あくまでも大衆の大多数を信頼しよう (一九五七年十月十三日)
これは、毛沢東同志が最高国務会議第十三回会議でおこなった講話である。
整風は、いま大鳴、大放、大弁論、太子報という形式をさがしあてた。これは、大衆が創造した一つの新しい形式であって、わが党がこれまでにとってきた形式とは違ったものである。延安での整風のときにも、いくらか大字報が出たが、当時、われわれはそれを提唱しなかった。その後の「三査、三整」にも、このような形式はとらなかった。革命戦争の時期には、われわれに俸給を払ってくれる者もなく、銃砲を製造する工場もなく、われわれの党と軍隊は兵士にたより、地元の人民にたより、大衆にたよっていた。こうして、長いあいだに一種の民主的な作風が形づくられてきた。しかし、そのころには、いまのような大鳴、大故、大弁論、大字報はなかった。それはどうしてか。そのころは、陣太鼓がなりひびき、いくさの最中で、階級闘争がひじょうに激しかったため、内部でこのような大さわぎをするのは好ましくなかったからである。いまは状況が変わり、戦争も終わりを告げ、台湾省を除く全国がすべて解放されている。だから、このような新しい形式が現われてきたのである。新しい革命的内容は、新しい形式をざがしもとめる。現在の革命は社会主義革命であり、社会主義国家を建設するためのものであり、それがこのような新しい形式をさがしあてたのである。このような形式は、ごく短期間で普及させ、学びとることができる。数ヵ月間もかければ学びとることができよう。
大鳴、大放、大弁論、大宇報にたいしては、主として、二つの恐れがある。一つは、乱れるのを恐れることである。諸君は乱れるのを恐れてはいないか。わたしの見るところ、乱れるのを恐れている人がかなりいる。もう一つの点は、ひっこみがつかなくなるのを恐れることである。企業長、協同組合士任、学長、党委員会書記を担当している者は、ひとたび意見を「放」させて火が燃えあがると、どうやってひっこみをつければよいのか、と恐れている。いまでこそ説得しやすくなったが、五月ごろはなかなか説得するのが難しかった。北京の三十四の大学は、多くの会議をひらいて、やっと「放」ができるようになったのだ。なぜ恐れなくてもよいのか。なぜ「放」が有利なのか。大鳴大放が有利なのか、小鳴小放が有利なのか。それとも不鳴不放が有利なのか。木鳴不放は不利であり、小鳴小放では問題を解決することができず、やはり大鳴大放でなければならないのである。大鳴大放をやっても、一に乱れることはなく、二にひっこみがつかなくなるということはない。もちろん、個別的には例外の人もある。たとえば丁玲だが、彼女のばあいは、ひっこみかっかなくなっている。馮雪峰もそうだが、かれが火を放った目的は、共産党を焼きはらうことにあったので、ひっこみがつかなくなっている。こういう連中は少数であり、右派である。その他の人はひっこみがつくのであって、ひっこみがつかなくなると恐れる必要はない。どのみち官僚主義、セクト主義、主観主義といった欠点であるから、あればそれを改めればよいので、恐れることはない。要は、大衆の大多数を信じ、人民のなかの大多数はよい人だという点を信じることである。労働者の大多数はよい人であり、農民の大多数はよい人である。共産党の内部も、青年団の内部も、大多数はよい人である。かれらはわれわれの国を乱そうと考えているわけではない。ブルジョア知識分子、資本家、民主政党の成員も、その多数は改造できる。だから、われわれは乱れることを恐れる必要はない。乱れるはずもなく、乱れようもないのである。多数を信頼すべきであるが、ここでいう多数とは五一パーセントのことであろうか。そうではなくて、九○パーセントから九八パーセントのことである。
社会主義革命は、われわれにとっては新しい事がらである。過去、われわれは民主主義革命しかやったことがないが、それはブルジョア的性質の革命であって、個人的所有制をうちこわさず、民族資本主義的所有制をうちこわさず、帝国主義的所有制、封建主義的所有制、官僚資本主義的所有制のみをうちこわしたのである。だから、多くの人は民主主義革命という関所を越えることができた。そのうち、一部の者は徹底的な民主主義革命にたいし、もともと熱心ではなく、どうにか越えてきたのであり、一部の者は徹庇的な民主主義革命にたいし、大いにやる気概があって、この関所を越えてきたのである。いまは社会主義という関所を越えるわけだが、一部の者にとっては、どうも越えにくいようだ。たとえば、湘北省に雇農出身の共産党員がいるが、かれの家は三代つづきの乞食であった。解放後はうまれかわり、家も栄えて、本人は区の幹部になった。ところが、こんど、かれは社会主義にたいしてひじょうな不満をもち、どうしても協同化に賛成しようとせず、「自由」にやるといって、統一買付・統一販売に反対したのである。いま、かれにかんする展覧会をひらいて、階級教育をおこなっているが、かれは涙をはらはら流して、誤りを改めたいと言っている。なぜ社会主義という関所は越えにくいのだろうか。それは、この関所は資本主義的所有制をうち破って、これを社会主義的全人民所有制に変えるからであり、個人的所有制をうち破って、これを社会主義的集団所有制に変えるからである。もちろん、この闘争は長期にわたるものであるが、いったいどれぐらいの期間を過渡期と呼ぶべきか、いまのところ確定するのはまだ難しい。ことしはたたかいの一つのピークといえる。毎年、黄河の流れに洪水のピークがやってくるように、今後、年に一回このようなピークがやってくるのだろうか。おそらくそうではないとおもう。だが、このようなピークは今後もやってくるであろう。
