、何干年ものあいだ、停滞していた基本的原因である。
封建社会の主要な矛盾は、農民階級と地主階級との矛盾であった。
そして、このような社会では、農民と手工業労働者だけが、富をつくりだし文化をつくりだす基本的な階級であった。
地主階級の農民にたいする残酷な経済的搾取と政治的抑圧のために、農民は地主階級の支配に反抗して、何度となく蜂起をおこなわざるをえなかった。秦代の陳勝、呉広、項羽、劉邦〔6〕から、漢代の新市、平林、赤眉、銅馬〔7〕、黄巾〔8〕、隋代の李密、竇建徳〔9〕、唐代の王仙芝、黄巣〔10〕、宋代の宋江、方臘〔11〕、元代の朱元璋〔12〕明代の李自成〔13〕をへて、清代の太平天国〔14〕にいたるまでの大小あわせて数百回の蜂起は、みな農民の反抗運動であり、農民の革命戦争であった。中国の歴史にみられる農民蜂起と農民戦争の規模の大きいことは、世界の歴史にもまれなものである。中国の封建社会では、このような農民の階級闘争、農民の蜂起、農民の戦争だけが、歴史を発展させる真の原動力であった。なぜなら、比較的大きな農民蜂起と農民戦争のたびごとに、その結果として当時の封建的支配に打撃があたえられ、これによって多かれ少なかれ社会の生産力の発展がうながされたからである。ただ、当時は、まだ新しい生産力と新しい生産関係がなく、新しい階級勢力がなく、先進的な政党がなかったので、こうした農民蜂起や農民戦争は、いまのようなプロレタリア階級と共産党の正しい指導を得ることができなかった。それで、当時の農民革命は、いつも失敗に終わり、いつも革命の最中、または革命ののちに、地主と貴族に王朝交代の道具として利用されてしまったのである。こうして、農民の大規模な革命闘争がやんだあとは、そのたびごとに、社会はいくらか進歩したが、基本的にはあいかわらず封建的な経済関係と封建的な政治制度がつづいた。
このような状態に新しい変化がうまれたのは、ここ百年来のことである。
##第三節 現代の植民地・半植民地・半封建の社会##
中国の過去三千年来の社会が封建社会であったことは、さきに説明した。では、中国の現在の社会もまだ完全な封建社会であろうか。そうではない。中国はすでに変化している。一八四〇年のアヘン戦争以後、中国は一歩一歩半植民地・半封建の社会に変わった。一九三一年の九・一八事変で日本帝国主義が中国にたいする武力侵略をおこなってからは、中国はさらに植民地・半値民地・半封建の社会に変わった。つぎに、このような変化の過程について説明しよう。
第二節でのべたように、中国の封建社会はほぼ三千年もつづいた。一九世紀のなかごろになってから、外国資本主義の侵入によって、この社会の内部にはじめて大きな変化がおきた。
中国の封建社会内部における商品経済の発展は、すでに資本主義の芽をはらんでいたので、外国資本主義の影響がなかったとしても、中国はやはり緩慢ながら資本主義社会に発展していったであろう。外国資本主義の侵入はこのような発展をうながした。外国資本主義は中国の社会経済にたいして、一方では、中国の自給自足の自然経済の基礎を破壊し、都市の手工業と農民の家内手工業を破壊するとともに、他方では、中国の都市と農村における商品経済の発展をうながす、という大きな分解作用をおよぽした。
こうした状況は、中国の封建経済の基礎に解体作用をおこさせたばかりでなく、同時に、中国の資本主義的生産の発展のためにもある程度の客観的な条件と可能性をつくりだした。なぜなら、自然経済の破壊は資本主義のために商品市場をつくりだし、大量の農民と手工業者の破産は資本主義のために労働力市場をつくりだしたからである。
事実、外国資本主義の刺激と封建的経済構造のある程度の破壊によって、はやくも一九世紀の後半、つまりいまから六十年まえには、一部の商人、地主、官僚による新式工業への投資がはじまった。一九世紀の末から二〇世紀のはじめ、つまりいまから四十年まえになると、中国の民族資本主義が初歩的な発展をはじめた。二十年まえ、すなわち第一次帝国主義世界大戦の時期になると、欧米帝国主義諸国が戦争に忙殺されて、一時、中国にたいする抑圧をゆるめたために、中国の民族工業、主として紡績業と製粉業はいっそうの発展をとげた。
中国の民族資本主義の発生と発展の過程は、中国のブルジョア階級とプロレタリア階級の発生と発展の過程であった。一部の商人、地主、官僚が中国のブルジョア階級の前身であったとすれば、一部の農民と手工業労働者は中国のプロレタリア階級の前身であった。中国のブルジョア階級とプロレタリア階級は、二つの特殊な社会階級としてみれば新しくうまれたものであり、中国の歴史にはかってなかった階級である。この二つの階級は、封建社会の胎内からうまれ出て、新しい社会階級を構成した。これらは、たがいに関連もし、対立もする二つの階級であって、中国のふるい社会(封建社会)がうんだ双生児である。だが、中国のプロレタリア階級は、中国の民族ブルジョア階級の発生と発展にともなって発生し、発展しただけでなく、中国において帝国主義が企業を直接経営するのにともなって発生し、発展した。だから、中国のプロレタリア階級の大きな部分は、中国のブルジョア階級よりも、その歴史と資格がいくらかふるく、したがってその社会的な力と社会的基礎もいくらか大きい。
だが、上にのべた資本主義の発生と発展という新しい変化は、帝国主義が中国に侵入してからおこった変化の一つの側面にすぎない。このほかに、この変化と同時に存在し、しかもこの変化をさまたげているもう一つの側面がある。それは、帝国主義が中国の封建勢力と結託して中国の資本主義の発展をおさえていることである。
帝国主義列強の中国侵入の目的は、けっして封建的な中国を資本主義的な中国に変えることではない。帝国主義列強の目的は、それとは反対に、中国をかれらの半植民地または植民地に変えることである。
帝国主義列強は、この目的のために、中国にたいして、つぎにのべるような軍事的、政治的、経済的、文化的なあらゆる抑圧手段をこれまでもとってきたし、いまもとりつづけており、こうして、中国を一歩一歩半植民地または植民地に変えてきた。
一、中国にたいして、たびかさなる侵略戦争をおこなった。たとえば、一八四〇年のイギリスのアヘン戦争、一八五七年の英仏連合軍の戦争〔15〕、一八八四年の中仏戦争〔16〕、一八九四年の中日戦争①、一九〇〇年の八ヵ国連合軍の戦争〔17〕がそれである。帝国主義列強は、中国を戦争でうち負かしたのち、中国のまわりの、もと中国に保護されていた多くの国を占領しただけでなく、中国の領土の一部を強奪したり「租借」したりした。たとえば、日本は台湾と澎湖諸島を占領し、旅順を「租借」し、イギリスは香港を占領し、フランスは広州湾を「租借」した。帝国主義列強は領土を割譲させたほかに、さらに莫大な賠償金をとりたてた。こうして中国という膨大な封建帝国に大きな打撃をあたえた。
二、帝国主義列強は、中国に強制的に多くの不平等条約を結ばせ、これらの不平等条約にもとづいて、海軍と陸軍を中国に駐留させる権利を手にいれ、領事裁判権〔18〕を手にいれ、さらに全中国をいくつかの帝国主義国の勢力範囲に分割した〔19〕。
三、帝国主義列強は、不平等条約にもとづいて、中国のすべての重要な通商港をおさえるとともに、多くの通商港の土地の一部を仕切って、かれらの直接管理する租界〔20〕にした。かれらは、中国の税関と貿易をおさえ、中国の交通事業(海上、陸上、河川、航空)をおさえている。それによってかれらは、中国をその工業品の市場に変えて商品を大量に売りさばき、同時に、中国の農業生産を帝国主義の需要にしたがわせることができるようになった。
