第26話:市場の歪み
朝の市場は、いつも通りの喧騒に満ちていた。
荷馬車の音。
商人の呼び声。
値段交渉のやり取り。
何も変わらない――はずだった。
「安いぞ! 今日の麦は特価だ!」
声が響く。
だが。
(……安すぎる)
俺は足を止めた。
積まれている麦袋を一瞥する。
【市場価格:通常の6割】
【供給量:急増】
【品質:通常】
おかしい。
「どうしたの?」
隣でエリシアが首を傾げる。
「いえ、少し」
視線を市場全体に巡らせる。
人の流れ。
商品の配置。
価格の分布。
――偏っている。
「ちょっと見てきます」
俺はそのまま別の露店へ向かった。
「そっちの果物、いくらです?」
「お、兄ちゃん。今日は高いぞ」
店主が笑う。
「不作でな。仕入れが跳ね上がってる」
提示された値段を見る。
【市場価格:通常の1.8倍】
【供給量:減少】
【需要:増加】
(……逆だな)
麦は安い。
果物は高い。
本来なら連動する部分もあるのに、完全に分断されている。
「最近、こんな感じですか?」
「ここ数日な」
店主は肩をすくめる。
「上がるもんは上がるし、下がるもんは下がる」
「まあ景気ってやつだろ」
軽い口調。
疑いはない。
「……なるほど」
俺は軽く頷いた。
そのまま、いくつかの店を回る。
肉。
布。
木材。
すべて確認する。
【価格変動:不自然】
【タイミング:一致】
【影響範囲:限定的】
――確定だな。
「分かった?」
戻ると、エリシアが聞いてきた。
「ええ」
「何かあった?」
「ありますね」
俺は短く答えた。
「でも、普通じゃないです」
「普通じゃない?」
「はい」
市場をもう一度見渡す。
賑やかだ。
活気もある。
だが。
(“流れ”が歪んでる)
本来、価格は“自然に”動く。
供給と需要。
時間差。
地域差。
それらが絡み合って、緩やかに変動する。
だが、これは違う。
動きが“鋭すぎる”。
そして、“揃いすぎている”。
「ねえ、何が言いたいの?」
エリシアが少し不安そうに言う。
「簡単です」
俺は視線を戻した。
「これは自然じゃない」
「……じゃあ?」
一拍。
答えは決まっている。
「誰かが動かしてる」
「え?」
「価格を」
エリシアの表情が固まる。
「そんなこと、できるの?」
「できますよ」
あっさりと言う。
「資金と流通を握っていれば」
特定の商品を買い占める。
あるいは市場に大量投入する。
それだけで、価格は操作できる。
「でも、そんな規模で……」
「個人じゃ無理ですね」
否定する。
「組織です」
「……商会?」
その言葉に、俺は小さく笑った。
「可能性は高いですね」
むしろ、それ以外に考えにくい。
タイミング。
規模。
精度。
全部が揃っている。
「でも、なんでそんなこと……」
「理由はいくつか考えられます」
一つずつ、整理する。
「利益の最大化」
「競合の排除」
「市場支配」
「……」
「そして」
一歩、踏み込む。
「“試してる”可能性もあります」
「試す?」
「はい」
「こちらを」
エリシアの目が見開かれる。
「どこまで対応できるか」
「どこが弱点か」
「反応を見るための操作」
沈黙。
空気が少し冷える。
「……感じ悪いね」
「ええ」
同意する。
「でも合理的です」
相手は、遊びでやっているわけじゃない。
“戦略”だ。
「どうするの?」
エリシアが聞く。
その声には、わずかな緊張が混じっていた。
「すぐには動きません」
俺は答えた。
「え?」
「まだ情報が足りない」
「意図も、範囲も、確定してない」
「だから」
視線を市場に戻す。
「もう少し観察します」
「……慎重だね」
「当然です」
相手は見えない。
なら、焦るべきじゃない。
ただし――
(放置はできない)
このまま続けば、必ず影響が出る。
利益構造が歪む。
流通が乱れる。
最悪、街全体に波及する。
つまり。
これはもう――
“始まっている”。
俺は小さく息を吐いた。
そして、静かに言う。
「……誰かが、操作してますね」