現在、社会主義に賛成しない者は、全国でいったいどれだけいるのか。わたしは、多くの地方の同志といっしょに、このかんの実情を調べてみた。全国の総人口のうち、約一〇パーセントの者が、社会主義に賛成しないか、あるいは反対している。そのなかには、地主階級、富農、富裕中農の一部、民族ブルジョア階級の一部、ブルジョア知識分子の一部、都市の上層小ブルジョア階級の一部、個別的には労働者、貧農・下層中農もふくまれている。人口六億のうちの一〇パーセントといえば、どれぐらいになるか。六干万人である。この数字は少なくないので、軽く見てはいけない。
われわれが、あくまでも大衆の大多数を信頼すべきだというばあい、それは二つの点にもとづいている。第一は、九〇パーセントの人びとが社会主義に賛成している、ということである。そのなかには、プロレタリア階級、農村の半プロレタリア階級である貧農、下層中農、それに上層の小ブルジョア階級の多数、ブルジョア知識分子の多数、および民族ブルジョア階級の一部がふくまれている。第二は、社会主義に賛成しないか、あるいは反対する者のうちもっとも頑迷な者――極右派、反革命分子、破壊分子や、破壊はやらないがひじょうに頑迷な者、頑固な頭のまま棺桶にはいる者など、このような連心はどれだけいるのかといえば、およそ二パーセント前後にすぎない、ということである。全国の人口の二パーセントといえばどれぐらいになるか。千二百万人である。もしも千二百万人が集合して、銃を手にすれば、それは膨大な軍隊になる。それなのに、世の中が大きく乱れないのはなぜか。それは、かれらがあちらこちらに散らばっているからである。あちらこちらの協同組合、あちらこちらの農村、あちらこちらの工場、あちらこちらの学校、あちらこちらの共産党支部、あちらこちらの青年団支部、あちらこちらの民主政党支部というように散らばっていて、集合できないから、世の中は大きく乱れないのだ。
社会主義革命とは、いったいどのような範囲内の革命なのか、いったいどのような階級のあいだの闘争なのか。それはプロレタリア階級が勤労人民を指導してブルジョア階級とのあいだに進める闘争なのである。わが国のプロレタリア階級はその人数は比較的少ないが、かれらには広範な同盟軍がいる。そのいちばん主なものは、農村の貧農と下層中農であり、それは農村人口の七〇パーセント、もしくは若干それを上回っているのである。富裕中農は、ほぼ農村人口の二〇パーセントを占めている。いまの富裕中農は、だいたいつぎの三部分にわけられる。協同化に賛成する者、これは四〇パーセントを占めている。動揺する者、これも四〇パーセントを占めている。反対する者、これは二〇パーセントを占めている。ここ数年らい、教育と改造をつうじて、地主、富農にも分化がみられ、いまでは社会主義に完全に反対しているとはいえない者もいる。ブルジョア階級およびブルジョア知識分子にたいしても分析をくわえるべきで、かれらがみな社会主義に反対している、と考えてはならない。事実はそうではない。全国の総人口のうち九〇パーセントの者が社会主義に賛成している。われわれはこの多数を信頼しなければならない。われわれの活動をつうじ、また大弁論をとおして、さらに八パーセントの者を獲得することが可能であり、そうすれば九八パーセントになる。かたくなに社会主義に反対する頑迷派は、わずか二パーセントにすぎないのである。もちろん、さきほど鄧小平同志が言ったようにそれはやはり大きな勢力であって、注意をおこたってはならない。
富農は農村におけるブルジョア階級であり、かれらが農村で物を言っても、めったに聞く人はいない。地主はそれ以上に嫌われている。買弁ブルジョア階級はとっくに鼻つまみものになっている。ブルジョア階級とブルジョア知識分子、農村での上層の小ブルジョア階級(富裕中農)、都市での上層の小ブルジョア階級(一部の比較的富裕な小企業主)とその知識分子となると、まだいくらか影響力をもっている。とりわけ知識分子というのは幅がきき、何事もかれらなしにはやれない。学校をつくるには大学の教授や中・小学校の教員が必要だし、新聞を出すには新聞記者が必要だし、芝居をやるには役者が必要だし、建設をすすめるには科学者、技師、技術要員が必要である。現在、知識分子は五百万人、資本家は七十万人おり、あわせると約六百万人になる。家族構成を五人とみれば、五かける六で三千万人になる。ブルジョア階級とその知識分子は、相対的に言って、もっとも教育程度が高く、いちばん技術を身につけている。右派が鼻を高くするゆえんである。羅隆基は、プロレタリア階級の小知識分子にはかれのような小ブルジョア階級の大知識分子を指導できない、と言ったではないか。かれは、自分がブルジョア階級であるとはいわず、どうしても小ブルジョア階級に属し、小ブルジョア階級の欠如織分子であると言い張っている。わたしは、プロレタリア階級の小知識分子はもとより、あまり読み書きのできない労働者や農民でさえ、かの羅隆基よりはるかにすぐれていると思う。
