19話 同じ言葉で同じ動き
次の実技の時間、訓練場の地面には前よりずっと多くの白線が引かれていた。
円。
斜線。
細い通路。
正面を外し、横へ流し、狭い場所へ踏ませるための線だ。
ぱっと見には迷路にしか見えない。
だが、どこで寄せ、どこを空けるかまで最初から決められている。
見た目は複雑だが、やらせたいことははっきりしている。
好きに動かせるための線じゃない。動きを限定するための線だ。
ガルド教官が腕を組んだまま言う。
「今日は、正面から勝つな」
その言葉に、マルクが露骨に顔をしかめた。
「授業で教官にそう言われるの、なんか嫌だな」
「嫌なら覚えろ」
カツン、と杖の先が地面を叩く。
「真正面から押し切れる相手ばかりなら、搦め手など要らん。今日は、視線をずらす。足を止める。進路を変える。そこだけ叩き込む」
正面から勝てない相手を前提にしている。
異常個体を意識した授業なんだろうと思った。
ベルタが面白そうに鼻を鳴らした。
「ようやく兄さん向きの話になったな」
「お前が真正面でぶつかるのを好きすぎるだけだろ」
「嫌いじゃない」
「知ってるよ」
教官は板を立て、その中央へ四つの言葉を書いた。
寄せろ
流せ
空けろ
踏ませろ
「呼び方を決める。長い説明は判断を遅らせるからな」
最初の言葉を、杖で叩く。
「寄せろ。敵の進路を一つにまとめろ。左右から圧をかけ、抜ける幅を狭める」
次。
「流せ。正面でまともに受けるな。狙いを横へずらして受け流せ」
次。
「空けろ。そこに立つな。わざと一本、道を作れ」
最後。
「踏ませろ。作った道へ乗せろ。狭い場所、足場の悪い場所、受け手の真正面。踏ませる場所まで先に決めておけ」
短い。
でも、聞いた瞬間にやることが一つに絞られる。
言葉というより、足を動かすための合図だ。
ハンスが肩を回しながら呟く。
「ずいぶん短いな」
「短くないと実戦では間に合わん」
リーネが板を見たまま言う。
「意味が重ならないのはいいわね。聞いた瞬間に足が決まるわ」
教官がうなずいた。
「そのために短くしている」
リーネはやっぱりそこを見る。
言葉のきれいさじゃない。動きへ直結するかどうかだ。
そういうところは、かなり実戦寄りだと思う。
板の文字を見ながら、俺は辺境で一人戦っていた頃を思い出していた。
寄せる。流す。空ける。踏ませる。
これまでは全部、俺一人の頭の中で済ませていた。
一人なら、自分の中で完結する。
班でやるなら、頭の中の順番を外へ出さなきゃいけない。
今日の授業は、そのための言葉を作っている。
教官の視線が、まっすぐこちらを射抜く。
「ロイド。寄せろから踏ませろまで、一回見せろ」
「……一人で、ですか?」
「だからお前に言っている」
促されるまま前へ出る。
目の前にはゴーレムが三つ。
その先に、白線で区切られた細い通路が伸びている。
まず左へ回る。
真正面だけは外す。
正面を外すだけで、相手の向きが少しずれる。
最初にやるのは、それで十分だった。
足元の砂を払う。
視線が通路側へ寄ったのを見て、自分は半歩外へずれた。
「寄せたな」
後ろで見ていたベルタが呟く。
「流した」
ハンスが続く。
「中央を空けたわね」
リーネが言う。
「……そこが一番狭い」
教官がうなずいた。
「それだ。次は班でやる」
一人でやると単純だ。
班でやると、ここから先が難しい。
誰がどの合図を出すかまで揃えないと、たぶん崩れる。
◆
白線の中へ六人で入る。
相手役は上級生二人とゴーレム一つ。
上級生の一人が正面から押し、もう一人が横を突く。
ゴーレムは少し遅れて中央へ入ってくる。
「始めろ!」
