次元F:灰色商人奇譚
東京ドームの闇市にアスフォデルの灰色商人を名乗る男がいると聞いたのは、新宿で大量の魔石を換金している時だった。
馴染みの店主はカウンターの前に座り、私が持ち込んだ魔石を一つ一つ、丁寧にルーペでのぞき込み、秤に載せ、慣れた手つきで猫羽ペンを握り、帳面に数字を書き込んでいく。
「昨今、クリーチャーたちの動きがどうも、妙だろ?」
魔石を調べる手は止めず、店主は言った。私は店内をあちこち見ながら答える。
「ああ。数が増えたのはまだいいとして連中、戦術を使うようになった」
突如として地球にあらわれた謎のクリーチャーたちにより人類が地球の支配者の座を追われ、かつての都市の廃墟をあさって暮らすようになってから5年。その5年間、新宿でずっと商売を続けているこの店に、私はクリーチャーを狩る掃除屋として通い続けている。この店は来るたび新たな品物が増え、前回見たものは消えている。他の客に会ったことはないが、繁盛しているらしい。
「中目黒でゴブリンどもを狩ってたんだがね――」
数匹のゴブリンを路地へ追い込んでいると、首筋に妙な寒気が走り、歩みを止めた。次の瞬間、私の鼻先を空から落ちてきた巨石がかすめた。思わず飛びすさり見上げると、ビルの屋上に数匹のゴブリンがいて、こちらに悔しそうな視線を送っていたのだ。仲間を囮に使い、私をおびき寄せ、頭上から岩を落とす。原始的な、原始的すぎる戦術だが――目の前の岩に潰されているゴブリンを見ると、それが効果的だったとわかる。こんな、重機でもなければ動かせなさそうな、直径1メートルはある岩をどこから持ってきたのかは謎だったが。
壁際の牙剣――説明書きによるとスラーグの牙を使ったらしい――の柄に埋め込まれた翠玉魔石の輝きに目を奪われながらも、店主にそう話すと、彼は大きく頷いた。
「ゴブリンが使ってくる最上の戦術なんざ、石か仲間のどっちかを投げつけるってだけだったんだがなあ、それが上から岩を落とすまで進歩するとは、まったく。これは噂なんだがね――ふーむジェムミントだ――ああ、噂なんだが、連中に指導者があらわれたんだってよ」
「指導者?」
「名つきのやつだ。目黒の駅前で、そんなことを叫んでるゴブリンがいるのを見た掃除屋が昨日来たんだ。なんだっけな――おおうこいつぁ染み付き――そうそう、クレ……クレ……クレンコ? とか言ったっけな」
「ゴブリンが、叫んでたってことかい。我が名はクレンコ、聞け人間どもよ、貴様らを滅ぼす者の名、その魂に刻むが良い! なんて言って?」
「ま、そういうことになるな。口調までは知らんが。物騒な話だね、どうも――おいおい、兄さん、あんた今日ツイてるな、上物ばっかだぜ」
魔石の商いは上々だった。地球にやってきたクリーチャーたちはその命を失うと、色とりどりの魔石を残して消える。宝石のようなサイズと輝きのその石が、私たち人間に超常的な力を与え、クリーチャーたちと対峙する力の源となる。この事実にあと1年でも早く人類が気付けていたのなら今のように、東京の人口が百万人を切ることもなかっただろうに。
ゴブリンたちの戦術のこともあって、私は少し早めに狩りを切り上げたのだが、運良く状態の良い魔石を集められていたらしい。予想よりだいぶ、代金の袋が重かった。
「こんなに?」
「色つけといたぜ。その代わりと言っちゃなんだが、一つ頼みたいことがあるんだ」
ニヤリ、と笑った店主は、代金の袋から手を離さなかった。私は少しため息をついて先を促す。
「東京ドームに闇市ができてるってのは知ってるよな?」
「ああ、新宿みたいになってると聞いたよ」
国も警察も軍隊も、何もかもが滅んでしまった後ではすべての街が難民キャンプだし、すべての商取引は闇取引、従ってすべての市場は闇市場。妙な呼び名だとは思うが、いつか、クリーチャーたちから地球を取り戻し、闇市場を市場へ戻す――そんな願いが込められて、そう呼ばれるようになったという。
「そこでオレの従兄弟が鍛冶屋をやってんだがね。妙なヤツがいるっていうんだ。曰く、そいつは魔石屋として水道橋で、三ヶ月前辺りからやってるらしいんだが……金色の仮面を被ってて、見たことも聞いたこともないような武器やら防具やらを売ってるっていう。誰も買えたことはないらしいんだが。で、そいつは自分のことをアスフォデルの灰色商人って名乗ってるんだが――従兄弟が言うには、どうも――」