ブルジョア階級とその知識分子のなかの、また上層の小ブルジョア階級とその知識分子のなかの右派と中間派は、共産党とプロレタリア階級の指導にたいしては不服なのである。共産党擁護、憲法擁護については、擁護もし、賛成の手も挙げているものの、あまり心服はしていない。そこで区分けが必要となる。右派は反抗的、中間派はなかば心服なかば不服、ということである。共産党などにはあれも指導できない、これも指導できない、と言う者がいるではないか。右派にこのような思想があるだけでなく、中間派の一部にもそれがある。要するに、かれらの言い方にしたがえば、共産党はどうしても外国に引っ越さなければならず、プロレタリア階級はどうしてもべつの天体にいかなければならなくなり、ほとんどお陀仏になってしまう。なぜならば、われわれは、あれもだめ、これもだめだからである。どの分野にせよ、右派はわれわれのことをなっていないと言う。今回の弁論の主な目的は、ほかでもなくあのなかば心服なかば不服の中間派を獲得し、かれらに社会の発展法則はいったいどういうものなのかを理解させることにあり、やはり教育程度の高くないプロレタリア階級の言うことをきかなければならず、農村では貧農、下層中農の言うことをきかなければならない、ということを理解させることにある。教育程度についていうなら、プロレタリア階級、貧農、下層中農はかれらに及ばないだろう。しかし、革命についていうなら、プロレタリア階級、貧農、下層中農のほうがすぐれているのである。これで多数の人を説得できるだろうか。多数の人を説得できる。ブルジョア階級の多数、ブルジョア知識分子の多数、上層の小ブルジョア階級の多数は、説得できるのである。大学の教授、中・小学校の教員、芸術家、文学者、科学者、技師のなかの多数は、説得できるのである。あまり心服していない人でも、何年かたてば、次第に心服するようになるであろう。
多数の人が社会主義を支持しているという基盤のうえで、いまのこの時期に、大鳴、大放、大弁論、大字報のような形式が現われたことは、たいへん有益なことである。こうした形式には階級性がない。大鳴、大放、大宇報といったものは、右派にもやれることなのである。「大」の字はかれらが発明したもので、右派に感謝したい。わたしは、ことしの二月二十七日の講話では、べつに大鳴、大放、大弁論とはいわなかった。つまり、この「大」という字をつけてはいなかったのである。去年の五月、ここで開いた会議でわれわれが百花斉放について語ったときは、「放」という字があっただけであり、また、百家争鳴にしても「鳴」という字があっただけで、この「大」という字はなかったのである。しかも、文学・芸術の面での百花斉放、学術問題の面での百家争鳴に限定されていた。そのご、右派はこれを政治にまでひろげ、鳴放の時期などと称して、どんな問題についても鳴放をやる、しかも大鳴大放をやるといった。これをみてもわかるように、このスローガンは、プロレタリア階級もつかえるし、ブルジョア階級もつかえる。左派もつかえるし、中間派もつかえるし、右派もつかえる。大鳴、大放、大弁論、大字報は、はたしてどの階級にとって有利なのか。つまるところ、プロレタリア階級にとって有利なのであり、ブルジョア右派にとっては不利なのである。その理由は、九〇パーセントの人が国の乱れることを望んでおらず、社会主義が建設されることを望んでいるからであり、社会主義に賛成しないかあるいは反対する一〇パーセントの人のうち、多くの人は動揺しており、かたくなに社会主義に反対する者はわずか二パーセントにすぎないからである。これでは乱しようがないではないか。したがって、大鳴大放のスローガン、大鳴、大故、大井論、大字報の形式と方法は、つまるところ多数の人にとって有利であり、多数の人の自己改造にとって有利である、ということになる。社会主義と資本主義との二つの道についていえば、つまるところ社会主義にとって有利なのである。
