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第三十七話 紡がれる決意

 柔らかな光が瞼を撫でる。微睡の中で、昨夜の温もりがまだ肌に残っているような気がした。意識が目覚めに近付くにつれ、心臓が少しずつ早く打ち始める。オフィーリアはそっと息を詰めた。


(……私、なんてことを……)


 歌えない苦しみを八つ当たりのようにぶつけてしまった。テオバルトの言葉を素直に受け入れられずに疑った。それでも沢山の言葉で尽くしてくれようとする誠意を、試すような振る舞いまで。


(でも、全部受け止めてくださった……)


 涙に溺れていた自分に差し伸べられた優しさと力強さ。その言葉の数々は今も耳の奥で穏やかに響いている。

 頬に熱が集まるのを感じながら、オフィーリアは寝台の上で体を丸める。せめぎ合う様々な感情の整理が付かなかった。

 あてもなく彷徨わせていた視線がナイトテーブルに向くと、そこに何かが置かれていることに気付く。

 一枚のカードと、添えられた一輪の花。震える指でカードを手に取る。その整った文字が、まるで彼の声となって心に響いてくる。


『今朝の光が、少しでもあなたの心を照らしていますように。

 昨夜、心の内を聞かせてくださったことに感謝しています。

 きっと勇気が必要だったことでしょう。その勇気に深く尊敬を抱いています。

 もしお疲れでなければ、あなたの笑顔を見ながら朝食を共にするひとときを楽しみにしています。

 あなたの好きな紅茶を用意してお待ちしております』


 一文字一文字が、まるで彼の声となって響いてくるよう。この全ての文字が、自分だけに向けられている——その事実が、静かな喜びとなって胸の奥に溶けていった。

 それからふと、昨夜のことが蘇る。彼が真っ直ぐに見つめながら、はっきりと口にした言葉。


『あなたを愛しています』


 その瞬間が思い出され、オフィーリアの頬に熱が集まる。

 それから、蝶のように柔らかな口付け。唇ではなく額に、温もりが溶け込んでいく心地良さ。思い返すたびに胸が熱くなり、指先が震える。

 まるで初めて見る夢のような出来事なのに、確かな記憶として心に刻まれていた。

 寝台から足を降ろし、まだ早朝の静けさが支配する部屋で、オフィーリアはひとつ深呼吸をした。小鳥のさえずりがかすかに耳に届く。それが自分を呼んでいる気がする。


(……今なら、一人でも大丈夫)


 その思いは、昨夜まではなかったもの。ベルナを起こすのも忍びなく、オフィーリアは一人で着替えをはじめた。

 鏡に映る自分の指先が、いつもより確かな動きで髪を整えていく。心に残る数々の言葉が小さな勇気となって背中を押してくれるように感じた。

 オフィーリアはどこか軽やかな足取りで部屋を出た。


 ◇

  

 朝露の香りが、初めて会った時のように胸を潤す。いつからだろう、こんなにも自由に空気を吸えるようになったのは。オフィーリアは深く息を吸い込んだ。寒さも、恐れも、もう昨日までのものみたいに感じられる。

 初夏のやわらかな陽光が木々の間から差し込み、葉の隙間を通る風が草木の香りを運んでくる。石畳の小道を歩きながら、思い浮かぶのはやはり昨夜のこと。

 テオバルトの言葉、温かな眼差し、そして自分に寄り添い続けてくれたこと。そのすべてが、どれほど真摯に自分を想っているかを物語っていた。


(今日、ちゃんとお話ししよう)


 心の奥に決意が芽生える。ずっと言えずにいて、昨日も泣いてしまって伝えられなかったこと。自分の出自について、打ち明ける時が来ていた。

 あれほどまでに誠実に向き合ってくれようとする人に、これ以上の隠し事はできない。

 その時、遠くから足音が近付いてくる気配に気づいた。振り返ると、屋敷のほうからテオバルトが歩いてくる。

 その視線は何かを探すようにしきりに周囲に向けられていたが、オフィーリアの姿を見つけると、その表情がわずかに緩み、明らかに安堵の色を浮かべた。


「おおはようございます。こちらにいらしたのですね」


 テオバルトの声はいつもより柔らかく、どこかほっとした響きを含んでいる。その眼差しも、まるで貴重な宝物を見つけたかのように優しかった。

 朝の陽光が彼の整った横顔を照らし、その琥珀色の瞳が静かな安心感を湛えている。

 普段の厳かで隙のない装いとは違い、白いシャツの襟元が朝の風に揺れている。一つ外されたボタンから覗く首元にどこか人間味を感じて、胸が小さく震えた。

 テオバルトは一瞬、後ろに目配せをした。オフィーリアを探していたのだろうベルナたちが屋敷の扉から姿を見せる。彼は無言で手を挙げ、控えめな動作で「もう大丈夫だ」と伝えた。

 その仕草にオフィーリアは初めて気付く。自分を探しに来たのは彼だけでなく、ベルナや他の使用人たちも一緒になって心配していたのだと。


「あ……私、書き置きも何も残さなくて……」


 昨夜のこともあって、余計に心配させたに違いない。申し訳なく思う一方で、真逆の感情も芽生えていた。テオバルトが、服装を整えるより先に自分を探しに来てくれたことが嬉しい。


「大丈夫ですよ。誰もあなたを責めたりしません。ただ、あなたを見つけられて安心しました」

「早く目が覚めてしまって……少し、気分転換しようと思ったんです。ご心配をおかけしてすみません」


 オフィーリアがそう告げると、テオバルトは柔らかな表情を浮かべて首を振った。


「いいえ。あなたが無事でよかったです。リア」


 リア——もう誰にも呼ばれることはないと思っていたはずの名前。けれど彼がそう呼ぶと、胸の奥が不思議な感覚に包まれる。

 かすかなざわめきと共に、自分を大切に思ってくれているという想いが伝わってくるようで、自然と頬が熱を帯びた。


「あの、テオバルト様……少し、お庭を歩きませんか?」


 オフィーリアがそうした誘いをするのは、もしかしたら初めてだったかもしれない。


「喜んでお供します」


 朝の光を受けたテオバルトの横顔が、いつもより柔らかく見える。後ろを振り返った仕草も、普段の威厳に満ちた様子とは違って、どこか愛らしささえ感じられた。

 使用人たちが静かに屋敷へ戻っていく中、二人だけの時間が始まろうとしていた。


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