リリウム~素直になれたら~
学校を終わりの放課後。
同級生で同じクラスの女の子――水樹彩音と一緒に、お互いの自宅の最寄り駅南口に看板を掲げる、地元の茶屋が経営する和風カフェで寄り道をして、小一時間ほどでお店を出た。学校を出た時にはまだ高かった梅雨入り宣言前の遠くの青い空に高く大きく伸びていた白い入道雲が姿を消した代わりに、今にも落ちてきそうなぶ厚い暗い灰色の雨雲が、初夏の空を覆っている。鳴き出しそうな空模様を気にかけながら、駅の南北を結ぶ地下道を通って反対側の駅北へ抜けて、駅前の横断歩道を渡り。小高い丘の上に立つ街のシンボルのお城を視界に捉えながら、お城の再建を期に申し訳程度の城下町の雰囲気に整備された駅前通りの商店街を、彼女と二人お城方面へと向かって歩く。
あと少しでお城方面へ繋がる朱色の橋に差し掛かろうかという時、灰色の雨雲に覆われた空から、冷たい雨粒が落ちてきた。春になると紅色の桜が咲く川に架かる朱色の橋の手前の交差点の一画にある、食事処兼土産物屋の軒下まで小走りで行って、雨宿り。
「綺麗だね」
雨に濡れた髪をハンカチで拭き取りながら、彼女が言った。
彼女の視線の先にある川の向こう側の土手には、白を始めとした色鮮やかなユリの花が土手一面に咲き誇っていた。私は「そうだね」と返して、彼女に訊ねる。
「傘持ってる? 下降りてみない」
お互いスクールバッグの中から取り出した折りたたみ傘を差し。道路から川沿いの遊歩道へ降りられるコンクリートの階段を降りて。白、黄色オレンジ、ピンク、様々な色鮮やかなユリの花と香りを近くに感じながら、私たち以外は他に誰もいない、小雨が降る遊歩道を肩を並べて歩く。歩きながらふと見た彼女の横顔は、穏やかに微笑んでいる。
実際のところ、彼女は私のことをどう想っているのだろう。
隣を歩いている彼女は「友達」⋯⋯と呼べるかは正直微妙な関係性。彼女とは二年生に進級して間もなくの頃、悪意のある噂を流されたことが原因で仲違いをしてしまった。のちに誤解と解り、わだかまりは一応解消されたけど。私は、彼女に対して後ろめたさを感じていた。
理由は単純。ちゃんとした謝罪をできていないから。
素直にひと言「疑ってごめんなさい」と言えればいいのだけれど⋯⋯なあなあのまま来てしまった。素直になれない自分に対して吐いたため息は、折りたたみ傘に当たって弾ける雨音にかき消され、足下へ流れ落ちる雨と一緒に濡れた地面へ吸い込まれていった。
きっと、こんなことばかり考えていたから思い出してしまったんだろう。あまり思い出したくない記憶。あの日も今と同じ季節、今日と同じように小雨が降る梅雨入り発表前の初夏の日だった――。
* * *
二年前。中学三年生に進級してひと月あまりが立った頃、私は悟ってしまった。もう、限界なんだ⋯⋯と。正確には、認めてしまったというのが正しい。
それは、昼過ぎから小雨が降り出した初夏の放課後で。隣を歩いているのは、同い年で同じ地元のクラブチームに所属している男子――如月奏多。私と彼との間に降り注ぐ冷たい雨は、熱を帯びた大気と、熱を貯めたアスファルトの歩道だけではなく、私の心の熱を一緒に冷ましていった。
「どうかした?」
「⋯⋯別に。なんでもない」
「紅葉?」
素っ気ない返事をした私の名を口にし、彼は首をかしげる。練習場から今の今まで普通に会話をしていたのに、もう冷静には話せなかった。彼にしてみれば理由もわからず、とても感じの悪い返事と態度だったと自分でも思う。
これは、恋とかそういった類の甘酸っぱい話ではない。
ただ、隣を歩いていて気がついてしまった。ほんのひと月前まで同じ目線だったのに、今では意識して見ないと目が合わない、その現実に⋯⋯。
