「あなたは何一つ悪くありませんでした!」――濡れ衣を着せられた公爵令嬢、過去へ遡る禁術で真実を証明し、冷たい婚約者より優しい第三王子に救われる
真実の扉と、濡れ衣を着せられた公爵令嬢
ハーゲン国立学院。
王侯貴族の子息令嬢が集う、国内最高峰の学び舎。
その学院の中央棟へ続く大階段の下で――。
「きゃあああああっ!」
甲高い悲鳴が響き渡った。
放課後の時間。
廊下を歩いていた生徒たちが、驚いて足を止める。
「何事だ!?」
「誰か倒れているぞ!」
人々が駆け寄ると、そこには一人の少女が座り込んでいた。
ピンク色の髪を揺らし、大きな瞳には涙が浮かんでいる。
男爵令嬢バニラ・シュガー。
平民に近い身分ながら、その愛らしい容姿と明るい性格で学院内でも人気の高い少女だった。
「痛い……」
バニラは腕を押さえながら、震える声を漏らす。
「わたし……突き飛ばされたんです……」
「誰にだ!?」
周囲の生徒たちが尋ねる。
するとバニラは、ゆっくりと顔を上げた。
そして――。
「あの方です……」
震える指が、一人の令嬢へ向けられる。
赤い髪。
気品あふれる立ち姿。
公爵家の令嬢。
ストロベリー・ローズベル。
「ストロベリー様が……わたしを階段から突き落としました……」
その瞬間。
周囲がざわめいた。
「え……?」
「公爵令嬢が?」
「でも、どうして……」
ストロベリーは静かにバニラを見る。
その表情には怒りも、焦りもなかった。
ただ、困惑だけが浮かんでいた。
「……わたくしではありません」
凛とした声が響く。
「わたくしは、この階段の近くにいただけです」
「嘘です!」
バニラは涙を流しながら叫ぶ。
「わたしがグリーンティー様と仲良くしていたから……!」
その言葉に、空気が変わった。
生徒たちの視線が集まる。
緑色の髪を持つ青年へ。
ハーゲン王国第二王子。
グリーンティー・ハーゲン。
そして彼は――。
ストロベリーの婚約者だった。
「ケガはないか? バニラ……」
騒ぎに駆け付けたグリーンティーは、彼女を見る。
バニラは王子に訴えるように呟いた。
「あなたと私の関係を……ストロベリー様が知ったから……」
「違います!」
ストロベリーが強く否定する。
「わたくしは、そのような理由で人を傷つけるような真似はいたしません!」
「だが……」
グリーンティーの瞳には疑念が浮かんでいた。
「君以外に誰がいるというのだ?」
その言葉に、ストロベリーは一瞬言葉を失う。
「……証人はいません」
誰かが呟いた。
「確かに……誰も見ていない」
「階段の近くにいたのはストロベリー様だけだったんだろ?」
周囲の声が、少しずつストロベリーを追い詰めていく。
その時だった。
「もういい」
低い声が響いた。
グリーンティー王子が前へ出る。
「ストロベリー」
「……はい」
「君との婚約を破棄する」
周囲が息を呑む。
「第二王子殿下……!」
「そんな……」
しかしグリーンティーは続ける。
「私は、人を傷つけるような人間を未来の王妃にすることはできない」
「違います……!」
ストロベリーは必死に訴える。
「わたくしは――」
「兄上」
その時。
別の声が割って入った。
茶色の髪を持つ青年。
ハーゲン王国第三王子。
マカデミア=ハーゲン。
彼はストロベリーの前へ立った。
「それ以上は、おやめください」
「マカデミア?」
グリーンティーが眉をひそめる。
「彼女を庇うのか?」
「はい」
マカデミアは迷いなく答えた。
「私はストロベリー嬢を幼い頃から知っています。
彼女が嫉妬で誰かを傷つけるような人ではないです」
ストロベリーは驚いたように彼を見る。
「マカデミア殿下……」
「証拠もないのに、一人の女性を罪人にすることは許されません」
その言葉に、静寂が広がる。
だが――。
「まあまあ」
穏やかな声が響いた。
学院の入口から、一人の女性が歩いてくる。
金色の長い髪。
透き通るような美しい瞳。
人間離れした魔力を纏う存在。
ハーゲン国立学院学院長。
ハイエルフのクッキー=クリーム。
「随分と騒がしいですね」
彼女は倒れているバニラ。
そして、疑われているストロベリーを見る。
「なるほど」
「証言は一つ」
「証人はいない」
「しかし、皆が真実を知りたいと思っている」
クッキーは嬉しそうに微笑んだ。
