次元B:晴れる屋 トーナメントセンター 東京
「八十岡翔太に《霊気の薬瓶/AEther Vial》の存在を教えたのは、何を隠そうこのワシたい!」
世界総人口70億の中で7人ぐらいにしか通じなさそうなネタを叫びながら荒巻は、手にしたバールでゾンビの頭を叩き割った。冷静に考えてみると世界総人口は多分、このゾンビ騒動、ゾンビアポカリプス世界で700か70万人ぐらいになってるだろう。だからこの、朝ドラの、何でも自分の手柄とホラを吹くおじいちゃんキャラ調でMTGのことを言う、という荒巻のネタも相対的にメジャーになったと言えるかもしれない。まあどっちにしろ彼が、自分にだけオモシロいネタを言ってオレはオモシロだぜ、と気取るどこにでもいる不愉快なオタクだってことに変わりはない。けどそれは僕も同じだからあんまり強いことは言えない。でも普通に失礼だろ、日本トッププロの一人、殿堂プレイヤーに何言ってやがるマジ死ね。
「なあ、それで結局、マジでやってると思う?」
僕も僕で、バットでゾンビの頭をホームランしながら言った。なんかチョッキみたいなのを着たオシャレっぽい大学生風のゾンビ。僕が生涯買わないだろうなんか韓流カジュアルっぽい服も、こびりついた腐った体液でぐっちょぐっちょになってていい気味だ。服なんか買って身なりを整えて世間にしっかり関わってちゃんと社会に貢献するまっとうなヤツなんかみんな死ねばいいのに、なんて思ってたらあらかたみんなゾンビになっちゃったってのは、まったく、喜べばいいのか悲しめばいいのかわかんないな。
「MoMaの冬に平地6,000枚デッキで4-2したのは、何を隠そうこのワシたい!」
荒巻再び。ゾンビは大声に集まってくるので、場を片付ける時は叫ぶのが常なんだけど、こいつときたら別にそういう時じゃなくてもこんなホラばかり吹いている。今度は女子高生を躊躇なくフルスイング。頭がパーカーのフードみたいに背中で垂れ下がって、リボンタイと合わせてぷらぷら揺れて、それからどさり、倒れる。巻き込まれてスーツ姿のおじさんゾンビも数体。良かったねおじさん、合法的にJKに触れたよ。
「さてなあ、オレは全員もう噛まれて、ゾンビになってると思うがね」
ぶんぶん、バールにこびりついた体液と、なんだかねとつく正体不明のゾンビのかけらを振り払いつつ、荒巻。僕は彼と背中を合わせ周囲を警戒。駅前にはまだ数十体ゾンビがいて、こちらにふらふら歩み寄ってきていたけれど……ゾンビ騒動開始から1年が過ぎた今、秒間1歩ぐらいのスピードでしか動けなくなった連中はもう、そこまでの脅威じゃない。道路脇や建物の中で横になったままのヤツも多い。
「でも、わざわざ日付指定してたってことはさぁ、結構たしかな話だと思うんだけどなぁ……どうする、ホントに全員ゾンビになってたら」
全周防御の態勢をといて、彼の横へ。目的地はすぐそこ。JR高田馬場駅から徒歩5分ぐらい。
「そりゃまあガッカリだけどよ、やるこたぁ決まってるわな」
「何するんだよ」
「中のカードをごっそりいただくに決まってんじゃんかよ!」
「バーカ、高額なのは金庫の中だろ。どうせ鍵ないから、手に入るのはお手頃価格なのだぞ。《強迫/Duress》100枚あったってしょーがねーだろ」
「うーん、バールでこじ開けらんねえかなあ」
「そんなショボい金庫使ってねえと思うけど」
「ま、行くだけ行ってみてよ、ダメだったら帰るべ、あ、ストレージはもらってってさ、ストレージ構築しよーぜ!」
「そりゃいいけど、オマエはノンキだね、ホント」
「おいおい若いの、それがこの世界を生き延びていくコツってやつさ!」
「なんでさもベテランかのように語れるんだよバーカ」
「……にしてもよお……なあ、誰もいなかったら、置いてきた方が、いいんじゃねえかな」
「…………そうかもなあ」
「……そうだよ」
「そうだな」
僕らは少し笑って、歩き出した。通い慣れた道――日本最大のMTG専門店、晴れる屋トーナメントセンター東京への道を。
新宿駅に統率者イベント開催のチラシがばらまかれていたのは、2週間前の話。
……いや、最初から話した方がいいか。