われわれは乱れるのを恐れることはないし、またひっこみがつかなくなるのを恐れることもない。右派はひっこみがつかなくなるが、しかし、それでもなんとかひっこみはつくのである。弁証法にもとづけば、右派は一つが分かれて二つとなる、とわたしは考える。おそらく相当多くの右派分子が、大勢のおもむくところにしたがって、納得のいくようになり、よい面に転じ、わりあいおとなしくなり、そんなに頑迷ではなくなるだろう。そのときには、レッテルをはいで、右派と呼ばないようにし、適当な仕事にもつかせるようにする。少数のとくに頑迷な者は、おそらく死んでも悔い改めようとせず、右派のレッテルを振ったまま棺桶に入るだろうが、それでも大したことはない。このような人間は、どのみちいるものである。
右派がこのようにひと騒ぎしたので、われわれは実情をつかむことができた。つまり、一方では、社会主義に賛成する者は九〇パーセントで、九八パーセントまで獲得できる可能性もあるということ、他方では、社会主義に賛成しないかあるいは反対する者は、一〇パーセントで、そのうちかたくなに社会主義に反対する頑迷派はわずかニパーセントにすぎない、ということである。このような実情をつかむことによって、胸に成算ありといえるようになった。プロレタリア政党の指導のもとで、多数の人が社会主義を支持しているという基盤のうえで、大鳴、大放、大弁論、大字報というわれわれのやり方をとれば、ハンガリーのような事件を避けることができるし、またいまポーランドで発生しているような事件も避けることができる。われわれは、ポーランドのように、一出版物の発行を停止させる必要はなく①、党の機関紙に一、二編の社説を発表するだけでよいのだ。文匯報にたいして、われわれは二編の社説を書いて批判をおこなったが、最初の一編は問題を十分につっこんで説明しておらず、不徹底だったので、第二編の社説を発表したところ、かれらは自分で改めた。新民報も自分で改めた。ポーランドでは、このようにはいかない。そこでは、反革命の問題が解決されておらず、右派の問題が解決されておらず、いずれの道を歩むのかという問題が解決されておらず、またブルジョア思想にたいする闘争にも力をいれていないので、一出版物の発行を停止させると、すぐに騒ぎがおこるのである。わたしは、中国の事がらはやりやすいとみており、いまだかつて悲観したことはない。わたしは、乱れようもないし、乱れることも恐れない、といったではないか。騒乱はよい事に変わりうるのである。およそ「放」を徹底的にやったところでは、いっときわめきたて、ひとしきり乱れたので、物事はいっそうやりやすくなっている。
わが国は、解放まえ、産業労働者は四百万しかいなかったが、いまでは千二百万の労働者がいる。労働者階級は、人数こそ少ないが、この階級にだけ将来性があるのであって、その他の階級はみな過渡的な階級であり、すべて労働者階級の側に移行するものである。農民は、まず第一歩としては集団化した農民に移行し、第二歩には国労農場の労働者となる。ブルジョア階級は消滅されるべきであるが、もちろん人間を消滅するというのではなく、その階級を消滅するのであって、人間は改造しなければならない。ブルジョア知識分子は改造され、小ブルジョア知識分子も改造されなければならず、一歩一歩改造されて、プロレタリア知識分子に変わっていくことができるのである。わたしは、「皮これ存せざれば、毛将いづくに附かん」と言ったことがある。知識分子は、もしもプロレタリア階級に付着しなければ、「梁上の君子」になるおそれがある。いま、多くの人が労働組合に加入している。労働組合に加入したのだから、もうそれで労働者階級になったではないか、と言う者がいるが、そうではない。共産党に加入しても、まだ共産党に反対する人間がいる。丁玲、馮雪峰などは、共産党員でありながら共産党反対をやっているではないか。労働組合に加入したから労働者階級になったとはかぎらず、やはり改造の過程が必要なのである。いま、民主政党の成員、大学教授、文学者、作家たちには、労働者の友人もいなければ、農民の友人もいない。これはひじょうに大きな欠点だ。たとえば費孝通だが、二百人あまりの高級知識人を友人にしており、北京、上海、成都、武漢、無錫などいずれの地方にもいる。かれは、このワクから抜け出せず、しかも意識的にこれらの人を組織し、かれらを代表して、大鳴大放をやっている。かれはこの点でばかをみたのである。わたしはかれにこう言った。きみはひとつ改めることができないものか。あの二百人とつきあうのではなくて、労働者、農民のなかに入り、べつに二百人の友人をさがすべきだ、と。知識分子はみな労農大衆のなかに入って友人をさがさなければならないとおもう。真の友人は労働者、農民のなかにいる。古参の労働者を友人にしなければならない。農民のなかでは、無造作に富裕中農を友人にするのではなく、貧農、下層中農を友人にしなければならない。古参の労働者は、じつにはっきりと方向を見わけており、貧農、下層中農もじつにはっきりと方向を見わけているのである。
