12話 声が繋がった!四人班の実戦
◆実地討伐訓練
実地討伐訓練の日、校門前の空気は最初から硬かった。
広場に散るのは金具の触れ合う音ばかりで、いつもの実習前みたいな気安い声は少ない。
訓練用ではない、本物の武器と防具が並ぶだけで場の温度が変わる。
誰もが分かっているんだと思った。
今日は手順を見る日であっても、振るうものは本物だ。そこだけは誤魔化せない。
場所は王都北西の低丘陵地帯。
普段は薬草採取や初級依頼で使われるが、この時期だけは灰牙犬の群れが流れ込むことがあるらしい。
ガルド教官が前へ出た。
「今日は班ごとに行動する。目的は討伐そのものじゃない。索敵、接敵、判断、連携、帰還まで含めて見る」
補助教員が掲示板へ班分け表を貼り出す。
紙が板へ打ちつけられる音と一緒に、周囲がざわついた。
誰と組まされるかで、今日の出来がかなり変わる。
ざわついたのは、そのくらい皆わかっているからだろう。
俺も前へ出て表を見る。
第一班
ロイド・フェルナー
ベルタ・グラム
リーネ・エルセリア
ハンス・ヴァルド
思わず見返した。
ベルタとハンスは読める。
そこへリーネまで入れてきたところに、教官の意図が透けて見える。
「……露骨だな」
横でベルタが鼻を鳴らした。
「わざとだろ」
「だろうな」
少し離れた位置で、リーネが無言のまま名簿を見ている。
名を見た瞬間だけ、銀の目がわずかに細くなった。
ハンスが苦笑する。
「弱い面子じゃない。あとは噛み合うかどうかだな」
「噛み合わせるしかないだろ」
ベルタが斧の柄を軽く叩いた。
「現地じゃ班替えなんてしてくれない」
そう言って、さっさと踵を返す。
言い切って先に歩くあたりが、やっぱり前へ出る人間だった。
迷っても、前を切る役は止まらない。
そういう歩き方だった。
◆
丘陵地帯へ入ってしばらくは、何も起きなかった。
背の低い灌木。
乾いた草地。
ところどころに露出した岩場。
見通しは悪くない。
ただ、起伏の向こうへ敵が隠れやすい地形だった。
索敵の目を切った方が負ける地形だと思った。
真正面だけ見ていれば済む場所じゃない。
先頭はベルタ。
そのすぐ後ろにハンス。
俺は中ほどで前と左右を見る。
リーネは最後尾寄りを歩きながら、側面と背後へ視線を流していた。
並びとしては悪くない。
ベルタが前を切り、ハンスがその厚みを支え、俺がつなぎ、リーネが外を拾う。形にはなっていた。
「ベルタ、左……いや、左だけ見ろ。ハンスは正面。リーネ、後ろと右。見えたら短く言え」
ベルタが振り向きもせず片手を上げる。
「了解」
「おう」
ハンスも短く返した。
返事が早いのは助かる。
少なくとも二人は、役の切り分け自体には異論がないらしかった。
リーネは一度だけ目を上げた。
返事はない。
それでも、その視線はたしかに右の岩場へ流れていく。
口では返さない。
だが、見る場所は変えた。今はそれで十分だった。
しばらく進んだところで、ベルタが足を止めた。
「兄さん」
声が低い。
前へ出ると、乾いた土に新しい足跡が残っていた。
犬に似ているが、普通の獣より爪が深い。
群れで動く時の散り方だ。
「灰牙犬か」
しゃがみ込むと、後ろからリーネの声が落ちた。
「三体以上。二時間以内。風上へ向かってるわ」
見上げる。
彼女は地面を見ていなかった。
見ているのは灌木の葉先と、土の乾き具合だ。
やっぱり見ている場所が違う。
足跡の形より、その周りの変化から時間と向きを拾っている。
「葉の裂け方と土の戻り方から見て、それくらいよ」
「助かる」
そう言うと、リーネはすぐには返さなかった。
礼を返すより、情報が通ったかどうかだけ見ているようだった。
それでも、前みたいに閉じはしなかった。
「なら、正面だけ見てると危ないな」
立ち上がる。
