第七話 英雄となる親子
2025年、一月。
―――世界は七月に終わる。人間の生存本能は限界にきた。死を望む者たちによって地球は破裂する――――
2025年一月十日、牧田光は筆で書いた預言を何度も読んで、頭を抱えた。
これは、詰んだ。もう世界は終わる。
麻里に電話して、魔王ちゃんに来てもらいなんとか秘密結社零を動かそうということになった。麻里が帰ってから、光は頭を回し過ぎて疲れ、夕飯に素うどんを食べてすぐ寝た。
翌朝、またゾワゾワと背筋がうごめく、また預言だと寒い中、社へ走って筆を持つ。
牧田光は筆で書いた預言を何度も読んで、頭を抱えた。
――――親子の英雄。母は上空の怪物、息子は三の世界の龍を討つ――――
親子といえば、あの二人しかいない。
「光さん! どうしよう、大変なことに!」
理枝がトラックで神社に乗り付け、輝を連れて社に駆け込んできた。光は無言で、書いたばかりの預言を見せた。
「母、息子……それって」
「うん。理枝と輝くん、だよね」
光はつぶやいた。この預言も写真に撮ってLINEグループに送ると、鉄平たち若者四人が夜行バスで大阪に来ると返信があった。竜也は仕事が忙しくて来られないが、「秘策がある、夜にまとめてLINEを送る」とのことだった。麻理からは焦った様子のハングルのメッセージが届いていた。
「うちはその“怪物”というのと戦います。でも、輝はまだ十二歳で……“三つの世界”って、三原則世界の中に入るということでしょう? そんな……」
理枝が声を震わせて言った。
「オカン、秘密にしてたことあるねん」
輝が言うと、ショルダーバッグにつけていた『あつまれ どうぶつの森』のキャラクターのぬいぐるみキーホルダーをストラップから外し、地面に置いた。
ぬいぐるみを三回叩くと、それは大きくなった。首を傾げたり、手を振ったりと動いている。驚いた光のメガネは、ずれた。
「家でオカンおらんとき、練習してたら魔法使えるようになった。それで古墳まで飛んでいって、そこで三原則世界の魔術の使い方の本を読んで勉強した。僕はパソコンに触って、三原則世界のことをこっそり調べてた」
輝は淡々と言った。
「え、あんた、そんなことしてたん!」
理枝は輝の肩をつかんで驚いた声を上げた。
「うん」
輝は動じない。理枝はぎゅっと目を閉じ、口をモゴモゴ動かす。何かを悩んでいる時の癖だった。
「そっかぁ……うちが戦ってる間に、輝に何が起きるか不安やし、預言には逆らわれへん」
「うん。僕もオカンみたいに、龍倒してくる」
輝が笑顔で言った。
「……うん、あんたならできる。それに、三原則世界にいた方が安心かもしれへん。今後、何が起きるかわからんし」
「それでな、僕、サーカス団に入りたい。魔法使いのおじいちゃんが、すごいかっこいい曲芸するねん。僕も魔法で人を楽しませたい。だってこっちの世界では、誰にも見せられへんから」
輝の言葉はたくましかった。この子の方が、大人の自分より肝が据わっているな、と光は自分が恥ずかしくなった。
「わかった。じゃあ、今晩はあんたの好きなハンバーグ食べに行って、オカンと一緒に寝ような」
「ええよ、オカン」
輝が微笑む。
「それじゃあ、また明日。準備して来ます」
そう言った理枝は少し泣いていたが、すぐに袖でぬぐい、輝には笑顔を向けた。
⸻
夜はLINEで会議をした。本来はZoomを使いたいが、鉄平たちは夜行バスで移動中だった。
まず、竜也から「黙っていてすまん」と始まる長文が送られてきた。
震災で亡くなった滋と智美は、三原則世界から流れてきた子供をひそかに育てていた。
「村田誠一」と名付け、自分たちの子として育てていたが、その子は三原則世界の人工生物の中でも特殊で、人の姿にも、データにもなれた。行方不明になったとき、パソコンのディスプレイの中でレゴで遊んでいたそうだ。そういう異様な存在だった。勝手なことをして、厄介な存在を現実に持ち込んだと叱られるのが怖くて、滋はこっそり竜也にだけ伝えていた。