最初に声を上げたのはミアだった。
「寄せっ!」
左右へ開き、マルクと一緒にゴーレムの進路を絞りにかかる。
だが近すぎた。
押し込む前に振り幅へ入り、ミアが慌てて下がる。
気持ちは合っていた。
でも近すぎる。
寄せる前に、自分が殴られる距離へ入っている。
「近いぞ」
ベルタが即座に刺す。
「圧をかける前に、自分が押し返される位置へ入るな」
「わかってるわよ!」
「わかってないから下がってるんだろ」
ミアがむっとしながらも、元の位置へ戻る。
ベルタの言い方はきつい。
でも、今のはその通りだった。
ミアも腹は立てても、位置は戻した。
次は俺が声を出す番だった。
「流せ!」
ベルタが正面を受けるふりを見せる。
俺が半歩横へ入り、進路を外へねじ曲げる。
ハンスがその先を押さえ、ゴーレムの向きが右へ流れた。
正面で止めるんじゃなく、行き先を変える。
そこは俺の手が一番馴染む。
まともに受けない方が、やっぱりしっくりくる。
「空けろ!」
マルクが中央から退き、ミアがその外へ回る。
ベルタと俺の間に、ゴーレム一体ぶんの道が空いた。
「踏ませろ!」
リーネの声が飛ぶ。
ゴーレムが白線の細い区画へ入った瞬間、ベルタが前を塞ぐ。
ハンスが横から支え、俺が背後を断つ。
逃げ場が消えた。
決まった。
最後の声が早い。
リーネが見えた瞬間に切ってくれたから、迷わず閉じられた。
教官が杖を下ろした。
「今のは合格だ」
ベルタが少し肩で息をしながら言う。
「最後の声、早かったな」
「遅いと抜かれるもの」
リーネは冷静に返した。
その言い方に無理がない。
自分で言っていても気負っていない。
少しずつ、班の中で声を出す位置に慣れてきているんだろう。
マルクが手を振る。
「でもさ、誰が何を言うか、だんだん混ざってこないか?」
教官がすぐに応じた。
「それも決める」
板に書き足していく。
前衛:受ける/流す
中衛:空き/埋める
後衛:次
遊撃:寄せ
「全部を一人で喋ろうとするな。喉が詰まるぞ」
そこで教官の杖が、俺へ向いた。
「ロイド。お前は喋りすぎる。今の一歩を見ろ」
「……見てからだと、遅れませんか?」
「お前は三手先を見すぎる。そのせいで、今の一歩が薄くなる時がある」
何も言い返せなかった。
その通りだった。
先を見たくなる。
その癖で助かったこともある。
でも班でやると、今の一歩を太くする方が先になる時がある。そこがまだ甘い。
ベルタが横から口を挟む。
「兄さんは、先を見すぎて足元が薄くなる時があるんだよな」
「……言い方」
「事実だろ?」
「でも、流す位置は正確よ」
リーネが板の「流せ」を見たまま言う。
「最初だけ揃えば、その後は使えるわ」
ベルタが、にやりと笑う。
「言われたな、兄さん」
リーネの言い方は淡々としていた。
けなしてはいない。
欠点と使いどころを分けて見ている。そこはありがたかった。
「……お前も、一人で突っ込みすぎるなよ」
「私は前衛だ。出るのが仕事だろうが」
「出てもいい。でも、戻る一歩が遠い位置まで行くな」
ベルタがこちらを向く。
「……今日はやけに細かいな」
「前が空いたら、それで終わるからだ」
答えてから、自分でも少し強いと思った。
けれど、ベルタの踏み込みを見ると、どうしても口が先に動く。
言いすぎかと思った。
でも、前が空く形だけは見過ごせない。
そこだけは、もう身体が先に反応する。
ベルタはそれ以上追及せず、斧の柄を肩に乗せ直した。
◆
実習の締めくくりは、班ごとの模擬戦だった。
相手は上級生二人とゴーレム一つ。
正面から押す役。
横から刺す役。
遅れて中央へ入る役。
三つの線を同時に相手にする。