結局まともに話せず終いで、いつもの交差点で別れて自宅に帰宅した私は、練習でかいた汗と雨で湿った練習着を脱ぎ、ぬるめのシャワーで身体を流して、毛先が濡れた髪のままで自室のベッドにうつ伏せで倒れ込む。枕に預けていた顔を、横に向ける。机横の壁に掛かったコルクボードの写真が、目に入った。去年の冬、クラブの合宿で撮った写真。思えばこの写真の頃にはもう、近い将来この日を迎える覚悟はしていたんだと思う。
小学校低学年の頃、地元に本拠地を置くプロサッカークラブに所属する選手が地元交流イベントの一環で学校を訪れたのがきっかけで始めた、サッカー。体格も、運動能力にも同級生の男子より恵まれていた当時の私は、同級生の男子たちを差し置いてキャプテンとしてチームを引っ張り、4つあるカテゴリーの下から二番目の都道府県トレセンにも選ばれた。実力、実績が評価されて、女子サッカー部がある隣町の私立中学、地元の女子プロチームの下部組織からも誘いを受けた。
でも私は、それらの誘いをすべて断って、地元のクラブチームのセレクションを受け、学区の公立中学校へ進学した。小学校での最後の試合で完敗を喫した自分よりも一回り小柄な女の子が女子サッカーではなく、男女合同の地元のクラブチームへ行くと知ったから。だから私も、男子と真っ向勝負出来る最後の環境へ飛び込んだ。ただ、ひとつだけ誤算だったのは、クラブチームに入団後再会した彼女は彼女ではなく、"彼"だったということ。見上げないと目が合わない今では考えられないくらい小柄で華奢だったあの頃の奏多は、当時ショートヘアだった私よりも髪が長く、幼さの残った整った顔立ちも相まって本当に女の子みたいだったし、実際よく間違われていた。
ま、驚きはしたけど性別は気にしなかった。私はただ、自分よりも小柄な彼に負けたくない、その一心だった。だけど、現実は違くて。155センチで身長が止まった私と、成長期真っ只中の同期のチームメイトとの体格、体力の差は秋頃から徐々に縮まり。年明けあたりからは逆に広がって、進級してからは更に広がった。騙し騙しやっていたけど、試合に出ると対戦相手に気を遣わせているのは自分でも分かってて、それが悔しくて、何より相手に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
それでも足を止めなかったのは――まだ自分より低い身長なのに、10センチ以上身長差のある相手にも引けを取らない奏多の存在。私だって、まだ戦える。彼がそう思わせてくれた。
それも、三年生になって変わった。
いよいよ覚悟していた時が訪れた。
進級して最初の練習日。薄紅色の桜の花びらが舞うグラウンド。練習開始直前に練習場へやって来た奏多は肩に担いだバッグも置かず、私の前に立ち、自分の頭に置いた手を私の方へ水平移動させる。
「紅葉。追いついた」
そう笑顔で言った。それは練習中意見がぶつかり、意見交換の話し合いで分が悪くなるたび最後は「私の方がまだ大きいしっ!」決まってそう捨て台詞を吐く、素直になれない負けず嫌いな私への今までのお返し。
ベッドを降りて、コルクボードの写真にそっと手を触れる。
「何が追いついたよ、遅すぎだって⋯⋯」
ほんと、自分でも面倒くさいと想う。
でも彼の言葉で、ずっと押し潰されそうに重かった背中がまるで憑き物が落ちたように、ふっ⋯⋯と軽くなったのも確かで。この日を境に、私は髪を伸ばすようになった。
季節は進んで、夏を迎えた。中学最後の公式戦前最後の練習試合。長らくベンチ入りを外れていた私に、紅白戦以外で久しぶりの出場機会が巡ってきた。しかも相手は、プロクラブの下部組織。どこまで通用するか意気込んで挑んだ一戦。気がつくと、視界が少し暗かった。どういうことだろう、と不思議に想っていると。近くで、奏多の声が聞こえた。日傘の影の下で横になってる私に、団扇を煽いで柔らかな風を送ってくれている。
