抗米援朝の偉大な勝利と今後の任務 (一九五三年九月十二日)
これは、毛沢東同志が中央人民政府委員会第二十四回会議でおこなった演説である。
三年にわたってすすめられてきた抗米援朝戦争は、偉人な勝利をおさめ、いますでに一段落をつげた。
抗米援朝の勝利は、なにに依拠してかちとられたのだろうか。さきほど、みなさんは、指導が正しかったからだと言った。指導は一つの要因であり、正しい指導がなければ、事をりっぱにはこぶことはできない。しかし、おもな原因は、われわれの戦争が人民戦争で、全国人民が支援し、中朝両国人民が腕をくんで戦ったことにある。
アメリカ帝国主義の兵器は、われわれのより何倍もすぐれているが、われわれはこのような敵と戦って勝利をおさめ、講和を結ばざるをえないところまで敵を追いつめることができた。なぜ講和が可能となったのだろうか。
第一、軍事の面では、アメリカ侵略者が不利な、たたきのめされる状態におかれていた。もしも講和を結ばなければ、全戦線がうち破られ、ソウルが朝鮮人民の手に落ちるだろう。このような情勢は、昨年の夏からすでに現われはじめていた。
戦う双方はともに、自分の戦線を金城鉄壁といっている。わが方は、たしかに金城鉄壁である。われわれの兵士と幹部は機知にとみ、勇敢で、死をおそれない。ところが、アメリカ侵略軍は死をおそれるうえに、将校が比較的融通がきかず、あまり機敏でない。かれらの戦線は堅固ではなく、金城鉄壁とはいえない。
わが方の問題といえば、最初は戦えるかどうか、つぎは守れるかどうか、そのつぎは給養を確保できるかどうか、そして最後は細菌戦をうち破れるかどうかであった。この四つの問題は、つぎつぎと解決された。われわれの軍隊は、戦えば戦うほど強くなってきた。ことしの夏には、われわれはすでに、二十一キロにわたる敵の正面の陣地を一時間でうち破ることができ、数十万発の砲弾を集中的に発射することができ、十八キロも攻めこむことができるようになった。もしもこの調子で戦いつづければ、あと二回、三回、あるいは四回の戦いで敵の全戦線はうち破られたであろう。
第二、政治の面では、敵の内部に解決できない矛盾がたくさんあり、全世界の人民が講和を要求している。
第三、経済の面では、敵は朝鮮侵略戦争に巨額の金をつぎこみ、財政収支の均衡がたもてない。 このいくつかの原因が重なって、敵は講和を結ばざるをえなくなった。そのうち、第一の原因はおもなもので、これがなければ、かれらと講和を結ぶのは容易ではない。アメリカ帝国主義者はたいへん傲慢で、およそ無理を通せるところでは、かならず無理を通す。すこしでも無理押しをしなくなったとしたら、それは追いつめられて、やむなくそうするのである。
朝鮮戦争で、敵は百九万の死傷者を出した。もちろん、わが方も代価をはらっている。しかし、わが方の死傷者数は、当初の予想よりもはるかに少なく、地下壕を掘ってからはさらに少なくなった。われわれは戦えば戦うほど強くなった。アメリカ人は、われわれの陣地を攻めようとしても歯が立たず、逆にいつもわれわれにやられてしまった。
さきほど、みなさんは指導という要因をあげた。わたしに言わせると、指導は一つの要因ではあるが、もっともおもな要因は、大衆が知恵をはたらかすことである。われわれの幹部と兵士は、いろいろと戦う方法を考え出した。例を一つあげてみよう。戦争がはじまった最初の一ヵ月、わが方のトラックはひじょうに大きな損害を受けた。どうしたらよいだろうか。指導部が知恵をしぼるほか、主として大衆の知恵にたよった。自動車道路の両側に一万余人の歩哨が立ち、敵機が飛んでくれば合図の銃を撃つ。運転手はそれを聞くと、敵機を避けながら車を走らせるか、どこか適当なところにトラックを隠してしまう。同時に、自動車道路の幅をひろげ、また新しい自動車道路もたくさんつくったので、トラックは滞りなく往来できるようになった。こうして、トラックの受ける損害は、当初の四〇パーセントから零点数パーセントにまで減少した。その後、地下倉庫もつくり、地下講堂もつくったので、敵が頭上で爆弾を落としても、われわれは地下で大会をひらける、という具合になった。北京に住むわれわれ一部の者は、朝鮮の戦場というと、すぐずいぶん危険だと考える。もちろん、危険はあるが、みんなが知恵をはたらかせさえすれば、それほどでもないのである。
