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5話 見えているなら言葉にしろ

その夜、ガルド教官は黒板に三つの語を書いた。


前衛

中衛

後衛


「一人で強いだけの冒険者は珍しくもない。だが、二人、三人で組んだ時に、全員で生き残れる冒険者はずっと少ない」


白墨が止まる。

次に書かれたのは、二文字だけだった。


負傷


「戦列が最も崩れるのはここだ。誰が受け、誰が下がり、誰が穴を埋めるのか。その場で決めろ。“まだいける”は、大抵もう遅い」


現場でやってきたつもりのことばかりだった。

だが、俺のは継ぎはぎだ。


知っているつもりでも、並べ直されると穴が見える。

やってきた、で済ませていいほど整ってはいなかったらしい。


「知っていることと、できることは別物だ。外へ出ろ。北演習場で続ける」



夜風の冷える北演習場には、すでに補助教員たちが並んでいた。

柵の向こうでは、訓練用の小型魔獣が地面を掻いている。


「三人一組の連携を確認する」


ガルド教官の声が夜気を切る。


「前衛で抑える役、中衛で支える役、後衛で全体を見る役。三体を相手に五分、戦線を維持してみせろ。途中で一人を負傷脱落扱いにする。その欠けを埋めて形を保てるかを見る」


名簿が読み上げられる。

「ベルタ・グラム。ロイド・フェルナー。ハンス・ヴァルド」


呼ばれて前へ出る。

ベルタが斧を担ぎ直し、鼻を鳴らした。


「今度は三人か」


「盾役がいるなら……いや、正面を一回止めてもらえるだけで助かる」


そう言うと、ハンスが苦笑した。

「安定すりゃいいけどな。俺はあんたらみたいに細かくは動けんぞ」


「細かく動かなくていい。前を塞いでくれれば、こっちで合わせる」


ハンスが少し目を上げる。

「雑に聞こえるが、盾役にはだいたいそういう注文が来る」


そこで横からベルタが口を挟んだ。

「あんた、仕切るの早いな」


「嫌ならやめる」


「いや、いい。そっちの方がやりやすい」

ベルタは短くうなずいた。

「そういうの、嫌いじゃない」


文句ではなく確認だったらしい。

主導を取る人間がいるなら、それに乗る方が早いと見たんだと思う。


ガルド教官が手を振る。

召喚陣が白く爆ぜた。


現れた三体は、最初から散っていた。

正面に一体。左右の外へそれぞれ一体。

どこかが迷えば、そこを抜くつもりの配置だった。


嫌な置き方だった。

最初の一手で役を決め切れないと、そのまま崩れる。


「正面一、外二!」


ベルタが踏み込む。

正面の一体へ斧を見せて足を止めさせ、その返しで外へ回る一体の鼻先を柄で打った。だが、もう一体が低く滑るように寄ってくる。


「ハンス、前!」

ハンスが盾を出す。

爪が盾板を擦り、甲高い音が夜気に跳ねた。


「ちっ、悪い!」


「止めたなら十分!」

返した時には、正面の一体がベルタの外側へ回っていた。


ハンスは止める役をちゃんと分かっていた。

足りなかったのは腕じゃなく、最初の噛み合わせの半歩だけだ。


俺は踏み込みの先へ風弾ウィンド・バレットを叩き込む。

足元の土を跳ね上げ、視界を潰すつもりだった。


だが、土は硬い。


夜露を吸って締まった地面は、狙ったほど舞わない。

風弾は乾いた音を立てて弾けるだけで終わった。

獣が、そのまま入る。


読みが浅かった。

昼と同じつもりで打っても、地面が違えば崩し方も変わる。


牙と爪がベルタの右肩を深く掠めて抜けた。


「右ッ!」

叫んだのは、ほぼ同時だった。


補助教員の杖が光る。

赤い紋印が浮かんだ。


「――右肩、使用制限。演習継続」

負傷判定。


刻印が入った瞬間、ベルタの右腕が重く沈む。

斧の持ち手がわずかに下がった。


使えるけど使い切れない、そういう重さに見えた。

完全に死んではいないぶん、逆に厄介だ。


ベルタが舌打ちする。

「……チッ、重いな」


「振るな。押さえに変えろ!ハンス前、俺が外と後ろを見る!」


「了解!」

ハンスが迷わず前へ出る。


返事が早い。

考えてから動くんじゃなく、決まればすぐ乗れる。盾役としてはかなり助かる。


ベルタは一度だけこっちを見たが、何も言わず、斧の持ち手だけを短く組み替えた。


不満がないわけじゃないだろうが、言ってる暇がないことも分かっているらしかった。

そこは強い。


三体が連動して動く。

一体が正面。

もう一体がベルタの負傷側を抜くように外へ膨らむ。

さっき弾いた一体も、もう戻っている。


試しじゃない。

負傷が入った瞬間に、弱い側へ寄せてくる。訓練用でもやることは嫌らしい。


「外、抜けるぞ!」

ハンスが盾を返す。

だが、それだけでは中央が薄くなる。


俺は外へ回った個体の前脚の先へ火弾を叩きつけた。

爆ぜた土煙の中へ、ハンスの盾が突っ込む。

獣の鼻先が横へ流れる。


その間に正面の一体がベルタへ入る。


ベルタは動かない右肩を庇い、片手に近い持ち方で斧の柄を立てた。

牙をまともに受けず、滑らせる。

流した勢いのまま、石突で顎を跳ね上げた。


完全には振れないなら、押さえに変える。

言った通りにすぐ切り替えた。判断が速い。


「次どうする!」


「下がる!三人で固める、取りに行くな!」


「了解」

返事が早い。


言い合わずに次へ移れる。

その一点だけで、昼よりだいぶましだった。


ハンスが中央へ寄る。

ベルタが右で正面を押さえる。

俺は二人の後ろへ半歩下がり、抜ける個体だけを見る。


風弾で外の踏み込みをずらす。

ハンスが盾を返す。

正面はベルタが押さえる。