このゾンビ騒動が始まった時、たまたま彼、荒巻と、あともう2人で統率者をやっていた僕らは――しばらく外の騒動に気付かず、統率者をプレイし続けていた。ちょうど荒巻の《収穫の手、サイシス/Sythis, Harvest's Hand》率いるエンチャントレスデッキから「もうどうにでもな~れッ!」という力強いシャウトと共に《大オーロラ/The Great Aurora》がぶっ放され通ってしまったところで、場はぐちゃぐちゃのめちゃめちゃ。二重三重に友情コンボが発生して、レベル3ジャッジでも首をひねるのではないかと思うほどスタックが積み重なり、僕らは数分間笑い転げていた。歴史に残るほどのぐだぐだな試合が続き、気付けば2時間以上経っていた。
その後も酒を飲みながら今期のアニメナンバーワン決定会議が始まってしまい、それは結局ワンクール丸々鑑賞会になり、1人寝て、2人寝て、気付けば朝、という有様。薄いカーテン越しに差し込む朝の光で舞う部屋の中の埃と、その下で少し居心地良さそうな僕の統率者、《溌剌の牧羊犬、フィリア/Phelia, Exuberant Shepherd》を見ていると、僕はあの、こいつらと過ごした大学のカードゲーム研究会から何一つ、あの部室に沈み込んでいたあの頃と、何も変わってないんだ、と思って――少し泣きそうになった。
就職して3年。またあの頃のように遊べたのが、本当に嬉しかった。
けれど、そんな中、ゾンビ騒動が始まっていた。
テレビのニュースでそれを知った僕らは最初半笑いだった。だってよりにもよって、ゾンビだぜ。でも国会議事堂周辺の混乱を伝えるニュースキャスターがカメラの前、子どものゾンビの群にむさぼり食われるところを見ると、騒ぎは冗談でもなんでもなく現実なんだって気付いた。それから数時間後にはあらゆるテレビのチャンネルがうつらなくなって、ネット回線も不安定になって切れて、電話、水道、ガス、電気の順で使えなくなっていった。
僕と荒巻は顔を見合わせ、ワクワクしてた。防災リュックから地図を出し、近隣のホームセンター、食料品店、登山用具店などをチェック。これでもうあの職場とオサラバだ。それだけで体中に力が漲る。同じようにブラック勤めの荒巻なんかぐふぐふふふぐふぅと奇妙な笑いが止まらなくなってた。
一方、残りの2人はそんな僕らをまるで、フリプしてた相手のデッキから画用紙で作ったオリカが飛び出してきたような顔で見つめ、家に帰ると言った。
妻と子どもが心配だ、という。
僕と荒巻は顔を見合わせ、そして、2人を見送った。
車に乗り込み、ゾンビを轢き殺しながら進む危なっかしい2人を見て、荒巻が呟いた。
「オレたちとアイツら、どっちが正しいんだろうな」
僕は彼の顔を見ないで答えた。
「どっちもアホさ、いい年こいてまだカードゲームやってんだ」
それはウソで、僕自身まるで信じてなかったけど、ゾンビのうめき声が聞こえだしたその状況じゃなんとなく、人生の真理っぽく聞こえた。
それから僕らには――まあ、いろいろあった。詳しく知りたかったらゾンビアポカリプスものの映画やら漫画やら小説やらに触れてくれ。ゾンビどもの腐肉をかき分けながらあちこちで物資をあさり、安住の地を求め新宿の外れ、誰もいなくなった荒巻の実家にたどり着き、それから1年、どうにかこうにか2人でやってきた。今やアンタップアップキープドロー、もしくは、一応マナ出しときます、って言うぐらいのスムーズさで僕らは、ゾンビをぶっ殺せる。
統率者イベントのチラシを見つけたのは、今から2週間前。
新宿駅の方で大きな音がして見に行ったら、そこら中に数百枚、チラシがばらまかれていた。ゾンビ以外に動く影は見当たらない。
チラシによると2週間後、学生時代に2人でちょくちょく通ってて、就職してからも仕事帰りに寄ってた高田馬場は晴れる屋トーナメントセンター、通称TCで、統率者イベントがあるらしい。
僕らは顔を見合わせた。少なくともこの1年、生きてる人間に会った回数は10に満たない。まともな人間って限定するなら2回だ。ゾンビ騒動はたぶん、計画されてた部分もあったんだろう。本当に速やかに、全人口の90%以上をゾンビに変えてしまってた。残されてるのは僕たちみたいな、かつての文明の残りをすすり、ゾンビの大群に囲まれないよう、こそこそ暮らしてる人間だけだ。
それで、統率者のイベントがある?