四、帝国主義列強は、さらに、中国の原料とやすい労働力を直接利用するために、中国で多くの軽工業と重工業の企業を経営し、それによって、中国の民族工業に直接の経済的圧迫をくわえ、中国の生産力の発展を直接さまたげた。
五、帝国主義列強は、中国政府に借款をあたえ、中国に銀行をもうけることによって、中国の金融と財政を独占した。それによってかれらは、商品競争のうえで中国の民族資本主義を圧倒したばかりでなく、金融、財政の面でも中国ののどくびをおきえた。
六、帝国主義列強は、広範な中国農民とその他の人民大衆を搾取するのに都合のよいように、中国の通商都市からへんぴな片田舎にいたるまで、買弁的、商業・高利貸し的な搾取網をはりめぐらし、帝国主義に奉仕する買弁階級と商業・高利貸し階級をつくりだした。
七、帝国主義列強は、買弁階級のほかに、中国の封建的地主階級をもかれらの中国支配の支柱にした。かれらは、「人民の大多数に反対して、まず、これまでの社会制度における支配階級――封建的地主、商業・高利貸しブルジョア階級と連合する。帝国主義は、いたるところで(とくに農村で)、前資本主義的なすべての搾取形態の保存とその永久化に力をつくす。これらの形態は、かれらの反動的同盟者の生存のための基礎である」〔21〕。「帝国主義とその中国における金融上、軍事上の全勢力は、封建的残存物および官僚・軍閥というその全上部構造を支持し、鼓舞し、育成し、保存する勢力である。」〔22〕
八、帝国主義列強は、中国の軍閥の混戦をつくりだし、中国人民を弾圧するために、中国の反動政府に大量の武器と多数の軍事顧問を提供している。
九、帝国主義列強は、上にのべたあらゆる手段のほかに、中国人民の精神を麻痺させる面でも手をゆるめてはいない。それは、かれらの文化侵略政策である。布教、病院や学校の開設、新聞の発行、留学生の誘致などが、この侵略政策の実施である。その目的は、かれらのいいなりになる知識人幹部をそだてあげることと、広範な中国人民を愚弄することにある。
十、一九三一年の「九・一八」以後、日本帝国主義の大がかりな進攻は、すでに半植民地になっていた中国領土の大きな部分をさらに日本の植民地におちいらせた。
上にのべた状況は、帝国主義が中国に侵入してからうまれた新しい変化のもう一つの側面であり、封建的な中国を半封建、半植民地および植民地の中国に変えた血まみれの絵図である。
これらのことからあきらかなように、帝国主義列強の中国侵略は、一方では、中国の封建社会の解体をうながし、中国における資本主義的要素の発生をうながして、封建社会を半封建社会に変えたが、他方では、かれらはまた中国を残酷に支配し、独立の中国を半植民地と植民地の中国に変えたのである。
この二つの側面の状況をまとめてみると、われわれのこの植民地・半植民地・半封建の社会は、つぎのようないくつかの特徴をもっている。
一、封建時代の自給自足の自然経済の基礎は破壊された。だが、封建的搾取制度の基盤――地主階級の農民にたいする搾取は、依然としてたもたれているばかりでなく、買弁資本や高利貸し資本の搾取と結びついて、中国の社会経済生活のなかであきらかに優位を占めている。
二、民族資本主義は、ある程度の発展をとげ、中国の政治的、文化的生活のなかでかなりの役割をはたしている。だが、それは中国の社会経済の王菱な形態とはなっておらず、その力は非常に弱く、その大部分は多かれ少なかれ外国の帝国主義および国内の封建主義とつながりをもっている。
三、皇帝と貴族の専制権力はくつがえされたが、これにとって代わったのは、まず地主階級の軍閥・官僚支配であり、ついで地主階級と大ブルジョア階級の同盟による独裁である。被占領区では、日本帝国主義とそのかいらいの支配である。
四、帝国主義は、中国の財政と経済の大動脈をにぎっているばかりでなく、中国の政治と軍事力をも牛耳っている。被占領区では、すべてが日本帝国主義に独占されている。
五、中国が多くの帝国主義国の支配、あるいは半支配下にあること、中国が事実上長いあいだ不統一な状態におかれていること、さらに、中国の土地が広大であることによって、中国の経済、政治、文化の発展には極度の不均等があらわれている。
六、帝国主義と封建主義の二重の抑圧、とくに日本帝国主義の大がかりな進攻によって、中国の広範な人民、とりわけ農民は、ますます貧困化し、さらには大量に破産しており、かれらは、飢えと寒さにさいなまれ、政治的権利のまったくない生活をおくっている。中国人民ほど貧しく、自由をもたない人民は、世界でもあまりみられない。
これらが、植民地・半植民地・半封建の中国社会の特徴である。
このような状態は、主として日本帝国主義その他の帝国主義勢力によって決定されたものであり、外国帝国主義と国内の封建主義とが結びついた結果である。
帝国主義と中華民族との矛盾、封建主義と人民大衆との矛盾、これらが近代中国社会の基本的な矛盾である。もちろん、ほかにも矛盾はある。たとえば、ブルジョア階級とプロレタリア階級との矛盾、反動的支配階級内部の矛盾などがそれである。だが、帝国主義と中華民族との矛盾は、さまざまな矛盾のなかの主要な矛盾である。これらの矛盾の闘争とその先鋭化は、日ましに発展する革命運動をもたらさないではおかない。近代および現代の偉大な中国革命は、これらの基本的矛盾を基礎にして発生し発展してきたものである。
第二章 中国革命
##第一節 百年来の革命運動##
帝国主義が中国の封建主義と結びついて、中国を半植民地および植民地に変えてきた過程は、中国人民が帝国主義とその手先に反抗してきた過程でもある。アヘン戦争、太平天国運動、中仏戦争、中日戦争、戊戌政変②、義和団運動、辛亥革命、五・四運動、五・三〇運動、北伐戦争、土地革命戦争から、現在の抗日戦争にいたるまで、そのすべてが、帝国主義とその手先におめおめとは屈服しない中国人民の頑強な反抗精神をしめしている。
この百年来、中国人民の不撓不屈のますますはげしい英雄的闘争によって、帝国主義はいまなお中国を滅ぼすことができないでいるし、また永遠に中国を滅ぼすことはできない。
現在、日本帝国主義は全力をあげて中国にたいする大がかりな進攻をおこなっており、中国の多くの地主や大ブルジョア分子、たとえば公然たる汪精衛やかくれた汪精衛のやからは、すでに敵に投降したか、あるいは敵に投降しようとしているが、しかし、英雄的な中国人民はかならずさらにたたかいつづけていくであろう。日本帝国主義を中国からおいだし、中国を完全に解放するまで、このたたかいはけっしてやむことはない。
中国人民の民族革命闘争は、一八四〇年のアヘン戦争からかぞえて、すでにまる百年の歴史をもち、一九一一年の辛亥革命からかぞえても、三十年の歴史をもっている。この革命の過程はいまなお完結していないし、革命の任務もまだいちじるしい成果をおさめていないので、全国人民、まず中国共産党が断固として奮闘する責務をになうよう要求されている。
では、この革命の対象はいったいだれか。この革命の任務はいったいなにか。この革命の原動力はなにか。この革命の性質はなにか。また、この革命の前途はどうか。これらがつぎに説明しようとする問題である。
##第二節 中国革命の対象##
第一章第三節の分析によって、現在の中国社会は植民地・半植民地・半封建の性質をもつ社会であることがわかった。中国革命の対象、中国革命の任務、中国革命の原動力、中国革命の性質、中国革命の前途と転化をはっきり理解するには、中国社会の性質をはっきり理解する以外にない。したがって、中国社会の性質をはっきり理解すること、つまり、中国の国情をはっきり理解することは、革命のすべての問題をはっきり理解する基本的なよりどころである。
