2話 その背中は、隣を見ない
ガルド教官の声が演習場に響いた。
「リーネ・エルセリア。マルク・ドゥアン。前へ」
マルクが先に出る。
半歩遅れて、リーネがついた。
「始め」
開始位置の前で土が盛り上がる。
現れたのは、猿に似た細身の魔獣だった。
腕が長い。腰が低い。飛び込みと崩しで噛みつく型だ。
マルクが槍を構え、一歩前へ出た。
「俺が前に出る!お前は後ろから援護しろ!」
相談ではなく、宣言だけが先に出た。
その声に、リーネの眉間へ皺が寄る。
嫌そうだな。
少なくとも、黙って従う顔には見えなかった。
猿型が距離を詰めた。
三歩。四歩目で土を蹴る。
速い。
もうマルクの前まで入っていた。
槍がまっすぐ突き出される。
だが、わずかに遅い。
長い腕が横から走った。
狙いは顔じゃない。槍を支える肩だ。
その線へ、リーネの氷礫が三つ割り込んだ。
青白い光が肩を打つ。
猿型の腕が外へ流れ、爪がマルクの肩を浅くかすめて抜けた。
術の出も、狙いも、無駄がない。
反応してから通すまでが短い。
個人でさばくなら、たぶん俺より上だ。
次の瞬間には、リーネが前へ出ていた。
「おい、待て!」
マルクが叫ぶ。
だが、リーネは見ない。
聞いていないというより、見る必要がないと思っているように見えた。
自分の方が正しいと判断したら、そのまま通す手合いだ。
ワンドを左手へ預け、右手で剣を抜く。
一歩で間合いへ入り、二歩目でマルクの槍先の前へ入った。
綺麗な踏み込みだった。
姿勢が崩れない。剣筋もぶれない。
ああいう入り方は、俺にはない。
問題は、その前にまだマルクの槍があったことだ。
土塁の脇が、もう一度ふくらむ。
小型の魔獣が一体、リーネの死角から飛び出した。
一体目より軽い。
そのぶん、踏み切りだけが鋭い。
リーネが振り向く。
遅い。
もう爪が目の前まで来ていた。
そこへ、マルクの槍が横から無理やり差し込まれる。
苦しい姿勢だった。
それでも穂先は届き、小型の胸を浅く裂いた。
飛び込みの軌道が逸れる。
爪がリーネの脇をかすめて抜けた。
だが、その無理でマルクの体勢が崩れる。
踏ん張った足が流れ、二人の間が大きく開いた。
助けた結果、線が切れた。
ああいう崩れ方は一度出ると早い。
「勝手に前に出るな!」
マルクが怒鳴る。
リーネは猿型から目を外さない。
「あなたが遅すぎるのよ」
その一言で、マルクの槍先がぶれた。
頭に血が上ったんだと思う。
少なくとも、次の一手は落ち着いて見たものじゃなかった。
「……よくも言いやがったな!」
叫びながら前へ出る。
槍を握り直し、猿型へ真正面から踏み込んだ。
猿型は、それを待っていたみたいに腰を沈める。
次の瞬間、背後の土塁を蹴って高く跳ねた。
長い腕が上から落ちる。
狙いは頭じゃない。
槍を支える肩、その一点だった。
「うぐっ!」
爪がマルクの肩へ叩きつけられる。
体が横へ弾かれ、槍が乾いた土の上を転がった。
空いた穴へ、リーネが入る。
剣が猿型の喉元へ走る。
飛び退いた小型へ、続けて氷礫を叩き込む。
迷いがない。止まらない。
踏み込みも、術のつなぎも、剣の出も、全部が正しい。
少なくとも個人戦闘の型としては、俺よりよほど真っ当だ。
それでも、倒れたマルクは見ない。
そこが引っかかった。
強さの問題じゃない。
隣の処理を切ってでも、自分で終わらせる方を取っている。
「止めろ」
ガルド教官の低い声が飛ぶ。
補助教員の杖が光り、二体の魔獣は霧みたいに掻き消えた。
演習場が静まる。
マルクは肩を押さえたまま、荒く息を吐いていた。
その視線が、ゆっくりリーネへ向く。
「……お前の、せいだ」
リーネは眉ひとつ動かさない。
そう見えた。
実際には何か思ったのかもしれないが、少なくとも顔には出さなかった。
「違うわ。あなたが崩れただけよ」
マルクが言い返しかけた、その前に。
「そこまでだ」
ガルド教官が二人の間へ入った。
「マルク。踏みとどまったのは悪くない。だが、怒りで間合いを見失った」
「……はい」
「リーネ。お前は強い。だが、連携を切った。相手が遅いなら声をかけろ。前へ出るなら合図を出せ。一人で戦えることと、二人で戦えることは別物だ」
リーネは言い返さない。
銀の瞳だけが、わずかに沈んだ。
納得したというより、飲み込んだように見えた。
反発は消えていない。だが、ここで返しても得がないと判断したのかもしれない。
「下がれ。次だ」
二人は無言のまま下がっていく。
実習は終わっていたが、空気のほうは少し前に終わっていた。
すれ違う瞬間、マルクは露骨に目を逸らした。
リーネも誰とも視線を合わせない。
もう一度組ませても、今すぐは無理だと思った。
どちらも、自分の方が正しいまま下がっている。
俺はその背中を目で追った。
「……もったいないな」
隣でベルタが鼻を鳴らす。
「ああ」
自分でも、声が少し低くなったのが分かった。
「強い。たぶん、俺よりずっと正しい型で戦ってる」
ベルタがこっちを見る。
「お前のやり方とは違うのか?」
「違う」
もう一度、リーネの背を見る。
「辺境じゃ、あんなふうに綺麗に入る前に崩れる。足場が割れて、横から別の獣が来て、倒れたやつを引っ張る方が先だった。だから俺は、崩れた後を拾う癖ばかり覚えた」
「……で?」
「班で前後の線をつなぐなら、たぶんああいう技量の方が近い。少なくとも、俺のやり方よりは」
ベルタは少し黙ってから、短く鼻を鳴らした。
「それでも切れた」
言い方は雑だが、その通りだった。
「ああ」
喉の奥が少し重くなる。
「強さの問題じゃなかった。最後まで、一人で終わらせるつもりでいた」
「そういうことだ」
その一言が、妙に深く刺さった。
俺は連携を学びにここへ来た。
だが、それだけじゃ足りない。
そもそも俺には、班で線をつなぐための正統な技量が足りていない。
辺境で覚えたのは、崩れた後を拾うやり方だ。
そして、まだ逃げ道がある。蝕毒の術だ。
あれに頼れば、足りないところはまた埋まる。
だが、それで通れば、欠けたまま先へ進む。
少なくとも学院にいる間は使わない。
連携も、技量も、あれ抜きで身につける。
解散の号令がかかる。
リーネは誰より早く演習場を離れた。
銀の髪だけが、朝の光をひと筋返して遠ざかっていく。
強い。
俺より、ずっとまっとうに戦える。
それでも隣を使わないと、ああやって切れる。
他人事じゃなかった。
目だけは、最後まであの背中を追っていた。