整風には、放、反、改、学の四つの段階がある。すなわち大鳴大放がその一つ、右派への反撃がその一つ、整頓・改革がその一つ、最後の一つは、いくらかマルクス・レーニン主義を学び、小型の会議を開いて、微風細雨の方法で批判と自己批判をおこなうことである。ことしの五月一日に、中国共産党中央の発表した整風文献のなかで、微風細雨の方法をとるようにのべたが、当時賛成しなかった人も多く、主として右派が賛成しなかったのである。かれらは、疾風暴雨の方法を要求したが、その結果はたいへん得るところがあった。この点について、われわれは当時から予測していたのである。なぜなら、延安での整風のときもこれと同じで、微風細雨の方法をとると言いながらも、疾風暴雨の方法になった。だが、最後にはやはり微風紬雨の方法に帰着したのである。一つの工場で何千枚もの大字報が張り出されれば、工場の指導者はたいへんつらいものである。十日もすると一部の人は、これではたまらない、飯がのどを通らない、眠れない、といってなげやりになり、辞職を考える。北京の大学の党委員会書記たちは、飯がのどを通らず、眠れなかった。そのとき、右派の連中は、おまえたちは反駁してはならない、おれたちだけに鳴放させろ、といった。われわれも、反駁するな、かれらに鳴放させておけ、といった。こうして、五月中は反駁をせず、六月八日以前はいっさい反駁しなかった。それで、十分に鳴放しつくされたのである。鳴放されたものは、大体九○パーセント以上は正しいものであり、何パーセントかは右派的言論であった。あの時期には、じっとがまんして聞き、聞き終えてから反撃にうつることであった。どこの部門でもこのような段階を経なければならなかったのである。今回の整風は、どの工場でもどの協同組合でもおこなうべきであり、いま、軍隊でもこのようにおこなっている。こうすることはたいへん必要である。これをおこなわなければ「自由市場」がまた発展するであろう。世の中にはおかしなことがあるもので、三年間も整風をしないと共産党、青年団、民主政党、大学教授、中・小学校教員、新聞記者、技師、科学者のなかで、またもや多くのおかしな議論があらわれ、資本主義思想が頭をもたげてくるのである。たとえば、部屋を毎日掃除し、顔を毎日洗うように、今後、整風はだいたい一年に一回ぐらいやり、毎回ひと月ほどでよい、とわたしは考える。そのときには、またちょっとしたピークがやってくるかもしれない。こんどのこのピークは、われわれのせいではなく、右派がひきおこしたものである。われわれは、こういったことがあるではないか――共産党のなかから高崗が出たが、きみたち民主政党には一人も高崗がいないのか、わたしは信じない。いままた共産党から丁玲、馮雪峰、江豊などが出たが、きみたち民主政党からも出てきたではないか。
ブルジョア階級とブルジョア知識分子は、その改造の必要性を認めなければならない。右派は自分に改造の必要があるのを認めないばかりか、一部の人たちに、自分は改造ずみだといって、その改造をしぶるような影響をあたえている。章乃器は、改造などたまったものではない、あれは筋を抜き、皮を剥ぐものだ、といった。われわれが、身も心もいれかえて生まれかわるべきだといえば、かれは、身も心もいれかえるのは、筋を抜き、皮を剥ぐことだという。この先生、いったいだれがあなたの筋を抜き、皮を剥ぐというのか。多くの人は、われわれの目的がなんであるのか、なぜこのようなことをするのか、社会主義はどこがよいのか、といったことを忘れてしまっている。なぜ思想改造をするのか。それは、ブルジョア知識分子にプロレタリア階級の世界観を確立させて、かれらをプロレタリア知識分子に改造するためなのである。これらのふるい知識分子は、新しい知識分子の成長に押されて変化せざるをえなくなってきている。学問の面からいえば、新しい人は、いまはまだだめだといわれるが、将来はりっぱにやっていけるのである。この新しい人たちの出現によって、旧来の科学者、旧来の技師、旧来の教授、旧来の教員は、はっばをかけられており、その圧力で前進せざるをえなくなっている。大多数の人は前進するであろうし、一部はプロレタリア知識分子に改造することができるであろう、とわれわれは予測している。
プロレタリア階級は、かならず自己の知識分子の隊列を育成しなければならない。これはブルジョア階級が、自己の知識分子の隊列を育成するのと同じである。階級の政権として、自己の知識分子を持たないわけにはいかないのである。アメリカにそうした知識分子がいなければ、アメリカのブルジョア階級独裁はどうなるであろう。われわれはプロレタリア階級独裁である。プロレタリア階級自身の知識分子の隊列をかならず育成しなければならず、それには、旧社会からきて、改造を経たのち、ほんとうにしっかりと労働者階級の立場に立った知識分子を全部ふくめるのである。章乃器は、右派のなかで自分を変革したくない者の一人にかぞえられるだろう。プロレタリア階級の知識分子に変わるように、といっても、かれはこれを拒み、自分は「赤いブルジョァ」であり、とうの昔にりっぱに変わったというのである。それなら、自己推薦と大衆評議でいこうではないか。