……しかも、晴れる屋のTCで?
僕らは、何があろうと参加すると決めた。手土産も持ってくことにした。
そして今日。
起動したら相手の墓地が追放できそうな名前のドラッグストアの前に立ち、僕と荒巻は信じられない気持ちでいた。
この2階に、TCがあるのだけれど……。
ぼこぼこの汚れた金属バットを手に、僕らを見てる男がいた。まるで持ち帰り用の箱から《Moat》を見つけたような、あるいは、フェッチで土地をサーチしてたら自分のディミーア眼魔に入っているはずのない《スランの医師、ヨーグモス/Yawgmoth, Thran Physician》を見つけてしまったような、そんな顔をして僕らを見つめてる。
でも、僕らだってたぶん、同じ気持ちで、同じ顔をしてたと思う。
全世界にゾンビが溢れ、アメリカ大統領も日本国首相もローマ法王も天皇陛下もゾンビになっちまって、職場も学校も国も何もかも、腐肉にまみれ後は骨になるだけだってのに。
この男ときたら、晴れる屋の制服のあの赤いポロシャツを着て、首にちゃんと名札を下げ、階段に立ってるんだ。《倍増の季節/Doubling Season》4枚に《死者の原野/Field of the Dead》4枚置いたところで《見事な再生/Splendid Reclamation》を撃った時よりわらわら出てくるゾンビたちがはびこる中、統率者イベントを開くと決め、参加客を待ち、寄ってくるゾンビをぶち殺しながら。
……いやはやまったく、この店員さんが僕らカードゲームオタクとゾンビという、重さがちゃんと1.75gの《Black Lotus》の偽物よりもほぼ同じな存在を、きっちり見分ける鑑定眼を持ってるなんて、晴れる屋さんの社員教育というのは、スゴいもんだ。
「お……ぉっ……お客、様……です、か……?」
ともすれば泣き出しそうな声で、彼はふらふらと僕らに歩み寄り、尋ねた。僕らも同じ気持ちだったけど……顔を見合わせ、こう言ってやったら感動で泣くんじゃないか? なんて来る前に話し合ってたことを言う。
「いいえ!」
「プレインズウォーカーです!」
店員さんの押し殺した慟哭は、地球のコアにも届きそうだった。
彼に導かれ階段を上がり、通い慣れたTCに上がると入り口近辺に、すでに数人いた。驚くべきか、それとも呆れるべきか、晴れる屋の制服を着てるのはその中で2人だけで、後の3人は私服……僕らと同じような参加者だろう。案内してくれた店員さん、そして僕ら2人と合わせると、計8人。
300席ある広大なプレイスペースに、8人が揃った。集まった。
赤ポロシャツの店員さんはみんな疲れ切ってて、今にも泣き崩れそうなのを必死に我慢してる、みたいな顔だった。残りの参加者は……まあ、いろいろだ。この期に及んで表情が1ミリも動かない、統率者イベントなんかよりThe Last Sunに参加したかったぜって感じのスパイクっぽいヤツがいて、マックスのテンションでぎゃいぎゃい僕らに話しかけてくるオフ会幹事タイプのオタクがいた。この期に及んで筆文字で「服屋に行く服がない」って書いてあるとっても面白いジョークTシャツを着てる割と静かな面白い人もいた。
いやはや、まったく。
「はっ…………8人、揃い、ましたので……あ…………」
一番年かさらしい店員さんが、喉に何か詰めてるのかって声で言う。けど、僕はそれを手で制して尋ねた。
「あのー、今日って統率者だけですか?」
