15話 だからって、いきなり触るな
◆学院祭準備
準備が進むにつれて、冒険者課程の講堂は授業の場というより、作戦室みたいな顔つきになっていった。
黒板には必要数。
机には帳面。
壁際には炭袋と木箱。
誰かが腰を下ろせば、すぐ次の話が始まる。
祭りの準備というより、補給と配置の詰め方に近かった。
売り物の話をしているはずなのに、空気はどこか討伐前と似ていた。
「ホーンラビットは王都南の草原で朝方に出る。日が高くなると巣穴に散る。だから狩り班は朝一で動く」
「朝一って、どれくらいですか……」
眠そうな声を上げたのはマルクだった。
「日が昇る前だ」
「鬼か」
「冒険者だ」
即答に、講堂がどっと笑う。
笑いは起きたが、誰も無理だとは言わなかった。
結局、その時間に動くしかないと分かっているからだろうと思った。
俺は黒板の前で必要数を見直していた。
「串一本の量から逆算すると、最低三十羽。予備込みで四十は欲しい」
「結構いるな」
ハンスが眉を上げる。
「学院の客だけじゃない。近隣の人も来る」
「兄さん、数字になると急に容赦ないな」
横からベルタが覗き込んでくる。
革と金属の匂いが、ふっと鼻先をかすめた。
「足りなくて売り切れるよりはましだ」
「余ったら?」
「仕込み班が泣く」
「なるほど。じゃあ四十でいこう」
軽い調子で決まった。
決め方は軽くても、中身はもう決まっていた。
この人数で回すなら、余らせるより不足の方がまずい。
狩り班は、俺とベルタ、それからミアの三人。
……のはずだった。
◆
当日の朝、ミアは腹を押さえてうずくまっていた。
「ごめん、昨日つまみ食いした肉が悪かったかも……」
「お前、祭り前に何してるんだ」
ベルタが呆れた声を出す。
「下味確認だもん……」
「確認で腹壊すな」
顔色を見れば、置いていくしかない。
冗談で済む顔色じゃなかった。
連れていけば、草原で一人分守る仕事まで増える。
「今日は休め。草原で倒れられたら困る」
「ごめん……」
そうして、仕入れ役は俺とベルタの二人になった。
人手が減った時点で、もう取り方も変えなきゃならないと思った。
三人で拾う形じゃなく、二人で確実に仕留める形にするしかない。
◆
王都南の草原は、朝露を含んで白く煙っていた。
低い草が風に揺れ、そのあちこちに小さな穴が口を開けている。
ホーンラビットの巣だ。
耳の代わりに小さな角を持つ、兎型の小型魔獣。
危険度は高くない。
だが、とにかく脚が速い。
狙いを外せば、すぐ草の向こうへ消える。
力より、追い込み方の方が要る相手だった。
正面から追えば、たぶん延々と逃げられる。
「兄さん、走れるか?」
草をかき分けながら、ベルタが言う。
「お前に合わせるほどは無理だ」
「じゃあ私が外へ回す。あんたは逃げる先を潰せ」
「了解」
役の切り方はそれでよかった。
ベルタが追い、俺が出口を塞ぐ。その方が無駄がない。
ベルタが外へ出た時点で、俺は前だけ見ていればよかった。
草むらの奥で、灰茶のものが一度だけ跳ねる。
「いた」
ベルタの声と同時に、ホーンラビットが飛び出した。
最初の跳び先は右。
そこへベルタが大きく回り込む。
真正面から追うんじゃない。
横から圧をかけて、跳ぶ先を一つに狭めていく。
追い込みを嫌ったホーンラビットが、草を割って向きを変える。
逃げ先は、俺の前しか残っていなかった。
ベルタは斧で獲る前に、進路を削っている。
ああいう追い方ができるなら、獲物は勝手に狭い方へ寄る。
「そっちだ!」
短く風術を走らせる。
着地点の手前だけ、草を揺らす。
足が乗る場所がわずかにずれ、跳躍が流れた。
そこへ、ベルタの投げた縄つきの木杭が前脚へ絡む。
「よし、一羽!」
