鍵のかかった教室 第2話
サイレンの音が校舎の外で止まり、しばらくして複数の足音が廊下に響いた。
警察が到着したのだと分かっても、佐伯の身体はまだ硬直したままだった。
教室の空気は、さっきよりもさらに重く、冷たく感じられた。
警察官が数名、教室に入ってくる。
その動きは無駄がなく、淡々としていた。
だが、その冷静さがかえって現実を突きつけてくるようで、佐伯は胸の奥が締めつけられた。
「発見者は?」
短く発せられた声に、担任が佐伯の肩に手を置いた。
「彼です。佐伯」
佐伯は小さく頷いた。
警察官の視線が向けられる。
その視線は責めているわけではないのに、どこか逃げ場を奪うような圧を持っていた。
「見つけたときの状況を教えてくれるか」
佐伯は喉を鳴らし、言葉を探した。
頭の中では、さっきの光景が何度も再生されている。
だが、言葉にしようとすると、どこから話せばいいのか分からなくなる。
「……鍵が、かかっていました。昼休みには、かけてなかったはずなんです」
警察官が眉をわずかに動かした。
「鍵が?」
「はい。だから、職員室で鍵を借りて……開けたら、三浦が……」
言葉が途切れる。
その瞬間、胸の奥に沈んでいた違和感が、また浮かび上がってきた。
――どうして鍵がかかっていた?
警察官は佐伯の言葉をメモしながら、教室の中を見回した。
割れたガラスコップ、書きかけの紙切れ、乱れた椅子。
そのひとつひとつを確認するように視線が動く。
「この紙……君が触ったか?」
机の上の紙切れを指さしながら、警察官が尋ねた。
「いえ……見ただけです」
「そうか」
短い返事のあと、警察官は紙切れを手袋越しに持ち上げた。
「ごめ……」と書かれた文字が、蛍光灯の光を受けて浮かび上がる。
「遺書……なのか?」
担任が小さく呟いた。
その声には、どこか自分に言い聞かせるような響きがあった。
だが、佐伯の胸には別の感情が渦巻いていた。
遺書にしては、あまりにも不自然だ。
文字の乱れ方、書きかけで終わっていること、そして――鍵。
佐伯は思わず口を開いた。
「……三浦、鍵をかけるような人じゃなかったんです」
警察官が佐伯の方を見る。
「どういう意味だ?」
「いつも、誰かが後から入ってくるのを嫌がらなくて……むしろ、開けっぱなしのことが多かったです。だから、鍵がかかってたのが……変で」
警察官はしばらく佐伯を見つめ、それからゆっくりと頷いた。
「分かった。参考にさせてもらう」
その言葉は穏やかだったが、佐伯の胸のざわつきは収まらなかった。
むしろ、はっきりとした形を持ち始めていた。
――これは、自殺じゃない。
そう思った瞬間、背筋に冷たいものが走った。
自分が何を言おうとしているのか、理解したくなかった。
だが、鍵の存在が、どうしてもその考えを否定させてくれない。
警察官たちは三浦の周囲を調べ始めた。
佐伯は教室の隅に立ち、ただその光景を見つめるしかなかった。
そのとき、ふと視界の端に“あるもの”が映った。
――椅子の位置。
昼休みに見たときと、微妙に違う。
誰かが動かしたのか。
それとも、三浦自身が?
胸の奥のざわつきが、さらに強くなった。
――やっぱり、この教室はおかしい。
警察官たちが教室の中央に集まり、三浦の身体の周囲を慎重に確認していた。
その動きは淡々としているのに、教室の空気はどんどん張り詰めていく。
佐伯は壁際に立ったまま、息を潜めるようにその様子を見つめていた。
「死後硬直が始まっているな」
低い声が聞こえた。
その言葉が、佐伯の胸に冷たい重みを落とす。
もう、どうあがいても三浦は戻ってこない。
その事実が、ようやく現実として迫ってきた。
担任が佐伯のそばに立ち、静かに言った。
「……辛かったな。よく知らせてくれた」
「……いえ」
返事はかすれ、喉の奥で消えた。
辛い、という感情よりも、胸の奥に広がっているのは別のものだった。
――説明のつかない違和感。
それが、じわじわと形を持ち始めていた。
警察官のひとりが、教室のドアを確認しているのが見えた。
鍵穴の周囲をライトで照らし、何度も角度を変えて覗き込んでいる。
「無理にこじ開けた形跡はないな」
その言葉に、佐伯の心臓が小さく跳ねた。
――じゃあ、誰が鍵をかけた?
自分が開ける前、確かに鍵はかかっていた。
昼休みには開いていたはずなのに。
警察官が担任に向き直る。
「この教室の鍵、普段はどう管理されていますか?」
担任は答えた。
「職員室で保管しています。生徒が勝手に持ち出すことはできません」
「では、生徒が内側から鍵をかけた場合は?」
「……可能です。内側からなら、誰でも」
その言葉を聞いた瞬間、佐伯の胸にひとつの仮説が浮かんだ。
だが、それはあまりにも重く、口にすることができなかった。
――三浦自身が、鍵をかけた?
だが、なぜ。
自殺だと見せかけるため?
それとも、誰かに見られたくなかったから?
考えれば考えるほど、答えは遠ざかっていく。
そのとき、警察官が机の下に落ちていた小さな金属片を拾い上げた。
「……これは?」
担任が覗き込む。
「鍵の……破片か?」
佐伯は息を呑んだ。
鍵の破片。
そんなもの、昼休みにはなかった。
警察官は破片を袋に入れながら言った。
「鍵を操作した際に欠けた可能性があります。誰が、いつ、どうやって……それを調べる必要がある」
佐伯の胸のざわつきは、もはや無視できないほど大きくなっていた。
――やっぱり、何かがおかしい。
そのとき、教室の入り口に立っていた別の警察官が声を上げた。
「廊下の防犯カメラ、確認できました。昼休み以降、この教室に入ったのは……」
佐伯の心臓が強く脈打つ。
誰が入ったのか。
自分なのか、三浦なのか、それとも――。
警察官は続けた。
「……佐伯君、君だけだ」
教室の空気が一瞬止まった。
担任が驚いたように佐伯を見る。
「佐伯……?」
佐伯は首を振った。
「違います。僕は……ノートを取りに来ただけで……」
声が震えた。
警察官は落ち着いた声で言った。
「疑っているわけではない。ただ、事実として、君以外に出入りは確認されていない」
その言葉は、佐伯の胸に重く沈んだ。
鍵がかかっていたこと。
鍵の破片。
そして、自分しか出入りしていないという事実。
――まるで、自分が犯人であるかのようだ。
その考えが頭をよぎった瞬間、背筋に冷たいものが走った。
「……違う。僕じゃない」
その小さな声は、誰に向けたものだったのか。
警察か、担任か、それとも自分自身か。
佐伯には分からなかった。
ただひとつだけ確かなのは――この密室には、まだ見えていない“何か”がある。
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