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第七十九話 戯れの月、静謐なる太陽

「ご厚意に感謝します、ローゼンタール卿。しかし、私の婚約者は()()()()()()()を慎重に選ぶ人間でして」


 テオバルトだった。その琥珀色の瞳は静かにフェリクスを捉え、ゆるやかな微笑みを浮かべながらも、明確な意思を宿していた。フェリクスもそれを理解したのか、口元に浮かべた笑みを崩さぬまま、ゆったりと肩をすくめる。

 こうして向かい合う二人を見ていると、まるで太陽と月のようだと思えた。金褐色の髪に琥珀色の瞳を持つテオバルトは、穏やかでありながらも確かな光を宿し、揺るがぬ存在感を放っている。その温かさは、周囲を照らすだけでなく、オフィーリア自身の内側まで温めてくれるものだ。

 一方のフェリクスは、黒曜石のような髪に淡く冷ややかな月白色の瞳を湛え、どこか掴みどころのない静けさと気まぐれな光をまとっていた。その美しさは確かなものだが、どこか儚く、冷たい輝きを放っている。

 性質も在り方も違う。それなのにこうして対峙する二人は、不思議な均衡を保っているように見えた。


 確かに、かつて自分は美しい月に例えられていた。けれどそれはただ夜空に輝くだけの光。テオバルトのように、誰かを照らし、あたためるものではなかった。その比喩に思い至って、オフィーリアは小さく息を呑む。

 心を惹かれるのは——やはり太陽だ。どこまでも穏やかで揺るがず、優しく光を注ぐその存在が、何よりも愛しい。


 ふと、フェリクスの月白色の瞳が揺らめいたように見えた。探るような、あるいは試すような眼差し。けれどその奥には、ほんのわずかに戯れの色も滲んでいる。

 彼はこの言葉のやり取りそのものを楽しんでいるのだろう。ならば乗ってやろうと、オフィーリアはゆるりと扇を開く。

 

「それは光栄ですわ。しかし私の心を導き照らすのは、常に穏やかに輝く太陽の光。月の儚い輝きではございません」

「……ほう。さすがはシュルテンハイム侯爵の婚約者ともなれば、言葉の選び方も洗練されていらっしゃる」


 フェリクスはゆったりとグラスを揺らしながら、面白そうに目を細める。


「彼女の才覚をご理解いただきありがとうございます。こうしてご挨拶も交わせましたし、そろそろ本来のご歓談に戻られてはいかがでしょう。私どもも、これ以上の貴重なお時間を独占するのは心苦しく存じます」


 琥珀色の瞳には微笑が浮かんでいるが、その奥に冷ややかな光が滲む。穏やかな声音は一分の隙もない。語気は柔らかいのに、その言葉が突きつける意味は鋭く、確かな線引きを感じさせるものだった。

 広間の片隅で、数人の貴族がこちらを窺うように視線を送っている。それに気づいたのか、フェリクスは軽くグラスを傾けると、優雅な仕草で一歩下がった。


「ご慧眼の通りです。私もそろそろ失礼させていただきしましょう。それよりも、公爵閣下へのご挨拶はよろしいのですか? 先ほどの素晴らしいご演説に、大層感銘を受けられたご様子でしたし——きっと直々にその感想をお伝えになりたがっていることでしょう」


 フェリクスが軽くグラスを傾ける。その先にいるのは、一際目立つ威厳を纏った白髪の老人だった。整えられた口髭を撫でながら、冷ややかな視線をこちらに向けている。その表情には隠そうともしていない苛立ちが滲んでいた。

 オフィーリアの指先に力がこもる。あれが——グローズベルグ公爵。旧派貴族の重鎮であり、平民の存在を決して認めないと噂される人物。

 彼から発せられる冷たさは、広間の温かな空気の中でさえ肌を刺すように感じられた。その目には侮蔑と敵意がはっきりと浮かんでいるようだった。


「ご丁寧な助言、痛み入ります。そのためにこれほど長くお時間を割いていただけるとは——ローゼンタール卿のご厚意には感謝せねばなりませんね」


 テオバルトは穏やかな微笑を崩さず、皮肉げに言葉を紡ぐ。言葉一つ一つに計算された響きがあり、表面的な礼節と内に秘めた牽制が絶妙に調和している。その眼差しには琥珀色の光を宿していながら明確な冷ややかさが滲んでいた。

 対するフェリクスは、肩をすくめながらグラスの中身を揺らす。軽やかな仕草の奥に、愉快そうな色が滲んでいる。その表情は、単に自分の役割を果たしただけと言わんばかりだった。

 彼は公爵を頂点とする派閥に属する人間なのだ——その瞬間、テオバルトが彼を警戒していた理由が鮮明になった。

 公爵の意を汲みながら、この場を観察し、探りを入れる立場の人間であるなら、その洗練された挑発的な態度にも納得がいく。


「とんでもない。私などの些細な時間など、閣下の貴重なるお時間に比すれば取るに足らぬものです。では、ご武運を。公爵閣下も、きっと心待ちにされていますよ」


 フェリクスはひとつ笑みを残して去っていく。その背を見送りながらオフィーリアは小さく息を吐いた。

 今宵、テオバルトに連れられて様々な招待客たちと挨拶を交わしてきた。微笑みを絶やさず、礼節を尽くし、一言一句に気を配りながら。

 けれど、公爵とは未だ言葉を交わしていない。宮内卿(くないきょう)という立場を考えれば本来は真っ先に足を運ぶ相手のはず。それでも彼が動かなかったのは、何か意図があるのだろう。


「公爵閣下は古き伝統を重んじるお方ですが、あなたの努力や立場を軽んじることは私が許しません。何を言われても気にせず、いつも通りでいてください」


 テオバルトの穏やかな声音は、ゆるやかな音楽と談笑のざわめきの中にもはっきりと聞き取れ、オフィーリアの張り詰めた指先にわずかな安堵を与えた。

 その静かな響きが胸に浸透するように広がって、指先から力がゆるやかに抜けていく。

 オフィーリアは静かに息を整え、ゆっくりとテオバルトを見上げると、小さく頷いて穏やかに微笑んだ。


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