「少し詰める。前を広く空けすぎるな。ベルタ前、ハンス右。俺は左を見る。リーネは後ろと中距離援護。近いのから潰す」
ベルタが短く笑った。
「慣れてきたな」
「間違ってたら言え」
「今のところない」
ハンスも盾を持ち直す。
「俺も異論なしだ」
リーネは呼吸ひとつ分だけ置いてから、小さく言った。
「……わかったわ」
返事が出た。
それだけで、昨日までよりだいぶましだった。
最初の一体は、正面から来た。
灰色の影が岩陰から飛び出す。
低い姿勢のまま、一直線にベルタへ食らいつこうとする。
「来た!」
ベルタの斧が振り下ろされる。
だが、正面の一体はそれで終わりじゃなかった。
飛び込む角度が浅い。
食いつくための入り方じゃない。
ベルタの目を前へ向けるための動きだ。
囮だと思った。
こいつ一体で食う気じゃない。前へ視線を固定させるための入り方だった。
その直後、左の草むらがひとつ大きく揺れた。
「左!」
リーネの杖先が、ぎりぎりでそちらを向いた。
先端の前で氷が三つ生まれ、そのまま一直線に走る。
灌木の陰から飛び出しかけていた二体目の鼻先へ、氷礫が続けて刺さった。
頭がぶれ、踏み込みが半歩だけ遅れる。
間に合った。
リーネが遅ければ、あの半歩は消えていた。
その隙に、ベルタが前へ出た。
正面の一体を斧の柄で下から弾き上げる。
そこへ、ハンスの盾が横からぶつかった。
体勢を崩した灰牙犬が、乾いた土の上を転がる。
「ロイド!」
「見えてる!」
火弾を短く打つ。
狙うのは体じゃない。
顔の前だ。
小さな火球が鼻先で弾ける。
熱と光がまともに目へ入った。
灰牙犬の首が跳ねる。
そこへ、ベルタの斧が肩口へ叩き込まれた。
重い音がした。
二体目が地面を転がる。
正面の一頭はこれで潰せる。
だが、群れならまだ残る。あっさり終わる動きじゃなかった。
右の岩陰で、草が二度揺れた。
まだ二体いる。
一体はハンスの方へ。
もう一体は、その後ろで少し遅れて動く。
前後をずらして、盾の外を抜くつもりだ。
嫌な組み方だった。
先の一頭で盾を使わせ、その後ろで本命を通す。灰牙犬にしてはよく見ている。
「まだ来る!」
ハンスが低く唸る。
「そのまま押さえろ!リーネ、右奥止めろ!ベルタ、正面だけ見ろ!」
言うと同時に、リーネの杖先が右へ払われた。
杖先の前で風が巻き、地面を這うように走る。
砂が帯になって巻き上がり、後ろから出ようとしていた一体の目へ叩きつけられた。
灰牙犬がたまらず顔を振る。
殺しにはいっていない。
けれど、あれで十分だった。後ろの一頭の出足が切れた。
「助かる!」
ベルタが吠える。
その声と同時に、正面へ突っ込んできた一体を横薙ぎで吹き飛ばした。
だが、その直後だった。
ハンスの前の個体が、盾を越えるように跳んだ。
高い。
上を取る気だと気づいた時には、もう跳んでいた。
盾役の正面受けを、そのまま飛び越してくる。
「上!」
ハンスが盾を持ち上げる。
だが、頭上へ届く前に灰牙犬の体が先に抜けた。
伸び切る前の盾の縁を蹴って、獣がハンスの上へ躍り出る。
まずい、と思った瞬間、リーネの手が腰へ走った。
短剣が一本、回転しながら飛ぶ。
刃が灰牙犬の前脚を浅く裂いた。
跳躍の線がずれる。
魔法じゃない。
届くなら刃を投げる。その切り替えが早かった。
そこへ俺の火弾。
顔の手前で火が弾け、灰牙犬が悲鳴を上げる。
ハンスの盾が、今度こそ正面からぶつかった。
空中で崩れた灰牙犬が土へ落ちる。
「っしゃあ!」
ハンスが吠える。
地面に落ちたその個体へ、ベルタが踏み込んだ。
「そこだ!」
斧が落ちる。
乾いた骨の音がした。
残った灰牙犬が後ろ脚を引いて下がる。
ここで追えば、気持ちはいい。
でも、群れ相手で気持ちよく前へ出ると、大体その先で噛まれる。
「逃がすか」