「ならば――」
彼女は杖を掲げる。
「真実の扉を開きましょう」
空間が震える。
学院中の魔力が集まっていく。
「禁術級魔法……」
「まさか……」
生徒たちが息を呑む。
クッキーは詠唱を始めた。
「時を刻む記憶よ」
「過ぎ去りし瞬間を我らの前へ示せ」
「真実へ至る門よ――開け」
光が溢れる。
目の前に巨大な扉が現れた。
黄金色に輝く、不思議な扉。
その向こうには――。
数分前の学院の光景が映し出されていた。
「これが……過去に行く魔法……」
グリーンティーの顔から血の気が引く。
バニラは震える。
ストロベリーは静かに扉を見る。
そしてマカデミアは、小さく呟いた。
「これで……真実が分かる」
クッキーは杖を振り下ろした。
「さあ、皆さん」
「本当に起きた出来事を――その目で確かめるのです」
真実の扉が開く。
そこに行けば過去が――。
全ての嘘を暴くことができる。
◇
黄金色の扉が開いた瞬間。
眩い光が、学院全体を包み込んだ。
まるで世界そのものが一瞬だけ揺らいだような感覚。
そして――。
次にストロベリーが目を開けた時。
「……ここは?」
そこは、ハーゲン国立学院の理事長室だった。
窓の外には、いつもと変わらない学院の景色が広がっている。
しかし、何かが違った。
空気。
魔力の流れ。
そして――。
「時計の時刻が……違うわ」
バニラが、壁に掛けられた魔法時計を見て声を漏らす。
記憶にあった時刻より、数十分前。
事件が起こる前の時間だった。
「本当に……過去へ来たのですね」
マカデミアが呟く。
クッキー=クリームは静かに頷いた。
「はい。これは幻影でも、記憶の再現でもありません」
学院長は黄金色の杖を手にしたまま説明する。
「皆さんは今、実際に過去の時間へ移動しています」
四人の生徒たちの間にざわめきが広がる。
「そんな魔法が……」
「禁術級と言われる理由が分かる……」
クッキーは理事長室を見渡した。
「真実の扉は、時の流れを越える魔法です。
過去へ移動し、その時に存在した世界へ干渉することができます」
その言葉に、グリーンティーが驚く。
「干渉……?」
「はい」
クッキーは頷く。
「見るだけではありません」
近くにあった机へ、ストロベリーが手を伸ばす。
指先が机に触れた。
「……触れますわ」
バニラが椅子を動かす。
「動かせるわ……」
クッキーが説明する。
「物に触れることもできます」
「会話することも可能です」
「そして、歴史を変えることもできます」
そこで――。
学院長の表情が変わる。
「ですが、絶対にしてはいけないことがあります」
全員がクッキーを見る。
「自分自身との接触です」
「……過去の自分」
ストロベリーが小さく呟く。
「はい」
クッキーは頷いた。
「この時間には、皆さん自身がすでに存在しています。
つまり、この世界には同じ人物が二人いることになります。
世界の理は、それを許していません」
生徒たちが息を呑む。
「もし……過去の自分に触れたら?」
グリーンティーが尋ねる。
クッキーは少し沈黙した。
「分かりません」
「分からない……?」
「時間魔法は、未来を変える可能性を秘めています」
学院長の声は真剣だった。
「記憶が混ざるのか? 存在が重なるのか?
未来そのものが変化するのか?
何が起こるかは、私にも予測できません」
生徒たちは表情を引き締める。
「だからこそ」
クッキーは告げた。
「過去の自分を見つけても、絶対に触れないでください。
声をかけることもいけません。
自分自身だけは、決して近づいてはいけません」
全員が頷く。
そして――。
クッキーは窓の外を見る。
「ただし」
「それ以外の人間や物には、干渉できます」
その言葉に、マカデミアが顔を上げる。
「つまり……」
「はい」
クッキーは微笑んだ。
「犯人を探すために、皆さん自身で過去を調べることができます」
理事長室の扉が開く。
目の前には、事件が起こる前の世界がある。
まだ誰も、バニラの悲鳴を聞いていない。
まだ誰も、ストロベリーを疑っていない。
まだ、未来は決まっていない。
クッキーは杖を掲げる。
「では、始めましょう。皆さんの目的は――」
黄金色の光が、学院全体を映し出す。
「真実を見つけること。ストロベリー嬢が犯人なのか?
