第4話「給食費据え置きの闇」
**【関連資料・出典】**
- Edit-us「給食費は保護者負担って決まってるんじゃないの?」栁澤靖明(2024年2月8日)
- 立憲民主党「公立小中学校の学校給食無償化の実現に向け衆院に法案提出」(2023年3月29日)
- 朝霞市「学校給食費の保護者の負担軽減策を実施」(2025年4月更新)
- 自由民主党「意見書キーワード『給食費無償化』」(2024年7月)
- 各自治体の給食費改定に関する議事録
- 全国市議会議員連合会「給食問題に関する調査報告書」
木曜日の放課後。3年2組の教室には今や20名近い生徒が集まっていた。給食問題への関心は学年を超えて広がりつつあった。
「みんな、今日もありがとう」
天野先生が教室を見回すと、葵たち4人の机の上には、さらに大量の資料が積み上げられていた。
「今日のテーマは『給食費据え置き』について。特に、なぜ政治的に給食費が上げられなかったのかを中心に話し合おう」
怜が最初に手を上げた。
「先生、私、市役所で shocking な事実を知りました」
「shocking?」健太が眉を上げた。「怜がそんな表現使うなんて、よっぽどだな」
怜は資料を取り出しながら、珍しく興奮気味に話し始めた。
「私たちの市の給食費、なんと12年間も据え置きなんです。小学生月額4200円、中学生4800円」
「12年間?」葵が驚く。
「しかも、この12年間で食材費は平均30%上昇してるんです」
怜は手作りのグラフを黒板に貼った。食材費の上昇カーブと、給食費の横ばいの線が対照的だった。
「つまり、実質的に給食予算は3割も削減されてるということです」
教室がざわめいた。
「3割削減って…そりゃ唐揚げ1個になるわ」健太がつぶやく。
天野先生が尋ねた。
「怜、市役所の担当者は何と言っていた?」
「それが…すごく困った表情をされて、『政治的な判断なので、教育委員会だけでは決められない』と言われました」
「政治的な判断って、具体的には?」
「選挙に影響するからだそうです」
葵が驚いた。
「選挙?給食費と選挙って関係あるの?」
怜は次の資料を見せた。
「関係大ありです。給食費値上げを公約に掲げた候補者は、選挙で不利になるそうです」
「え?」健太が首をかしげた。「子どもの食事をよくするって言ってるのに?」
「有権者は『値上げ』という言葉だけに反応するんです。内容がどうであれ、負担が増えることには反対する人が多い」
天野先生が補足した。
「これを『政治的コスト』と言う。正しいことでも、選挙で負ける可能性があることは、政治家にとって非常にリスクが高い」
遥が小さく手を上げた。
「私、子ども食堂の代表の方にもっと詳しく話を聞いてきました」
「遥ちゃん、何を教えてくれた?」葵が優しく尋ねる。
「給食費が据え置かれてる本当の理由について教えてくれました」
遥は震え声で資料を読み上げた。
「『政治家にとって、給食費値上げは票を失うリスクでしかない。子どもは選挙権がないから、子どもの利益を守っても選挙には有利にならない。だから後回しにされる』って」
教室が静まり返った。
健太が拳を握った。
「そんなの卑怯だ!俺たちには選挙権がないから無視していいって言うのか?」
天野先生が静かに言った。
「健太、その怒りは正当なものだ。でも、それが民主主義の構造的な問題でもあるんだ」
「構造的な問題?」
「選挙権を持つ大人の利益が優先され、選挙権のない子どもの利益が後回しにされやすいという構造だ」
葵が憤慨した。
「それじゃあ民主主義じゃないじゃないですか!私たちにも生きる権利があるのに!」
「葵の言う通りだ。本来の民主主義なら、将来を担う子どもたちの利益こそ最優先されるべきだ」
怜が冷静に分析した。
「つまり、現在の政治システムには構造的な欠陥があるということですね」
「鋭い指摘だね、怜」
健太が資料を見ながら言った。
「俺、田中さんにも同じことを聞いてみたんです。給食費の据え置きについて」
「何て言ってた?」
「『30年間給食調理員をやってるけど、給食費が据え置かれるたびに、現場は苦しくなる一方だった。でも、それを決める人たちは現場を見に来たことがない』って」
健太の声に怒りが込められていた。
「現場を見に来たことがない?」葵が疑問を口にした。
「市議会議員や市長が、実際に給食センターに足を運んで、調理員さんたちの話を聞いたことがないって意味です」
天野先生が頷いた。
