第2話「学級委員会、開幕」
**【関連資料・出典】**
- NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ「こども食堂の現状&困りごとアンケート2024」調査結果
- 文部科学省「学校給食実施状況等調査」
- 厚生労働省「国民生活基礎調査」における子どもの相対的貧困率
- 各国学校給食制度比較資料(韓国、フィンランド、フランス等)
- 各地自治体の教育予算資料
一週間後。放課後の3年2組の教室は、いつもと違った雰囲気に包まれていた。机が円形に並べられ、中央には模造紙や資料を広げるスペースが作られている。
「みんな、お疲れ様」
天野先生が教室に入ると、すでに葵、健太、怜、遥の4人が座っていた。他にも数名のクラスメイトが興味深そうに集まっている。
「先生、私たち色々調べてきました!」
葵が興奮気味に手を上げる。彼女の前には、図書館で借りた本や印刷した資料が積まれていた。
「よし、それじゃあ学級委員会を始めようか。今日のテーマは『給食問題の実態を知る』だ」
天野先生は司会席に座り、生徒たちを見回した。
「まずは、それぞれが調べてきたことを発表してもらおう。最初は葵から」
「はい!」
葵は資料を手に取り、立ち上がった。
「私は主に、私たちと同じような環境の子どもたちの状況を調べました」
葵は手作りのグラフを黒板に貼った。
「まず、子どもの貧困率なんですけど、日本では7人に1人の子どもが相対的貧困状態にあるそうです。これって、月収が約10万円以下の家庭ということになります」
「10万円!?」健太が驚く。「俺の家のお小遣いより少ないじゃん…」
「そうなの。でも健太くん、それは月収よ?」葵が苦笑いで答える。「そういう家庭では、給食が一日の中で最も栄養のある食事になってることが多いんです」
遥が小さく頷いた。
「私…実は子ども食堂に行ったことがあるんです」
教室が静まり返った。
「遥ちゃん…」葵が心配そうに見つめる。
「大丈夫です。話したくて。だから調べてきました」
遥は震える手で資料を取り出した。
「子ども食堂って、全国に9000か所以上あるんです。これって、公立中学校とほぼ同じ数なんです」
「9000か所?」怜が驚く。「そんなにあるの?」
「はい。でも、それでも足りないくらい、困ってる子どもたちがいるんです」
遥の声は小さかったが、教室の全員に届いていた。
「子ども食堂に来る子どもの中には、給食が唯一のまともな食事っていう子もいます。土日は一日一食とか…」
健太が拳を握った。
「そんなのおかしいよ!日本って豊かな国じゃないの?」
「健太くんの気持ち、よくわかります」天野先生が静かに言った。「でも現実として、そういう子どもたちが存在する。そして給食が彼らにとって生命線になっている」
怜が資料をめくりながら言った。
「だからこそ、給食の質や量が下がるのは深刻な問題なのね」
「そういうことです」葵が頷く。「私、実際に近所の子ども食堂でボランティアをしてる大学生にも話を聞いてきました」
葵は携帯電話のメモを見ながら続けた。
「その人が言うには、『給食が減量されるようになってから、子ども食堂に来る子どもが増えた』って」
「増えた?」天野先生が身を乗り出した。
「はい。特に中学生。『給食だけじゃお腹いっぱいにならない』って言って来る子が多いそうです」
教室に重い沈黙が流れた。
「それって…俺たちのことじゃん」健太がつぶやく。
「健太くんの家は大丈夫でしょう?」遥が静かに言った。「でも、そうじゃない家もあるの。私みたいに」
健太は遥を見つめ、何か言いたそうにしたが、言葉が出なかった。
「遥、勇気を出して話してくれてありがとう」天野先生が優しく言った。「君の体験は、多くの子どもたちが抱えている現実を代弁している」
「でも先生」怜が手を上げた。「私も調べてきたんですけど、これって日本だけの問題じゃないですよね?」
「どういうこと?」葵が尋ねる。
怜は自分の資料を取り出した。
「世界の給食事情を調べてみたんです」
怜は世界地図を広げ、いくつかの国にマークをつけた。
「まず韓国。韓国では『国の宝である子どもたちにはいいものを食べさせたい』ということで、オーガニック食材を使って、給食費は無償なんです」
「無償!?」健太が目を丸くした。
「フィンランドも給食は無料。しかも栄養バランスが完璧に計算されてて、素材の味を大切にした献立になってる」
葵が資料を見ながら言った。
「フランスの給食も見たけど、まるでカフェのランチみたいに豪華だった」
「それに比べて日本は…」遥がつぶやく。
「唐揚げ1個」健太が苦笑いで言った。
天野先生が立ち上がった。