魔石屋はなんとも言えない微妙な顔をした。
「そいつ人間じゃなくて、クリーチャーなんじゃないかって。腕利きの掃除屋に確かめてほしいそうだ」
あり得ない。クリーチャーの中には人語を喋る連中もいるが、人間には絶対的に敵対している。目が合えば殺意をむき出しに襲ってくるし、襲ってこないやつはなんらかの超常的な力でもって人間を害し、結果死に至らしめてくる。ゴブリンのような、いかにもなモンスターたちだけではない。ファンタジー小説の中から飛び出してきたような、高潔な女騎士、偏屈な鍛冶職人、美しいエルフの女王、時にはニンジャや中国三国時代の武将風の連中といった、一見、理性的なコミュニケーションが可能に思えるクリーチャーもいるが、そいつらでさえ正気のかけらもない人類の敵であることは間違いない。いったい何人の掃除屋が高潔な女騎士やエルフの王子の美貌に惑わされ首をはねられただろうか。中でも、エルフはゴブリンよりも好戦的だ。自分が小枝を踏み折った音が耳に響いた次の瞬間、自分の鎖骨を折られる音が体の中に響く。そんなクリーチャーが人間に交じって、人間の武器防具を売っているなど、想像もできない。
「…………どうして、クリーチャーだと?」
私の問いかけに、店主は肩をすくめた。彼自身、半信半疑であるのは見て取れたが、さりとて無視もできない、そんな風に見えた。
「誰もそいつがメシ食うところを見たことがないし、水飲むところもない。何度自己紹介しても人の名前も顔も覚えないし――一回そいつが水売りとぶつかって、脚に水ひっかけられたらしいんだが、すると、なんでか、肌から色が落ちて――」
灰色の肌が見えたのだ、という。
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新宿から水道橋への道中は、概ね問題なかった。クリーチャーによる襲撃は3度あったが、魔石屋で買ったスラーグの牙剣の威力はたしかで、黒い騎士もゾンビも、羽ばたく飛行機械もエルフも問題にならなかった。だが、それは彼らがまるで野生動物かのような単純さで襲ってきたからだろう。隊列を組み、役割を分担し、計画的に人間を滅ぼすようになったらその時、人類は2度目の絶滅を迎えることは間違いない。
水道橋にたどり着くと、変わり果てた東京ドームの姿が何よりもまず目を引いた。ジェットコースターや観覧車が突き刺さり、ドームの天井が破けている。たしかこの辺りはクリーチャー召喚騒動当初、巨人とドラゴンどもにやられていた。山手線圏内は無人の荒野だった。
だが、巨人とドラゴンがどうしてか同士討ちを始めるようになり、その隙に人類がわずかな生存圏を取り戻し、魔石の力を使いクリーチャーたちに拮抗し始めている今は違う。
東京ドーム周辺はかつての賑わいにこそ負けるものの、人に溢れ、活気に満ちている。溢れている人たちはみな煤けていて、売っているのは正体不明の肉や淀んだ水だったとしても、賑わいには違いない。
ドームの中に入っていくと、中は総合魔石市場とでもいった様子だった。テントやバラック、仮設住宅めいた建物と、ブルーシート、机を出しただけの商店がところ狭しと並んでいる。一目で掃除屋と分かる見た目をしていたせいか、あちこちの魔石屋から客引きされ歩くのが難しかったほどだ。
腰に下げていたスラーグの牙剣をナップサックにしまってようやく、通りをスムーズに歩けるようになる。が、今度は並ぶ品物に目を奪われる。
天使の羽根で編んだというケープはドラゴンとデーモンの攻撃が一切効かなくなるそうだが、効果の程は眉唾だ。
魔石の力に反応し、どこまでも強く鋭くなるという、竜の骨を削り出した骨剣。一体全体、体長50メートルを超える竜のどこに、あんな手ごろサイズの骨があるのかと怪しくなるが……話を聞けばきっと、納得させられてしまうのだろう。
だが何より目を引いたのは、剣を振るたびに自身の存在が瞬き、すべての傷が治るという犬の首輪のような――