それとも――真犯人がいるのか?」
映像の中。
ピンク色の髪の少女、バニラが廊下を歩いている。
その隣には、緑色の髪の青年。
グリーンティー王子。
「別の誰かが、嘘をついているのか」
生徒たちは動き始める。
過去の学院へ。
真実が隠された時間へ。
濡れ衣を着せられた公爵令嬢を救うために――。
または、彼女の罪を証明するために……。
こうして。
史上初めての「過去への犯人探し」が始まった。
◇
四人の生徒と学院長は、学院の廊下を静かに歩いていた。
事件まで――あと十分。
誰もが息を潜めている。
「ここです」
クッキー学院長が小さく告げた。
目の前には、大階段。
放課後の喧騒は収まり、生徒たちは思い思いに教室から出てくるところだった。
「私たちは、このまま見届けます」
「ただし、自分自身には決して近づかないこと」
学院長の言葉に全員が頷く。
ストロベリーも自然と辺りを見回した。
すると――。
「あ……」
階段の上。
十分前の自分が友人と別れ、一人で歩き始める姿が見えた。
(あれが……過去のわたくし)
思わず胸が締めつけられる。
数十分前。
何も知らない自分。
このあと濡れ衣を着せられ、婚約を失う未来など知るはずもない。
「近づいてはいけません」
隣のマカデミアが、小さく囁く。
ストロベリーは静かに頷いた。
「ええ」
二人は柱の陰へ身を隠す。
すると反対側の廊下から、別の二人の姿が現れた。
グリーンティー第二王子。
そして――。
並んで歩くのは、バニラだった。
未来から来たグリーンティーが、小さく眉をひそめる。
「この後、事件が起きるのか……」
「そういうことになります」
クッキーが静かに答える。
過去のバニラは、グリーンティーを見つめていた。
少し照れくさそうに笑う過去の二人。
何も知らない少女。
「なんだか……変な気分」
そう呟いた瞬間だった。
「ようやく真実が分かる。」
そう安堵したグリーンティーは、
張り詰めていた空気を少しでも和らげようとして微笑んだ。
「バニラ。
この問題が解決したら、一緒に庭園を歩かないか」
「え……?」
バニラは、思いがけずに声を掛けられ、急に立ち止まった。
そして、歩いていたグリーンティーとぶつかってしまう。
「きゃっ……」
小さく体勢を崩す。
そのまま、よろめいた先は――
階段前。
そこには過去のバニラが立っていた。
「えっ……!」
未来のバニラが目を見開く。
「だ、だめ――!」
手を伸ばそうとした、その瞬間。
未来のバニラの指先が、過去のバニラの背中にほんのわずかに触れた。
――バチィィィッ!!
黄金色の雷光が弾けた。
「きゃああああああっ!!」
激しい衝撃波が廊下を駆け抜ける。
まるで磁石の同極同士が弾き合うように。
二人のバニラは正反対の方向へ吹き飛ばされた。
「バニラ!」
未来のグリーンティーが叫ぶ。
しかし、その声は届かない。
吹き飛ばされたのは――過去のバニラ。
体勢を完全に崩した彼女は、そのまま階段へ。
「いやぁっ!」
ゴロッ。
ゴロゴロゴロッ!!
小さな身体が階段を転がり落ちていく。
未来のバニラは壁へ激突しただけで済んだが、過去のバニラは受け身も取れない。
そして――。
ドサッ。
階段の下で動かなくなる。
「うっ……」
その時だった。
階段の上から、一人の少女が駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
赤い髪が揺れる。
ストロベリー・ローズベル。
過去の彼女は慌てて階段を見下ろし、心配そうに身を乗り出した。
「誰か、先生を呼んでください!」
その必死な声に、未来のストロベリーは息を呑む。
「わたくし……」
彼女は震える唇を押さえた。
あの日の自分は、真っ先に助けようとしていた。
それなのに――。
この直後、自分は犯人にされたのだ。
「そんな……。」
未来のグリーンティーは青ざめる。
「私が……近づきすぎたせいで……」
未来のバニラも顔面蒼白だった。
「違う……
ストロベリー様じゃない……
全部……わたし……」
涙がぽろぽろと零れ落ちる。
マカデミアだけは静かに目を閉じた。
「やはりストロベリー嬢は無実だったか」
そして、ストロベリーへ優しく微笑む。
「あなたは何一つ悪くありませんでした」
その一言だけで、張り詰めていたストロベリーの心は震えた。
先ほどまで、一人で抱え込んできた濡れ衣。
誰にも信じてもらえなかった孤独。
けれど今、その真実を誰よりも早く信じ続けてくれた人が、自分の隣にいる。
ストロベリーの瞳から、一筋の涙が静かにこぼれ落ちた。
黄金色の扉が映し出した真実は、誰も予想していなかった結末だった。
ストロベリーは犯人ではない。