「興味深い調査だね、怜。でも、なぜ日本と他国でこれほど差があるのか、考えたことはあるか?」
怜は少し考えてから答えた。
「それぞれの国の政策の違い…だと思います」
「具体的には?」
「韓国やフィンランドは、子どもの教育や福祉に国がお金をかけてるってことだと思います」
天野先生は頷いた。
「その通りだ。では、なぜ日本は他国ほど子どもの給食にお金をかけていないのか?」
教室が静まった。
葵が恐る恐る手を上げた。
「お金が…ないから?」
「日本は貧しい国になったの?」健太が疑問を口にする。
天野先生は黒板に「日本の財政」と書いた。
「実は、日本の国家予算は約110兆円。世界第3位の経済大国だ」
「じゃあ、お金がないわけじゃない?」怜が首をかしげる。
「そうだね。では何が問題なのか」
遥が小さく手を上げた。
「お金の使い道…でしょうか」
「鋭い指摘だね、遥。その通りだ」
天野先生は別の数字を黒板に書いた。
「日本の教育予算は、GDP比で見ると先進国の中で最下位クラスなんだ」
「最下位!?」葵が驚く。
「一方で、他の予算はどうなっているか、調べてみるといい」
健太が手を上げた。
「俺、父さんがよく『防衛費が増えた』って言ってる」
「公共事業費も多いって聞いたことがある」葵が付け加える。
天野先生は頷いた。
「つまり、お金がないのではなく、子どもや教育にお金を使う優先順位が低いということなんだ」
教室にざわめきが起こった。
「でも、なんで子どもの食事より他のことの方が大事なんですか?」遥が純粋に疑問を口にした。
天野先生は少し困ったような表情を見せた。
「それは…政治的な判断になるからな。様々な考え方がある」
「政治的って?」健太が眉をひそめる。
「例えば、『防衛費を増やさないと国が危険になる』と考える人もいれば、『子どもの教育を充実させないと国の未来が危険になる』と考える人もいる」
葵が手を上げた。
「でも、お腹を空かせた子どもたちがいるのに、他のことにお金を使うのって、どう考えてもおかしくないですか?」
「葵の気持ちはよくわかる。でも、政治というのはそう単純じゃないんだよ」
怜が冷静に言った。
「つまり、給食問題の根本的な原因は、政治の優先順位にあるということですね」
「その通りだ」
遥が震え声で言った。
「私たち子どもの声は、政治には届かないんですか?」
天野先生は遥の目をまっすぐ見つめた。
「届かないことはない。でも、大人たちの声の方が大きいのも現実だ」
「大人たちって…」健太が歯がゆそうに言った。
「でも先生」葵が立ち上がった。「私たち、このまま黙ってるわけにはいかないです」
「どういうこと?」
「だって、私たちより小さい子たちは、もっと酷い給食を食べることになるかもしれないんでしょう?」
葵の言葉に、みんなが頷いた。
健太が拳を握って言った。
「俺たちが今動かなかったら、1年生たちはどうなるんだ?」
怜が資料を見ながら言った。
「でも、私たち中学生に何ができるの?」
天野先生が微笑んだ。
「君たちは今、とても大切なことを学んでいる。それは『問題を知る』ことだ」
「知るだけじゃダメですよね?」遥が言った。
「もちろん。でも知らなければ何も始まらない。そして君たちは今日、給食問題が単なる食事の問題じゃないことを理解した」
葵が手を上げた。
「社会の問題だってことですね」
「そう。経済の問題、政治の問題、そして価値観の問題でもある」
健太がつぶやいた。
「価値観の問題?」
「『子どもを大切にする社会』と『他のことを優先する社会』、どちらを選ぶかという価値観の問題だ」
教室が再び静まった。
怜が口を開いた。
「先生、来週はもっと具体的な原因について調べてきませんか?」
「具体的な原因?」
「はい。今日は『政治の優先順位』という大きな話でしたけど、実際に給食の現場で何が起きているのか、詳しく知りたいです」
葵が賛成した。
「私も!調理員さんたちに直接話を聞いてみたい」
健太も手を上げた。
「俺も!給食センターがどんな状況なのか見に行きたい」
遥が小さく言った。
「私は…給食費のことを詳しく調べてみます。うちの家計簿も見せてもらって…」
天野先生は嬉しそうに頷いた。
「素晴らしい。では来週のテーマは『給食現場の実態調査』にしよう」
「先生」葵が手を上げた。「一つ聞きたいことがあります」
「何だい?」
「今日話し合ったことを、他のクラスの人たちにも伝えてもいいですか?きっと、みんな知らないと思うんです」
天野先生は少し考えてから答えた。
「もちろん構わない。でも、事実に基づいて、冷静に伝えるんだよ」
「わかりました」
健太が立ち上がった。
「俺、帰ったら親にも話してみる。大人たちは本当にこの問題を知ってるのかな?」