「動かないで。気分はどう? 目眩とか?」
「ないけど⋯⋯背中イタい⋯⋯」
「頭は打ってないみたいでよかった。吹っ飛ばされたんだ。あいつに――」
試合はもう終わって、両チームとも帰り仕度を始めていた。
競り負けた相手は、175センチ以上ある長身の男子――天海透哉。彼との競り合いでバランスを崩した私は背中を強打し、一時的に意識を失っていた。
「連絡先交換したから、連絡いれとくよ」
「あ、うん」
彼との⋯⋯天海透哉との出会いは――私の人生に影響を与える出会いだった。
中学最後の大会が幕を閉じ。三年生はクラブチームを引退、卒業後の進路を決める時期が来た。志望校はある程度決まっていたけど、中学進学の時声をかけてくれた私学の附属校が改めて声をかけてくれた。正直、すごく迷った。もう受験勉強を始めていたし、志望校も変えなきゃいけない。両親、担任、クラブの監督⋯⋯いろんな人に相談して、何日も何日も悩んで、悩んで考えて、それでもなかなか答えは出なくて。いよいよどうしようもなくなった私は、引退後もちょくちょく連絡を取り合っていた二人へ別々に話した。
『進学先のマネージャーなれ』
『迷ってるならやればいい。やっぱりで後悔の方が後々キツいだろ』
返ってきた二人の答えは、正反対。
奏多と透哉の意見を聞いても、はっきりした答えを出せなかった優柔不断な私は結局、元々の志望校だった二人と同じ学校へ進学した。
* * *
雨はいつの間にか止んでいた。
途切れた雨雲の隙間を抜けて夕日が差し込み、周囲をオレンジ色に染めていく。軽く水を払った折り畳み傘を閉じ、遊歩道から道路へ上がる階段を上って、雨宿りをした食事処兼土産物屋まで戻ってきた。
「じゃあ、ここで。また明日――」
「待って⋯⋯!」
謝ったところで、傷つけた事実は変わらない。謝って楽になりたいだけって思われるかもしれない。でも⋯⋯今、ここでちゃんと言葉にして伝えないと後悔する、どうしてか漠然とそんな気がした。
お城方面の道へ繋がる朱色の欄干の橋の方へ行こうとした、水樹さんの背中を呼び止める。足を止め、こちらを振り向いた彼女を思わず見入ってしまった。オレンジだった空がスミレ色に変わり始めた雨上がりの澄んだ空気の中で振り返った彼女の立ち姿が、まるで恋愛映画のヒロインみたいで。
「⋯⋯噂のこと疑ってごめん。ちゃんと言えてなかったから。ごめんなさい」
「ううん。彼氏にちょっかい出されたとか心配になると思うから。居たことないからわかんないけど」
結構モテるのに居たことないんだ。ちょっと意外。
でも、うん、こういうところなんだろう。根も葉もない疑いを掛けられて辛い思いをしたのは彼女なのに⋯⋯ああ、そっか。こういう子だから、私は本気で焦ったんだ。
「ん? なに?」
「なんでも。そっちから帰るの?」
彼女の後ろは、お城方面へかかる橋。彼女の自宅は私の家と反対方向だから、この交差点の東方面が通学路のはず。
「図書館寄って帰ろうと思って。もうすぐ期末テストだから」
「そ。私も寄っていこうかな? 理系得意だったよね」
「どちらかというと。旭さんは――」
「紅葉でいいから。私も下で呼ぶね。私は、文系かな? 英語は微妙だけど⋯⋯」
「私も苦手。席空いてるかな?」
色鮮やかなユリの花が咲く川を架ける橋を渡り、緩やかな右カーブの坂道を上がった先の公園の向かいの図書館へ向かって、肩を並べて歩く私たちの距離は、雨が止む前よりも一歩近くなっていた。寄り添って開くユリの花のように。
連載中の小説の主人公ではなく別のキャラ視点で書いた短編です。