きみが自己推薦をするのはよいが、大衆評議もしなければならない。章乃器はまだだめだ、かれは白いブルジョアである、というのがわれわれの意見だ。さきに「専」をめざし、「紅」はあとにする、と言う人がいる。さきに「専」をめざし、「紅」はあとにする、ということは、さきに白色であり、そののちに紅色になるということである。いまのところ「紅」ではなく、将来「紅」になるというが、それでは、いまかれは同色をしているのだろうか。もちろん白色である。知識分子は、「紅」であると同時に、「専」でもなければならない。「紅」になるには、自分のブルジョア的世界観を徹底的に改造するという決心をくだすべきである。これには、本をたくさん読むということではなく、プロレタリア階級とはなにか、プロレタリア階級独裁とはなにか、なぜプロレタリア階級にだけ将来性があり、その他の階級はみな過渡的な階級なのか、なぜわが国は社会主義の道を歩まなければならず、資本主義の道を歩んではならないのか、なぜ共産党の指導がどうしても必要なのか、などの問題をほんとうにはっきりさせることが必要なのである。
わたしが四月三十日に話したこと②を多くの人は聞きいれようとしない。「皮 これ存せざれば、毛 将いづくに附かん。」わたしに言わせれば、中国には五枚の皮がある。古いのが三枚、すなわち帝国主義的所有制、封建主義的所有制、官僚資本主義的所有制の三枚の皮である。以前、知識分子はこの三枚の皮にたよって飯を食ってきた。このほかに民族資本主義的所有制と小生産者的所有制すなわち小ブルジョア階級的所有制の二つにもたよっていた。われわれの民主主義革命は、まえの三枚の皮にたいする革命であった。林則徐③いらい百年あまりこの革命をやってきた。社会主義革命は、あとの二枚の皮、すなわち民族資本主義的所有制と小生産者的所有制にたいする革命である。いま、この五枚の皮はいずれも存在しない。古い三枚の皮は早くからなくなり、ほかの二枚の皮もなくなった。いまあるのはどんな皮だろうか。それは社会主義的共有制の皮である。もちろん、これはさらに二つの部分にわけられる。一つは全人民的所有制であり、もう一つは集団的所有制である。いまはだれにたよって飯を食うのか。民主政党にしろ、大学教授、科学者、新聞記者などにしろ、いずれも労働者階級の飯を食い、集団的農民の飯を食い、全人民的所有制と集団的所有制の飯を食っているのである。ひと言でいえば、社会主義的共有制の飯を食っているのである。あの五枚の古い皮はなくなったが、その毛はいま空中を舞っている。舞いおりてきても落ち着かないのである。知識分子はまだこの新しい皮を見くびっており、プロレタリア階級、貧農、下層中農がなんだ、まったく能なしではないか、上は天文から下は地理にいたるまでさっぱり知識がない、「三教九流」〔1〕いずれもおれには及ばない、とおもっている。かれらはマルクス・レーニン主義をうけいれようとしない。このマルクス・レーニン主義には、以前多くの人が反対した。帝国主義が反対したし、蒋介石は毎日のように「共産主義は中国の国情にあわない」といって反対し、その影響でみんなはこれをひたすら恐れていた。知識分子がマルクス・レーニン主義をうけいれ、自分のブルジョア階級の世界観をプロレタリア階級の世界観に改造するには、一つの過程が必要であり、また社会主義の思想革命の運動が必要である。ことしのこの運動は、この道をきりひらいたものである。
いま、一部の機関、学校では、右派に反対したあと、すっかり静まりかえってのんびりしており、多くの正しい意見が出されているのに改めようとしていない。北京の一部の機関、学校では、このような問題が出てきている。わたしの見たところ、整頓・改革にはもういちど鳴放の高まりが必要だ。大字報を張り出して、なぜ改めないのか、とはっぱをかけるのである。このはっぱはひじょうに役に立つとおもう。整頓・改革には短期間、たとえば一、二ヵ月をさくべきである。そのあとは学科で、いくらかマルクス・レーニン主義を学び、微風細雨の方法で批判と自己批判をおこなう、これが第四段階のことである。この学習は、もちろん一、ニヵ月で終わってしまうのではなく、ただこの運動を一段落させ、学習にたいする風味をひきだすためのものである。
右派にたいする反撃は、いずれにせよ一段落つけるべきだ。ある右派分子は、騒ぎはいずれ過ぎてしまう、といってこのことを予測していた。それに間違いはない。われわれは、右派への反撃を毎日、毎年やっているわけにはいかない。たとえば、いま北京の反右派の空気は、一時にくらべてそれほど濃くなくなった。なぜなら、だいたいメドがついたからである。しかし、まだ終わったわけではないので気をゆるめてはならない。いま一部の右派分子はがんとして降伏しない。たとえば羅隆基、章乃器は、がんとして降伏しないのである。わたしの考えでは、まだ説得すべきである。何回話してもどうしても聞きいれないばあいは、これ以上かれらと毎日話しあうわけにもいくまい。一部の頑迷派が永久に改めようとしないのなら、それまでのことだ。こういう連中はごく少数で、ほうっておけばよい。何十年もほうっておいて、かってにさせたらよい。大多数の人たちはかならず前進するはずである。