竜也はその「村田誠一」がすぐに成人したと聞き、それならデータとして扱う提案をした。三原則世界の人工生物は膨大に増え、唯一人間が関与できたゴッドマザーとゴッドファザー、七人の大天使もすでに消滅していた。
その存在を「オー」と名付け、三原則世界で異変が起きたときの“パッチ”として機能させた。オーは王の突然の死や王位継承の争いで揺れる国の「仮の王」として、混乱を静めてきた。
その「オー」こそ、次に起きる三原則世界のエラー「龍」に、輝の龍討伐に同行させるという案だった。
理枝は「ホッとした、任せたい」と返信してきた。またもや麻理はハングルで長文を送り、その後日本語で「なぜ今まで黙っていたのか。そんな存在がいたなら、こちらのメンテナンスにも手伝ってもらえたのに」と竜也に苦情を入れた。
「すまなかった」と竜也は素直に謝った。
『これは仮説だけど、エラー龍は三原則世界がさらに成長するときに現れる。前に理枝が龍を倒したあと、人工生物は減ったぶんよりも増えた。龍という試練を乗り越えた先に、三原則世界には未来がある』
麻理の仮説は、希望を示していた。
『その可能性があると思います。龍はあらゆる寓話に登場する“試練”の象徴。現実世界の怪物はどうにも不気味で曖昧だけど、三原則世界という“ノアの箱舟計画”は確実に進歩しています』
鉄平のメッセージの末尾には、ウインクする猫の絵文字がついていた。
『三原則世界の時間は現実世界より速い。輝くんは三原則世界で、あっという間に成長してしまう。オーもそうだった。理枝、息子の成長を見られないこと、覚悟してくれ』
竜也からのメッセージに、光の胸が締めつけられる。
『はい、覚悟してます。輝は自分から龍と戦うと言いました。その意志を尊重します』
『ありがとう。こっちは怪物の正体について考えよう。私たち秘密結社零は、集合的無意識——“死にたくない”という生存本能——を集めて戦ってきた。でも、今回の預言では“死を望む者たちによって地球が破裂する”とある。これは、世界が絶望のピークを迎えるということでは?』
光はLINEにそう打ち込んだ。
これまで秘密結社零は、日本中に使者を送り、預言を広め、「そんなことありえない」という声を集めてきた。
1999年の世界の終わりの時も、インターネットや雑誌などの情報媒体を使って、「世界は終わらないでほしい」という無意識を集めた。
逆のことをすればどうなるか。
人々に「世界は終わる」と信じ込ませること。それは今の時代において、とてもたやすい。
パンデミック、戦争、虐殺、政治不安、第三次世界大戦への恐怖——。人々は今、「世界は終わる」に納得し、むしろそう望んでいる者すらいる。
『Xで〈死にたい〉と検索したら、たくさんのメッセージが出てきます。このメッセージが“生きたい”に変わるよう、私はイラストレーターとして伝えていきたい。そして怨霊の塊、怪異が出現しないよう、こまめに除霊します』
真琴からは真摯なメッセージが届いた。
『はい。俺も真琴さんと同じくです。俺は修行を終えてきました。与えられた紫の目で、除霊の仕事をします』
竹丸からも決意が届いた。
『世界の終わりの預言を、怖がりすぎないようにしましょう。僕たち零が未来を信じなければなりません』
士郎の言う通りだ。
仲間がいる。光はスマホを握りしめた。初めて感じた。「仲間がいる」ということを。
メンバーが二名亡くなり、脱退した者もいたが、竜也と麻理は残ってくれた。麻理は韓国で忙しい生活を送っているにもかかわらず、いつも光を気にかけてくれた。
そして、自力で極秘の結社を探し当てた情報収集能力を持つ大野鉄平。紫の瞳と強い霊感を持つ岡崎真琴と竹丸雅也。忌み地を鎮めた神主・物部士郎。
この世の絶望と、戦えそうだ。