鍵のかかった教室 第4話
翌日の朝、学校は異様な静けさに包まれていた。
普段なら登校してくる生徒たちの声が響くはずの校門前も、どこか沈んだ空気が漂っている。
佐伯は足を止め、校舎を見上げた。
昨日の出来事が、まだ現実として受け止められないまま、胸の奥に重く沈んでいる。
教室に入ると、席に着いている生徒はほとんどいなかった。
皆、どこか落ち着かず、視線を合わせようとしない。
三浦の席だけが、ぽっかりと空いている。
その空白が、教室全体の空気をさらに重くしていた。
佐伯は自分の席に座り、机の上に手を置いた。
昨日、ここから見た光景が、鮮明に蘇る。
鍵のかかった教室。
倒れていた三浦。
書きかけの紙切れ。
そして――鍵の破片。
担任が教室に入り、静かに言った。
「……昨日の件について、警察から連絡があった。しばらくの間、教室の出入りは制限される。必要なものがある場合は、職員室に申し出てくれ」
その声はいつもより低く、どこか疲れていた。
生徒たちは誰も口を開かない。
ただ、重い沈黙だけが教室を満たしていた。
授業が始まっても、佐伯の頭は昨日のままだった。
黒板の文字は目に入っているのに、意味を結ばない。
気づけば、視線は三浦の席に向かっていた。
――どうして鍵がかかっていた?
その疑問だけが、何度も胸の中で反響する。
自殺だとすれば、鍵をかける理由は分かる。
だが、鍵の破片は何を意味しているのか。
あれは偶然なのか、それとも――。
休み時間、佐伯は意を決して担任に声をかけた。
「先生……昨日の鍵のこと、何か分かったんですか?」
担任は少し驚いたように佐伯を見たが、すぐに表情を引き締めた。
「警察が調べている。まだ詳しいことは言えないが……鍵の状態が、少し不自然だったらしい」
「不自然……?」
「詳しくは聞いていない。ただ、普通に施錠しただけではああはならない、と」
その言葉に、佐伯の胸がざわついた。
普通ではない施錠。
鍵の破片。
密室。
担任は続けた。
「佐伯、昨日のことは辛かっただろう。だが、あまり深く考えすぎるな。警察に任せておけばいい」
「……はい」
返事をしたものの、胸のざわつきは収まらなかった。
むしろ、ますます強くなっていく。
昼休み、佐伯はひとりで廊下を歩いていた。
昨日の教室の前を通りかかると、ドアには黄色いテープが貼られ、立ち入り禁止の札が下がっていた。
その光景を見た瞬間、胸の奥が締めつけられる。
――あの中に、まだ答えがある。
そう思った。
だが、入ることはできない。
警察が調べている以上、勝手に動くわけにはいかない。
それでも、佐伯の足はドアの前で止まった。
昨日、自分が開けたときの感触が蘇る。
重い音。
冷たい空気。
そして、三浦の姿。
そのとき、背後から声がした。
「……佐伯、何してるの?」
振り返ると、上野が立っていた。
昨日よりも少し落ち着いた表情をしているが、目の奥にはまだ不安が残っていた。
「いや……ちょっと」
上野はドアを見つめ、静かに言った。
「三浦、あの教室で……何を思ってたんだろうな」
佐伯は答えられなかった。
だが、胸の奥ではひとつの考えが形を持ち始めていた。
――三浦は、あの密室を“作った”のか?
それとも、“作らされた”のか?
どちらにせよ、あの鍵には意味がある。
そして、その意味を知るためには、三浦が抱えていた“最後の気持ち”を知らなければならない。
佐伯は深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
まだ、真相には触れていない。
だが、確実に近づいている。
放課後、佐伯はひとりで校舎の裏手にある中庭へ向かった。
昼間は生徒が集まる場所だが、夕方になるとほとんど人がいなくなる。
風が植え込みを揺らし、乾いた葉が足元を転がっていく。
その静けさが、佐伯の胸のざわつきを逆に際立たせていた。
――三浦は、本当にあの教室でひとりだったのか?
その疑問が、何度も頭の中で反響する。
鍵がかかっていたこと。
鍵の破片。
防犯カメラに映っていたのは自分だけ。
どれも、説明がつくようでつかない。
ベンチに腰を下ろしたとき、背後から足音がした。
「……佐伯」
振り返ると、上野が立っていた。
昼間よりも落ち着いた表情をしているが、まだどこか不安が残っている。
「探したよ。ずっといないから」
「ごめん。ちょっと考えたくて」
上野は佐伯の隣に座り、しばらく黙っていた。
風の音だけが二人の間を通り抜けていく。
やがて、上野が口を開いた。
「……三浦のこと、まだ考えてるんだな」
「当たり前だよ。あれだけ不自然なことがあって……何も気にならない方がおかしい」
上野はうつむき、手を握りしめた。
「僕も……気になってる。三浦が脅されてたって話、あれ……本当だったのかな」
「本当だと思う。日記にもそれらしいことが書いてあったし」
上野は驚いたように顔を上げた。
「日記……見たの?」
「ロッカーにあった。最後のページだけ破られてた」
上野は息を呑んだ。
「破られてた……? じゃあ、そこに何か書いてあったってことか」
「そう思う。でも、誰が破ったのかは分からない」
上野はしばらく考え込んでいたが、やがて小さく言った。
「……三浦、自分のこと誰にも言わなかったけど……本当は助けてほしかったんじゃないかな」
その言葉は、佐伯の胸に深く刺さった。
昼休みの三浦の表情が蘇る。
遠くを見るような目。
笑っているのに、どこか寂しげな口元。
――あれは、助けを求めていたのか?
だが、同時に別の疑問も浮かぶ。
――なら、なぜ鍵をかけた?
自殺なら分かる。
だが、鍵の破片は何を意味しているのか。
破片が落ちるほど強く鍵を回す必要があったのか。
それとも、誰かが外から何かしたのか。
上野がぽつりと言った。
「……三浦、誰かに“見られたくない”って言ってたことがあった」
佐伯は顔を上げた。
「見られたくない?」
「うん。何をかは言わなかったけど……“誰にも見られたくない”って。すごく怯えた顔で」
その言葉は、佐伯の胸に重く沈んだ。
三浦が何かを隠していたのは間違いない。
だが、それは“自分の弱さ”ではなく――
誰かに見られたら困る何かだったのかもしれない。
上野は続けた。
「……佐伯、三浦が倒れてた場所、覚えてる?」
「もちろん」
「僕、あそこ……前にも見たことあるんだ。三浦がひとりで立ってたのを」
佐伯は息を呑んだ。
「いつ?」
「二週間くらい前。放課後、誰もいない教室で……ずっと机の上を見てた」
机の上。
そこには、書きかけの紙切れがあった。
――あれは、二週間前から書こうとしていたものなのか?
上野は続けた。
「そのとき、三浦……泣いてた」
その言葉は、佐伯の胸に深く沈んだ。
三浦は、ずっとひとりで何かと戦っていた。
誰にも言えず、誰にも頼れず、ただ自分を責め続けていた。
だが、それでも――
なぜ密室を作ったのか?
その疑問だけが、どうしても消えなかった。
佐伯は立ち上げ、夕暮れの空を見上げた。
胸の奥にあるざわつきは、もはや違和感ではなく、確信に近い。
三浦の死には、まだ“誰か”が関わっている。
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