「これも政治の問題の一つだね。決定権を持つ人と、現場で働く人の距離が離れすぎている」
遥が震え声で言った。
「政治家の人たちは、私たちの給食を見たことがあるんでしょうか?唐揚げ1個の給食を」
その質問に、誰も答えられなかった。
葵が立ち上がった。
「私、もう一つ重要なことを調べてきました」
「何を?」
「他の自治体の給食費と、その決定過程です」
葵は全国の給食費一覧表を黒板に貼った。
「東京23区では、多くの自治体が給食費を無償化してるんです」
「無償化?」健太が目を丸くした。
「そうです。でも面白いことに、2年前まではほとんどの区が『財源がない』『保護者負担が原則』と言って無償化を拒否してたんです」
怜が興味深そうに尋ねた。
「それが、なぜ急に変わったの?」
「選挙です」葵がきっぱりと答えた。「区長選挙で、給食無償化を公約に掲げた候補者が当選し始めたんです」
天野先生が感心した。
「よく調べたね、葵。つまり、政治的に得になると判断されれば、財源なんてすぐに見つかるということだ」
「そういうことです!」葵が興奮して続けた。「区長や区議会がヤル気を出せば手のひらを返したように無償化は実現する」って、教育関係者のコラムにも書いてありました」
「手のひら返し…」健太が苦笑いした。「政治家って都合いいんだな」
遥が小さく手を上げた。
「でも、私たちの市では、まだ無償化されてません。なぜですか?」
天野先生が答えた。
「遥、いい質問だ。それは、選挙で給食無償化が争点になっていないからだよ」
「争点?」
「つまり、有権者が給食問題を重要だと思っていない、または知らないということだ」
葵が手を上げた。
「知らないって…みんな子どもがいるのに?」
「意外かもしれないが、多くの保護者は給食の詳しい実態を知らない。『月4200円払ってるんだから、それなりの給食が出てるはず』と思い込んでいる人も多い」
健太が悔しそうに言った。
「だから政治家も『給食費を据え置いて保護者負担を軽減している』って言えば、支持されると思ってるんだ」
「その通りだ。表面的には『家計に優しい政策』に見えるからね」
怜が冷静に分析した。
「でも実際には、据え置きによって給食の質が下がり、結果的に子どもたちが犠牲になっている」
「まさに本末転倒だね」
遥が涙ぐみながら言った。
「大人たちは、自分たちの都合ばかり考えて、子どもたちのことは考えてくれないんですか?」
天野先生は遥に近づき、優しく言った。
「遥、すべての大人がそうではない。ただ、政治システムがそうなってしまっているんだ」
「システムって変えられないんですか?」
「変えられる。でも、それには多くの人が問題に気づき、声を上げる必要がある」
葵が決意を込めて言った。
「だったら、私たちが声を上げましょう」
「どうやって?」健太が尋ねる。
「まずは保護者の人たちに、給食の実態を知ってもらうことです」
怜が賛成した。
「そして、政治家の人たちにも現実を見てもらう」
「具体的にはどうする?」
葵は考えてから答えた。
「学校祭で展示をしませんか?私たちが調べた給食問題の実態を」
「いいアイデア!」健太が飛び跳ねた。
「でも、学校祭に来る人って限られてるよね」怜が冷静に指摘した。
「だったら」遥が小さく手を上げた。「SNSでも発信しませんか?」
「SNS?」
「はい。TikTokやインスタで、給食問題について発信してる人たちもいるんです。私たちも参加できるんじゃないでしょうか」
天野先生が考え込んだ。
「SNSでの発信は影響力があるが、注意も必要だ。事実に基づいて、建設的な内容にしなければならない」
「もちろんです」葵が頷いた。「感情的に攻撃するのではなく、問題の構造を説明して、解決策を提案したいです」
健太が手を上げた。
「俺、政治家に直接話しに行きたい」
「政治家に?」
「市議会議員とか、市長とか。俺たちの声を直接届けたい」
天野先生は健太の熱意に感動した。
「健太、素晴らしい考えだ。ただし、アポイントを取って、きちんとした形で行う必要がある」
「アポイント?」
「約束を取るということだ。いきなり押しかけるのではなく、正式な面会を申し込む」
怜が提案した。
「それなら私たちで、正式な要望書を作成しませんか?」
「要望書?」
「そうです。私たちが調べた事実と、具体的な改善提案をまとめた文書です」
葵が賛成した。
「いいね!それなら大人の人たちも真剣に聞いてくれるかも」
遥が不安そうに言った。