ベルタが笑う。
獲物を追う楽しさと、連携が噛み合った手応えが、そのまま顔に出ていた。
楽しんでいるんだろうと思った。
ただ速いだけじゃない。思った通りに追い込めた時の笑い方だった。
「今の、だいぶ慣れてきたな」
「お前の追い込み方に無駄がないんだろ」
「は?」
ベルタが目を丸くする。
「……お前、ほんとにそういうのすぐ言うな」
「見たままだ」
「そういうのだよ」
鼻を鳴らしてから、捕まえたホーンラビットを担ぎ直す。
朝の冷え込みのせいか、耳の先が少し赤かった。
呆れているのか、照れているのかは分からない。
でも、嫌がっている時の返しではなかった。
◆
狩りは順調だった。
俺が逃げ道を潰し、ベルタが囲い込み、最後を取る。
その形が一番早かった。
二人でやるなら、それが最短だった。
片方が追って、片方が出口を潰す。それだけで十分回る。
だが、十羽を越えたあたりで一度だけ崩れた。
草の奥から飛び出した一羽が、巣穴へ戻らず斜めに走った。
それにつられて、隣の穴からもう一羽出る。
「二羽!」
先頭を追おうとした俺の右を、もう一羽が横切った。
風術を分けるには距離が足りない。
前の一羽を止めれば、横の一羽が抜ける。
迷う形だった。
二つとも追えば、どちらも半端になる。
そう判断した瞬間、ベルタが斜めに踏み込んだ。
追うんじゃない。
逃げ道の真ん中へ先回りする。
切り替えが早かった。
俺が選ぶより先に、ベルタはもう二羽を一つにまとめる方へ動いていた。
斧は振らない。
柄尻で地面を叩く。
乾いた音に一羽が身をすくめて跳ぶ。
逃げ先を変えたもう一羽と肩が触れ、二つの影が草の上でもつれた。
「兄さん、前!」
向きを失った一羽だけが、まっすぐこっちへ来る。
風術を細く走らせる。
足元の草だけを払う。
露出した土に前脚が滑った。
そこへ、ベルタが外から回した縄が喉元をかすめて絡む。
二羽とも止まった。
「……今のは危なかったな」
「危ないで済んだろ。二羽に割れたら、片方を捨てるな。止める相手を先に決めろ」
「そういう動きだったのか」
「そっちが迷った顔してたからな。だったら私が切る」
即答だった。
見られていたらしい。
迷った一瞬を、ベルタはちゃんと拾っていた。
「助かった」
「当たり前だ」
そう言ってから、ベルタは肩を回した。
言い方はいつも通りだが、本気でそう思っているんだろう。
今の一手は、たしかにベルタが切った。
◆
その時、草むらの奥が低く揺れた。
角兎じゃない。
跳ねる動きじゃない。
地面をなめるように、細長い影が走る。
「まだいたか?」
「違う。追ってる方だ」
草の切れ目から灰茶の影が滑り出る。
草走りイタチ。
ホーンラビットの血の匂いに寄ってきたらしい。
角兎を獲る時の動きじゃない。
放っておくと、草の中へ散らして面倒を増やす相手だった。
ベルタが一歩出かける。
「やるか」
「待て。今出ると草へ潜る」
足元の血のついた草を拾い、少し離れた斜面の縁へ放る。
弱い風術で、匂いだけをそっちへ流した。
正面から追っても、たぶん潜られる。
こういうのは向かわせる先を作った方が早い。
草走りイタチの鼻先が動く。
様子を見ながら寄っていき、斜面の縁へ踏み込む。
土が崩れた。
夜みたいに鳴き声を潰す場じゃない。
草へ潜られる前に、脚だけ止めればいい。
場が違えば、順番も変わる。
夜は鳴き声、今は脚だ。それだけだった。
体勢が流れた一瞬で横へ回り、後ろ脚の付け根を裂く。
走れなくなったところで首の後ろを押さえ、耳の下へ短剣を差し込んだ。
暴れたのは二度だけだった。
鞘へ戻すまで、手が迷わなかった。
こういう相手への手順は、体の方が先に覚えている。