ベルタが前へ出ようとする。
「待て!」
とっさに止めた。
その瞬間だった。
左前の地面が、草の下で盛り上がる。
遅れて潜っていた最後尾だ。
やはりいた。
見えていた数が一つ少なかったわけじゃない。最初から伏せて待っていたんだ。
「伏せろ!」
低い位置から、小型の個体が飛び出した。
他よりひと回り小さい。
そのぶん低く速い。
狙いはベルタの脚だ。
ベルタが反応する。
だが、踏み出した足がまだ戻り切らない。
追う足を取る。
あれがいちばん嫌な噛み方だ。
爪先が脛当てをかすめた。
嫌な音が鳴る。
「右!」
鋭い声が飛ぶ。
リーネだ。
同時に、リーネの杖先が地面へ向く。
「角!」
ベルタの足元、その数センチ前方で土が不自然に隆起した。
急所へ最短で跳んだはずの小型種が、その段差に前脚を取られる。
跳躍の軌道が狂った。
その一瞬で、ベルタが半身になる。
斧の石突が横から頭を打ち抜いた。
土そのものを噛ませた。
ああいう使い方ができるなら、リーネはもう見えたものを形に変え始めている。
小型の灰牙犬が地面を滑る。
そのまま、ぴくりとも動かなくなった。
静かになった。
誰もすぐには口を開かない。
呼吸だけが荒い。
全員、まだ次があると思っていたんだろう。
それだけ最後の一匹は嫌な位置にいた。
やがてベルタが斧を肩に担ぎ直し、息を吐いた。
「……今のは危なかったな」
「あのまま行ってたら足を取られてた」
言うと、ベルタが顔をしかめる。
「わかってるよ」
返しはしたが、怒ってはいなかった。
悔しさはあるんだろうが、否定はしなかった。
あれは自分でも分かっている顔だった。
ハンスが盾を下ろし、肩を回す。
「最後の一匹で終わりだと思った」
「見た目より多かったな」
「私も同じ認識だったわ」
珍しく、リーネが自分から言った。
全員がそちらを見る。
リーネは視線を逸らさないまま、杖を握り直す。
「数を一つ見落としたわ」
そこで黙る。
認めた。
前ならそこを口にしなかったかもしれない。少なくとも、今は班の中へ出している。
「……声がなければ、食われていた」
「お前の声も間に合った」
俺が返すと、リーネは目を上げた。
礼を言っているつもりじゃない。
でも、そう受け取られてもおかしくない言い方だった。
「……そうね」
ベルタがそのやり取りを聞いて、にやりと笑う。
「班っぽくなってきたじゃないか」
「調子に乗るな」
「乗るさ。勝ったんだからな」
ハンスが肩を揺らして笑った。
少なくとも、今の一戦は四人で取った。
誰か一人の手柄で片づける方が、もう不自然だった。
◆
ガルド教官が丘の上から降りてくる。
倒れた灰牙犬を一瞥し、周囲の陣形の乱れを確かめ、それから俺たちを見る。
「悪くない」
短い講評だった。
「途中まではよくある初手だ。囮に釣られず、二線目も見たのはいい。最後の伏兵に対しても、声が繋がった」
そこで教官の目がベルタへ向く。
「前衛。追いすぎだ」
「はい」
ベルタは言い返さない。
そこは自分でも分かっているらしかった。
今度はハンス。
「盾役。支えは悪くないが、上を越えられる想定が遅い」
「はい」
ハンスは素直だ。
反論より先に、自分で思い返している顔に見えた。
そして、リーネ。
「後衛。声はまだ少ないが、今日は必要な場面で出ていた」
リーネが目を上げる。
「……はい」
短いが、前よりずっとましだった。
言葉を受ける時に閉じきっていない。
最後に俺を見る。
「中衛。よく見ていた。ただし、指示が増えすぎると全員の足を止める。必要な声だけ残せ」
「はい」
分かっていたつもりだった。
だが、見えるものが増えるほど、言葉まで増える。そこはまだ削り切れていない。
教官はうなずいた。
「今のままでも帰ってはこられる。最初にしては悪くない」
