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第三十話 夜の灯りに誘われて

 昼間とは違う夜の書斎は、落ち着いた静けさに包まれている。蝋燭の柔らかな灯りが手元を照らす中、オフィーリアは地図をなぞるテオバルトの指を目で追った。


「この地点も、交易路にとっては重要な中継地のひとつです」


 そこは交易路の途中にある町だった。険しい山々に囲まれながらも、商人向けの宿屋や市場があり、そこで行われる取引も多い。交易路にはこうした中継地が点在している。

 興味深いのは、場所によって少しずつ特色が出てきたこと。例えば織物や染料が大量に持ち込まれる中継地では、染め直しや仕立てを行う工房が増えはじめた。職人が集まれば自ずと技術や知識が共有され、今後新たな銘柄が生まれることもあるかもしれない。

 

「……様々な種類の品物が集まるより、特定の品物ばかりが集まる市場の方が良いということですか?」

「交易路全体としては、両方の混在が理想です。小規模な中継地では専門的に、大規模な中継地では多様に集まるほうが長い目で見て安定した利益に繋がります。特定の産品に偏ると、突然の不況や不作で大きな打撃を受けますからね」

「なるほど……」

 

 穏やかな声に耳を傾けながら、オフィーリアは要点を帳面にまとめていく。テオバルトの説明は具体的で、地名や地域の特徴だけではなく交易品がどのように流れているかまで語られる。

 交易路の概要については一通りクラウスに教わっていたためか、語られる内容もきちんと理解できている手応えがあった。

  

「それでは、ある市場が衰退し商人たちが別の道を選ぶようになった場合、どうすればいいと思いますか?」 


 不意に投げかけられた問いに、オフィーリアは思わず顔を上げた。その答えはこれまで学んできた帳面のどこにも書かれていなかった。

 分からないと答えることは簡単だが、そうしたくない自分がいることに気付いて、必死に頭の中で考える。


「……新しい商品を取り扱うなど、商人たちが興味を持ち、立ち寄りたくなるような魅力を作れば、人の流れが戻るのではないでしょうか」


 どうにか捻り出した言葉に自信が持てず、恐る恐る答えたあとは視線を落としかける。だが、「良い考えですね」と言うテオバルトの声は穏やかだった。


「間違いではありません。しかしまずは衰退した原因を明確に分析することが重要です。地理的条件なのか、治安や税制の問題なのか、競合の発展か。要因が分かれば打つべき策も変わってきます」


 更に言えば、とテオバルトは言葉を続ける。商人たちはどれだけ安全に効率的に取引できるかを重視する。人の流れを戻すには宿場の整備や治安の維持も必要だという。


「あ……そうですよね。治安の悪化が原因なら、どれだけ品揃えを豊富にしても商人が立ち寄ることはないと、そういうことですね?」

「その通りです」


 テオバルトが満足げに頷く。自分の答えは正解から外れているはずなのに、そんな気配すら見せずに肯定してくれる。その応え方がオフィーリアには心強く、同時に、嬉しさと落ち着かなさが入り混じるような、奇妙な感覚を覚えた。


 オフィーリアはそっと机上に地図へと視線を落とす。

 これまでの簡略されたものとは違い、より細かな線や文字で形作られている。地図を正しく読み解けるようになったと気付いた時、胸の奥に小さな自信が芽生えた。

 その気持ちに後押しされるように、オフィーリアは思い切って、地図に書かれた地名を指差した。交易路の中心部に位置するその地域はいくつもの道が交わり、また枝分かれしていく場所で、主要な中継地が並んでいる。


「……ここシュルテンハイムが、テオバルト様の領地なのでしょうか?」


 家名と爵位は必ずしも一致しない。オフィーリアもそれくらいの知識は持っている。テオバルトの生家は名前が表す通りレーヴェンハースト家。長い歴史を持つ名門伯爵家だとクラウスが教えてくれた。


「よくお気付きですね」


 そう言ってテオバルトが目を細める。真剣な表情が穏やかな笑みへと変わる瞬間を見て、胸の奥に不思議な温かさが広がっていく。オフィーリアは、その変化に惹かれてしまう自分を意識した。


「仰る通り、そこが侯爵位と共に大公閣下から賜った土地です。山々と豊かな平地に囲まれた長閑な場所ですが、今後は更なる発展が見込めるはずです」

「今の季節は……花が一面に咲いて、とても綺麗だそうですね」

「香油や菓子など花を使った特産が多くあります。定期的に屋敷にも届くので、次に届いたら差し上げましょう」

「そんなものがあるんですね……。ありがとうございます。楽しみです」


 オフィーリアはまだ見ぬ遠い地を思い浮かべてみた。長い冬を越えて咲き広がる花畑、市場に並ぶ菓子や香油、行き交う商人たちの笑顔。けれどその光景の中に自分の姿を置くことは、できなかった。

 彼は生まれながら貴族という立場にあるだけではなく、さらに先へ進んでいる。その歩みを知れば知るほど、オフィーリアには眩しく映り、自分の立つ場所との隔たりを意識せずにはいられない。


「とはいえ仕事柄、そう何日も公都を離れることができないので、ほとんど領地には行けていませんし、運営も信頼できる部下に任せてばかりですね」

「公務にお忙しいのですから……仕方ないことだと思います」


 貴族は領地に住まい、社交の季節になると公都に出てくる。その営みは国が違っても同じらしい。しかし彼のように公職に就く身だと、それもままならないのだろう。

 オフィーリアがそんなことを考えていると、向かいの席でテオバルトが本を閉じるのが見えた。


「今日はこれくらいにしておきましょう。次回は、また別の話をするのもいいですね」

「……私、もっと頑張ります。これからもよろしくお願いします」

「あまり気負わずに。楽しみながら学んでいくのが一番ですから」


 当たり前のように次の約束をしてくれることが、嬉しい。テオバルトの穏やかな声に、学ぶことへの興味だけではない、別の何かがオフィーリアの心をそっと撫でる。けれどそれに名前をつけることはしたくなくて、ただ、静かに頷くだけに留めた。

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