私は首を振って気を取り直し、目的地に急ぐことにした。スラーグの牙剣を買って、懐はかなり寂しくなっている。
ドームのフィールド部を抜け、少し人気のなくなった通路に出る。何百メートルか進み、客席への階段を少しだけ上がり、階段折り返しの踊り場にある扉を開ける。過去には従業員用の通路だったのだろう、狭苦しいその場所を歩いていくと、会議室のような場所があって、そこに――
「いらっしゃい」
そこに、そいつが、いた。
なるほど、たしかに、妙だった。
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なによりもまず目を引くのが、金の仮面。
翁面のようで、どこか古代の意匠を感じさせる、泣き笑いのような顔を象った、不気味な黄金の面。目元口元は僅かに開いているが、面が分厚いせいか、暗闇に隠されよく見えない。背は小さく、150センチもない。だが子どもという印象は受けないし、ギリシャ風のトーガめいたローブから見える体は筋肉質で、そこだけ見れば古代オリンピックの選手のようにも思える。肌は――普通だ。やや白い、黄色人種離れしたコーカソイドめいたものを感じるが、取り立てての不自然さは、そこまで、感じられない。
「武器と防具を売っております」
声は、平板過ぎてまるで、流暢すぎる合成音声のようだったが、それより不自然だったのは売っている品物だった。
クリーチャーによってほぼすべての科学技術が数百年後退させられている人類が今、武器や防具として使っているのは、連中が時折、魔石と共に残す死体の部位を加工したものだ。科学兵器がほぼ通用しないクリーチャーたちにも、どうしてか、今私が使っているようなスラーグの牙剣は効くのだ。防具についても同様で、クリーチャーの農夫が振るうピッチフォークは防刃ベストを安々と貫くが、クリーチャーの熊の毛皮から作ったジャケットには阻まれる。だから、ドームの中にもそんな、一見すると未開の部族が野蛮な儀式に使うなにか、といったものしか売っていないし、歩いている人間もほぼ、そんな得物を腰にぶら下げている。
だが、この店の、壁に並んでいるのは。
星空のように輝く二叉槍。
炎と氷を同時に帯びた不可思議の剣。
黒黒と艶めく邪悪な兜。
大薙刀に十手、フレイル、プレートアーマー……
仮面の男が言ったように武器と防具が、並んでいる。れっきとした、武器と防具が。いや、れっきとした、という表現はおかしいかもしれない。半分以上は、見るだけで超常の力を秘めていると分かる。
溶岩のような灼熱を放つ槌。
雷光を纏うロングソード。
火のオーラじみた何かを帯びたブーツ。
中でもとりわけ目を引かれたのは、影を纏う槍だった。いや、ひょっとすると、影でできた槍なのかもしれなかった。影が槍の形を取りながら、生きているかのように蠢いている。影が滴り落ちている。刃の根元部分に2連の宝石めいた白い光があったが、それらが魔石でないのは私にも分かった。実体があるのかどうかさえも怪しい。
「それは影槍。神の槍の影にして、神を貫く槍」
数分間、槍に見惚れていた私は店主の声で我に返った。大きめの会議室ほどの店内は、しかし、よくよく見れば商品と同じくおかしかった。
部屋の中には蛍光灯やホワイトボード、タイルや長机、現代を連想させるものが一切存在しない。床や壁、おかしなことに天井まで木と石でできていて、まるで中世の商店だ。壁にかけられたロウソクの頼りない灯りがますます、そんな空気を深めている。店主がいるのはまるで、数百年前からそこにあるような木製のカウンターの向こう。壁の棚にはコンパスを四次元用にしたような、見ているだけで頭の奥が歪む幾何学立体や、今にも悪魔が飛び出してきそうな魔法陣の記された紙、棚に置かれながらも中から血が滴り続けている本が飾られ、さながら錬金術師の実験室じみていた。そんな品々に囲まれている男は、しかし、泣き笑いの黄金の仮面の向こうで、何を考えているのかちらりともわからない。
「…………どれも魔石が見えないな。護身用にしては少し、派手すぎないか?」
私は内心の動揺を押し殺し尋ねた。崩壊後の世界で人類に害を成すのは、クリーチャー以上に同じ人間だ。