右派分子を海へ投げこむかどうか。われわれは一人も投げこみはしない。右派は、反共、反人民、反社会主義なのであるから、敵対的勢力である。しかし、われわれは、いまかれらを地主、反革命分子と同様には取り扱わない。その基本的な標識は、かれらの選挙権を取りあげないということである。個別的には、選挙権を取りあげ労働改造をさせることもありうるが、われわれは、逮捕も選挙権の剥奪もしないという方法によって、かれらに転換の余地をのこし、その分化を有利にみちびくのである。さきほど二種類の者に区分けすると話したではないか。一種類は、誤りを改めた者で、これは右派のレッテルを取りさり、人民の隊列にもどすことができる。もう一種類は閻魔大王にまみえるまで頑迷に固執する者で、閻魔さま、見てください、わたしは降伏するような者ではありません、とても「気骨」があるでしょう、と言うだろう。かれはブルジョア階級の忠臣なのである。右派は、封建残存勢力や反革命分子とつながりをもち、気脈を通じ、互いに呼応しているのである。地主は、あの文匯報をみて大いに喜び、それを買ってきて農民に読んで聞かせ、どうだ、新聞に載っているのだぞ、と農民をおどかしている。まきかえしをたくらんでいるのだ。また、帝国主義、蒋介石も右派と気脈を通じている。たとえば、台湾、香港の反動派は、儲安平の「一党の天下」、章伯鈞の「政治設計院」、羅隆基の「判決再審査委員会」をたいへん支持しており、アメリカ帝国主義も右派にきわめて同情的である。わたしは、まえにもみなさんにこう話したことがある。もしアメリカ人が北京まで攻めてきたら、みなさんはどうするか。どんな態度をとるのか。どうしようと考えているのか。アメリカといっしょに維持会でも組織するのか、それともわれわれと共に山に登るのか。わたしは山に登る腹をきめており、第一歩は張家口、第二歩は延安へ行く、と。この話は、極端なことを言ったまでで、問題をはっきりさせたのであり、動乱など恐ろしくはないのだ。アメリカが中国の半分を占領しても恐れはしない。日本は中国の大半を占領したではないか。ところが、われわれはついに新中国を戦いとったではないか。わたしは日本人にこう話したことがある。日本帝国主義に感謝すべきだ。かれらの侵略は、われわれにとってたいへん得るところがあった。それは、われわれの全民族を日本帝国主義反対に奮い立たせ、わが国人民の自覚をたかめたのだ、と。
右派はほんとうのことを話さない。不正直で、われわれにかくれて悪事をはたらいているのである。章伯鈞があんなに多くの悪事をはたらいていたことをだれが知っていたか。思うに、このような者は官位が高くなればなるほど、大きな謀反をたくらむ。章・羅同盟は、長期共存・相互監督、百花斉放・百家争鳴の二つのスローガンをもっとも好んでおり、この二つのスローガンを利用してわれわれに反対している。われわれが長期共存をすべきだといえば、かれらは短期共存をやり、われわれが相互監督をすべきだといえば、かれらは監督をうけつけない。一時期、かれらは気違いじみていたが、その結果は、長期共存が短期共存になるという逆の羽目におちいったのである。章伯鈞の部長の椅子はどうすればよいか。おそらくもう部長にはなれないだろう。右派が部長になることには、たぶん人民が賛成しないだろう。また一部の名の知られた右派は、もともと人民代表だったが、いまはどうしたらよいか。おそらく配慮するのは難しいであろう。たとえば、丁玲はもう人民代表にはなれない。一部の者にたいしては、まったく職務をあたえず、すこしも仕事をさせないというのもよくないであろう。たとえば銭偉長は、副学長にはなれないが、まだ教授はやれる。さらに、学生がその講義を聞かないのでしばらくは教授にもなれない者も、一部いるだろう。それなら何をすればよいか。学校でなにかべつの仕事をやらせ、自己改造をさせ、何年かたってから講義をもたせればよい。これらは面倒ではあるが、考慮しなければならない問題である。革命そのものが面倒な事がらなのだ。右派をどう処遇するか、どう按配するか、ひとつ討議してもらいたい。
各民主政党の状況はどうか、下部の状況はどうかということについては、諸君ら責任者も実情をつかんでいないだろう。徹底した右派分子は、ある一時期、一部の部門で水をかきまぜて、われわれが底まで見通すのをさまたげることができるが、ひとたび調査をしてみると、こうした連中はじつは一、二パーセントしかいないのである。一つかみの明礬をほうりこめば、底まではっきり見えるのである。こんどの整風は、一つかみの明礬をほうりこんだのであって、大鳴、大放、大弁論のあとは、底がはっきり見えてきた。工場、農村でも、学校でもその底が見え、共産党、青年団、民主政党でもその底がはっきりしてきた。