血を草で拭って鞘へ戻し、振り返る。
ベルタが、斧を下ろしたまま立っていた。
「……今の、最初からあそこへ乗せるつもりだったのか」
「正面からやる相手でもないだろ」
ベルタは草走りイタチの死体と斜面を見て、それから俺を見る。
「兄さん、一人でやる時だけ空気違うな」
「そうか」
「普段より、ずっと怖い」
からかう調子じゃなかった。
そう見えるんだろうと思った。
班で動く時と、一人で片づける時では、たぶん別の手が出る。
褒められた感じはしなかった。
そうするしかなくて、先に染みついた手だ。
◆
そのあともしばらく黙って仕留め続け、十五羽目を縛ったところで休憩を挟んだ。
「水飲め。倒れられると面倒だ」
「命令口調だな」
「今さらだろ」
二人で岩へ腰を下ろし、水筒を回す。
これだけ動けば、さすがに口数も減る。
黙っていても、気まずさより疲れの方が先に来る。
「こういう依頼、久しぶりだ。最近は大物ばっかりだったからな。駆け出しの頃を思い出す」
「お前にも駆け出しの頃ってあったんだな」
「あるに決まってるだろ。最初からC級なわけあるか」
「想像しづらい」
「喧嘩売ってる?」
「いや、本気でそう思った」
ベルタは小さく肩を揺らし、それから草原の向こうを見る。
冗談半分だが、本音でもあった。
今のベルタは、最初から前にいたみたいに見える。
「最初の頃は、もっと無茶してた。肩の傷もそこでやった」
草を一本、指で折る。
古傷の話を自分から出した。
そこは少し意外だった。
「ガレスがさ、うるさかったんだ。止まれ、下がれ、見ろ、焦るなって。何回も何回も」
折った草を足元へ落とす。
その声は嫌っているというより、思い出している感じに近かった。
鬱陶しさも、ありがたさも、両方知っている声だった。
「……あたしは、今日のお前みたいに『耐えなくていい』状況を作れる頭になりたいんだ」
そこで、少しだけ笑う。
「立派な言い方すると、ちょっと気持ち悪いけどな」
「そう見える」
「だから、そういうことを当たり前みたいに言うなって」
ぶっきらぼうな声だったが、怒ってはいなかった。
照れ隠しなんだろうと思った。
少なくとも、その言葉自体を拒んでいるわけではなかった。
◆
学院の裏口へ着くと、荷車いっぱいのホーンラビットを見てミアたちが沸き立った。
「すごい!三十八羽も!」
「損傷が少ない……」
リーネが黙って肉の状態を確かめている。
一本ごとに丁寧な仕留め方をしていることに気づいたらしい。
数だけじゃなく、状態まで見ている。
そこはやっぱりリーネらしかった。
「追い込みがうまかったからな」
「俺の風も役に立っただろ」
「三割くらいは認めてやる」
「ずいぶん偉そうだな」
「実際、偉いからな」
そう言って笑ったベルタの三つ編みに、乾いた藁が絡んでいた。
草原を回っていたんだから当然だ。
でも、本人は気づいていないらしかった。
手が先に動いた。
「じっとしろ」
「……何してんだよ」
後頭部についた藁を手のひらで払い、三つ編みの根元に絡んだ切れ端も指で外す。
ベルタがぴたりと止まる。
振り向きかけて、途中で止まった。
「藁だらけだ」
指先についたごみを見せると、ベルタはそれを見て、それから俺の顔を見た。
返事が、すぐには出ない。
怒るわけでもなく、笑うわけでもない。
たぶん、一番返しづらい反応だった。
「……だからって、いきなり触るな」
ぶっきらぼうに言ったが、振り払うほどでもなかったらしい。
ベルタはそのまま前を向いた。
文句の形はしているが、そこまで本気じゃない。
もし本気で嫌なら、もっと先に手が出る。
ただ、歩幅だけが少し速くなる。
そっぽを向いた耳の先だけが、赤かった。