現在の中国社会の性質が植民地・半植民地・半封建のものである以上、中国革命の現段階の主要な対象あるいは王要な敵はいったいだれであろうか。
それはほかでもなく、帝国主義と封建主義、つまり帝国主義国のブルジョア階級と自国の地主階級である。なぜなら、現段階の中国社会で中国社会の発展をおさえ、はばんでいる主要なものはほかでもなく、この二つだからである。この二つはたがいに結託して中国人民を抑圧しているが、帝国主義の民族的抑圧が最大の抑圧であり、したがって、帝国主義は中国人民の第一の、そしてもっとも凶悪な敵である。
日本が中国に武力侵入してからは、中国革命の主要な敵は、日本帝国主義および日本と結託して公然と投降したか、あるいは投降しようとしているすべての民族裏切り者と反動派である。
中国のブルジョア階級も、もともと帝国主義から抑圧されており、辛亥革命のように、革命闘争を指導して主要な指導的役割を演じたこともあれば、北伐戦争や現在の抗日戦争のように、革命闘争に参加したこともある。だが、このブルジョア階級の上層部、つまり国民党反動集団に代表される層は、かつて一九二七年から一九三七年までの長い期間、帝国主義と結託するとともに、地主階級と反動的同盟をむすんで、以前かれらを援助した友――共産党、プロレタリア階級、農民階級、その他の小ブルジョア階級を裏切り、中国革命を裏切り、革命の失敗をもたらした。したがって、当時、革命的な人民と革命的な政党(共産党)は、これらのブルジョア分子を革命の対象の一つにせざるをえなかった。抗日戦争では、汪精衛に代表される大地主・大ブルジョア階級の一部がすでに寝がえりをうち、民族裏切り者になりさがった。したがって、抗日の人民はやはり、民族の利益を裏切ったこれらの大ブルジョア分子を革命の対象の一つにせざるをえなくなった。
このことからもわかるように、中国革命の敵は異常に強大なものである。中国革命の敵には、強大な帝国主義があるばかりでなく、強大な封建勢力があり、しかも、一定の時期には、帝国主義、封建勢力と結託して人民に敵対するブルジョア階級の反動派もある。したがって、中国の革命的人民の敵の力を軽視するような観点は正しくない。
このような敵をまえにしていることから、中国革命の長期性と残酷性がうまれてくる。われわれの敵が異常に強大であるため、革命勢力は長い期間をかけなければ、最終的に敵にうち勝つだけの力をたくわえることも、きたえあげることもできない。また、中国革命にたいする敵の弾圧が異常に残酷であるため、革命勢力は、自分の頑強性をきたえ、発揮しなければ、自分の陣地を堅持することも、敵の陣地を奪取することもできない。したがって、中国の革命勢力がまたたくまに組織され、中国の革命闘争がたちまちのうちに勝利することができるというような観点は、正しくない。
このような敵をまえにしていることから、中国革命の主要な方法、中国革命の主要な形態は平和的なものではありえず、武力的なものでなければならないこともきまってくる。なぜなら、われわれの敵は中国人民に平和的に活動する可能性をあたえず、中国人民にはいかなる政治的な自由の権利もないからである。スターリンは「中国では、武装した革命が武装した反革命とたたかっている。これは、中国革命の特徴の一つであり、その長所の一つでもある」といっている〔23〕。これは、まったく正しい規定である。したがって、武装闘争を軽視し、革命戦争を軽視し、遊撃戦争を軽視し、軍隊にかんする活動を軽視するような観点は、正しくない。
このような敵をまえにしていることから、革命の根拠地の問題もうまれてくる。強大な帝国主義とその中国における反動的同盟軍は、つねに長期にわたって中国の中心都市を占領するのだから、もし革命の隊列が帝国主義およびその手先との妥協をのぞまず、あくまでもたたかいつづけようとするなら、もし革命の隊列が自分の力をたくわえ、きたえあげようとし、力のたりないうちに強大な敵と勝敗を決する戦闘をおこなうのをさけようとするならば、おくれた農村をすすんだ強固な根拠地にきずきあげ、これを軍事、政治、経済、文化のうえでの偉大な革命の陣地にきずきあげなければならない。そうすることによって、都市を利用して農村地域を攻撃してくる凶悪な敵とたたかい、また、長期の戦闘をつうじてしだいに革命の全面的勝利をたたかいとるのである。こうした状況のもとでは、中国経済の発展が不均等なこと(統一的な資本主義経済でないこと)、中国の土地が広大なこと(革命勢力に機動の余地があること)、中国の反革命陣営の内部が不統一で、さまざまな矛盾にみちていること、中国革命の主力軍である農民の闘争がプロレタリア政党である共産党の指導のもとにあること、こうしたことによって、一方では、中国革命がまず農村地域で勝利する可能性がうまれ、他方ではまた、革命の不均等状態がつくりだされて、革命の全面的勝利をたたかいとる事業に長期性と苦難性がもたらされる。このことからもわかるように、このような革命の根拠地でおこなわれる長期の革命闘争は、主として、中国共産党の指導のもとでの農民の遊撃戦争である。したがって、農村地域を革命の根拠地にすることを無視する観点、農民にたいする骨の折れる活動を無視する観点、遊撃戦争を無視する観点は、いずれも正しくない。
だが、武装闘争に重点をおくことは、他の形態の闘争を放棄してもよいということではない。反対に、武装闘争以外のさまざまな形態の闘争の呼応がなければ、武装闘争は勝利を得ることができない。また、農村根拠地での活動に重点をおくことは、都市での活動や、まだ敵の支配下にある他の広大な農村での活動を放棄してもよいということではない。反対に、都市での活動や他の農村での活動がなければ、農村の根拠地は孤立し、革命は失敗するのである。しかも、革命の最終目的は、敵の主要な根拠地となっている都市を奪取することであって、都市での十分な活動がなければ、この目的をたっすることはできない。
このことからもわかるように、革命を農村と都市でともに勝利させるには、人民にたちむかう敵の主要な道具、すなわち敵の軍隊を破壊しなければ、それはやはり不可能である。したがって、戦争で敵軍を消滅するほかに、敵軍を瓦解させる活動も重要な活動になってくる。
このことからもわかるように、敵が長いあいだ占領している反動的な暗黒な都市と反動的な暗黒な農村で共産党の宣伝活動と組織活動をおこなうには、せっかち病的、冒険主義的な方針をとってはならず、隠蔽と精鋭化をはかり③、力をたくわえ、時機を待つという方針をとらなければならない。敵にたいする人民の闘争を指導する戦術としては、法律、命令、社会慣習のゆるす範囲の、公然とした合法的な、利用できるすべてのものを利用し、道理があり、有利であり、節度があるという観点から出発して、一歩一歩着実に根をおろし着実にたたかいをすすめていかなければならず、わめきたてたり、向こうみずにぶちあたっていくようなやり方では、けっして成功するものではない。
##第三節 中国革命の任務##
現段階での中国革命の敵が主として帝国主義と封建的地主階級である以上、現段階での中国革命の任務はなにか。
それは、疑いもなく、主としてこの二つの敵を打撃すること、すなわち、対外的には帝国主義の抑圧をくつがえす民族革命、対内的には封建的地主の抑圧をくつがえす民主主義革命であって、そのもっとも主要な任務は帝国主義をうちたおす民族革命である。