「いいアイデアだね、健太。でも親御さんを責めるような話し方はしないように」
「はい」
怜が資料をまとめながら言った。
「私、統計データをもっと集めてみます。感情論じゃなくて、データで現実を示したいです」
「頼もしいね、怜」
遥が小さく手を上げた。
「私…勇気を出して、子ども食堂の人たちにもインタビューしてみます」
みんなが遥を見つめた。
「遥ちゃん、一人じゃ大変でしょう?」葵が心配そうに言った。
「一緒に行こうか?」健太が提案した。
「私も行きます」怜が続けた。
遥の目に涙が浮かんだ。
「みんな…ありがとう」
天野先生は生徒たちの様子を見て、胸が熱くなった。
「君たちを見ていると、まだまだ日本の未来は明るいと思えるよ」
「先生」葵が振り返った。「私たちの調査で、本当に何か変わりますか?」
天野先生は少し考えてから答えた。
「すぐに給食が豪華になることはないかもしれない。でも、君たちが問題意識を持ち、周りの人に伝えることで、少しずつでも社会の意識は変わっていく」
「社会の意識が変われば、政治も変わりますか?」怜が尋ねる。
「時間はかかるかもしれないが、必ず変わる。民主主義とはそういうものだからね」
健太がガッツポーズをした。
「よし!来週までに絶対に何か見つけてくる!」
「健太くん、無理しないでよ」葵が笑った。
「でも、本当に大切なことだと思う」遥が静かに言った。「私みたいな子が、これ以上増えないように」
教室の空気が再び真剣になった。
天野先生が立ち上がった。
「それでは今日の学級委員会はここまで。来週、君たちの調査報告を楽しみにしている」
生徒たちが席を立ち始めた時、葵が振り返った。
「先生、一つだけ約束してください」
「何だい?」
「もし私たちが調べた結果、本当に酷い現実が見つかっても、『君たちには関係ない』とか『大人が解決する』とか言わないでください」
天野先生は葵の真剣な眼差しに心を打たれた。
「約束する。君たちも社会の一員だ。そして君たちにも、この社会をよくする権利と責任がある」
健太がつぶやいた。
「権利と責任か…」
「そうだ。そして君たちにはその両方がある」
教室を出る前に、遥が振り返った。
「先生、ありがとうございます。今まで一人で抱えていた問題を、みんなで考えられるようになって…」
「遥、君が勇気を出して話してくれたからこそ、みんなが本当の問題に気づけたんだ」
廊下を歩きながら、4人は次の調査計画を話し合った。
「明日の放課後、給食センターに見学の申し込みをしに行こう」葵が提案した。
「私は市役所で給食費の資料をもらってくる」怜が答えた。
「俺は調理員さんに話を聞いてみる」健太が続けた。
「私は…」遥が少し迷ってから言った。「子ども食堂の実態を詳しく調べてみます」
下駄箱で靴を履きながら、葵がつぶやいた。
「私たち、なんだか大きなことを始めちゃった気がする」
「でも、やらなきゃいけないことだよね」健太が答えた。
「うん。私たちがやらなかったら、誰がやるの?」怜が頷いた。
遥が最後に言った。
「みんな、ありがとう。一人じゃできなかったこと」
4人は夕日に向かって歩いて行った。
それぞれの胸に、小さな使命感と、大きな希望を抱いて。
まだ彼らは知らない。
来週の調査で、彼らが発見する現実が、想像以上に深刻で複雑なものであることを。
しかし同時に、その現実と向き合う彼らの姿勢が、周りの大人たちの心を動かし始めることも。
教室に一人残った天野先生は、黒板に残された「給食問題」の文字を見つめながらつぶやいた。
「彼らなら…きっと何かを変えてくれる」
窓の外では、給食センターの煙突から煙が上がっている。
明日もまた、限られた予算と人員で、子どもたちの給食を作る人たちがいる。
その現実を、生徒たちはどう受け止めるのだろうか。
そして、その現実を知った時、彼らは何を思い、何を行動に移すのだろうか。
すべての答えは、来週の学級委員会で明らかになる。
**※ 次回予告**
葵たちの本格的な現場調査が始まる。給食センターでの衝撃的な現実、調理員さんたちの生の声、そして市役所で明らかになる予算の実態。
第3話「人手不足の真実」では、給食を支える現場の人たちが直面している深刻な労働環境が明らかになる。
「60人で1万4000食を3時間半で作る」という現実の背景には、想像を超える過酷な状況があった。
そして、その状況を生み出している構造的な問題とは…?
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note投稿版
https://note.com/ehimekintetu/n/nd1987c09cce2