第九十九話 遺された灰の冠
会場奥の一角に設けられた主催者席に、執政ヴェルナー・ヴァイスローデの姿があった。
テオバルトが丁寧に挨拶を述べるその隣で、オフィーリアはそっと執政へ目を向け、記憶を辿る。
ヴァイスローデ家は旧派の伯爵家で、彼自身も法務省の高官として長く務めてきた人物だった。
「こちらが婚約者のオフィーリアです。共にご招待の栄を賜り、感謝申し上げます」
テオバルトが静かに言葉を添えると、ヴェルナーの視線が自然とこちらに向けられた。
年齢は五十代後半だが、顔に刻まれた皺と多くの白髪は彼をより年嵩に見せている。
それでも、こちらに向けられる眼差しには曇りがなく、強い意志を伺わせるようだった。
「オフィーリア様。お顔を拝見するのは本日が初めてになりますね。お越しいただき、感謝致します」
オフィーリアは丁寧に一礼すると、控えめに微笑んだ。
「執政閣下。このような場にお招きいただき、光栄に存じます」
「こちらこそ、閣下のご婚約者をこうしてお迎えできて光栄です」
「公都を治めておられる方と直接言葉を交わせる機会をいただけたこと、嬉しく思っております」
ヴェルナーの話し方は、想像していたよりもずっと穏やかだった。執政という立場に相応しい威厳はありながらも、相手を威圧するような冷たさはない。
「侯爵家が孤児院支援に尽力なさっていることは承知しておりました。最近は、オフィーリア様もご関心をお寄せくださっていると伺っております」
「はい。微力ながら、関わらせていただいております」
「あのような活動は本来、公都の責として引き受けるべきもの。今後は制度の拡充を図る所存です」
新しく掲げられた政策のひとつには、孤児院や救貧院への支援を見直す項目が盛り込まれている。
旧派貴族の多くに根付くのは、生まれによって階層が定まるという血統主義。平民は働き、貴族は治めるという役割分担を当然の秩序とみなす価値観がある。そうした出自でありながら、陽の当たらない場所に目を向けようとするその姿勢は、決して当たり前のことではなかった。
そのことを頭の片隅でなぞりながら、オフィーリアは思わず扇を持つ手に力を込める。かつての自分と同じように孤児院で過ごしている子供たちが、今も公都のどこかにいるだろう。けれど、彼のような人が執政であるなら、その子達はもう自分ほど絶望せずに済むかもしれない。そんな希望が、胸の奥で静かに灯った。
「支援を待っている子供達にとって、そのお考えがどれだけ救いになることでしょう。執政閣下にそのようにお考えいただけること、心強く思います」
オフィーリアの隣で、テオバルトが穏やかに応じる。
「制度の見直しが進めば、孤児院や救貧院の運営も安定いたします。継続的に効果を上げられる仕組みを整えることが、今後は何より重要でしょう」
「仰る通りです。閣下方のお取り組みに学びながら、より効果的な支援を目指して参ります」
テオバルトとの会話を終えたヴェルナーは、穏やかな視線をこちらに向けた。彼の表情には静かな安らぎが漂っている。
「お時間を頂戴し、誠にありがとうございました。どうぞ、実りあるひとときをお過ごしください」
そう言い残して、ヴェルナーがその場を後にする。無事に挨拶を終え、オフィーリアはゆるりと息を吐いた。
「あなたの所作も受け答えも、申し分ないものでしたよ」
横からそっと落ちてくる穏やかな声に、自然と口元が緩む。目を向ければ、琥珀色の瞳はいつもと変わらぬ優しさを湛えていた。
「執政閣下はとても話しやすい方でした。孤児院の生活も……これから少しずつ、変わっていきそうですね」
「閣下は昔から実直で誠実な方です。あそこまで明言されるのであれば、確実に良い方向に向かうでしょう」
「テオバルト様は、閣下とは以前からのお知り合いだったのですよね」
問いかけると、彼は静かに頷いた。
「えぇ。閣下の子息とは士官学校の同級で、友人でした」
友人——その言葉が胸の内に落ちた瞬間、オフィーリアは小さく息を呑んだ。執政の息子は、若くして戦地で命を落としたはずだ。
いつもと変わらない穏やかな琥珀色の瞳に、普段は見ることのない深さがあるような気がした。自分に向けられる優しさの向こうで、手の届かない記憶が静かに息衝いている——そう思うと、かける言葉が見つからない。
胸の奥に、言葉にできない静けさが残ったまま、オフィーリアはそっと目を伏せた。
「リア。少し移動しましょう。足の具合はいかがですか?」
その声に顔を上げると、気遣うような眼差しに触れる。
「……はい、大丈夫です」
応えた声が頼りなく響いた気がして、胸の内が波立つ。それでも彼は、何も言わずに待ってくれていた。その優しさに引かれるように、オフィーリアは自然と歩みを進めた。
会場内を歩きながら、聞こえてくる談笑の声に耳を澄ませた。北方交易路のこと。外交政策のこと。新任の宮内卿のこと。
予想していた通りの会話が交わされていることに、どこか安堵を覚える。
その時だった。
「失礼致します、閣下。ご挨拶をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
涼しげな声に、オフィーリアは振り返る。そこに立っていたのは、淡紅色のドレスに身を包んだ美しい女性だった。