中国革命の二大任務はたがいに関連している。帝国主義は封建的地主階級の主要な支持者であるから、もし帝国主義の支配をくつがえさなければ、封建的地主階級の支配をつぶすことはできない。反対にまた、封建的地主階級は帝国主義の中国支配の主要な社会的基礎であり、農民は中国革命の主力軍であるから、もし農民をたすけて封建的地主階級をうちたおさなければ、中国革命の強大な隊列を組織して帝国主義の支配をくつがえすことはできない。したがって、民族革命と民主主義革命という二つの基本的任務は、たがいに区別されるとともに、たがいに統一されている。
中国のこんにちの民族革命の任務は、主として国土に侵入してきた日本帝国主義とたたかうことであり、また民主主義革命の任務は、戦争の勝利をかちとるために完遂しなければならないものであるから、この二つの革命の任務はすでに一つにむすびついている。民族革命と民主主義革命とをまったく異なるニつの革命段階にわけるような観点は、正しくない。
##第四節 中国革命の原動力##
現段階の中国社会の性質、中国革命の対象、中国革命の任務についての分析と規定によると、中国革命の原動力はなにか。
中国社会が植民地・半植民地・半封建の社会であり、中国革命の対象が主として中国における外国帝国主義の支配と国内の封建主義であり、中国革命の任務がこの二つの抑圧者をうちたおすことである以上、中国社会の各階級、各階層のなかで、どんな階級、どんな階層が帝国主義および封建主義とたたかう力になりうるのか。これが現段階における中国革命の原動力の問題である。この革命の原動力の問題をはっきり認識することによってはじめて、中国革命の基本戦術の問題を正しく解決することができる。
現段階の中国社会にはどんな階級があるか。地主階級があり、ブルジョア階級がある。地主階級とブルジョア階級の上層部は、いずれも中国社会の支配階級である。また、プロレタリア階級があり、農民階級があり、農民以外のさまざまな類型の小ブルジョア階級がある。この三つの階級は、こんにちの中国のもっとも広大な領土において、いまなお被支配階級である。
これらすべての階級の中国革命にたいする態度と立場は、もっぱらかれらが社会経済のなかでしめている地位によってきまるのである。したがって、社会経済の性質は、革命の対象と任務を規定しているばかりでなく、革命の原動力をも規定している。
つぎに、中国社会の各階級を分析してみよう。
##一 地主階級##
地主階級は、帝国主義の中国支配の主要な社会的基礎であり、封建制度によって農民を搾取し抑圧する階級であり、政治的、経済的、文化的に中国社会の前進をさまたげ、すこしも進歩的役割をもたない階級である。
したがって、階級としてみれば、地主階級は革命の対象であって、革命の原動力ではない。
抗日戦争のなかで、一部の大地主は、一部の大ブルジョア階級(投降派)に追随して、すでに日本侵略者に投降し、民族裏切り者になっている。他の一部の大地主は、他の一部の大ブルジョア階級(頑迷派)に追随しており、まだ抗戦陣営の内部にとどまってはいるが、やはり非常に動揺している。しかし、多くの中小地主出身の開明紳士、すなわちいくらか資本主義的色彩をもった地主たちには、まだ抗日の積極性があるので、われわれはやはりかれらとも団結して、いっしょに抗日する必要がある。
##二 ブルジョア階級##
ブルジョア階級は、買弁性をおびた大ブルジョア階級と民族ブルジョア階級に区別される。買弁性をおびた大ブルジョア階級は、直接に帝国主義国の資本家につかえるとともに、かれらにやしなわれている階級であり、農村の封建勢力とこみいった無数のつながりをもっている。したがって、中国の革命史上では、買弁性をおびた大ブルジョア階級は、これまでずっと、中国革命の原動力ではなくて、中国革命の対象であった。
しかし、買弁性をおびた中国の大ブルジョア階級はいくつかの帝国主義国にそれぞれ属しているので、いくつかの帝国主義国のあいだの矛盾がするどい対立をみせ、革命が主としてある一つの帝国主義とたたかうばあいには、他の帝国主義の系統に属する買弁階級は、やはり、一定の程度、一定の期間、当面の反帝国主義戦線に参加する可能性をもっている。だが、いったんかれらの主人が中国革命に反対するようになると、かれらもすぐ革命に反対する。
抗日戦争のなかで、親日派の大ブルジョア階級(投降派)は、すでに投降したか、あるいは投降しようとしている。欧米派の大ブルジョア階級(頑迷派)は、まだ抗日陣営の内部にとどまってはいるが、やはり非常に動揺しており、かれらこそ、一面では抗日、一面では反共の二面的人物である。大ブルジョア階級の投降派にたいするわれわれの政策は、かれらを敵としてあつかい、断固としてかれらをうちたおすことである。大ブルジョア階級の頑迷派にたいしては、革命的な二面政策をもってあたることである。すなわち、一方では、かれらと連合する。それは、かれらがまだ抗日しており、かれらと日本帝国主義との矛盾はやはり利用すべきものだからである。また、他方では、かれらと断固闘争する。それは、かれらが抗日と団結を破壊する反共、反人民の高圧政策をとっており、これと闘争しなければ、抗日と団結を危うくするからである。
民族ブルジョア階級は、二重性をおびた階級である。
一方では、民族ブルジョア階級は、帝国主義の抑圧をうけ、また封建主義の束縛をもうけているので、帝国主義および封建主義とのあいだに矛盾がある。この面からいえば、かれらは革命の力の一つである。中国の革命史上では、かれらも帝国主義反対、官僚・軍閥政府反対で一定の積極性をしめしたことがある。
だが、他方では、かれらの経済的、政治的軟弱性から、また帝国主義および封建主義との経済的なつながりをまだ完全にはたちきっていないことから、かれらは徹底した反帝、反封建の勇気ももっていない。とくに民衆の革命の力が強大になったときには、こうした状況がもっともはっきりあらわれてくる。
民族ブルジョア階級のこうした二重性はつぎのことを決定している。すなわち、かれらは一定の時期、一定の程度で帝国主義反対、官僚・軍閥政府反対の革命に参加することができ、革命の一つの力になりうる。だが、他の時期には、買弁大ブルジョア階級に追随して、反革命の助手となる危険がある。
中国における民族ブルジョア階級、それは主として中層ブルジョア階級であって、かれらは一九二七年から一九三一年(九・一八事変)まで大地主・大ブルジョア階級に追随して革命に反対したが、基本的にはまだ政権をにぎったことがなく、政権をにぎる大地主・大ブルジョア階級の反動政策にしぼられてきた。抗日の時期には、かれらは、大地主・大ブルジョア階級の投降派とちがいがあるばかりでなく、大ブルジョア階級の頑迷派ともちがいがあり、いまもやはりわれわれの比較的よい同盟者である。したがって、民族ブルジョア階級にたいして慎重な政策をとることは、ぜひとも必要なことである。
##三 農民以外のさまざまな類型の小ブルジョア階級##
農民以外の小ブルジョア階級には、広範な知識人、小商人、手工業者、自由職業者がふくまれる。
これらすべての小ブルジョア階級は、農民階級のなかの中農の地位にいくらか似ており、帝国主義、封建主義、大ブルジョア階級の抑圧をうけて、日ましに破産と没落の羽目においやられている。
したがって、これらの小ブルジョア階級は、革命の原動力の一つであり、プロレタリア階級のたよりになる同盟者である。これらの小ブルジョア階級も、プロレタリア階級の指導のもとでのみ解放されるのである。
ここで、農民以外の、さまざまな類型の小ブルジョア階級を分析してみよう。