人民に依拠するなら、そのうえ、わりあい正しい指導があるなら、われわれの劣った装備で、すぐれた装備をもつ敵にうち勝つことができる。これがわれわれの経験である。
抗米援朝戦争の勝利は偉大な勝利で、ひじょうに重要な意義をもっている。
第一、朝鮮人民といっしょに三十八度線までおしかえし、三十八度線を守りぬいた。これはたいへん重要なことである。もしも三十八度線におしかえさず、前線があいかわらず鴨緑江と図們江にあるなら、瀋陽、鞍山、撫順などの人民は安心して生産にたずさわることができない。
第二、軍事面の経験をつんだ。わが中国人民志願軍の陸、空、海の三軍、歩兵、砲兵、工兵、戦車兵、鉄道兵、防空兵、通信兵、それから衛生部隊、兵砧部隊などが、アメリカ侵略軍との実戦の経験をつんだ。こんど、われわれはアメリカ軍の実態をさぐることができた。もしもアメリカ軍と接触しなければ、かれらを恐れもするだろう。しかし、かれらと三十三ヵ月も戦ったので、かれらの実態がすっかりわかった。アメリカ帝国主義は恐ろしいものではない、せいぜいそんなところである。われわれはこの経験をつんだ。これは大した経験である。
第三、全国人民の政治的自覚をたかめた。
以上の三ヵ条があればこそ、第四条がうまれる。それはつまり、帝国主義の新たな中国侵略戦争の勃発をおくらせ、第三次世界大戦の勃発をおくらせた、ということである。
いま、中国人民はすでに組織されており、だれにも手出しをするのを許さない。もしも手出しをして怒らせたら、手がつけられなくなる。帝国主義の侵略者は、よくこのことをわきまえておくべきである。
今後、敵はまた戦うかもしれない。たとえ戦わなくても、かならず、特務を送りこんで破壊活動をやらせるなど、いろいろな方法で攪乱するにちがいない。かれらは台湾、香港、日本などに大がかりな特務機関を設けている。しかし、われわれは抗米援朝運動のなかですでに経験をつんだ。大衆を立ちあがらせ、人民に依拠するかぎり、われわれにはかれるに対処する方法がある。
いまのわれわれの状況は、一九五〇年冬季の状況とはちがっている。あのころ、アメリカ侵略者は三十八度線の向こう側にいただろうか。いや、かれらは鴨緑江、図們江の向こう側にいた。われわれはアメリカ侵略者と戦う経験があっただろうか。それはなかった。アメリカ軍の実態をよく知っていただろうか。よくは知っていなかった。いまや、これらの状況はすべて変わっている。もしもアメリカ帝国主義が新たな侵略戦争をおこすのをおくらせず、どうしても戦うというのなら、われわれは前の三ヵ条でもってかれらに対処する。もしも戦わないというのなら、われわれは第四条をもつことになる。これも、われわれの人民民主主義独裁の優位を立証しているのである。
われわれは、よその国を侵略するだろうか。いかなるところをも侵略しない。しかし、相手が侵略してくるなら、われわれはかならず戦う、しかも、最後まで戦いぬくであろう。
中国人民は、平和には賛成であるが、戦争も恐れない、どちらでも結構、という態度をとっている。われわれには人民の支持がある。抗米援朝戦争では、人民が勇んで入隊を申し込んだ。八隊希望者にたいしては、百人から一人という厳選をしたので、婿を選ぶよりもきびしいといわれたものだ。もしもアメリカ帝国主義がもう一度戦争をしかけてくるなら、われわれはもう一度お相手する。