事件は、人の悪意ではなく――時間の禁忌が引き起こした悲劇だったのである。
◇
黄金色の光が静かに消えていく。
学院には重苦しい沈黙だけが残っていた。
誰も口を開けない。
真実は、あまりにも残酷だった。
ストロベリーは誰一人傷つけていなかった。
それどころか、真っ先に助けようとしていたのだ。
グリーンティーは震える手を握り締めた。
「……ストロベリー」
その声は、今にも消えてしまいそうだった。
彼はゆっくりと頭を下げる。
「申し訳なかった。
証拠もないまま君を疑い、婚約を破棄するとまで言ってしまった。
私は王子失格だ。最後まで君を信じられなかった。
すべて私の過ちだ」
王族である第二王子が、公衆の面前で深く頭を下げる。
学院中が息を呑んだ。
続いて、バニラも涙を流しながらストロベリーの前へ歩み出る。
「ごめんなさい……わたし……
ストロベリー様が犯人じゃないって分かっていたら……」
言葉にならない。
涙だけが止まらない。
「わたしが軽率に動いたせいで……
あなたの人生を壊してしまいました」
そのまま地面へ膝をつき、何度も頭を下げる。
「本当に、ごめんなさい……」
周囲の生徒たちも次々と頭を下げ始めた。
「申し訳ありませんでした」
「私たちも疑ってしまいました」
「本当にすみません」
学院中から謝罪の声が響く。
ストロベリーは静かに目を閉じた。
胸に残っていた痛みは、簡単には消えない。
けれど――。
「皆様」
優しい声が響く。
「もう、お顔を上げてください」
涙を浮かべながらも、ストロベリーは微笑んでいた。
「今回の出来事は、誰か一人を責めれば終わる事件ではありません。
時間という禁忌に触れてしまった悲劇です」
その慈愛に満ちた言葉に、多くの生徒が涙を流した。
しかし。
ストロベリーはゆっくりとグリーンティーへ向き直る。
「ですが、殿下」
真っ直ぐな瞳。
もう迷いはなかった。
「わたくしは婚約の継続を望みません」
静まり返る学院。
「……ストロベリー?」
「婚約破棄ではありません」
彼女は首を横へ振った。
「婚約解消をお願いいたします。
わたくし達は、お互いを信頼できませんでした。
夫婦に最も必要なのは信頼です。
その信頼が失われた以上、この婚約を続けても幸せにはなれません」
グリーンティーは何も言えなかった。
否定できない。
自分が彼女を信じなかった事実だけは変えられないのだから。
「……分かった」
彼は苦しそうに目を閉じる。
「君の望みを受け入れよう」
婚約は、静かに終わりを迎えた。
その時だった。
「でしたら」
マカデミアが一歩前へ出る。
誰も予想していなかった。
第三王子はストロベリーの前に跪く。
「ストロベリー嬢」
真剣な眼差し。
「私は幼い頃から、ずっとあなたを見てきました。
兄上の婚約者だから、この想いは一生胸にしまうつもりでした」
ストロベリーが目を見開く。
「ですが今日、あなたがどれほど誠実で、
優しく、気高い女性なのかを、改めて知りました」
マカデミアは彼女の手をそっと取る。
「兄上ではなく、僕があなたを生涯守りたい」
一拍置く。
「僕と結婚してください」
学院中が息を呑む。
ストロベリーの瞳から涙がこぼれた。
自分を最後まで信じ続けてくれた人。
誰よりも寄り添ってくれた人。
「……はい」
小さく、それでも確かな声。
「喜んで」
マカデミアは穏やかに微笑み、彼女の手を包み込む。
その瞬間、学院中から大きな拍手が沸き起こった。
クッキー学院長も微笑む。
「真実は、人を裁くだけではありません。
新しい未来へ導くものでもあるのです。」
◇
数日後。
王城。
謁見の間では、国王の怒号が響いていた。
「愚か者がっ!!」
グリーンティーは床へ額を擦りつけている。
「証拠も調べず、公爵家との婚約を一方的に破棄しようとしただと!
王族として最も大切な『公正』を忘れた者に、王位継承の資格などない!」
国王は厳かに宣言した。
「グリーンティー・ハーゲン」
「本日をもって王族の籍を外す」
場内がざわめく。
「さらに、お前はバニラ・シュガーと正式に婚姻し、
シュガー男爵家の婿養子となれ。
男爵家を支え、生涯をかけて己の未熟さを償うがよい」
「……はっ」
グリーンティーは力なく頭を下げた。
もはや第二王子ではない。
一人の男として、生き直すしかなかった。
隣では、バニラも涙を流しながら深く頭を下げる。
「必ず……償います」
こうして一人は、信頼を失った代償を背負って新たな人生を歩み始めた。
そして春風の中。
ストロベリーは、自分を最後まで信じてくれた人と、新しい未来へ歩き始める。
真実の扉が導いたのは、失われた過去ではない。
信じ合える人と紡ぐ、幸せな未来だった。