三人の間だけは、最後まで割れなかった。


完璧ではない。

でも、誰か一人が自分の戦い方に閉じなかったぶん、形だけは保てた。


演習終了を告げる杖の音が鳴った時、三体の魔獣はまだ牙を見せていた。

それでも、俺たちの隊列は崩れていない。


「そこまで」


止めていた息を吐く。


終わった、と頭が理解しただけだった。

まだ戦線の形の方が先に残っている感じがした。


ハンスが額の汗を拭った。

「最初、外を見誤った。危なかったな」


「俺の風弾も浅かった」


そう言うと、ベルタが斧を肩へ担ぎ直す。

痛みのせいか、ほんの少しだけ動きが遅い。

「でも立て直した」


緑の目がこっちを向く。

「悪くない。少なくとも、無駄に迷わなくて済んだ」


褒めるというより確認だった。

うまくやった、ではなく、崩れる前に切り替えられた。それだけで十分だと言っているように聞こえた。



演習場の反対側では、リーネの組がまだ噛み合っていなかった。


前回みたいな露骨な独走じゃない。

それでも、誰が次を見るかだけが毎回ずれた。


今回は抑えているつもりなんだと思う。

それでも、抑えた上でまだ自分の見え方が先に出ている。


右から寄った一体へ、リーネが無言のまま風刃ウィンド・スラッシュを走らせる。狙いは正確だった。


だが、そこには前衛の学生も剣を合わせようとしていた。


風刃で獣が弾かれる。

剣先が空を切る。

踏み込みだけが前へ残り、正面の受けが消えた。


そこへ別の一体が滑り込む。


後衛役の学生が慌てて火弾を放つ。

だが、リーネはその着弾を待たずに前へ出ていた。

射線の先へ、自分から入る形になる。


「危なっ――!」

制止と魔法の起動が重なる。


避けたのは魔獣の方だった。

リーネの足元を掠めて外へ逃れ、追おうとした前衛の学生はそこで足を止める。


次にどこを見るべきか。

その迷いだけが、はっきり見えた。


誰も遅いわけじゃない。

ただ、次の基準だけが揃っていない。だから一手ごとに視線が切れる。


リーネは黙ったまま二体目へ向き直る。

狙いは合っている。

判断も速い。


だが、後ろの二人はずっとリーネの後を追うしかなかった。


誰が前を決めているのかが、毎手変わる。

あれじゃついていく側はずっと遅れる。


「止めろ」

ガルド教官の声で実習が止まる。


「リーネ。お前は自分に見えているものが、当然相手にも見えている前提で動いている。だが見えていない。言葉にしなければ伝わらん」


リーネは黙って受ける。

反論もしない。

銀の瞳だけが、わずかに冷えていた。


納得していないんだと思う。

でも、言い返しても変わらないことは分かっている顔だった。


「技量の問題ではない。合わせる気がないのか、合わせ方を知らないのか。どちらにせよ、このままでは結果は同じだ」


組んでいた二人の学生も視線を逸らした。

前回みたいな衝突はない。

その代わり、もう近づかない。


怒鳴り合う方がまだましな時もある。

ここまで静かに切れると、次はもう最初から引いたままになる。


演習が終わり、学生たちが散り始める。


ベルタが横で言う。

「頭は回るんだろうけどな」


「強いのにな」

短く返すと、ベルタはそれ以上言わなかった。


少し離れた場所を、リーネが一人で歩いていく。

確かな実力はある。

だが、その背中には隣へ誰かを置く余地が見えない。


今は、自分一人で閉じたまま歩く方が楽なんだろう。

そう見える背中だった。


あのままなら、次も切れる。

放って帰る気にはなれなかった。


足がそっちへ向く。


「おい」

呼びかけると、リーネの肩が止まった。

だが、すぐには振り向かない。


聞こえている。

その上で、返すかどうかを決めているらしかった。


「……何」


「さっきの実習のことだ」


「もう終わったわ」


「終わってない」


そこでようやく、リーネが振り向いた。

「右に回ったやつ、お前が先に弾いたろ」


銀の目が細くなる。


警戒された。

でも、切られる前にまだ一言ぶんの余地はある気がした。


「前のやつ、あそこで踏み込んでた。剣先が空を切った」


「……だから何」


「黙って動かれると、次にどこを見るかが消える」


リーネは答えない。

ワンドを握る指先だけが硬い。


言われた意味は分かっているんだと思う。

分かっていて、それを認めたくないか、まだ認めきれないか、そのどちらかに見えた。


「見えてるなら、一言でいい。“右”でも“下がれ”でも、それで足りる」


「言う前に動いた方が早い時もあるわ」


「一人ならな」


間を置いて、リーネが口を開く。


「……あなたには関係ないでしょう」


「ある。俺も同じ失敗をした。だからここにいる」


リーネの視線が刺さる。

それでも逸らさずに続ける。


「次も同じなら、もっとでかく崩れる」


しばらく黙ったあと、リーネが小さく息を吐いた。


言い返せないから黙ったのか、考えているから黙ったのか、そこは分からない。

ただ、最初よりは閉じていなかった。


「……できるかどうかは、知らないわよ」


「ああ。最初から全部やれとは言わない」


「……変な人」


「そうかもな」


リーネはそれ以上言わず、背を向けた。


今度は呼び止めない。

それでも、昨日までよりは少しだけましだった。


あれで終わったとは思えない。

だが、何も届かなかったわけでもない。


隣に立つための声というものを考えた瞬間、断崖で何も言えなかった日のことが頭をよぎった。


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