第一は、知識人と青年学生である。知識人と青年学生は、一階級または一階層をなしていない。しかし、かれらの出身家庭、かれらの生活条件、かれらの政治的立場からみれば、現代の中国の知識人と青年学生の大部分は小ブルジョア階級の範囲にいれることができる。数十年来、中国には大量の知識人と青年学生があらわれた。これらの人びとのなかで、帝国主義と大ブルジョア階級に接近し、かれらにつかえて民衆に反対する一部の知識人をのぞけば、一般には、帝国主義、封建主義、大ブルジョア階級の抑圧をうけ、失業と学業中断の脅威にさらされている。したがって、かれらは大きな革命性をもっている。かれらは多かれ少なかれ、資本主義の科学知識を身につけ、政治感覚に富み、現段階の中国革命のなかではしばしば先頭部隊としての、かけ橋の役割をはたしている。辛亥革命前の留学生の運動、一九一九年の五・四運動、一九二五年の五・三〇運動、一九三五年の一二・九運動は、そのあきらかな例証である。ことに広範な比較的まずしい知識人は、労働者、農民といっしょになって革命に参加し、革命を支持することができる。マルクス・レーニン主義の思想が、中国でひろくつたわり、うけいれられたのも、最初はやはり、知識人と青年学生のあいだであった。革命勢力の組織化と革命事業の建設は、革命的知識人の参加なしには成功しない。だが、知識人が、まだ大衆の革命闘争と一体にならず、まだ大衆の利益に奉仕し大衆とむすびつく決意をかためないうちは、とかく主観主義と個人主義の傾向をおび、かれらの思想はとかく空虚で行動もとかく動揺的である。したがって、中国の広範な革命的知識人は、先頭部隊としての、かけ橋の役割をもってはいるが、これらの知識人のすべてが最後まで革命をやりぬけるわけではない。そのうち一部のものは、革命の重大な瀬戸ぎわになると、革命の隊列からはなれて消極的な態度をとるようになり、そのうち少数のものは、革命の敵になってしまう。知識人のこのような欠点は、長期の大衆闘争のなかでなければ克服できない。
第二は、小商人である。かれらは、小さな店をひらいているが、一般には店員をやとわないか、少数の店員しかやとわない。帝国主義、大ブルジョア階級、高利貸しの搾取によって、かれらは破産の脅威にさらされている。
第三は、手工業者である。その数は非常に多い。かれらは、自分で生産手段をもっているが、労働者をやとわないか、一、二の徒弟または手伝いしかやとわない。かれらの地位は中農に似ている。
第四は、自由職業者である。さまざまな職をもつ自由職業者がおり、医師もその一つである。かれらは、他人を搾取しないか、ごくわずかしか搾取しない。かれらの地位は手工業者に似ている。
以上にのべた小ブルジョア階級の諸構成部分はおびただしい人口にのぼっている。かれらは、一般に、革命に参加し革命を支持することができ、革命のよい同盟者であり、したがって、かれらを獲得し保護しなければならない。かれらのうち一部のものはブルジョア階級の影響をうけやすい欠点をもっており、したがって、かれらのあいだで革命の宣伝活動と組織活動をおこなうよう心がけなければならない。
##四 農民階級##
農民は、全国総人口のおよそ八〇パーセントを占め、現在の中国国民経済の主要な力である。
農民の内部ははげしい分化の過程にある。
第一は、富農である。富農は、農村人口の五パーセント前後を占めており(地主とあわせれば農村人口の一〇パーセント前後を占める)、農村のブルジョア階級とよばれる。中国の富農の大多数は、一部の土地を小作にだし、また高利貸しもやっており、雇農にたいする搾取も残酷で半封建性をおびている。しかし、富農は一般に自分も労働に参加しており、この点では農民の一部でもある。富農の生産は一定の時期にはやはり有益である。富農は、一般に農民大衆の帝国主義反対の闘争になんらかの力をだす可能性があるし、地主反対の土地革命闘争でも中立をたもつ可能性がある。したがって、われわれは、富農を地主とちがいのない階級とみてはならないし、富農消滅の政策をはやくとりすぎてはならない。
第二は、中農である。中農は中国農村人口のニ○パーセント前後を占めている。中農は、一般には、他人を搾取せず、経済的に自給自足することができる(しかし、豊作のときにはいくらかの余裕ができ、ときにはすこしばかりの雇用労働をつかったり、小金を貸したらすることもある)が、しかし、帝国主義、地主階級、ブルジョア階級の搾取をうけている。中農には政治的権利がない。一部の中農は土地がたりず、いくらか余分に土地をもっているのは一部の中農(富裕中農)だけである。中農は、反帝国主義革命と土地革命に参加できるばかりでなく、社会主義をもうけいれることができる。したがって、すべての中農は、プロレタリア階級のたよりになる同盟者となりうるし、革命の重要な原動力の一部分である。中農の態度の向背は、革命の勝敗を決定する一つの要素であり、土地革命ののち中農が農村で大多数を占めたばあいには、とくにそうである。
第三は、貧農である。中国の貧農は、雇農をふくめて、農村人口のほぼ七〇パーセントを占めている。貧農は、土地をもたないか土地のたりない、膨大な数にのぼる農民大衆であり、農村の半プロレタリア階級であり、中国革命のもっとも大きな原動力であり、プロレタリア階級の本来の、もっともたよりになる同盟者であり、中国革命の隊列のなかの主力軍である。貧農と中農は、プロレタリア階級の指導のもとでのみ解放をかちとることができ、プロレタリア階級も、貧農、中農とかたい同盟をむすんでのみ革命を勝利にみちびくことができるのであって、そうしないかぎりそれは不可能である。農民ということばにふくまれる内容は、主として貧農と中農をさしている。
##五 プロレタリア階級##
中国のプロレタリア階級のうち、近代産業労働者はほぼ二百五十万から三百万、都市の小工業と手工業の雇用労働者と商店の店員はほぼ千二百万で、このほか農村のプロレタリア階級(すなわち雇農)および都市と農村のその他のプロレタリアも膨大な数にのぼっている。
中国のプロレタリア階級は、プロレタリア階級一般の基本的な長所、すなわちもっともすすんだ経済形態とつながっていること、組織性、規律性に富んでいること、生産手段を私有していないことのほかにも、多くのきわだった長所をもっている。
中国のプロレタリア階級には、どのようなきわだった長所があるだろうか。
第一に、中国のプロレタリア階級は、三重の抑圧(帝国主義の抑圧、ブルジョア階級の抑圧、封建勢力の抑圧)をうけており、しかも、その抑圧のきびしさと残酷さは世界の諸民族のうちでもまれである。したがって、かれらは、革命闘争のなかで、他のどの階級よりも断固としており、徹底している。植民地・半植民地の中国には、ヨーロッパのような社会改良主義の経済的基礎がないので、ごく少数の労働貴族をのぞいては、この階級は全体がもっとも革命的である。
第二に、中国のプロレタリア階級は、革命の舞台に登場しはじめたときから、この階級の革命政党――中国共産党の指導をうけて、中国社会でもっとも意識の高い階級となった。
第三に、中国のプロレタリア階級は、破産した農民の出身者が多数を占めているので、広範な農民とのあいだに本来的なつながりをもち、農民と親密な同盟をむすぶのに都合がよい。