「へ? あ……あ! だっ、大丈夫です! スタンパイオニアモダンレガシーヴィンテージ! なんでも! ヴァンガードも、アーチエネミーも、プレインチェイスもモミールも!」
絶叫に近い声で店員さんが尋ねると、周囲の人間は大きく頷く。僕と荒巻は顔を見合わせ……そして荒巻まで、なんだか泣きそうな顔をしてるのに気付いた。まあでも、きっと、僕も同じような顔をしてただろう。
僕らは、狂ってる。
心の底から、狂ってる。
人類が滅亡しようかって時に、僕らは、マジックをやるのだ。
外にはゾンビが溢れてるってのに、僕らは、土地を置くのだ、クリーチャーを出すのだ、顔面に火力をぶち当て、どや顔でカウンターして、相手の苦しむ様を見てご満悦になるのだ。荒巻なんかはこの日のためにギサのデッキを4個も作ったのだ。
……でも一番大事なのは。
ここにいる連中はみんな、同じように狂ってるってこと。
……でもさ、なら、もっと、ふさわしい遊び方を、したいよな。世界一狂った遊び方を、さ。
僕は荒巻に頷き、荒巻は僕に頷き、僕は背中のリュックを下ろし、がさごそ、ビニールの音を響かせながら、それを取り出し、みんなに見せた。
そして、言う。声の震えを、抑えながら。
「βのボックスあるんですけど、ドラフトしません?」
※※※※※※※※※※※※
僕らが本当にβのドラフトをやったかどうかは、ご想像にお任せする。βのボックスなんて、あったとしたら数千万、へたしたら億のシロモノをどっから手に入れたかってのも。一つだけ言えるのは、コレクション自慢をSNSでやるのはやめといた方がいいよ、ってこと。ただパックシミュレーターかなんかで、本当にβのドラフトをやったらどうなるのか、ってのは結構簡単に調べられたから分かる人も多いと思う。
さて、その日僕ら8人は途方もない秘密を共有し、そして日が沈む頃、あっけなくTCは陥落した。夕方頃に始めた、金庫のカード使い放題スーパーウルトラマグナムエキサイティングコマンダー(《グリセルブランド/Griselbrand》以外なんでもアリ)が楽しすぎギャーギャー騒ぎすぎ、表に数百体のゾンビを集めてしまったのだ。さすがにこの数はどうにもならない。店員さんの手引きで非常脱出口として整備してたらしい裏口を通り、その日は解散となった。
あれから3年、どこの駅にもチラシはない。
TCを通りがかってみても、ゾンビがうろついているだけで誰もおらず、店員さんの姿は見えない。僕と荒巻は時々、彼らはカードゲームの――あるいはカードゲームショップの――妖精か幽霊か何かだったんじゃないかって話す。ゾンビが溢れてるならきっと、そんなことだって起こり得るだろう。今となっては何もわからないけれど。
店員さんとは裏腹、とっても面白いジョークTシャツを着たゾンビや、やたらと真顔のゾンビはどこかで見かけたような気もする。きっと僕らもその内仲間入りをするのだろうけれど、今のところはまだ、頑張ってる。あの日のあのTCを思い出すと、きっとそれは、死ぬまで続けられるだろう、とも思う。
「《有翼の叡智、ナドゥ/Nadu, Winged Wisdom》のテストをスルーさせたのは、何を隠そうこのワシたい!」
「それはシンプルに死ね」
ゲラゲラ笑いながらゾンビをぶっ飛ばし、家に帰れば2人でマジックで、僕らは狂った世界の中、それより狂ったままで生きてく。一つだけ分かったことがあるとすればそれは……そうだな、人間が生きてくのに、正しさなんて必要ない、ってことかな。
〈了〉