「いえ、効きます。クリーチャーに。効かなかったら返品していただいて結構――納得できるまで支払はしない、という形でも」
どこかぎこちない言葉と、寛大過ぎる申し出を耳にし、私は思わず店主を見つめる。カウンターの後ろに座ったまま、微動だにしない。私が正気を疑うような目で数十秒見つめても、だ。
「ですが、その槍を手にしていただくには条件が一つ。神を殺していただきます。その槍はその運命にあります」
どうしたものかと私が逡巡していると、男が言った。
地球にあらわれたクリーチャーを、この世に顕現した神だと言う連中はそれなりにいるが……この男がその、よだれを撒き散らしゲタゲタと笑うゴブリンでも神だと言って崇めるような脳たりんだとは思えなかった。第一、殺す、とは。
しかし、槍に目を戻すと、それがわかる。影でできた槍の運命があるとしたらそれは、神殺し以外にないように思える。
「君は…………どこから来たんだ? この店は、一体…………?」
ようやく、男にぶつけるべき質問をぶつけられた。だが、男はまた数十秒黙り込み、それから横に首を振る。そして、感情が一切感じられない声で言う。
「…………私はアスフォデルの灰色商人。神話の存在であり、ありふれていて、かつ、ありふれてはいないもの。私は人類のためにここにいます。神のためではなく。このままでは地球は、伝説に押し潰されてしまう」
「どんな伝説だ?」
「…………伝説の神。伝説の王。伝説の魔法使い。伝説の魔物。伝説の次元渡りども。名もなき生命を、まさしく命にする者たち。百の名前。千の力。万の軍勢が地球を覆う。億の戦に民は倒れ、無限の時が流れる」
「そいつらが……来るのか、これから?」
「…………もう既に」
「どれぐらいで、本隊が来る?」
「…………もう既に」
男と影の槍――影槍を交互に見つめ、私は息をついた。すると、今度は男から口を開いた。
「…………あなたもまた、運命と共にある」
「へえ、どんな運命だ?」
「……あなたは見つける。あなたはリョウカイへの道を見つける。そこであなたの命は尽きる」
預言者めいた言い草はなかなか堂に入っていて、私は少し、聞き惚れてしまったが――内心では、鼻で笑うのを堪えていた。クリーチャーどもがなぜ地球に現れたのかを説明してくれるご親切な預言者の方々なら、嫌というほど会ってきた。
だが、私が何かを言い返そうとして口を開きかけると――
私は影槍を手に、東京ドームの通路に立っていた。目の前には先ほど開けて、店に入ったはずの扉。驚いて再び開けてみてもそこには、ただ、ごくごく普通の会議室があるだけで、男の姿も、不思議な武器も防具も何もなかった。
ただ、私の手の中に、影槍だけがあった。
神を殺す定めの槍が。
※※※※※※※※※※※※
それから1年。私はまだリョウカイへの道とやらを見つけていないし、死んでもいない。リョウカイが何かもわからないままだ。
ただ伝説の神はやって来て、私はその神を影槍で殺した。伝説の魔法使いは火と氷の剣を持った少女に、伝説の魔物は雷光を纏ったロングソードを帯びた老爺に、それぞれ殺された。伝説の王と伝説の次元渡りたちがやって来たという話はまだ聞かないが、ひょっとしたらもうどこかに来ているのかもしれない。それとも人知れず殺されたのか、あるいは、日本以外のどこかを滅ぼしている最中か。
アスフォデルの灰色商人は私と同じ様な人々に、私と同じ様にして武器を渡していた。私たちは時々会って話し合い、彼が代金を請求してきたらどうすればいいか、割と真剣に話し合っている。黄金でできた仮面をかぶっていたのだから、黄金で支払うのがいいかと思い、私はあれ以来純金を集めている。そのせいか、神殺し、罰当たりなどというあだ名と共に、新宿のドラゴン、などという名誉なのか不名誉なのかよくわからないあだ名で呼ばれるようにもなった。
もう一度彼に会うことがあれば、この槍がかつて殺した神と、私が殺したあの、白いトーガを纏っていた神は同じだったのかを尋ねてみたい。だがその機会は今のところ訪れそうにない。彼のいたであろう場所を巡っても、そこには何もないままだ。そしてリョウカイへの道もまだ、見つかりそうにはない。どうやら私はもう少し、生き延びる運命にあるらしい。
〈了〉