したがって、中国のプロレタリア階級は、人数が比較的少ないこと(農民にくらべて)、歴史が比較的あさいこと(資本主義国のプロレタリア階級にくらべて)、文化水準が比較的ひくいこと(ブルジョア階級にくらべて)などのさけがたい弱点をもつにもかかわらず、かれらは結局のところ中国革命のもっとも基本的な原動力となっている。中国革命は、プロレタリア階級の指導がなければ、どうしても勝利することはできない。遠い例は辛亥革命で、当時はまだプロレタリア階級の意識的な参加もなく、共産党もなかったので、これは流産してしまった。近い例は一九二四年から一九二七年までの革命で、このときはプロレタリア階級の意識的な参加と指導があり、すでに共産党があったので、一時期、大きな勝利をおさめることができた。だが、のちに大ブルジョア階級がプロレタリア階級との同盟を裏切り、共同の革命綱領を裏切ったので、また、当時の中国のプロレタリア階級とその政党がまだ豊富な革命の経験をもっていなかったので、結局は失敗に終わった。抗日戦争がはじまってからは、プロレタリア階級と共産党が抗日民族統一戦線を指導しているので、全民族を団結させ、偉大な抗日戦争を発動し、堅持している。
中国のプロレタリア階級は、つぎのことを理解しなければならない。すなわち自分自身はもっとも高い意識ともっとも高い組織性をもつ階級ではあるが、自分の階級の力だけでは勝利することができない。勝利するには、さまざまな異なった状況のもとで、結集できるすべての革命的な階級と階層を結集して、革命の統一戦線を組織しなければならない。中国社会の各階級のうち、農民は労働者階級のゆるぎない同盟軍であり、都市小ブルジョア階級もたよりになる同盟軍であり、民族ブルジョア階級は一定の時期、一定の程度での同盟軍であること、これは現代の中国革命の歴史がすでに証明している根本法則の一つである。
##六 ルンペン##
中国の植民地・半植民地の地位は、中国の農村や都市の膨大な失業者群をつくりだしている。この失業者群のなかには、まともな生活の道をいっさいたたれ、生きていくためにいかがわしい職業をもとめざるをえない人がたくさんいる。これが、匪賊、ごろつき、こじき、娼妓、そしてまた迷信を業とする多くのもののうまれてくるみなもとである。この階層は動揺的な階層で、そのうちの一部のものは反動勢力に買収されやすいが、他の一部のものは革命に参加する可能性をもっている。だが、かれらは建設性に欠けており、建設的であるよりは破壊的であるので、革命に参加してからも、革命の隊列のなかの流賊主義や無政府主義思想のうまれてくるみなもとになる。したがって、かれらをうまく改造し、かれらの破壊性をふせぐよう注意しなければならない。
以上が、中国革命の原動力についての、われわれの分析である。
##第五節 中国革命の性質##
われわれは、すでに中国社会の性質、すなわち中国の特殊な国情を知ったが、これは、中国革命のすべての問題を解決するもっとも基本的なよりどころである。われわれはまた、中国革命の対象、中国革命の任務、中国革命の原動力を知ったが、これらはみな、中国社会の特殊な性質、中国の特殊な国情からうまれた、現段階の中国革命にかんする基本問題である。これらすべての点を知ったので、われわれはつぎに現段階の中国革命のもう一つの基本問題、すなわち中国革命の性質がなんであるかを知ることができる。
現段階の中国革命は、いったいどんな性質の革命であろうか。ブルジョア民主主義革命であろうか、それともプロレタリア社会主義革命であろうか。あきらかに、後者ではなくて前者である。
中国社会がまだ植民地・半植民地・半封建の社会である以上、中国革命の敵がまだ主として帝国主義と封建勢力である以上、中国革命の任務がこの二つの主要な敵をうちたおす民族革命と民主主義革命である以上、しかも、この二つの敵をうちたおす革命にはブルジョア階級が参加することもあって、たとえ大ブルジョア階級が革命を裏切って革命の敵になったとしても、革命のほこ先はやはり資本主義一般と資本主義的私有財産にむけられるのではなくて、帝国主義と封建主義にむけられる以上、現段階の中国革命の性質は、プロレタリア社会主義的なものではなくて、ブルジョア民主主義的なものである〔24〕。
だが、現在の中国のブルジョア民主主義革命は、もはや、時代おくれになったふるい型の一般的なブルジョア民主主義革命ではなくて、新しい型の特殊なブルジョア民主主義革命である。このような革命はいま中国およびすべての植民地、半植民地諸国で発展しつつあるもので、われわれはこのような革命を新民主主義革命とよんでいる。このような新民主主義革命は、世界プロレタリア社会主義革命の一部分であり、帝国主義すなわち国際資本主義と断固たたかうものである。それは、政治的には、いくつかの革命的階級が連合して帝国主義者と民族裏切り者、反動派にたいしておこなう独裁であり、中国社会をブルジョア独裁の社会とすることに反対する。それは、経済的には、帝国主義者と民族裏切り者、反動派の大資本、大企業を没収して国家の経営にうつし、地主階級の土地を分配して農民の所有にうつすが、同時に、一般の私的資本主義企業は保存し、富農経済も消滅しない。したがって、このような新しい型の民主主義革命は、一方では資本主義のために道をはききよめろが、他方では社会主義のために前提をつくりだすものである。中国の現在の革命段階は、植民地・半植民地・半封建の社会を終結させ社会主義社会を樹立するまでの一つの過渡的段階であり、新民主主義革命の過程であるいこの過程は第一次世界大戦とロシア十月革命ののちにはじめてうまれたもので、中国では一九一九年の五・四運動からはじまったものである。新民主主義革命とは、プロレタリア階級の指導のもとにおける人民大衆の反帝・反封建の革命のことである。中国の社会が、さらに一歩すすんで社会主義の社会に発展していくには、この革命を経なければならず、そうしないかぎりそれは不可能である。
このような新民主主義革命は、過去における欧米諸国の民主主義革命とは大いに異なっている。それは、ブルジョア階級の独裁をつくりあげるのではなくて、プロレタリア階級の指導のもとにおける革命的諸階級の統一戦線の独裁をつくりあげるのである。抗日戦争中、中国共産党の指導する各抗日根拠地にうちたてられる抗日民主政権は、抗日民族統一戦線の政権である。それは、ブルジョア階級一階級の独裁でもなければ、プロレタリア階級一階級の独裁でもなくて、プロレタリア階級の指導のもとにおけるいくつかの革命的階級が連合しておこなう独裁である。抗日にも賛成し、民主主義にも賛成するものでさえあれば、どの政党どの政派に属するものでも、みなこの政権に参加する資格をもっている。
このような新民主主義革命は、社会主義革命とも異なっている。それは、中国における帝国主義と民族裏切り者、反動派の支配をくつがえすだけであって、反帝・反封建にまだ参加しうる資本主義的要素はどのようなものも破壊しない。
こうした新民主主義革命は、孫中山が一九二四年に主張した三民主義の革命と基本的には一致している。孫中山は、この年に発表した『中国国民党第一回全国代表大会宣言』で、「近世各国のいわゆる民権制度は、往々にしてブルジョア階級に専有され、まさしく平民を抑圧する道具になっている。国民党の民権主義についていえば、一般平民の共有するものであって、少数のものが私しうるものではない」といい、「すべて中国人および外国人の企業で、独占的性質をもつか、もしくは規模が大きすぎて私的な力では経営できないもの、たとえば銀行、鉄道、航空事業などのたぐいは、国家がこれを経営管理し、私有資本制度が国民の経済生活を左右できないようにする。これが資本節制の主旨である」ともいっている。孫中山はまたその遺言のなかで、「民衆をよびさまし、そして、世界でわれらを平等に遇する民族と連合し、ともに奮闘しなければならない」という内政、外交の根本原則を指摘している。すべてこうした点から、ふるい国際的、国内的環境に照応した旧民主主義的な三民主義は新しい国際的、国内的環境に照応した新民主主義的な三民主義に改造されたのである。中国共産党が一九三七年九月二十二日に発表した宣言で、「三民主義は中国がこんにち必要とするものであり、わが党はその徹底的な実現のために奮闘するものである」と声明したのは、他のいかなる三民主義でもなく、このような三民主義をさすのである。このような三民主義は、孫中山の三大政策、すなわち連ソ・連共・農労援助の政策をとる三民主義である。新しい国際的、国内的条件のもとでは、三大政策をはなれた三民主義は革命の三民主義ではない(共産主義と三民主義は、民主主義革命の基本的政治綱領のうえでおなじであるだけで、ほかのすべての点では、みな異なっているが、この問題については、ここではふれない)。