ここで、農業発展要綱四十条ヵについて話したいとおもう。二年の実践からみて、基本的な要求は、やはりあの四、五、八である。すなわち、穀物の生産量が一畝あたり、黄河以北で四百斤、淮河以北で五百斤、淮河以南で八百斤ということであり、十二年間でこの目標に達するというのが基本点である。要綱全体としては、条文をいくつか修正したのみで、基本的には変えていない。一部の問題はすでに解決されている。たとえば、協同化の問題は基本的に解決されているので、それに関係のある条文には修正をくわえた。農業機械、化学肥料など、以前には強調されていなかったいくつかの問題については、いま大いに力をいれなければならないので、条文のうえでもこれを強調した。そのほか条文の順序もすこし変えている。この修正後の農業発展要綱草案は、人民代表大会常務委員会と政治協商会議常務委員会との合同会議で討議されたあと、あらためて公布し、全国の農村で討論する。工場で討論してもよく、各界、各民主政党で討論してもよい。この農業発展要綱草案は、中国共産党が提出したものであり、中国共産党中央という政治設計院で設計されたもので、章伯鈞の例の「政治設計院」で設計されたものではないのである。
すべての農民を動員して、この農業発展要綱を討論するのは、たいへん必要なことである。大いに意気があがるようにしなければならない。去年の後半と今年の前半はすこし気がゆるんでいた。そのうえ、都市や農村の右派がさわいだので、なおさら意気があがらなかった。いま、整風・反右派闘争でまた意気があがってきたのである。農業発展要綱四十ヵ条は、中国の同情にわりあい通しており、主観主義的なものではない、とわたしはおもう。もとは主観主義的なものがいくらかあったが、いまではそれも改められているり全体的に言って、この要綱の実現には希望がもてる。わが中国は改造できる。無知調は改造して知識をもつようにすることができ、意気消沈は改造して意気軒昂にすることができるのだ。
要綱のなかに四害退治の項がある。すなわち、ネズミ、スズメ、ハエ、蚊の四害を消滅するのである。わたしはこれにたいへん興味があるが、みなさんはどうだろうか。やはり興味をお持ちではないだろうか。四害退治は、一大衛生運動であり、また迷信打破の運動でもある。この幾種類かのものを退治するのも容易なことではない。四害退治においても大鳴、大放、大弁論、大字報をやらなければならない。もし全人民を動員してやり、いくらかの成果をあげることができれば、人びとの心理状態は変わり、われわれ中華民族の精神はかならず奮い立つであろう。われわれは、わが民族を奮い立たせなければならないのである。
計画出産もりっぱにやれる見こみがある。この事も大弁論を経る必要があり、何年かかけて試験的におこない、同年かかけておしひろめ、何年かかけて普及させなければならない。
われわれのやるべき事がらはたいへん多い。農業発展要綱四十ヵ条だけでも、やるべきことがたくさんある。しかし、これは農業計画だけであり、まだほかに工業計画、文化・教育計画があるのだ。三つの五ヵ企計画を完成したあと、わが国の様相は変化をきたすことになろう。
われわれの予測では、三つの五ヵ年計画を経て、鋼鉄の年産を二千万トンにすることができる。ことしは五百二十万トンで、あと十年あればこの日標に達することができるだろう。インドの一九五二年の鋼鉄生産量は百六十万トンで、現在が百七十数万トン、五年間やって十数万トンしかふえていない。われわれはどうか。一九四九年は十九万トンしかなかった。三年の回復期に百余万トンになり、さらに五年やって五百二十万トンに達した。五年間で三百余万トンも増加したのである。もう五年やれば一千万トンを越すか、あるいはもうすこしふえて一千百五十万トンになるだろう。そのあと第三次五ヵ年計画をやれば、二千万トンになるのではないだろうか。これは可能である。
わたしに言わせれば、わが国にはほんとうに希望がある。右派は、希望がないといっているが、それは完全な間違いである。かれらには自信がない。社会主義に反対しているのだから自信のあるはずがないのだ。われわれは社会主義を堅持しており、われわれはほんとうに自信があるのである。
〔注〕
〔1〕 三教は儒教、道教、仏教をさす。九流は儒家、道家、陰陽家、法家、名家、墨家、縦横家、雑家と農家をさす。「三教九流」はのちにひろく宗教と学術の各流派をさすようになり、旧社会ではひろく世間を渡り歩く各種各様の人たちをさすのにも用いられた。
〔訳注〕
① 一九五七年十月、ポーランド政府は週刊誌『ポ・プロストゥ』の発行を停止したが、これが学生の騒ぎをひき起こした。
② 毛沢東同志が、一九五七年四月三十日、各民主政党の責任者と無党派の民主人士をまねき、整風運動と知識分子の思想改造の問題についておこなった談話をさす。
③ 林側徐(一七八五~一八五〇年)は、アヘン戦争のときの中国清朝の広東・広西総督で、イギリスの侵略にあくまでも抵抗することを主張した。