「でも、私たち中学生の言うことを、政治家の人たちは聞いてくれるでしょうか?」
天野先生が力強く答えた。
「聞いてくれる。なぜなら、君たちは事実に基づいて、論理的に問題を分析しているからだ」
「本当ですか?」
「それに、君たちには大人にはない武器がある」
「武器?」健太が興味深そうに尋ねる。
「純粋さと正義感だ。打算のない、真っ直ぐな主張は、多くの大人の心を動かす力がある」
葵が涙ぐみながら言った。
「先生…私たち、本当に何かを変えられるんでしょうか?」
「変えられる。いや、君たちなら必ず変えてくれると信じている」
健太が決意を込めて言った。
「よし!来週までに要望書の案を作ってくる!」
「私は政治家の連絡先を調べてきます」怜が続けた。
「私は保護者の人たちへのアンケートを考えてみます」葵が提案した。
遥が最後に言った。
「私は…子ども食堂の代表の方に、要望書の内容について相談してみます。きっと経験豊富だから、いいアドバイスをくれると思います」
天野先生は生徒たちの成長に胸を熱くした。
「君たちの行動力と問題意識は、本当に素晴らしい。きっと多くの大人たちに良い影響を与えるだろう」
「先生」葵が振り返った。「一つ聞きたいことがあります」
「何だい?」
「なぜ、私たち子どもがこんなことをしなければならないんでしょうか?本来なら、大人が解決するべき問題ですよね?」
天野先生は少し考えてから答えた。
「確かにその通りだ。でも、時として子どもの声の方が、大人よりも強いメッセージを持つことがある」
「どういう意味ですか?」
「大人の議論は、どうしても利害関係や政治的計算が入り込む。でも子どもの声は純粋で、問題の本質を突く力がある」
健太が手を上げた。
「俺たちの声で、本当に政治が変わりますか?」
「歴史を見れば、社会を変えた多くの運動は、若い世代から始まっている」
怜が興味深そうに尋ねた。
「例えば?」
「公民権運動、環境保護運動、平和運動…どれも学生や若者が中心となって始まった」
葵が立ち上がった。
「だったら、私たちも給食改革運動を始めましょう!」
「給食改革運動!」健太が拳を上げた。「いいじゃん、それ!」
遥が心配そうに言った。
「でも、私たち中学生にそんな大それたことができるでしょうか?」
天野先生が遥の肩に手を置いた。
「遥、君が一週間前に勇気を出して自分の体験を話してくれたとき、この教室の空気が変わった。それがすべての始まりだったんだよ」
「私の…?」
「そうだ。一人の小さな勇気が、やがて大きな変化を生む。それが社会変革の始まりなんだ」
外が暗くなり始めた頃、学級委員会は終了した。
下駄箱で靴を履きながら、4人は次の計画を話し合った。
「要望書には何を書く?」健太が尋ねる。
「まず現状の問題点」怜が整理した。「人手不足、給食の質の低下、子どもたちの栄養不足」
「次に原因」葵が続けた。「給食費据え置き、政治的判断の遅れ、予算配分の問題」
「そして解決策」遥が付け加えた。「国レベルでの給食予算増額、調理員の待遇改善、給食費の段階的値上げと低所得世帯への支援」
健太が感心した。
「遥、すごいじゃん!完璧な構成だ」
「みんなで考えたからです」遥が微笑んだ。
家路に向かいながら、葵がつぶやいた。
「私たち、本当に大きなことを始めようとしてるのね」
「でも、やらなきゃいけないことだ」健太が答えた。
「うん。私たちがやらなかったら、誰がやるの?」怜が頷いた。
遥が最後に言った。
「みんな、ありがとう。一人だったら絶対に諦めてた」
夜空を見上げながら、4人は決意を新たにした。
給食費据え置きという政治的判断の背景には、選挙への思惑、有権者の意識、政治システムの構造的問題など、様々な要素が複雑に絡み合っていることがわかった。
しかし、だからこそ、その構造を変える必要があるのだ。
子どもたちの声が政治に届く社会を作るために。
すべての子どもが安心して給食を食べられる社会を実現するために。
彼らの挑戦は、単なる給食改善を超えて、民主主義の在り方そのものを問う運動になろうとしていた。
**※ 次回予告**
第5話「物価高騰という名の津波」では、給食を直撃した史上類を見ない物価上昇の実態を徹底解明。
小麦、食用油、鶏肉…輸入に依存する食材の価格爆発が、給食センターの予算をいかに圧迫したのか。
そして、その背景にある国際情勢とエネルギー危機の関係とは?
生徒たちは、給食問題が実は世界規模の課題であることを発見する。
「私たちの唐揚げ1個は、世界と繋がっていた…」