こうして、中国のブルジョア民主主義革命では、その闘争の戦線(統一戦線)からいっても、その国家構成からいっても、プロレタリア階級、農民階級、その他の小ブルジョア階級の地位が無視できなくなっている。中国のプロレタリア階級、農民階級、その他の小ブルジョア階級をそっちのけにしようとするものは、中華民族の運命をけっして解決することができないし、中国のいかなる問題をもけっして解決することができない。中国の現段階の革命がうちたてようとする民主共和国は、かならず労働者、農民、その他の小ブルジョア階級がそのなかで一定の地位をしめ、一定の役割をはたす民主共和国でなければならない。いいかえれば、労働者、農民、都市小ブルジョア階級およびその他すべての反帝・反封建的な人びとの革命的同盟による民主共和国でなければならない。このような共和国の徹底的な実現は、プロレタリア階級の指導のもとでのみ可能である。
##第六節 中国革命の前途##
現段階での中国社会の性質、中国革命の対象、任務、原動力、性質というこれらの基本問題をはっきりさせたので、中国革命の前途の問題、つまり中国のブルジョア民主主義革命とプロレタリア社会主義革命との関係の問題、中国革命の現在の段階と将来の段階との関係の問題もたやすく理解することができる。
現段階の中国のブルジョア民主主義革命が、一般のふるい型のブルジョア民主主義革命ではなくて、特殊の新しい型の民主主義革命であり、新民主主義革命である以上、しかも中国革命が、二〇世紀の三十年代から四十年代にかけての新しい国際環境、すなわち社会主義の高揚、資本主義の低落という国際環境におかれ、第二次世界大戦と革命の時代におかれている以上、中国革命の終極の前途も、資本主義的なものではなくて、社会主義的、共産主義的なるのであることは、疑問の余地がない。
現段階の中国革命が植民地・半植民地・半封建の社会という現在の地位をあらためるために、すなわち新民主主義革命の達成のためにたたかうものである以上、革命の勝利後、資本主義の発展の途上によこたわる障害物が一掃されたことによって中国の社会で資本主義経済が一定の程度まで発展することはもちろん予想できるし、ふしぎなことでもない。資本主義が一定の程度まで発展することは、経済のおくれている中国で民主主義革命の勝利後さけられない結果である。しかし、これは中国革命の結果の全部ではなく、結果の一つの面にすぎない。中国革命の結果全体としては、一面では資本主義的要素の発展をみせ、もう一面では社会主義的要素の発展をみせる。この社会主義的要素とはなにか。それは、全国の政治勢力のなかでプロレタリア階級と共産党の比重が増大することであり、農民、知識人、都市小ブルジョア階級がプロレタリア階級と共産党の指導権をすでに認めたか、あるいはそれを認める可能性があることであり、民主共和国の国営経済と勤労人民の協同組合経済である。これらはすべて社会主義的要素である。そのうえ国際環境の有利なことがくわわれば、中国のブルジョア民主主義革命が終局において資本主義の前途をさけ、社会主義の前途を実現するというきわめて大きな可能性がどうしてもうまれるようになる。
##第七節 中国革命の二重の任務と中国共産党##
この章の各節でのべたことをまとめてみると、中国革命全体は二重の任務をもっていることがわかる。つまり中国革命は、ブルジョア民主主義的性質の革命(新民主主義革命)とプロレタリア社会主義的性質の革命、現在の段階の革命と将来の段階の革命という二重の任務をもっている。この二重の革命の任務にたいする指導は、いずれも中国のプロレタリア政党 中国共産党の双肩にかかっているのであり、中国共産党の指導なしには、どのような革命も成功をおさめることができない。
中国のブルジョア民主主義革命(新民主主義革命)を達成するとともに、すべての必要条件がそなわったときそれを社会主義革命の段階に転化させること、これが中国共産党の光栄ある偉大な革命的任務の全部である。共産党員の一人ひとりは、このために奮闘すべきであって、絶対に中途でやめてはならない。一部の未熟な共産党員は、われわれには現在の段階の民主主義革命の任務があるだけで、将来の段階の社会主義革命の任務はないと考えたり、現在の革命や土地革命は社会主義革命であると考えたりしている。これらの観点はあやまりであることを、とくに指摘しなければならない。共産党員の一人ひとりは、中国共産党の指導する中国の革命運動全体が民主主義革命と社会主義革命という二つの段階をふくむ革命運動の全部であること、これは性質の異なる二つの革命の過程であり、まえの革命の過程を完結させないかぎり、あとの革命の過程を完結できないことを、知らなければならない。民主主義革命は社会主義革命の必要な準備であり、社会主義革命は民主主義革命の必然の趨勢である。そして、すべての共産主義者の最終目的は、社会主義社会と共産主義社会の最終的な達成をたたかいとることである。民主主義革命と社会主義革命の区別および両者の連係をはっきり認識しないかぎり、中国革命を正しく指導することはできない。
中国の民主主義革命と中国の社会主義革命という二つの偉大な革命を徹底的に達成するよう指導するのは、中国共産党をのぞいて、他のいかなる政党(ブルジョア政党であれ、小ブルジョア政党であれ)にもできないことである。中国共産党は、党創立のその日から、このような二重の任務を自分の双肩ににない、しかもそのためにまる十八年も刻苦奮闘してきた。
こうした任務は、非常に光栄なものであるが、同時に非常に骨の折れるものでもある。全国的範囲の、ひろい大衆性のある、思想的、政治的、組織的に完全に強固な、ボリシェビキ化された中国共産党がなければ、このような任務を達成することはできない。したがって、このような共産党を積極的に建設することは、共産党員一人ひとりの責務である。
〔 ##注## 〕
〔1〕 中国で羅針盤が発明されたという話はずっと昔からつたわっている。西紀前三世紀の戦国時代の『呂氏春秋』に「磁石は鉄を召す」ということばがあるのをみても、当時、中国人はすでに、磁石が鉄を吸いつけるということを知っていたことがわかる。一世紀のはじめ、すなわち東漢の初年、王充の『論衡』に、磁勺の柄か南をさすとのべてあるのをみると、磁石が極をさす性質をもつことは、当時すでに発見されていたことがわかる。一二世紀のはじめ、すなわち宋の徽宗のころ、朱或の『萍洲可談』と徐兢の『宣和奉使高麗図経』には、航海用羅針盤のことがのべてあり、当時すでに羅針盤の使用が相当ゆきわたっていたことがわかる。
〔2〕 東漢の宦官蔡倫は、樹皮、麻くず、ぼろ布、漁網をつかって紙をつくることを発明した。西紀一〇五年、すなわち漢の和帝の未年に、蔡倫はこの発明を皇帝にひきわたした。それ以後、一般にひろく用いられるようになり、「蔡侯紙」とよばれた。
〔3〕 中国の印刷術は、隋朝、すなわち西紀六〇〇年前後にはじまった。
〔4〕 宋の仁宗の慶暦年間(西紀一○四一~一○四八年)に、畢昇が活字印刷を発明した。