「始め!」
最初に出たのは、正面役の上級生だった。
ベルタがそれを受け止める。
その外を、もう一人が横へ回ろうとした。
正面を見せて、横を通す。
分かりやすい形だ。
だからこそ、止められないとそのまま崩れる。
「寄せっ!」
ミアが叫び、マルクと一緒に外側から圧をかける。
横へ回ろうとした上級生の足が、一瞬止まった。
ミアはやっぱり動き出しが速い。
寄せる役としては悪くない。
問題は、そのあと自分が出すぎるところだけだ。
「流す!」
ベルタが真正面を外す。
俺が半歩横へ滑り込み、進路を内へねじ曲げる。
ここは綺麗に入った。
ベルタが受け切らずにずらし、俺がそれを内へ押し込む。
この形は、今の俺たちならもう反応で出る。
「空いた!」
ハンスの声。
ベルタと俺の間に、意図的な通路ができる。
「踏ませろ!」
リーネの号令と同時に、遅れて入ったゴーレムがその区画へ滑り込んだ。
そこは最も狭く、逃げ場のない場所だった。
前をベルタが固め、横からハンスが圧す。
俺が退路を断ち、ミアとマルクが外側を塞ぐ。
きれいに閉じた。
誰かが一歩でも遅れていたら抜けられていた。
でも今のは、全員が同じ形を見ていた。
「そこまで!」
教官の声が響く。
訓練場に、激しい息遣いだけが残った。
終わった瞬間に分かった。
今のは偶然じゃない。
手順として通せた。
「今の形を忘れるな」
教官が静かに言った。
「寄せる。流す。空ける。踏ませる。どれか一つでも遅れれば崩れる。だが、全員が揃えば正面からでは勝てない相手にも形を作れる」
その言葉は重かった。
普通の相手の話じゃない。
その先に、異常個体まで見ている声だった。
ベルタが斧を担ぎ直し、晴れやかな顔で言う。
「やっと、班で戦ってる感じがしてきたな」
「最初からそれでやってくれよ」
ハンスが笑いながら返すと、ベルタが即座に言い返した。
「最初からできたら、授業なんていらないだろ?」
「私は『寄せ』の担当、得意かも!」
ミアが胸を張ると、マルクが呆れたように肩をすくめた。
「寄せすぎるなよ。お前、勢い余って自分まで前に出すぎるから」
「勢いは大事よ!」
「……勢いだけで死ぬなよ」
俺の言葉に、また笑いが起きた。
最後に、教官が告げた。
「異常個体は、ただ強いだけの相手じゃない。お前たちの手順を壊しに来る。なら、お前たちはその手順を極限まで揃えろ」
その言葉で、場がしんと静まり返った。
結局、そこへ戻る。
今日の授業も、その一言へ向かって積まれていたんだろう。
壊される前提で、それでも通る形を作れ、と。
「兄さん」
前を向いたまま、ベルタが口を開いた。
「ん?」
「次は遅れるなよ」
「お前も、前へ出すぎるな」
「……お互い様だろ」
ベルタが、くすりと笑った。
ミアはまだ『寄せのプロ』を名乗り、マルクがそれに突っ込んでいる。
ハンスは白線の位置を足で確かめ、リーネは板の文字をじっと見ていた。
ハンスは身体で覚えるつもりなんだろう。
リーネは言葉と形を頭に刻んでいる。
覚え方は違っても、皆ちゃんと次へ持っていく顔をしていた。
白線の上には、何重にも靴跡が重なっていた。
寄った跡。
空けた跡。
戻った跡。
六人分の足跡が、ようやく一つの形へ繋がり始めていた。
それは確かだった。
でも、それだけで足りるとはまだ思えなかった。
頭に残るのはあの異常個体の動きだ。
今の俺たちなら、普通の相手には形を作れる。
けれど、頭に残るのはあの異常個体の動きだった。
ベルタが前に立つ。
その背中を見た瞬間、胸の奥がひやりと冷えた。
次にあれが来た時。
この形は、間に合うのか。