それだけ言って、次の班へ向かっていった。
風が丘を抜ける。
ベルタが隣でぼそりと言った。
「悪くない、だってさ」
「嬉しそうだな」
「そりゃな」
ベルタは笑う。
「お前が見て、ハンスが受けて、あいつが奥を止めて、私がぶった斬る。今のは気分よかった」
はっきり役が噛み合ったんだろう。
前衛には、ああいう感触が一番分かりやすいのかもしれない。
最後の「あいつ」に、リーネの眉がわずかに動く。
だが、言い返さない。
そこに噛みつかないだけでも変わった。
今は言葉尻より、中身の方を取っているらしい。
代わりに、静かにこう言った。
「次は、もう少し早く声を出すようにするわ」
ベルタが目を丸くする。
それから、珍しく素直にうなずいた。
「……ああ。そうしてくれ」
このやり取りが成立するなら、まだ伸びる。
そう思えた。
そのあと、誰も急いで次を足さなかった。
けれど、場は止まらなかった。
無理に褒め合わないのに、空気だけは切れない。
今の四人には、そのくらいがちょうどいい気がした。
◆
討伐訓練を終えて学院へ戻るころには、日もだいぶ傾いていた。
灰牙犬の血と土を洗い流す。
武器を返却する。
簡単な報告を済ませる。
そこまで終わってようやく、肩の力が抜けた。
終わるまで気づかなかったが、思ったより張っていたらしい。
体が先に緩んだ。
学院裏の休憩所には、同じように訓練を終えた学生たちがちらほら集まっている。
石の長椅子と木の丸机が置かれた簡素な場所だが、今はそれで十分だった。
ハンスが腰を下ろして大きく息を吐く。
「いやあ、生きた心地がしなかったな」
「生きて帰れたんだから上等だろ」
ベルタが水差しを片手に笑う。
「ほら、飲め。盾役が倒れたら話にならない」
「お前が言うと本気でそう聞こえるんだよな」
ハンスが苦笑しながら木杯を受け取った。
ベルタはもう、前衛としてだけじゃなく班の調子まで見始めている。
俺も空いている席へ腰を下ろす。
少し遅れて、リーネも同じ机の端へ来た。
座らないかと思ったが、今日は違った。
距離はある。
それでも、同じ卓につく。
輪の中へ入るとはまだ言えない。
だが、外から見ている位置はもう選ばなかった。
ベルタが木杯を傾けながら、にやりとこちらを見る。
「そういや兄さん」
「なんだ」
「今日、最後に私を止めただろ」
「ああ」
「あれは正解だ」
軽い調子で言ったが、そのまま続けた。
「悔しいけどな。あのまま行ってたら足を取られてた」
「悔しいのかよ」
「そりゃな。前衛だからな」
言ってから、ベルタは笑う。
「でも、ああいう時に止める声があるのは悪くない」
その声が、不意打ちみたいに胸へ落ちた。
前に立つやつにそう言われるのは重い。
止める声を嫌う前衛もいる。ベルタは違った。
俺は視線を外す。
リーネが静かに口を開く。
「必要よ」
ベルタがそちらを見る。
「お前もそう思うのか」
「……自分では見えないところがあるもの」
短い言葉だった。
それ以上は続かなかったが、前ならそもそも口にしなかっただろう。
自分一人で足りるとは、もう言わないらしい。
そこだけでも十分変わった。
誰もすぐには次を言わない。
それでも、誰も席を立たない。
遠くで鐘が鳴る。
次の夜講義が始まる時間が近い。
ハンスが立ち上がった。
「そろそろ行くか」
「ああ」
俺も腰を上げる。
ベルタが斧を担ぎ直し、リーネも静かに立つ。
四人で歩き出す直前、ベルタが俺の肩を軽く小突いた。
「兄さん」
「なんだ」
「次もちゃんと見てろよ」
「お前がちゃんと聞くならな」
「言うねえ」
口ではそう言いながら、ベルタは笑った。
返し合えるなら大丈夫だと思った。
少なくとも、今は互いに噛みつくための言葉じゃない。
四人で歩き出す。
その笑いは、さっきまでよりずっと軽かった。