〔5〕 中国では、火薬は九世紀に発明されたものといい伝えられている。一一世紀のころになると、中国ではすでに火薬をつかって火砲をつくり、戦争に用いられていた。
〔6〕 これは中国のさいしょの農民の大蜂起であった。西紀前二〇九年、すなわち秦の二世元年、陳勝、呉広は駐屯地におもむく途中、[”くさかんむり”の下に”單+斤”]県(いまの安徽省宿県)地方で、同行の守備兵九百人をひきいて、秦朝の暴政に反抗する蜂起をおこし、全国がこれに呼応した。項羽とその叔父項梁は呉(いまの江蘇省呉県)で兵をあげ、劉邦は沛(いまの江蘇省沛県)で兵をあげた。項羽の部隊は秦軍の主力を消滅したが、劉邦の部隊はさきに関中と秦の首都を占領した。その後、劉邦と項羽の双方が争い、項羽が敗死し、劉邦がついに秦にかわって皇帝となり、漠朝の創始者になった。
〔7〕 西漢の末年には、あちこちで農民騒動や小規模な農民蜂起がおこった。西紀八年、王莽は漢にかわって皇帝になり、農民の騒動をゆるめようとして、いくらかの改革策をかかげた。当時、南部に大飢饉がおこり、新市(いまの湖北省京山県)の人、王匡、王鳳は飢えた民衆から指導者におされて蜂起をおこした。その後、この農民軍は南陽に攻めいり、「新市兵」と称した。平林(いまの湖北省随県の東北部)の人、陳牧ら千余人も蜂起し、「平林兵」と称した。赤眉と銅馬もやはり王莽時代の農民蜂起軍で、銅馬の蜂起した地区は河北の中部一帯であり、赤眉の蜂起した地区は山東の中部一帯である。赤眉の指導者は樊崇であり、蜂起に参加したものはみな眉を赤くぬっていたので「赤眉軍」と称した。「赤眉軍」は当時最大の農民蜂起軍であった。
〔8〕 西紀一八四年、東漢の霊帝のとき、張角は農民を指導して蜂起をおこなった。蜂起軍はみな黄色の頭巾をかぶって目じるしにした。
〔9〕 七世紀のはじめ、すなわち隋朝の末年には、農民がしきりに蜂起した。李密、竇建徳は、当時蜂起した人物である。李密は河南、竇建徳は河北にいたが、かれらが指導する蜂起軍は、当時、非常に意気さかんな隊伍であった。
〔10〕 王仙芝は、西紀八七四年(唐の僖宗年間)に山東地方で蜂起し、翌年、黄巣が民衆をあつめて、これに呼応した。本選集第一巻の『党内のあやまった思想の是正について』注〔2〕を参照。
〔11〕 宋江と方臘は、一二世紀のはじめ、宋の徽宗の宣和年間に北部と南部でおこった農民蜂起の有名な指導者であった。宋江は平原、山東、河北、河南、江蘇の境界地帯で、方臘は新江、安徽一帯で活躍した。
〔12〕 一三五一年、元の順帝の至正十一年、各地の人民が蜂起した。安徽の鳳陽の人、朱元璋は郭子興の蜂起軍に投じ、郭が死ぬと、その蜂起軍の指導者になり、ついに蒙古王朝の支配をくつがえし、明朝の初代皇帝となった。
〔13〕 本選集第一巻の『党内のあやまった思想の是正について』注〔3〕を参照。
〔14〕 本選集第一巻の『日本帝国主義に反対する戦術について』注〔33〕を参照。
〔15〕 一八五六年から一八六〇年にかけてイギリス、フランス両国は連合して、中国にたいする侵略戦争をおこし、アメリカと帝政ロシアも側面からかれらをたすけた。当時、清朝政府は、太平天国農民革命の弾圧に全力をあげていたので、外国の侵略者にたいしては消極的抵抗の政策をとった。イギリス、フランス連合軍は広州、天津、北京などの重要都市をあいついで攻略し、北京の圓明園を略奪し、焼きはらい、清朝政府にせまって「天津条約」と「北京条約」を締結させた。これらの条約は、おもに、天津、牛荘、登州、台湾、淡水、潮州、瓊州、南京、鎮江、九江、漢口などを通商港として開放すること、外国人が中国の奥地を旅行し、あるいは伝道する特権をもち、中国の河川を航行する特権をもつことを規定した。それ以後、外国の侵略勢力は、中国の沿海各省にいっそうひろがり、奥地にもふかくはいりこんだ。
〔16〕 一八八四年から一八八五年にかけてフランス侵略者はベトナムおよび広西、福建、台湾、淅江などを武力侵略した。中国の軍隊は、馮子材、劉永福らにひきいられて、敢然と抵抗し、しばしば勝利をおさめた。だが、腐敗した清朝政府は、戦争に勝利しながら、かえって屈辱的な「天津条約」を締結した。
〔17〕 一九〇〇年、イギリス、アメリカ、ドイツ、フランス、ロシア、日本、イタリア、オーストリアの八つの帝国主義国は、侵略に反抗する中国人民の義和団運動を弾圧するために、連合して出兵し、中国に進攻したが、中国人民は英雄的に抵抗した。八ヵ国連合軍は、大沽を攻めおとし、天津、北京を占領した。一九〇一年、清朝政府は、八つの帝国主義国と「辛丑条約」を締結した。この条約はおもに、中国が各国に軍費の賠償として銀四億五干方両の巨額を支払い、また、各帝国主義が北京および北京から天津、山海関にいたる一帯の地区に駐兵する不法な特権をもつことを規定した。
〔18〕 領事裁判権は、帝国主義国が旧中国政府を強迫して締結させた不平等条約のなかで規定している特権の一つで、一八四三年の中英「虎門条約」と一八四四年の中米「望廈条約」がそのはじまりである。この特権は、中国で領事裁判権をもつ国の居留民が中国で民事訴訟または刑事訴訟の被告となったばあい、中国の法廷はこれを裁判する権利がなく、当該国の領事だけが裁判できるというものである。
〔19〕 一九世紀の末以来、中国を侵略した帝国主義諸国は、それぞれの国の中国における経済的、軍事的勢力に応じて、中国のある地区を自国の勢力範囲にした。たとえば当時、長江の中流と下流の諸省はイギリスの勢力範囲、雲南省、広西省、広東省はフランスの勢力範囲、山東省はドイツの勢力範囲、また福建省は日本の勢力範囲にされていた。東北の遼寧、吉林、黒竜江三省は、もと帝政ロシアの勢力範囲にされていたが、一九○五年の日露戦争のあと、東北三省の南部が日本の勢力範囲となった。
〔20〕 帝国主義諸国は、清朝政府にせまって内河沿岸と沿海のいくつかの都市を通商港としてみとめさせたのち、かれらが適当と考える地方で一定の地区を強引に占拠して「租界」にした。このいわゆる「租界」のなかでは、中国の行政系統と法律制度から完全に独立した一連の支配制度、すなわち帝国主義の植民地制度が実行された。帝国主義は、またこうした「租界」をつうじて、政治的にも経済的にも、中国の封建・買弁階級の支配を直接または間接におさえた。一九二四年から一九二七年にかけての革命で、革命的大衆は、中国共産党の指導のもとに、租界をとりもどす運動をすすめ、一九二七年一月に漢□と九江のイギリス租界をとりもどした。だが、蒋介石が革命を裏切ってから、中国各地における帝国主義の租界は、ひきつづきのこされた。
〔21〕 コミンテルン第六回大会における『植民地、半植民地諸国の革命運動にかんするテーゼ』から引用。
〔22〕 一九二七年五月二十四日、スターリンがコミンテルン執行委員会第八回総会でおこなった演説『中国革命とコミンテルンの任務』から引用。
〔23〕 スターリンの『中国革命の見通しについて』から引用。
〔24〕 レーニンの『社会民主党の農業綱領』を参照。
〔 ##訳注## 〕
① 本巻の『五・四運動』注〔1〕を参照。
② 本巻の『持久戦について』注〔7〕を参照。
③ 「隠蔽と精鋭化をはかる」とは、革命の力を敵の破壊からまもり、しかも活動を展開するために、党の各級指導機関は行動のにぶくなるような組織の膨大化をかならずさけ、小規模な精鋭化したものにすべきこと、党勢の拡大は、党員の増加だけをはかるのではなくて、質と必要を重んじること、党組織と党員は、ふかく大衆のなかへはいって、広範な大衆と大衆組織のなかに根をおろし、社会運動の各方面にはいりこみ、絶対に露見してはならない、ということである。