戦争には金がかかる。しかし、抗米援朝戦争でつかった金は、そんなに多くはない。この数年間の戦争につかった金は、一年分の工商業税にも満たない。もちろん、戦争をせず、この金をつかわないですむなら、それに越したことはない。いまは建設面で金がいるし、農民の暮らしもまだ楽ではないからである。昨年と一昨年の農業税はすこし重かった、そこで、一部の友人が文句を言いはじめている。かれらはまるで農民の利益を代表するかのように、「仁政を施す」ことを要求している。われわれはこうした意見に賛成するだろうか。賛成はしない。当時は、抗米援朝の勝利をかちとるためにあらゆる努力をはらわねばならなかった。農民にとって、また全国人民にとって、暮らしがしばらくのあいだすこしは苦しくても、勝利をかちとったほうが有利なのか、それとも抗米援朝をせず、この金をつかわないほうが有利なのか。もちろん、抗米援朝の勝利をかちとるほうが有利なのである。昨年と一昨年、われわれが農業税をすこし多く収ったのは、ほかでもなく、抗米援朝で金を必要としたからである。ことしは事情がちがって、農業税をふやさず、その税額を固定させている。
「仁政を施す」ことについていうなる、われわれは仁政を施すつもりである。しかし、最大の仁政とはなにか。それは抗米援朝である。この最大の仁政を施すには、犠牲をはらわなければならず、金をつかわなければならず、農業税もすこし多く取らなければならない。農業税をすこし多く取ると、一部の者がさわぎ出し、自分たちは農民の利益を代表しているなどと言う。わたしは、このような意見には賛成しない。
抗米援朝は仁政を施すことだが、いま工業建設をすすめるのも仁政を施すことである。
仁政というものには二種類ある。一つは人民の当面の利益のためのものであり、もう一つは人民の長期の利益のためのもの、たとえば抗米援朝、重工業の建設などである。前者は小さい仁政であり、後者は大きい仁政である。この双方に配慮をくわえなければならず、双方に配慮をくわえないのは誤りである。それでは、どちらに重点をおいたらよいだろうか。重点は大きい仁政におくべきである。いま、われわれは仁政を施す重点を重工業の建設におくべきである。建設をするには、資金がいる。したがって、人民の生活は改善しなければならないとはいえ、いまのところ大幅に改善することはできない。つまり、人民の生活は改善しないわけにはいかないが、大幅に改善するわけにはいかず、配慮しないわけにはいかないが、十分に配慮するわけにはいかない、ということである。小さい仁政を配慮して、大きい仁政を妨害するようなことがあれば、これは仁政を施す面での偏向である。
いま、ある友人は一方的に小さい仁政を強調しているが、その実、それは抗米援朝戦争をやるな、重工業の建設をやるな、ということである。われわれは、このような誤った考えを批判しなければならない。このような考えは、共産党の内部にもあり、延安時代に現われたことがある。一九四一年、陝西・甘粛・寧夏辺区で食糧二十万石①の農業税を取ったが、一部の者が、共産党は農民への思いやりがないとさわぎ出した。共産党のごく少数の指導的幹部も仁政を施すという問題をもちだした。そのとき、わたしはすでにこうした考えを批判した。当時、最大の仁政であったのはなにか。日本帝国主義を打倒することである。もしも農業税の徴収を減らせば、八路軍、新四軍を縮小しなければならない。そうなれば、日本帝国主義に有利である。したがって、こうした意見は、実際には日本帝国主義を代表し、それに手をかすものであった。
いま、抗米機朝はすでに一段落をつげたが、もしもアメリカがなお戦うなら、われわれも戦う。戦うからには、農業税を取らなければならず、農民に働きかけて、応分のものを出させるように説得しなければならない。これこそ、ほんとうに農民の利益を代表することである。さわぎたてるのは、実際にはアメリカ帝国主義を代表するのとおなじである。
道理には、大きい道理があり、小さい道理がある。全国人民の生活水準は、毎年、一歩ずつ高めていくべきであるが、あまり大幅に高めてはならない。高めすぎると、抗米援朝戦争をすすめることができなくなるか、あるいはそれほど真剣にすすめることができなくなる。われわれは、徹底的に、真剣に、全力をあげて戦うのだ。われわれにあるものなら、朝鮮の前線が必要とするものはなんでも送る。ここ数年、われわれはほかでもなく、このようにしてきたのである。
〔訳注〕
① 石は、穀物の重量の計算単位で、地方によって量がちがっていた。陝西・甘粛・寧夏辺区では百五十キログラムであった。




